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3:驕慢

 車を駐車場に戻しに行っていた筈の総一朗が、なぜか大きな包みを抱えて戻ってきた。どうやら、近隣──といっても数キロ離れた別荘を所持している老アルファから、猪肉を手に入れたからとお裾分けされたそうだ。  ちょうどその時、お茶を持ってきていた香織から、薔子がきのこ類を戴いてるという話が出て、結局、玲司が腕を振るって牡丹鍋を作る事になった。  本人は不承不承(ふしょうぶしょう)といった苦い顔をしていたものの、桔梗の口に入るものだからと、全面的に番の好みにしようとコタツから腰を上げてキッチンに向かおうとしたら、桔梗が当たり前のように後ろからひょこひょことあとを追ってきたのである。 「桔梗君? キッチンは寒いので、リビングで母達と待っていてもいいですよ?」  桔梗は玲司をじっと見つめ、ふと目を逸らし、とある一点を見たあと、首を緩く振って「一緒に居ちゃダメですか?」と上目遣いで玲司を見上げる。その姿は捨てられた仔犬のようで、玲司の胸がキュンと疼く。このまま昼食の準備なぞせずにベッドに向かうのは駄目であろうか。 「いいえ、駄目ではありませんよ。ただあんまり暖かい場所ではないので、何か上に羽織ってから行きましょうか」 「……っ、はいっ」  雲の切れ間から射し込む陽光のような笑みを見せた桔梗の肩に手を回すと、玲司はチラリと視線を横に流してリビングを後にする。  その視線に気づいた薔子は「あーあ、玲司を怒らせるなんて」と呟かれた言葉は、近くに座っていた総一朗と凛の耳にしか届いていかなった。  玲司が視線を向けた先には、いつもより不機嫌を滲ませる家政の真紀の姿があった。 「……大丈夫ですかね」 「さぁね。玲司が寒川の……いえ、『四神』の中でも特別な子だもの。正直、あの子が怒った時には、最悪今日のパーティで対策を練らなくちゃいけなくなるかも」  小さく吐息した薔子の言葉に、総一朗は瞠目する。  凛は淡々と蜜柑の皮を剥いては口に放り込んでいる。 「んー、玲司兄さんは大丈夫じゃないかな。幾らなんでも番を傷つける事はしないだろうし、ああ見えても寒川の中で常識人だしね」 「なによー、それって私が常識人じゃないって言ってるみたいじゃないの。この家で一番の常識人なのに!」 「「え?」」  ざっ、と息子達の顔が薔子に向けられ、その顔にはありありと「常識人って誰が?」と書かれてあった。  息子達がいじめるー、と炬燵の天板に突っ伏した薔子は放置して、総一朗も凛も互いに目を合わせ頷くのだった。 「……まあ、常識はさておき。下手に破をつついて玲司を刺激させないようにしないとな。ただでさえ、アルファの集まりを忌避してるのを引き止めてるんだし」 「僕は無理ですからね。玲司兄さんを止めるのは、総一朗兄さんにお任せします。僕、非力なんで」 「だったら頭を貸してくれよ」 「えー、研究以外で使いたくないんですけどね」  桔梗と玲司に充てられた部屋は、家族棟側の二階客間だった。  ベージュ壁紙に飾られた小さなリトグラフは植物モチーフで、色彩も淡く部屋の中に溶け込んでいる。  テラスに続く窓は大きく明かりが入り、ベッドの白いシーツに眩しく反射している。そのベッドを挟むように透かし彫りの縦型の小窓が取り付けられ、飴色に染まった部分が光っていた。  他にも臙脂色の座面のソファは背面が木製で、時間によって燻されたこげ茶が臙脂を映えさせる。飴色の木製ライティングデスクも見るからに高級感を醸し出し、別の世界に入り込んだような錯覚に陥る。  シンプルでありながらも贅を込めた寝室は、きっと他も同じように素晴らしいものだと予感させる。 「どうかしましたか?」 「なんというか、流石は上流アルファ家系だな……と」  どれひとつ取っても高級感が滲み出ている室内を見渡し、桔梗は玲司の質問を脳内濾過する事なく感想を零す。 「桔梗君のおうちも名家ですよね。別荘があると以前聞いてた気がしますが」 「まあ、あるにはあるんですけど、こんなに立派なものではなくて、別荘地の建て売りの小さなログハウスでしたけどね」  桔梗の実家、『扇合(おうぎあわせ)』の香月家は、中流家系ではあるものの、父親のアルファ至上主義のせいか、他の三家とはあまり交流がなかったかのように思う。  とはいえ、中流アルファ家系なので、実家はうっすらとした記憶の中でもそれなりの豪邸だったような気がする。家族では維持できない為、家政婦が何人か居て、家族の世話をしてくれていた。  先ほど会った織田親子もそうだが、上級アルファに仕える使用人達は基本的にベータが多い。というのも、彼らはアルファやオメガのようにフェロモンの影響を多少は受けるものの、行動できない程ではない。  ただ、ベータの人間というのは、フェロモンに左右されないのもあって、愛人として収まりたいが為に働く者が多いとも聞く。  桔梗は、寒川邸に入る直前に向けられた真紀の鋭い視線が脳裏に浮かび、母親の香織とは違い、娘の方は玲司と婚姻を結んだ桔梗に対しては祝福する意思がないのだと悟ったのである。 (なるべく玲司さんと一緒に居るか、ひとりきりにならないようにしなきゃな)  桔梗は玲司から渡された膝丈まであるふわもこのロングカーディガンに袖を通しつつ、静かに誓いを立てたのだった。  その誓いはすぐに泡となって消えてしまったが。  玲司と二人並んで一階に降り、玄関エントランスを横切って厨房に向かう途中、両開きの扉が開かれ、大きな広間が姿を見せている。中では様々な格好をした人が大勢あくせくと動いており、ここで先ほど話が出たパーティが行われるのだな、と桔梗は頭の中で呟いた。  そこで、そういえば、と玲司と薔子の会話を思い出す。 「玲司さん」 「はい?」 「玲司さんは、秋槻の方とお知り合いなんですか?」  玲司は桔梗へと不思議そうな顔を浮かべ見ていたものの、「ああ」と何かを思い出したのか小さな声を漏らしていた。 「秋槻は教育系の運営をしてましたし、医療系の寒川家とは交流はありましたけどね。あそこの次男とは昔、相談に乗っていた時期があったんです。そのご縁でたまに連絡を取ってる位ですね」  それが? と特に隠す様子もない玲司に、桔梗はホッと胸をなで下ろす。  まだ出会って数ヶ月であるから、その前の親交については口出すべきではない、と思いながらも胸のモヤモヤが心を醜くさせていた。これがオメガの番に対する執着かと内心へこんだりもしたが、これまでの人生で、ここまで心を揺さぶってきた人が玲司で良かったともさえ歓心していたのである。 「秋槻充さんですよね。俺が中学時代に高等部の生徒会長をされていたので。俺も中等部の時は生徒副会長をしてて、朔音が会長だったんですよ」 「……そうなんですか? 桔梗君はあの学園に通っていたんですね」  目を見張る玲司に、桔梗は首を傾げながら「玲司さんは違うんですか?」と問い返す。  名家と呼ばれる上級アルファ達の殆どが、桔梗の通っていた秋槻学園に通っていた。当然、ベータもオメガも通学していたが、そちらもほぼ名家もしくは一般でも会社経営している親が子供を通わせていたようだった。  だが、中等部卒業と同時に、桔梗は実家を追い出され、別のオメガだけが入学を許される高校へと入る事を余儀なくされたのだが。  おかげで貞操の危機自体は中等部時代、朔音や高等部生徒会のおかげで多少晒された事もあったものの最終的に清いままで卒業できた。 (そういえば、秋槻先輩と一緒にいたベータの……三兎(みと)先輩も今日見えるだろうか。以前助けてもらった時、発情(ヒート)でまともにお礼できなかったから、もし逢えたら遅くなったけど、ちゃんとお礼したいな)  桔梗は内心で思案しつつ、玲司の言葉に耳を傾ける。 「僕は秋槻学園には入っていないんですよ。というのも、以前軽くお話しましたけど、僕の生い立ちが特殊だったので、薔子さんと相談して、小学の六年間は家庭教師から勉強を習い、中学からは県立の学校へ入ってました。高校は入学してすぐ海外に留学してまして。大学もあちらだったんです」 「留学ですかぁ。それじゃあ、海外のお友達とかも多そうですね」 「まあ、悪友と呼べるのが何人か。いつか、向こうに行った時にでも、紹介しますね」 「はいっ」  何気ない会話だけども、こうして未来の話ができる事に桔梗は喜びに心がふわふわとなり、弾けるように返事をしたのだった。  途中で階段下にある秘密基地めいたベンチや、移築前は喫煙室となっていたサンルームの幾何学模様のタイル敷の精緻さに感嘆しつつ、二人はキッチンへと向かう。  今日のパーティがある為、普段使用しない厨房ではいかにもレストランのコックとおぼしき人達が慌ただしく作業をしている方ではなく、家族達の食事を作る多少狭いキッチンの扉を開けようとしたその時。 『あんな人が玲司さんの番だなんて。きっとヒートで玲司さんを惑わしたに違いないんじゃないかしら』  言葉の端々から悪意が滲んでいる若い声が聞こえ、二人は動きを止める。 『ちょっと、口が過ぎるわよ真紀。玲司さんが誰と婚姻を結ぼうが、あなたに関係ないでしょ』 『でもっ』 『これ以上騒ぎ立てるなら、家に帰ってもらうわよ。あなたがどうしても手伝いしたいからって勝手に付いてきてるんだから』 『……っ』  窘めているのは香織だろうか。呆れたように諭す母に真紀もそれ以上反論するのを諦めたのか、それ以上何か話す声は聞こえなかった。 「……」 「……」  扉の前で予期せず桔梗に対する真紀の本音を聞いた二人は、互いに顔を合わせたまま見つめる。玲司はともかく、桔梗は明らかに嫌悪しているだろう真紀の前に出るのを躊躇ってしまっていた。 「……やはり部屋で待ってますか?」  こそりと玲司が問いかけてくるのを、桔梗は緩く首を横に振って断る。  これまでだってオメガだからという理由で謂れもない誹謗中傷を受けたのは、一度や二度ではない。しかし、初対面の人間からこうもあからさまに悪態をつかれると、慣れている筈でも結構くるものがある。  それでも自分は玲司が名家の人間だと知っていても婚姻すると決めたのだ。 「桔梗君?」 「大丈夫です、行きましょう。玲司さん」  少し笑みがひきつってると自覚しつつ、桔梗はキッチンへと続く扉を躊躇う事なく開いたのだった。

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