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第5話 1月30日(木) ホールディングはファウルです

 冬の体育館は寒い。この雪がちらつく季節はとくに寒い。  とはいえ動き続けると暖かくなるし、汗もかく。閉めた窓が気温差で曇って結露する。  額から流れ落ちる汗は季節を問わず、すがすがしい気持ちになって好きだ。  俺は一番脚に負荷のかかるダッシュ&ストップの練習を延々と繰り返す。  3年が抜けた今はポイントガードとしてポジションが変わった。  去年、俺に足りなかったのはディフェンスにおいての攻めだ。そのためにはさらにスタミナと瞬発力を高めていかないといけない。  そんな自分の走り込みメニューをこなしながら1年のラダートレーニングを見ていると、スパッ……そんな音がした。  見なくてもわかる。これは犬谷がシュートを決めた音だ。  直径45㎝のリングに少しも触れることなく、その中心にボールが吸い込まれ落ちていく音。犬谷のシュートはいつもそれだ。  最近気が付いたことがある。犬谷は部員全員に対して平等に無口で無愛想だが、意外と先輩たちに気を漬かっていたようだ。  チームに合わせたオフェンスをしていたのか、凶暴で荒々しいオフェンスをする。  1年の中からディフェンスの上手いやつをふたり犬谷にぶつけて、犬谷のスコアラーとしてのスキルを上げる練習をさせていたが、ふたりじゃ犬谷は抑えられない。  今、コートを無駄なく動く犬谷は自由だ。 『次は5対1だな……実際はありえんけど』  犬谷はセンターじゃない、もう少し自由の利くシューティングガードがぴったりだ。  犬谷にもっと自由に動いてもらうため、かつ犬谷の足を引っ張らないためにも、俺も練習を頑張らないといけない。  わくわくした。こういう気持ちになるとき、バスケが好きだと一番感じる。  時計を見るとジャスト20時30分。顧問は大会の引率以外ほとんど顔を出さないので、活動時間の管理も俺がしている。  俺は首から下げていたホイッスルを吹いた。 「はーい、今日の練習はここまで。あと明日は入試で学校ないから、部活も休みです! 疲れがたまってるやつは土曜の交流試合に備えてちゃんと休むこと。まだやれそうなやつは軽く自主練するように。じゃあ各自片付けて解散! お疲れさまでしたー!」 「お疲れっしたー!」  いつものように後輩たちを帰りを見届けて部誌を書いていく。  最近、じわじわと全体の練習量を増やしている。  圧倒的に練習量が足りてないことは分かり切ったことだったが、普段よりも増えた練習に1年の数人がついて来れていない気がするのが気にかかった。  もう少し個人に合わせたメニューの細分化が必要だ。  土曜日には他校との交流試合もある。もう少ししたら学年末テストもはじまる。テスト前は1週間部活は禁止だ。  それらを加味してもう少しだけ練習メニューも考え直さなければいけない。 「鳶坂」  カリカリとシャーペンを走らせていると俺を待っていた犬谷に呼ばれた。 「あー?」  ノートから目を離さずに適当に返事をすると、もう一度「鳶坂」と名前を呼ばれた。  ふわりと香る匂いは洗濯物の匂いだろうか。顔を上げた瞬間すぐそこに犬谷の顔があった。 「あ、んんっ?!」  一昨日よりも唇が柔らかく感じたのは、外気で乾燥してないからだろうか。  頬に手が添えられ何度も何度も繰り返される犬谷からのキスを、その胸板を押すことでどうにか止めさせる。 「オイこら、外ですんなって言っただろうが!」 「外じゃない」 「部室だってか? 外みたいなモンだろうが! お、大人しくしてろよな」  犬に躾を教える時のようにハウスを命じるが、犬谷は俺の周りをウロウロしている。これでは落ち着かない。  犬谷の匂いを近くで感じると、自分が当たり前のようにキスを受け入れてしまったことを思い出して、ひとり勝手に驚いた。  意外と嫌悪感はないというのもあるが、なぜ抵抗もせずに受け入れてしまったのだろうか。  いや変なことを考えてないで急いで部誌を書こう。人を待たせてるのは申し訳なく感じてしまう。 「じゃあ、帰ろうぜ」  急いで書き上げた部誌を棚に戻して荷物を持つ。 「ん、」  犬谷も荷物を持って部室の電気を消し、鍵をかける。  ふたりで帰る夜の雪道も慣れてきた。話に詰まればもっと後輩と話をしろと説教すれば何とか間も持つ。  あともう少しで俺の家というところで犬谷が話しかけてきた。 「明日、どうする?」 「明日? 雪町公園の野外コートで自主練するけど」  思いがけず犬谷から話しかけられそう答えた。  一緒に練習しようなんて言われたら気まずいから、明日の話題だけはしないでおこうと思っていたのにだ。  いつだって、しまったと思ったときにはもう遅い。 「俺の家、半コートあるけど……来ないか?」 「マジ? 行く!」  我ながら現金なやつだと思う。半コートに釣られて即答してしまった。  野外コートの場合、先客がいたら使い辛い事も多いからだ。  まあ、確かにふたりきりは気まずいが、犬谷のバスケの技術は最高だ。  そうだ。もし友情で考えるならば犬谷は全然アリだし、仲良くしたい。 「つか、お前んちなんで半コートとかあんだよ」 「4年前に庭以外建て直して、その時に作ってもらった」 「さよーでございますか。つかお前んち家どこだよ」  マンション前に着いてそのまま半地下になった駐輪スペースに進む。犬谷もそのまま俺について来る。 「犬谷庭園前ってバス停あるのわかるか?」 「あー、わかる。雪町交番の手前だろ? つか学校のすぐそばじゃん」 「ああ。そのバス停からすぐだから、13時にそこでいいか?」  明日の13時に犬谷庭園前のバス停で待ち合わせ。誰かとこうして待ち合わせするのはいつぶりだろうか。  くすぐったい気持ちを蹴散らすように、自転車のスタンドを立てる。 「鳶坂」 「あ? ……っ?!」  洗濯物と雪と外気の匂い、そして温かさが一瞬俺を包んだ。 「また、明日」  犬谷は俺が抗議する前にさっさと離れて駐輪場を出ていった。 「ホールディングはファウルだかんな!」  犬谷に聞こえたかは不明だが、抱きしめられた恥ずかしさをバスケのファウルに例えて叫んでやった。

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