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第1話
閉じられている時にこそ 私の目はよく見える
昼の間はものを見ても 見ていないのも同然なのだ
寝ている時には 夢の中で君が見える
君の姿が暗闇の中に明るく浮かび出るのだ
まことに君の影は 夜の暗闇を明るく照らす
見えない目にもこんなに輝いて見えるのだから
昼の明るい光の中に輝き出たとしたら
君の姿はどんなにか素晴らしい形を見せるだろうか
昼の光の中で君を見られたら
私の目はどんなに嬉しいことだろう
何しろ夜の闇の中でも君のおぼろげな姿は
重い眠りの中で目に焼き付いてくるのだから
君を見られないなら 昼も夜と同じだ
君の夢を見られるなら 夜も明るい昼と同じだ
~シェイクスピア ソネット43より~
「これで連続殺人確定だな」
トリップの問い掛けにホレイショが「ああ」と短く答える。
「それでアレックスは何だって?」
「検死をきちんと済ませてから報告したいと言っていたが、前の二件と同じだ。
16才の長男以外の家族全員、喉を鋭利な刃物でかき切られ失血死した。
残留物と前の二件からして、また一階のシャワールームの鏡を叩き割ったんだろう。
それに目を見開かせている状態を保つ為に、長男以外の全員が接着剤で瞼を固定されている。
長男の血液は長男の部屋に大量にあったが、本人は行方不明。
今分かっているのはそんなところだ」
「そして長男の部屋に、家族全員の遺体が壁に凭れた状態で座らされていた、だろ?」
「そうだ」
「この家の末っ子はまだ5才の女の子だろ?」
「ああ」
「クソッ!異常者の殺人鬼め!」
怒りを露わにするトリップにホレイショがサングラスを外す。
「トリップ、言葉に気を付けろ。
規制線の外はマスコミだらけだ」
「分かってる!
こっちは近所を聞き込みしてくる。
きっと二件同様、誰も何も聞いていないだろうがな」
「頼む」
ホレイショはそう言うと『家』の中に入って行った。
その5時間後。
マイアミデイド署CSIのレイアウトルームには、ホレイショ、カリー、デルコ、ウルフ、ナタリアの五人が居た。
デルコが「まず指紋から」と口火を切る。
「指紋は今回の被害者、ケントル一家とその友人しか出ませんでした。
但し前回の二件同様、血染めの欠けた指紋が一つだけ長男の部屋のベッドのシーツから出ています。
ですが照合出来ない程小さく、犯人特定には至りませんが、前回の二件の事件同様、長男のベッドシーツに残されていた血染めの指紋と一致します」
「じゃあ次は私ね」と言って、カリーがリモコンでレイアウトルームの壁に割られた鏡の欠片を映し出す。
「この鏡はやっぱり前回の二件の事件同様、一階のバスルームの叩き割られた鏡の欠片だと判明したわ。
犯行に使われたこの欠片は、割れた欠片の中で一番大きく、長男以外の家族全員の血液が付着していた。
ナタリアがDNAで証明してくれたわ。
そしてこの欠片と残りの欠片から、鏡の中央を…そうねハンマーの様な中心点が丸くそう大きくない物で叩いて割っている。
放射線状に広がったヒビや繋ぎ合わせた欠片から断定出来るわ。
その中から一番大きな欠片を犯行に使ったのね。
犯人に繋がる指紋もDNAも無し。
凶器の選び方、使い方も前回二件と同じ手口よ。
私からは以上」
ウルフが「じゃあ次は僕が」と口を開く。
「長男以外の家族全員の瞼に使われていた接着剤は、どこのスーパーでも売っている標準的な物です。
ただ、前回二件の犯行に使われた接着剤と同じ物だと分かりました。
遺体の顔や全身には、犯人の指紋はおろか、犯人を特定出来る証拠は出ませんでした」
「じゃあ私が最後ね」とナタリアが言ってリモコンを使い、壁に遺体の手のアップを映す。
「殺人現場は長男の部屋よ。
そこ以外から血痕は出なかった。
それから見て分かると思うけど、壁に凭れていた遺体全員から防御創は全く出なかったわ。
手や足も拘束された痕跡も無い。
例えば立てないように足を折られたりした形跡も無しよ。
ただ長男のベッドのシーツの上から、長男の皮膚片が出ている。
長男は抵抗したのね。
これも前回二件の事件と同じだわ」
「皆、ありがとう」
ホレイショが静かに話し出す。
「この三件の事件は良く似ている。
犯人はまず一家の『長男』以外の瞼を接着剤で開けさせておき、『長男』の部屋の壁にベッドに向かって凭れさせ、一階のバスルームで叩き割った鏡の欠片で喉を切り裂き殺す。
但し、殺しが先か接着剤が先かは分からない。
そして必ず、その一家の『長男』を狙う。
最初の事件では姉が一人いたが、下二人の男子の『長男』が犯行に遭っている。
そして『長男』以外の家族は全員、皆の報告通り、『長男』の部屋で壁に凭れた状態で瞼を固定され、一階のバスルームの鏡の欠片で喉をかき切り殺されている。
それに『長男』の血溜まり、飛沫血痕はあっても、本人はさらわれている。
『長男』の遺体は一件も発見されておらず、生死は不明。
トリップの調べによると三件の住宅地、『長男』の学校、友達、習い事、主治医に至るまで共通点は無い。
今トリップが家族全体に共通点がないか捜査中だ。
そして犯人は中学生から高校生の少年をターゲットにした小児性愛者と思われる。
理由は連れ去られた『長男』が14才から16才だった為だ。
マスコミには一家が殺人事件に遭ったことと、『子供の一人』がさらわれたことしか流していない。
それから『長男』のベッドのシーツに毎回残される血染めの指紋。
あれは犯人の署名だ。
何故なら流線が途切れる部分まで、三個は完全に一致している。
つまり入念に『準備』をしておかなければ、完全な部分指紋を残す事は不可能だからだ。
何でも良い。
犯人に繋がる証拠を掴め」
ホレイショ以外の全員が頷くと、ホレイショのスマホが鳴った。
ガラス張りの待合室に20代半ばの女性が心細そうに座っている。
そのガラスの向こうでホレイショが「彼女か?」と訊く。
トリップが意気込んで答える。
「ああ、そうだ。
エミリー・ワイズ。
デイド大の大学院生で、事件があった三件の家にベビーシッターとして雇われた経験がある。
それぞれの父親のクレジットカードの明細を三年分遡って見つけた。
どうする?」
「まず話を聞こう」
ホレイショが静かに扉を開けて取調室に入って行くと、突然エミリーが「ごめんなさい!」と言って泣き出した。
ホレイショがエミリーの前に立ち、やさしく声を掛ける。
「エミリー、なぜ泣く?」
「わ、私がいけないの…!
ドミニクがさらわれた時、警察に話していれば、ジョーイはさらわれなかったかもしれない…」
「君は事件のあった三軒の家にベビーシッターとして雇われていた。
そうだね?」
ホレイショが真っ白なハンカチを差し出すと、エミリーが「ありがとう」と言って掴んだ。
「ええ、そうよ。
私、デイジー・ニーナサービスのマイアミ支店に登録してるの。
デイジー・ニーナサービスは一流のベビーシッターの派遣会社だし、私は学業を優先してるから短期専門で、デイジー・ニーナサービスは派遣されるお宅の条件が合うところを紹介してくれるから。
それで三軒お宅の末っ子のシッターに行ったことがあるの。
私、10才年下の妹がいて、子供の頃から小さい子供の世話には慣れてるから…」
「それで?」
「そ、それだけ…!」
エミリーがハンカチで顔を抑えてわあわあと泣く。
「最初の…ウィルがさらわれた時、ビックリしたけど、もうウィルの家とは関係無かったし…気の毒くらいにしか思わなかった…!
でも次にドミニクまでさらわれて…凄い偶然があるんだとビックリした…。
警察が情報提供を呼びかけてたけど、シッターに行ったお宅の情報を漏らすのは派遣会社で禁止されてるし…。
それで迷っていたら今度はジョーイまで…!
そしたら刑事さんが来た…。
私のせいだからでしょう!?」
「それは違う」
ホレイショがキッパリと言い切る。
「君のせいじゃない。
全て犯人のせいだ。
エミリー、君は勇敢で正直だ。
警察に来ることを拒否することも出来たのに、ここに来てきちんと話をしてくれた。
ありがとう」
「…わ、私の話、役に立つ…?」
「ああ、勿論。
あと一つだけいいかな?」
「なに?」
「今、君はシッターに行っているか?」
エミリーがハンカチから顔を上がる。
「…ええ。
でも私からは話せない。
デイジー・ニーナサービスのマネージャー部の部長のニック・アンダーソンさんに聞いて」
ホレイショが微笑む。
「分かった。
君から聞いた事はアンダーソン氏には内密にしておこう。
ありがとう、エミリー」
エミリーがホッと息を吐いた。
その男はまるで安いブティックの店員のようにくるくると動き、良く喋る。
そしてやはり安いブティックの店員の様に、ズラっと並ぶ若い女性達を値踏みする目つきで見ている。
ホレイショはこれが一流と呼ばれるシッター派遣会社のマネージャー部の部長なのかと思うと苦笑いも出なかった。
「アンダーソンさん。
ちょっとよろしいですか?」
ホレイショの凄味のある低い声に、ざわめいていたロビーがしんと静まる。
アンダーソンが口をへの字口にして「今、面接中だ!見て分からないのか!?」とホレイショに噛み付く。
そしてホレイショが腰に当てている手元を見てギョッとする。
そこには警察バッチが光っているからだ。
「あの…どういった御用でしょうか?」
アンダーソンがおずおずと訊く。
「私はホレイショ・ケイン。
こちらはフランク・トリップ。
私達はマイアミデイド署の刑事で私はCSIのチーフでもある。
あなたに話がある。
出来れば静かな所で。
此処で話しても良いがあなたには分が悪い。
どうだ?」
そうホレイショが一気に言うと、アンダーソンは顔色を変えて、「面接は15分休憩!」と大声で言うと、ホレイショとトリップに「では私のオフィスで」と言ってせかせかと歩き出す。
アンダーソンのオフィスは充分に広く、アンダーソンの第一印象と違って落ち着いた雰囲気だ。
アンダーソンがデスクに座り、その前の椅子をホレイショとトリップに「どうぞ」と勧める。
ホレイショとトリップが椅子に座ると、「それでお話というのは…?」と消え入る様な声で言った。
ホレイショが「あなたの派遣会社から派遣されているシッターと派遣先の情報が欲しい」と口を開くとアンダーソンが「無理です。うちには守秘義務がある」と即答する。
そこにトリップが畳み掛ける。
「あんたの派遣会社から派遣されたシッターの行く先々で殺人事件が起きていてもか?
シッターをストーキングしているヤツが犯人かもしれないし、シッター自身が犯罪に関わっているかもしれない。
礼状は直ぐに取れるが、取ったら取ったで大事になって、情報を頂くだけじゃ済まないぞ。
この支店の全てをひっくり返して調べることになる。
財務状況も納税記録も何もかもな。
そうなったら何日営業がストップするだろうな」
アンダーソンが真っ青になってボソボソと答える。
「…ですが…お子さんやご家族の情報は…私の一存では渡せません」
「では支店長を呼んで貰えますか?」
ホレイショの青い瞳がアンダーソンを射る。
アンダーソンが深いため息をついて観念した様に言った。
「ロウィーナ・スペンサーをご存知ですか?」
トリップが即答する。
「有名な投資家だろう?
彼女がどうした?」
「彼女がうちの実質的な社長なんです。
社長はいますよ?
ですが実体はスペンサーさんの息子さんの部下です。
スペンサーさんはこの会社の株の20パーセント以上を持っている大株主で、うちの会社の重要事項は全てスペンサーさんの了承があって初めて実行されるんです。
例え支店と言えどもね。
ですからスペンサーさんの了承を取らないと顧客情報は渡せません。
私の一存で渡したなんてことになったら私はクビです。
ついでに社長もね」
トリップがホレイショの横顔を見る。
「どうする?ホレイショ」
ホレイショがフフフと不敵に笑う。
「どうするも何も。
アンダーソンさん、今直ぐにロウィーナ・スペンサー氏に連絡を取ってもらおう。
そしてシッターと顧客の情報を頂く。
ノーと言うのなら20分以内に礼状を取る」
アンダーソンが素早くデスクの電話に手を伸ばした。
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