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第4話 1月29日(水) それは事実!
「ねえ鳶坂ぁ。その寝ぐせ、超ヤバいよ」
朝登校するとクラスの派手な女子グループにいる山本さんに、からかうように呼び止められた。
「うっせえ」
昨日のキス事件のせいで髪を乾かさずに寝てしまったからだろう。朝どんなに格闘しても後頭部の寝ぐせだけは治らなかったのだ。
「アホっぽくて似合ってるよ。ところでさ、昨日、6組の犬谷クンと一緒に帰ってた?」
「え、なんでだよ」
アホとはなんだアホとは。そうツッコミを入れようとしたが間髪入れずに山本さんが続けた言葉に普通に返事をしてしまった。
「んっとね、路チューしてたって、ウワサになってるんだけど、ホント?」
「はあぁぁああ?!」
した。確かにした。
「う、うわさって?」
「2組の女バレの子がさぁ、なんかめずらしく犬谷クンが人といたから見てたんだって」
これだ。犬谷は無口で人付き合いが悪いのに、無駄に女子からモテる。
身長も高くて顔もいい。見たことがないから本当かどうかは知らないが、結構な豪邸に住んでるとかいう話も聞いたことがある。
「あー。きっと気のせいだよ、ウン」
「写メ、回ってるよ」
ほれ、と渡された山本さんのスマホには、確かに俺が頬に手を添えられてキスされている姿が写っていた。
「これ、鳶坂だよね?」
これは、うわさというよりも事実だ。
この事実が学年中、もしくは犬谷はモテるから学校中に広まっているかもしれない。
こんなに寒い季節だというのに、ぶわりと全身の毛穴が開いて汗が流れてくる。
困る。困った。俺は普通に女子が好きだし、どうせならかわいい女子とお付き合いがしたい。
そう、ちゃんと言わなかった俺が悪いんだ。
ちゃんと言おう。あの返事は間違いでしたー、ごめーん。とでも言えばいいだろう。きっとまだ間に合うはずだ。
犬谷を傷つける? 知ったこっちゃない。むしろこのうわさで俺の方が今傷ついている。
俺は犬谷のクラスまでのふたクラス分の距離を全力で走った。
「おいコラ犬谷!」
「なんだ」
犬谷のクラスに乗り込んで名前を叫ぶ。教室内がざわついたが知ったこっちゃないとずかずかと犬谷のもとへ向かい、首元をくつろがせてある犬谷の学ランを掴んだ。
「テメこの! お前のせいでヤベーうわさになってんじゃんか!」
「噂? ああ、キスのことか?」
「知ってんなら話は早え。テメーのせいだかんな!」
「俺は、気にしない」
「だいたいまちっ……は?」
間違って告白に返事した。そう言うつもりだったのに、犬谷の返事に阻害され、俺は言葉を飲み込んでしまった。
犬谷の無表情が、徐々にほどけて優しい顔になる。
騒がしかった教室が静寂に包まれた。
静まり返った教室に、うっかりふたりだけの世界にいるような錯覚に陥る。
それを現実に引き戻したのは、俺の頬に犬谷の手が触れたからだ。
大きな手のひら。そして親指が頬の一番高い部分をするりと撫でる。昨日のスポーツドリンク味のキスを思い出してドキリと胸が鳴った。
そんな静寂を破壊したのは犬谷のクラスメイトたちだった。泣き出す女子に落胆する男子。ガッツポーズをする男子に囃し立てたり、キャーキャーと奇声を上げ騒ぎ出す女子。
その後はもう最悪だった。
自分の教室へどうやって帰ったのかすら覚えていない。
山本さんが「犬谷クン、王子様みたいだった」と言っていたので、恐らくは犬谷が連れてきたのだろう。
放課後は気持ちを切り替えて部活にいそしむ。
キャプテンとしてなるべく部活には1番に顔を出すようにしているのだが、今日は進む先々で犬谷とのことを聞かれてしまい部室に着いた頃には後輩たちは全員集合していた。
「あ、鳶坂先輩! お疲れ様です!」
「お疲れー」
後輩たちの様子はいつもと同じだ。うわさは学年中だったかとホッとしていた時だった。
「あの、鳶坂先輩」
「ん? どうした吉田?」
「あの、犬谷先輩と付き合ってるって、マジっすか?」
「……は?」
「いや、クラスの女バレの子が、画像回ってきたって。そのキスグッ」
俺は吉田の口を左手でふさいだ。時すでに遅しではあるがふさがずにはいられない。
学校中でしたか、そうですか。
ガックリとうな垂れていると、吉田は俺の手をそっと外してニコリと笑って言った。
「大丈夫です! 鳶坂先輩が幸せなら、俺ら1年も、お応援しますし!」
なんだよ、俺の幸せって。
吉田とその後ろにいる1年たちを見ると、みんな祝い事があったときみたいな顔をしている。
また俺は、間違いだなんて言えなくなった。
昼間ちらついていた雪は夜にはすっかり止んでいた。部誌を書き終えた俺は、昨日と同じく犬谷と帰る。
しばらく歩いていると俺の腹が鳴った。近くにはコンビニ。選択肢は一つ。
「寄っていこうぜ」
そう言って俺は犬谷の返事は聞かずにコンビニの前に自転車を停めて中へ入った。
俺は迷わず肉まんをひとつ買い外に出る。
犬谷は紙コップのホットコーヒーを買っていた。
「一緒に並べばよかったのに」
「なんでだよ」
「一緒に買った」
「はぁ? いらねーよバァカ」
そう言って俺はさっそく肉まんを頬張った。一口頬張れば残り半分。残りはもう少し大事に食べようと思う。
「なあ、なんで俺のこと好きなわけ?」
胃の中に肉まんの温かさが落ちていく感覚に少し気が緩んだからだろう。ふと気になっていた事を尋ねる。
「俺のこと、特別扱いしないとこ」
そんな回答を聞きながら、最後のひと口の肉まんを咀嚼して飲み込む。
「はぁ? 誰もそんな扱いしてねぇだろが」
「いや、お前だけだ。俺にバカって言うの」
「んだよ、ドMかよ。つーかお前、俺のことシカトしてたじゃん」
犬谷はコップの中に入っていたコーヒーを全て飲み、ビニール袋のなかにごみを入れた。
「触りたくなるから……ごめん」
「クッソ、いちいち謝んなよな! ほら、もう帰るぞ」
ゴミをコンビニ前のごみ箱に入れる。自転車に鍵を挿し、スタンドを上げてさっさと先に歩き出す。
──今キスしたら、チョコの味。
ふと、そんなアイスのCMを思い出した。今キスしたら、俺の食った肉まんか、犬谷の飲んだコーヒー味か。
「……なあ鳶坂、キスしたい」
犬谷という男は、俺を脅かす天才だろうか。というか俺が今キスのことを考えていることがばれたのだろうか。
「バカ谷! 外じゃ絶対嫌だ!」
「外じゃなかったらいいのか?」
「ハァ? 調子乗ってんじゃねぇよ、バカ谷」
犬谷は優しく笑い歩き出す。俺だけに見せる笑顔だ。
このイケメンエースがなんで俺のことを好きなのか。やっぱり俺にはいまいち分からなかった。
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