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if番外編の番外3*

 最近の千耀はことあるごとにおれのことをかわいい、かわいいと連呼する。かわいいなんて男に対する褒め言葉じゃねーし、正気を疑うけど、どうやらこいつは本気でおれのことをかわいいと思っているらしいのだ。  オメガのように綺麗でもかわいくもない、庇護する必要もない男に対して、本気で。 「なに。その顔どうしたの。痛む……?」 「痛くない」  べったべったに甘やかしてくる千耀はむず痒くて、どう反応したらいいのかわからず、結果つい素っ気ない態度をとってしまったりもする。どうにも慣れない。 「本当? しんどかったらちゃんと教えて。それとちょっと休憩したら一緒にお風呂入ろうね。前にも言ったけど、俺が出したのそのまんまにしてたら、お腹壊すから」  労るように素肌を撫でられて、千耀の肩に顎を乗せていたおれはこくりと小さく頷いた。 「なあ……千耀」 「ん?」 「すき」  小さくて掠れた声でつぶやくと、千耀の体が動揺したように揺れる。それに苦笑して、ゆっくりとその先を口にした。 「少し前までは、まさかお前とこういうふうになるなんて思ってなかった。千耀にすきだって言われて、おれ、すげー舞いあがったよ」 「元毅……」  直接を表情を窺うことはできない。でも触れあった場所から力強く響いてくる鼓動に、千耀が今どんな顔をしているのかがなんとなく想像できた。きっと、ふにゃふにゃと頬を緩めているにちがいない。  その表情を今からぶち壊すんだと思うと可哀想な気もした。 「けど冷静に考えたら、こんな時期からもう結婚相手を決めるのって早すぎない? 入学だってまだしたばっかりだろ」  千耀の向けてくる感情はまっすぐだ。……まっすぐすぎて心配になる。おれとの結婚だって、考える時間があったのかと疑うほど短い時間で決断してしまった。 「……早いって、元毅はどうしてそう思うわけ」  わずかな沈黙を挟んだあと固い声で尋ねられる。 「おれはベータで男だから子供が産めない。だからって、千耀がおれ以外……たとえばオメガを一緒に嫁にすると言っても、絶対に認める気がない」 「? 俺はそれで構わないよ」 「よくねーよ。おれを選ぶんだったら、オメガも子供もこの先諦めてもらうことになるんだぞ。こんな重要なこと、急いで判断しなくてもいいだろ」  おれが千耀を共有したくないばかりに、千耀に失うものがでてくる。本当にそこを理解してるんだろうか。  今は目ぼしいオメガがいなくても、これから先はわからない。アルファとオメガはベータにはない特別な繋がりを持っている。ここを卒業するまでにはあと三年もあるし、その間に運命的な出会いがないとも限らなかった。  おれは、千耀に別に好きな相手ができたとしても絶対に応援なんかしてやれない。手を離すこともできないし、きっと邪魔をする。それが目に見えている。  そうなったときに、千耀におれとの関係を後悔をしてほしくなかったし、あいつの将来を台無しにもしたくなかった。  千耀はもう少しおれとのことを重たく考えるべきだ。 「だからおれと結婚するって話、一旦保留にしとかないか。卒業まで待って、お前の気持ちが変わらなかったらそのとき決めてもいいと思う」  相当な覚悟を持って思っていたことを伝えると、無言のまま微動だにしない千耀の反応を待つ。心臓がひどく早く脈打っていて、緊張からこくりと喉が鳴る。  そんな中で、ようやく返ってきた千耀の答えは端的だった。 「嫌だ」  拒絶の言葉と同時に、おれを抱き締める腕に力がこめられる。 「元毅は俺の気持ち、信じらんない? 俺が元毅を差し置いて、オメガを好きになるかもしれないって考えてるってことだよね」  提案をきっぱりと拒絶した千耀に、湧いたのは喜びの感情。けれどそれではだめだと自身を叱咤した。 「……今はおれでよくても三年後はわかんねーだろ」 「俺の気持ちが三年後には心変わりする程度だってこと?」 「そういうことじゃなくて。……考えが、変わるかもしれないだろ。子供が欲しくなるかもしれないし、やっぱりオメガが良くなるかもしれない」 「ない」 「おい、千耀。ちゃんと聞けって――」 「それ以上言ったら怒るよ」 「!」  頤に手をかけられて上を向かされたかと思うと、強引に口を塞がれる。 「っちあ……」  話すことを妨害するように深くなる口づけに、言葉を遮られた。抗おうと藻掻くと、あっさりと動きを封じられて口内を荒らされる。  その勢いに戸惑っているあいだに、繋がったままになっていた千耀のものがゆっくりと後退したかと思うと、ふたたび押し入ってきた。 「……ふ、ぅんん……っ」  そのまま中を穿たれる。  このタイミングでそれは反則だろ。  怒っているのか、脚を掴む千耀の指には力がこもっていて、まださっきの名残を残して敏感になっている場所をねちっこく苛められる。 「んっ……ンン、んっ」 「……っ保留にするって、別れたいってこと?」 「あ、ちがぅう……」 「じゃあまだ俺と婚約したくないってことか」 「や……っ、やっ。ちあき、そこぐりぐりすんの、嫌……っだ」 「だめ。元毅がさっきの言葉、撤回するまでやめない」  弱いところばかりを狙って擦りあげられ、押し潰されて、まともな思考が適わなくなる。やめてほしいと懇願しても許してもらえない。  腹の中の千耀のものを塗り広げられて、繋がっている部分からひっきりなしに濡れた音が漏れていた。こんな状況なのに、興奮して体温が上がってしまう。  千耀の熱くなったもので擦られるたびに快感を拾いあげて、震えた。 「俺は、適当な気持ちで決めたわけじゃないよ」  脚の位置をずらされ、中の角度が変わる。 「っあう……」 「他の誰かだって必要ない」 「……っふぅ、く……」 「元毅をもらうって決めたのも俺にとっては全然早くなかったし、むしろ遅すぎたと思ってるのに、まだ先伸ばしにする必要がある?」  腹の内側が熱くて、蕩けて、千耀のものに絡みつく。そんな場合じゃないのに、千耀の存在に体が反応してしまう。浅ましくも千耀を求めてしまう自分自身のどうしようもなさに、唇を噛み締めた。  あっさりと吐精してしまい、息を乱すおれの耳に千耀が唇を寄せる。 「元毅」 「……っ……」 「まだ不安?」  一瞬躊躇ったあと、頷く。  千耀のためだといいながら、結局はおれが、どうしようもなく焦がれて手に入れた相手を失うのが怖いだけなんじゃないか。  繋ぎ止める自信がないから、他の誰かに奪われる想像が頭の隅にこびりついて離れない。  実際にそうなったら立ち直れる気がしなかった。だから、今ならまだ夢だったと言い聞かせることができるかもしれないと、逃げ道を作っていた。  もしもの可能性を怖がって、千耀を傷つけている。  こんなおれはやはり千耀にふさわしくないんじゃないか。そんな考えばかりが頭の中をぐるぐると回った。  どうやって千耀を説得しようかと考えていると、突然千耀が大きく喉をのけ反らせ、天を仰ぐ。 「あーもー……どうしよう。こういうときに不謹慎だけど、かわいい。俺の心変わり心配して不安になるとかもう、かわいすぎて動悸がする……」  ひどく悩ましげにつぶやいたあと、左胸を押さえながらまた覆い被さってくる。  それまでの真剣さはどこへいったのかと疑うほどの幼馴染みの変貌ぶりに、頭がついていかずポカンと呆けた。 「頭、大丈夫か……?」  ついそんなことを口にすれば、千耀は首を左右に振ってだめかもしれないなどとふざけたことを返してくる。 「元毅の存在が、俺のことこんなふうにしてるんだろ。婚約先伸ばしにするとか本当につらいからやめてほしい……」  そう言って本当に悲しそうに眉尻を落とす千耀が哀れで、大きく気持ちが揺れる。そんな自分に気がついて慌てて持ち直したけれど、すぐさま千耀から次の手が打たれた。 「大噛学園にオメガが大勢いるから問題なのかな。そしたら、いっそのこと転校する?」 「……は?」 「アルファとベータしかいない学校に行けば、元毅の悩みも解決するだろ」  ちょっと待て。なに言ってんだこいつ――転校? 「父さんを説得する必要はあるけど、そこはまあどうにかする。元毅がいるから、そこまでうるさくは言われないだろうし。転校先はこっちで目ぼしいところをピックアップして、元毅に相談する形でいい?」 「待て。待て。話が早すぎる。俺はまだ転校するなんて一言も言ってねーし!」 「うん?」  うん? じゃねー! なに惚けた顔してんだよ。 「でもオメガがすぐ近くにいるから不安なんでしょ」 「それは、」  ――そうなんだけども……!  千耀の切り返しに言葉を詰まらせるも、それにしても話がぶっ飛びすぎていると考えなおす。 「転校とか、大事にしすぎだろ」 「俺にとっては転校よりも婚約延期されることの方が大事だけど」  真顔で返されて言葉を失う。 「わかってないみたいだから言うけど、俺元毅のこと手放す気微塵もないよ。可能性があるんなら不安要素全部摘んでしまいたいくらいには全力で囲いこむ気でいるから、元毅の悩みは本当に杞憂だ」  千耀は真剣だってことを伝えたかったんだろうけど、言ってることがまあまあ怖くて普通にビビる。囲いこむってなんだよ。  思わず不審者に向けるような目を投げつけてしまうが、千耀は真面目な顔を保っている。 「撤回するって言って」 「……」  縋るようにお願いされて、これでもまだ結婚の約束を延期するとは言い張れなくなった。それにここで断れば、本当に転校する流れになりそうだ。 「わ、かったよ……先伸ばしにするって言ったのは取り消す」 「本当? よかった!」 「転校もする必要ないからな」 「うん。元毅がそう言うならそれでいい」  安心したとばかりに笑顔で擦り寄ってくる千耀。その腕に抱きこまれながら、あんなに悩んでいたはずのことが今はそれほど気にならなくなっていることに、驚く。  結局おれは、この幼馴染みにはどうやっても勝てないらしい。 「顔合わせ、なくなったよ」  いつものようにβクラスにやってきた千耀が、なんでもないことのように合同実習の顔合わせの結果を報告してきた。  その内容に目を丸くする。  顔合わせって、例の合同実習のパートナーを決める顔合わせのことだよな。それが、終わったじゃなくて、なくなった……?  どういうことだと視線で訴えると、千耀が理由を説明してくれる。 「相性診断で合致するオメガがいなかったんだって」  あっさりと告げられたのはにわかには信じがたいものだった。まさかそんなことがあり得るのかと、幼馴染みの顔を凝視する。だけど千耀がおれに嘘をつくはずもないため、本当にそうなのだろう。  いやでも……と葛藤していると、そんなおれを見ながら千耀がどこか複雑そうに口を開いた。 「まあ、なかなかあることではないらしいね。担任からもすごく驚かれたし。アルファとしては問題かもしれないけど、俺としては都合がいいから、これはこれで良かったと思ってるよ」 「? 都合がいいって?」 「俺と相性のいいオメガがいないってことは、元毅が不要な心配をする必要もないってことだろ」 「! なっ」 「ちがう?」  にこにこと眩しい笑顔で尋ねられて、おれは苦虫を噛み潰す。千耀の言うことがそのとおりだったからだ。だけど素直に認めるのは憚られて、唇を引き結んで無言を貫く。  そんなおれに注がれる、期待に満ちた視線。どうやらこいつはおれが認めるのを待っているらしい。  今回のことで千耀を振り回した自覚のあるおれは、しばらくの沈黙を挟んだあと、その期待に屈したのだった。 「ちが、わない」 おわり  

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