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14:宵闇

 玲司からはホテルと聞いていて、確かに外観は白亜のソレに等しいと納得せざるを得ないのだが、細部を見てみると、横広がりの低い建物は、京都の町家を連想させ、黒の格子や庇はモダンな雰囲気で、白の世界に色があるとホッとするのはなぜだろうか。 「ホテル……なんですよね」 「ホテルなんですよ。割と和を取り入れてるし、見事に外観がアレですからね。旅館と勘違いされてるみたいですけど、まあ、そのあたりは中に入れば分かるかと」 「どちらにしても、こんな素敵な場所に泊まれるなんて嬉しいです。ありがとうございます、玲司さん」  総一朗がレンタルしてくれた車を宿泊者専用駐車場に停め、ふたり並んでキャリーバッグのキャスターを転がしながら、除雪された舗道を歩く。カラカラと地面を削る音を背景に、桔梗は感謝の気持ちを玲司に伝える。  いつもは飲食店をしている為、長めの前髪は後ろに撫で付けるようなスタイルをしているも、休日の今は完全に素の状態で、その髪の隙間から覗いた切れ長の双眸は数度瞬きをして、伏せる。目元がうっすらと赤く見えるのは、珍しく彼が照れているからだろう。 「……桔梗君」 「はい?」 「あんまり可愛すぎて、もう部屋に入ったら、一歩も出したくないのですが……」 「ぇ、あっ、そ、そんなつもりではっ」  大丈夫ですよ、とくすくす笑う玲司に、桔梗は瞬時にからかわれたと分かり、顔を真っ赤にして唇を尖らせていた。 「もうっ、玲司さん!」 「ふふ。でも、閉じ込めてしまいたいって気持ちは本当なんですよ」  憤慨して声を荒らげた途端、甘やかで情欲を含んだ声が桔梗の耳をこれまで以上に赤く染め上げる。まるで雪に映える椿の花のようで、食んだらきっと甘いかもしれないと、玲司は微笑みながら、そんな事を思案していたなど、桔梗には知るよしもなかった。 「いらっしゃいませ」  緩やかな坂になっている舗道を登り終えると、間口の大きく開かれた入口を挟むようにしてふたりの男性が玲司と桔梗へとにこやかに声をかけてくる。彼らはベルボーイなのだろう。  外観の和モダンな雰囲気に合った、分厚いウール生地のロングコートは黒に近い紺色で、立て襟にダブルの金釦には二重の桜が刻まれ、明治時代の特高警察官のようなストイックな雰囲気を感じさせた。 「チェックインをお願いしたいのですが」 「では、フロントへとご案内いたしますね」 「ええ。それでは行きましょうか桔梗君……桔梗君?」 「あっ、はいっ」  ぼんやりと玲司とベルボーイのひとりと会話するのを眺めていたせいで、反応が出遅れた桔梗は、あわあわと落ち着かない。  以前はもっと常に周囲へ気を張り詰め、自分に隙がないよう生きてきたのに、玲司と出会って数ヶ月で、こんなにも彼によりかかる事を覚えてしまっていた。  それが良いことなのか、悪いことなのか。  桔梗にはまだはっきりと断言できないけども、それでも一度手に入れた温もりを離したいとは思わなかった。  ベルボーイを先頭にロビーへと足を踏み入れた途端、桔梗は正面にある季節外れのソレに瞠目する。高い天井は剥き出しの梁が巡り、漆喰の白とのコントラストが美しい。梁と同じこげ茶の板張り床には、目の覚めるような緋毛氈。そして、客を迎えるように咲き誇る満開の桜。 「……桜?」 「あ、ああ、あれは造花のようですよ。ここのシンボルツリーのようなもので、散ることもなければ、新緑になることもない、永遠の満開が売りだそうです」 「そうなんですね」 「恒久的な春もいいですけど、僕はやはり季節の移り変わりで姿を変える桜の方が好きですね」 「でしたら、春になったらお花見に行きませんか? 近くの大学構内に、桜の並木道があって綺麗らしいんですよ。お弁当持って、のんびり一緒に過ごしませんか?」  桔梗がそう提案すると、玲司は数度瞬きをした後、とろけるような笑みを浮かべて「楽しみですね」と言葉を零した。  目に入れても痛くないと言いたげな甘い微笑を浮かべる玲司に、桔梗も同じように番に向けて笑みで返した。  まだ年すらも明けていないにも拘らず、二人の約束は先へと続く。それは離れるつもりはないと互いを拘束しているようにも見え、だが決して不幸だとは思わなかった。  まだ外は雪景色であるものの、心は数ヶ月先の桜の時期に思い馳せていると。 (……え?)  枝先までびっしりと満開の桜の花が影となってはっきりと確認できなかったが、桔梗の視界の端に、栗色の巻き髪をふわりと揺らした女性が、数人の男に囲まれて歩いているのを見たような気がした。  颯爽と歩く男に囲まれた女王のような女性の後ろ姿は、桔梗に悪意を持って詰め寄ってきた真紀にとてもよく似ていて、ぞわりと肌が粟立っていた。  しかし、玲司に呼ばれ、フロントに慌てて駆け寄れば、宿泊帳に『寒川桔梗』と名義変更以外に書いたことのない名前を記入する気恥ずかしさで、ぽっと頬が熱くなる。ふわふわする心地に酔いしれ、先程見た景色のことなどすっかり忘れてしまった桔梗は、玲司とともに宿泊する部屋へと向かったのだった。  旅行で浮き足立っていた為に、後から後悔することになるとは、この時の桔梗には想像もしなかったのである。  元は国が建築、運用していた保養所が経営難で売りに出ていたのを、朱南家が寒川家へ、寒川家から遠縁の資産家に購入をさせ、実質は朱南家の一族がラグジュアリーホテルへと転身させたとのこと。  さすがに現職総理が傾いた国の建物を購入するなど、色々追求されそうなネタだろうな、と桔梗は頷く。  玲司が言うには、これだけ高級志向を打ち出しているにも拘らず、宿泊費用はお手頃だそうで、少し贅沢したい一般家庭にも人気だそうだ。  ゆえに予約を取るのが大変だったと、玲司は苦笑してそう言ったのだった。  これだけの規模にも拘らず、ホテルは地上三階建てと低階層なのは、山に囲まれて、春は山桜、夏には噎せる程の緑、秋には紅葉、そして冬には白の世界と四季折々に景色が楽しめるようにとの配慮からくるものだった。  更には、ホテルの周囲を見渡せる山のほとんどが寒川家の所有地で、そちらには源泉かけ流しの温泉があるとのことだった。 「ああ、そうだ。ここのホテルにあるイタリアンのチーフシェフ、僕の先輩になるんです。彼の作るご飯は繊細で美味しいので、きっと桔梗君も気にいると思いますよ」 「へ?」  普段、桔梗が口にするものは全て自分が作ると公言していた筈の玲司が、唐突に別の料理人を褒める言葉に、素っ頓狂な声で反応する。 「実は、『La maison』を作る為に帰国するタイミングで、このホテルのチーフ・シェフにスー・シェフとして誘われたんですけどね、お断りしたんです。どうしても自分の店をあの場所で出したかったので」 「あの場所に意味があるんですか?」  何か固執する意味がなければ、駅からも離れ、商店街には近いものの、かなり脇道に逸れた住宅街にポツリとある『La maison』は、以前から固定の常連客はいたものの、派手に宣伝している訳でもないし、下手すると少し大きめな一般住宅にしか見えない。  看板もひっそりと構えてあるし、逆に新規客を拒んでいるようにも感じていたのだ。  まだまだ自分には知らない番の姿がある、と桔梗は薔子に言われるまでもなく、なんとなくではあったものの気づいていた。  だけど問いただそうとは思わなかった。番になったとはいえ、お互いまだ距離を測ってる最中で、無理に近づけば、玲司は番であっても、桔梗を拒絶するかに見えたからだ。  だから、玲司がポツリと落とした言葉にショックをそこまで受けなかったのは、彼の抱える闇が、自分の想像以上に深いものだと気づいていたから。  自分と同じように、肉親に振り回された過去があると予感していたから。 「あの店と自宅のある土地は、かつて僕が運命に翻弄された愚かな女の死を看取った場所なんですよ」  分かってはいたけども、玲司があの場所に囚われているような気がして、桔梗の胸は締め付けられるように苦しかった──

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