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第37話(蜜月編)

「いえ、そこまでは…ただ、船室番号は控えて居ります」  一件だけなら、警備員のあまりやる気の無い様子から考えて、船室番号だけ教えて貰う。 「中国語が分かる船員さんは居ますか」 「それは…こちらでは分かりかねます」 「そうですか。では、船室番号を教えて戴けますか」  服装が利いたのか、意外と簡単に教えて呉れた。日本では中国語の会話を習う機会は無かったが、漢文の授業は有ったので筆談は出来るだろうと思った。  船室番号を見ると二等船室だった。ミスズは翡翠を見慣れて居る環境だが、国籍の為に二等船室しか与えられなかったのだろうと思った。  礼を行って警備室を出て教えて貰った船室に足早に向かった。一刻も早く確認が取りたい。  目指す船室に辿り着くと、中から婦人の泣きわめく声がする。扉を叩くと直ぐに船室のドアが開かれた。  日本式の挨拶をして、書くものは無いかと手振りで伝える。  船室こそ自分達の部屋と比較すると質素だが、内部は豪華だった。  婦人も泣くのを止めて驚いた様にこちらを見ていた。正装がこちらでも役に立ったらしい。ミスズの父親らしい中年の中国人と思しき男性は――お洒落に気を遣う日本人と同じ格好をしていた――紙と筆を取り出した。  漢文は片桐ほど得意では無いが、文章程度は作成出来る。手短に用件を書くと、二人の顔が喜びに変化した。  ミスズの父親は被っていた帽子を取ると、深深と日本式のお辞儀をした。 ――失礼で無ければ、そちらの船室に迎えに参ります――  念の為にミスズの外見や服装等を詳しく書くと、より一層二人の表情が安堵したものになった。  頷いて、顔を上げると壁にかかっていた天狗のお面が目に入った。  日本人では有り得ない使用法だった。室内を見渡すと、いくつかの天狗のお面が壁に有り、その鼻は全て塞がっていた。 ――片桐の推測は当っていた――  そう思って、夫婦を伴い、船室を出て自分達の船室に急ぎ足で向かう。  偶然の出来事だったが、自分がこの船室に来て良かったと思った。片桐への解答が見つかったのだから。  日本人の固定観念では絶対にしないであろう使用法だった。  日本の物が輸出されると全く違った用途に使われる。  独逸でもマイセンが日本酒を飲む為のお銚子とお猪口のセットで蝋燭立てを作ったという英語の時間の教官の雑談を思い出した。

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