2 / 41

第1話

その若い男は屈辱的な格好をさせられ、目を閉じていた。 俺は直ぐに手袋をした指で首筋から脈を取った。 彼は生きていた。 次の瞬間、俺は叫んでいた。 「生存者一名発見! 救急班!」 その時、その若い男がゆっくりと瞼を開けた。 ヘイゼルグリーンの瞳が眩しそうに俺を見た。 そして彼は呂律の回らない口調で言った。 「……好きなだけやれよ…だけど弟の血抜きを止めてからだ…」 俺は一語一語明確に返した。 「私はマイアミデイド署のホレイショ・ケイン警部補だ。 君を助けに来た。 もう大丈夫だ」 「……助け…に…?」 「そうだ。 もう大丈夫だ。 良く頑張ったな」 俺がそう言うと彼はまた瞳を閉じた。 ゆっくりと。 長い睫毛が頬に影を作る。 そして、影から一粒の涙が頬を伝ってゆく。 俺は反射的に愛用している白いハンカチで涙を拭った。 こんな最悪の現場にいても、まるで彼は穢れを知らない百合の花のように美しい。 俺は彼に上着を掛けてやりたくて堪らなかった。 だが、彼の下半身に装着されている『物』にも犯人の痕跡が残っているのは明らかだ。 デルコが走ってやって来る。 デルコは「……酷いな…」と言って顔を顰めると、早速証拠写真を撮り始めた。 俺も証拠採取用の綿棒で彼の下半身から素早くサンプルを採取する。 救急隊員は当たり前だが俺達の仕事よりも人命を最優先する。 証拠を汚染させる事など、彼らには取るに足らない事なのだ。 勿論、俺も人命を救う事を優先することに異存は無い。 そうして我々は時間との戦いになる。 CSI科学捜査班として。 「生存者は今のところ六名だ。 死体が三体。 生存者の一人はここから逃げ出したと思われる女性。 それにホレイショが見付けた男性一名。 残りは二十歳前後の女性が三名と、二十代半ばから三十代の男性一名。 この四人は全員両手を頭の上で吊られ、爪先立ちをさせられていた。 そして全員血を抜かれている真っ最中だった。 凶器は点滴袋。 一体犯人は何がしたかったんだ?」 刑事のトリップが怒りの滲んだ口調で言う。 ホレイショ警部補はサングラスを外すと首に掛ける。 「一見変質者の犯行らしいが、変質者というのは群れない習性がある。 今回は特殊なケースだろう。 何故なら犯人は複数犯だからだ。 足跡から分かる。 カルト教徒の可能性も高いだろう。 奴らは人間の血を飲むことで、永遠の若さや命や美を保てると信じている場合がある。 私はアレックスの死体検案に立ち会ってくる。 それと…」 「何だ?」 「私が見付けたあの拘束されていた青年はどうだ?」 トリップがため息をつく。 「明らかに拷問だろう。 可哀想に…。 アレックスも『アレ』を外す時、珍しく怒りを露わにしてたよ。 但し彼はただ一人、血を抜かれた形跡が無い。 今は他の被害者同様、病院で検査中だ」 ホレイショは首に掛けてあったサングラスを瞳に掛けると「ありがとう、トリップ」と言って歩き出した。 その事件は白昼のマイアミ中心部で明らかになった。 若い女性が首から血を流し、裸足でボロボロの赤いホルターネックと黒いミニスカート姿で、ヨロヨロと昼食を楽しんでいた人々の前に現れたのだ。 彼女が現れた通りは騒然となり、皆911に通報した。 最初に現場に到着したのはトリップと救急隊員だった。 トリップは必死に何処から来たのか女性から聞き出そうとした。 女性は担架に乗せられると「…クラブ・ジョー…まだ人が捕まってる…」と言って意識を失った。 その数分後にはマイアミデイド署CSI捜査班のメンバー、チーフのホレイショを筆頭に、カリー、デルコ、ウルフ、ナタリアの全員がハマーで現場に到着した。 ホレイショはトリップにまだ監禁されている人間がいると知らされると、スワットを出動させた。 被害者女性の言った『クラブ・ジョー』は会費年間1万ドルの超高級会員制クラブで、今は改装の為、閉店している。 そしてホレイショの指揮の元『クラブ・ジョー』に突入したCSIとスワットは地獄のような光景を目にした。 『クラブ・ジョー』の店内、調理場、オフィスには誰も居なかった。 まるで清掃されたてのように清潔だ。 「クリア!」の声が店内の至る所から響く。 だがホレイショは見落とさなかった。 オフィスの本棚の床に、何かを引きずったような半径の跡が微かにあったのだ。 ホレイショはクラブのオフィスにそぐわない書籍…経理書に挟まれた聖書を本棚から取り出した。 聖書はくり抜かれ鍵が隠されていた。 しかし鍵穴のような物は何処にも無い。 ホレイショが「デルコ、手を貸せ」と言って本棚の片方を掴む。 そこは半円状の跡が残っている場所だ。 デルコも本棚の反対側を掴む。 「デルコ、支えてろ」 そう言ってホレイショが本棚を手前に向かって引く。 本棚は簡単に動いた。 そして鉄の扉が現れた。 ホレイショはスワットを待機させ、鉄の扉に鍵を差し込んだ。 カチャリと鍵の開く音がする。 ホレイショはドアノブを掴むと、扉をほんの少しだけ開ける。 そしてホレイショが「マイアミデイド署だ!誰かいるか!?」と叫ぶ。 部屋は静まり返っていた。 ホレイショが「突入!」と叫ぶ。 スワットがなだれ込み、銃を構えたホレイショとデルコとウルフもその後に続く。 そうして入った部屋の中は、正に惨劇としか言い様のない有り様だった。 部屋には四人の『生きている』被害者と『死体になっている』被害者以外誰も居なかった。 窓の無い部屋は、ゴージャスな作りだ。 そしてかなり広い。 高価な空気洗浄機が目立たぬように何台も設置され、ひと目で分かる高級な赤いカーペットが敷きつめられ、イタリア製のブランド家具が置かれている。 バーのカウンターは大理石だ。 但しカウンターの後ろにある酒を置いておく筈の棚に酒はひとつも無く、磨きあげられた高級グラスが何種類も並んでいる。 そして部屋の中央に円形のステージが有り、女性が三人と男性が一人、鉄の手錠で吊り下げられ爪先立ちで首から点滴針を刺されていた。 四人の意識は朦朧としていて、トリップとホレイショの質問にも答えられない状態だったが、何とか生きていた。 救急隊員が到着し四人を救急車で病院に搬送する事になり、まず救急隊員が四人に装着されていた点滴を抜いた。 何故ならその点滴は体内に注入する物では無く、四人の血液を採取する為の物だったからだ。 デルコが鉄の手錠に付けられていた鉄の鎖をボルトカッターで切り、ウルフが被害者を支える。 そして救急隊員は四人を素早く担架に乗せて出て行く。 そのステージ脇には無造作に女性が三人、折り重なるように『置かれて』いた。 死体だ。 検視官のアレックスが「まだ若くて綺麗なのに…可哀想に」と言って女性達の死体を並べる。 ホレイショが「アレックス、死後何時間経っている?」と訊く。 「この硬直具合と肝臓温度からして死後10時間以上は経ってるわ。 死んだのは今日の0時から3時ってとこね。 検死したらもっと正確な時間が分かるでしょう。 薬物検査も全てやっておく。 終わったら直ぐに知らせるわ」 「死因は?」 「見たところ出血性ショック死。 腕に筒状に残った跡は生存者からして多分ステージの手錠の跡ね。 爪先の傷も同じ。 必死に爪先立ちしていたんだわ。 他には抵抗した跡も無いし、弾倉も無い。 死因になったのは多分この首筋に残った小さな穴。 生存者から推測するに点滴針ね。 今、言えるのはそれだけ。 後は解剖を待って」 「分かった。 ありがとう、アレックス」 そして死体袋に二体がそれぞれ入れられ、アレックスが部屋から出て行く。 その時、写真撮影をしていたカリーが、「あれ、何の音?」と言った。 ホレイショが首を傾げる。 「……カチャカチャとした音だな。 金属音のような」 「そんな音する?」とデルコ達も耳を澄ます。 少ししてウルフが「俺にも聴こえた。鉄みたいだ。でも被害者は全員運び出されたよね?」とCSI全員を見渡す。 ホレイショが「隠し部屋だ」と確信に満ちた声で言うと、微かな音のする方に向かって歩き出す。 「でもチーフ。 この部屋自体が隠し部屋なんですよ? 隠し部屋に隠し部屋を作るなんてなんか変だな」 ホレイショのブルーの瞳が、研ぎ澄まされたナイフのようにギラリと光る。 「そうだ、デルコ。 この事件は全てがおかしい。 そして隠し部屋にわざわざ隠し部屋を作るのは、最も大切な物を隠したいからだ」 その部屋はステージのある部屋の突き当たりの壁が入口になっていた。 電子ロックキーが掛かっていて、ご丁寧に鍵も三個取り付けられている。 ホレイショが電子ロックキーの蓋をスパナで叩き割る。 「解除しないんですか?」とウルフに訊かれホレイショが静かに答える。 「被害者と死体を見ただろう。 一刻の猶予もならない。 ショートさせる」 「じゃあこれを」 デルコがホレイショにペンチを渡す。 そしてホレイショが二本の配線の切ると青い火花が散り、煙が上がった。 「電子ロックキーはこれでいい。 デルコ、鍵を頼む。 大至急だ」 「はい!」 「カリー、何か見つけたか?」 ホレイショに呼ばれカリーが振り向く。 長い金髪がサラリと揺れる。 「防犯カメラを見つけたわ。 でも変なのよね」 「あれか?」 ホレイショがステージ近くの天井に取り付けられた防犯カメラを見上げる。 「そう。 この部屋にはこのカメラしか無いの。 普通、防犯カメラは部屋の出入りや部屋の中を監視する物だわ。 なのにステージ『だけ』を監視しているの」 「確かに変だな 」 その時、「チーフ、鍵が開きました!」とデルコの声がした。 そしてこの店に突入した時と同様の光景が繰り返された。 ホレイショの合図で、まずスワットが突入し、ホレイショとデルコとウルフも銃を構えそれに続く。 そこは前室のクラブの様な部屋に比べると小さな部屋だったが、狭いという程では無い。 特徴的なのは天井、床、全てが真っ白だと言う事だ。 部屋の突き当たりにあるダブルベッドもシーツや枕、ベッド本体に至るまで真っ白だ。 それに白い冷蔵庫、バスタブを設置した硝子張りのバスルームもある。 だがこの部屋の中央には、この部屋には全くそぐわない真っ黒な椅子があった。 まるで産婦人科の検診台の様な形をしていて、男が一人足を思い切り開かされていた。 両手も左右それぞれ椅子に固定されている。 だが前室のステージに拘束されていた被害者達の様に、ただ鉄の枷を嵌められている訳では無い。 真っ赤な皮の手枷と足枷で椅子に固定されているのだ。 首にも同じ素材らしい真っ赤な首輪が装着されていて、ステンレス製とおぼしき鎖で、椅子の頭部の部分の頂点に取り付けられたステンレス製の輪っかに繋がれている。 そして股間には様々な器具が装着されていた。 低い唸り声のような音が断続的に響いている。 ホレイショが「スワットは撤収だ」と大声で指示を出す。 スワット達が素早く部屋から出て行く。 ホレイショが拘束されている男に視線を戻す。 ホレイショは直ぐに手袋をした指で首筋から脈を取った。 彼は生きていた。 次の瞬間、ホレイショが叫ぶ。 「生存者一名発見! 早く担架を!」 そしてホレイショ自ら、この男の手足と首の拘束を解いたのだった。

ともだちにシェアしよう!