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一、虎が雨(とらがあめ)

  全ての花が散り、絨毯のように所せましに落ちている庭に、綺麗とは言い難い色の古びて色あせた縁側。  その向こうには、畳の上に長机が四つ。そして小学校低学年の子供たちが四人ずつ座り、毛筆と硬筆に別れて習字を習っていた。  くもり空を見上げてみれば、今すぐにでも雨が落ちてきそうなのが分かったが、今は目の前の紙と睨みあいだ。  一度も筆を止めることなく書かなければバランスが崩れてしまうからだ。  なのに、 「せんせー、えんがわがギシギシ言ってこわい」 「ひさめー、トイレの鍵がこわれてるぞっ」 「お稽古中は静かにしなさい。先生がお手本を書いています」  橋本さんがぴしゃりと言うと、子供たちは静まり返った。  全員に視線を送った後、誰もふざけていないことを確認すると、俺はまたお手本の続きを書き出した。  元気はあるけどお稽古中はメリハリをつけないといけない。  雨が降る前に子どもたちが書き終わるよう、慎重にけれど急いで筆を走らせた。 **  お稽古が終ったあと、皆で縁側でおやつを食べながら深い溜息を吐いてしまう。  父のお弟子さんだった橋本さんが、庭の手入れをしてくれているから外見だけは取り繕っているけれど、俺の家は古すぎて放っておくとお化け屋敷と呼ばれないか不安だ。 「ごめんね。この家も父が子供の頃のままだから築50年は経っているんだ。どこもかしこも痛んでしまっているよね」  煎餅を配りながら、泣きたい気持ちで謝る。痛んでいるのは分かっているけど不器用な自分ではどうしていいのか分からない。 「おれたちの月謝あるだろ。あたらしい家たてろよー」  今年一年生になったばかりの子供たちが背伸びした発言をするのは可愛いのだけれど、現実は甘くない。  橋本さんのお給料だって、申し訳ないぐらい少ないし。  兄が残した借金を返しているのでかつかつで情けないぐらいだ。 「うーーん。やっぱり公民館でも借りて、綺麗なところでやった方がいいのかなあ」 「公民館を借りるお金があれば借金に回すべきですよ」  先ほどの子供たち同様にぴしゃりと言われてしまえば言い返す言葉も無い。  せめて夜に大人にも書道を教えればいいのだけれど、父の名を知っている大人に教えるのは、小心者の俺にはまだ経験もないので無理だ。  子供たちでさえ未だに人見知りしてしまうのに。 「せめて橋本さんにもう少し給料を上げてあげればいいのですが」 「私はもう定年ですし、お父様にお給金は一杯頂いています。気にしないでくださいね」  白髪の頭を撫でながら、優しい穏やかな笑顔でそう言われてしまうと、素直に甘えてしまう。  父が亡くなっても、変わらず此処に通って下さる橋本さんには頭が下がりっぱなしだ。 「そう言えば、隣に誰か引っ越してくるらしいですよ」 「へえ、お隣って息子夫婦に引き取られて空家になっていた場所ですよね。貸家にしてたような」  おはぎを作るのが上手なお婆さんが一人で住んでいたけれど、腰を悪くして引き取られていった。書道教室の子供たちにおはぎをくれる良いお婆さんだったのに残念だ。  あのお婆さんの家は、一人暮らしでも快適なようにと新しくしたばかりで綺麗だったはず。いいなあ。 「雨が来そうだからバタバタと家具を入れてましたね。落ちついたら挨拶に見えますかねえ」  橋本さんも首をひねっている。  毎週あってた町内会さえ半年に一回になり、近所付き合いが薄くなった昨今、このボロ屋敷に挨拶に来たい人がいるのか怪しい。 「さて。私はそろそろお暇いたします」 「橋本さん、今日もありがとうございました」  深々とお辞儀すると、お煎餅を食べていた子供たちも橋本さんへお辞儀する。  俺は呼び捨てだしタメ口なのに、橋本さんには子供たちは礼儀正しい。  上品で迫力ある橋本さんは、校長先生並みに怖いらしい。

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