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第82話(ロンドン編)

 名残惜しげに唇を離したのは片桐の方だった。 「晃彦の方が今は忙しそうだから…」  紅でも引いた様な唇でそう言って自分の椅子に腰掛けて英語のテクストを殆ど辞書に頼ること無く読んでいる。時々ノゥトに書き込むペンの音が聞こえる。自分も教授に指定された文献を辞書で調べて読んでは、重要と思われる箇所を選んで往く。数頁が終った所で、ふと片桐の様子を伺った。どうやら一段落着いたらしい。万年筆が止まっていた。しかし、自分はといえば、どうしても読めない箇所に来て仕舞って居た。一文が長くどうしても意味が取れない。 「この部分なのだが、日本語にどうしても訳せない」  そう訴えると、片桐は椅子から万年筆を持ったままいそいそと立ち上がり、ロゥテーブルに胡座を掻いた自分の横に正座をし、テクストを覗き込んだ。 「これは難しいな。辞書を借りても良いか」 「勿論」  辞書は使い慣れた方が便利だが、如何せん専攻が違うので辞書も専攻別に購入してあった。辞書とテクストを交互に見て集中して訳そうとしている彼の真剣な横顔に、自分も訳さなければと思いながらも、魅せられて目が釘付けに成って仕舞う。数行、日本語に訳した彼だったが、真剣みの増した顔で、テクストに近寄る様に胡座を掻いた自分の脚の上に乗る。テクストに集中した余りの無意識の動作だったに違いない。幾度となく身体を重ねた関係から接触する事に抵抗感は無い様だった。 辞書とテクストを交互に調べ、すらすらと日本語訳を作って行く。  丁度、彼の頭髪が自分の顔に当る。こちらではシャボンではなくシャムプーという洗髪用の液体が売っていた。それを二人して使っていたのだが、彼の幾分細い髪がしなやかになって居る。そしてその清潔な香りも彼には相応しい。  そんな事を考えて居ると男の生理が反応していく事が止められない。しかし、片桐はまだ集中して訳していた。 「出来た。多分、これで合っている筈だ」  そう言って振り向いた彼だったが、集中が途切れたお陰で自分の晃彦しか許した事が無い場所に晃彦自身が当って居る事に気付いたらしい。瞬時に首筋が赤く染まった。  今まではベッドで普通に抱き合って来たのでこの姿勢は新鮮だった。彼は腰を浮かすと室内着にしているシャツとズボン、そして最後の下着まで自分で脱いだ。  下宿をしている邸宅の外はとても寒いが、この屋敷では暖炉の余熱を壁に通すようにしてあり裸体になっても寒さは感じない。服を脱ぎ終わった彼は待ちきれないとばかりに釦を外す。互いに全裸となり、口付けを交わした。感じる処を刺激された事が片桐の身体と心に火を点けたのか、唇の中に舌を入れると舌の表面同士を接触させる。それでも未だ足りないと思ったらしく切なげな瞳で訴えた。

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