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八、天気雨 五

Side:桜雨 氷雨  カニを食べて満腹になったお腹を擦りながら、綺麗になりつつある庭を見る。  身が詰まった蟹の美味しさに、お腹がびっくりしないか不安だ。  あんなに急いでお腹いっぱい蟹を食べたのは生まれて初めてだ。  蟹の出汁で食べる雑炊も楽しみだ。  でも美味しいものでお腹は満たされたのに心はぽっかり穴が開いている。  雨が降らなくなってクリアになった視界が、なんだか偽物の様に感じられた。 「そうでした」  林檎をウサギの形に皮を切りながら橋本さんが思い出したかのようにこちらを向く。 「公民館で書道教室を開いてくれませんかって市の方から連絡が来ましたよ」 「え? なんで市から?」 「この地域が高齢者が多くなっていることと、公民館のスケジュールが埋まらないことと、要望があったみたいです」  父が亡くなってから、年配への書道教室は無くなった。近場にないからお年寄りには大変なのだろう。 「俺でいいのかな」 「氷雨さんは華樹院先生のお気に入りですので、文句は出ないでしょう」 「……そうか」  でも、俺は此処から出て良かったっけ?  彼はもう俺を此処に閉じ込めないのかな。  恋人もいることだし俺のことに興味はもうないよね。 「今のところ10人ぐらいの少人数から始めてはいかがでしょうかと」  橋本さんに少人数の定義を聞いてみたいものだ。10人は俺には多い。  でも。 「そうだね。俺もいい加減、もっと他の人と関わってみた方がいいよね。……自分より年上の方々に指導なんて出来るか不安だけど」 「では話を進めていいんですね?」  橋本さんは、自分の言葉で俺が揺らがないようにと敢えて意見は言わない様子だった。  自分で決めろと、背中を押してくれている。 「お願いします」 『ダメだ! 此処から出ることなんて許せない!』  ハッと振り返って玄関を見る。  けれどそんな言葉を吐きそうな彼がやってきそうな雰囲気は無かった。 「どうされました? 氷雨さん」 「……いえ」  いつの間にか、彼が居る異様な空気が日常の一部になっていた。  ただそれだけのこと。  彼に閉じ込められたのに、彼は俺ではなく雛菊さんを選んだ。  だったら鍵をくれるだろうか。  閉じ込めた家から、出ていける鍵を。 *** 「喜一なら、有休使い過ぎて身動きとれねえって言ってたなあ」 「……そうですか」  彼が来なくなって数日。  聞いてもいないのに誰かが必ず話題に出す。  お昼の休憩時間に、素麺流しを子どもたちとしていたら、そんな事を言ってきたのは岸辺さん。 「あの悪ガキがそんなことで静かにしているはずはないと思うがな」 「そうですねえ。そろそろ本当に何かしそうですねえ」  橋本さんとこうやって意気投合して、居もしない相手の話を聞くのは耐えられない。 「で、岸辺さん。例のモノはありましたでしょうか?」 「…例のモノ?」 俺がそう言うと、二人は目配せする。 「ああ、探したが見当たらなかった。少なくても二階には隠してねえんじゃないかな」 「兄の保険金とか言う話ですか」 「坊ちゃんも少しは状況を分かりだしたな」 「徳川埋蔵金並みに確証のないいい加減な話ですよ」  橋本さんもそう言うが、俺は首を傾げる。 「もしあったとなれば、いくらぐらいになるんでしょうか」 「……そうですね。この家を一度壊して、小さな家を立て直すぐらいはあるんじゃないでしょうか」 「嘘!」  思わず大声を出してしまったが、二人は気にもせず笑っているだけだった。  だから吉保さんって人は保険金を狙ってる? 「そうだ。華樹院さんに御礼のお電話をしたら、会いたいっておっしゃってたはず」 (彼女にならば吉保さんのことが詳しく聞けるはずだ) 「お話に出かけてもいいですか?」  橋本さんにそう伝えると、小さく頷く。 「ですが、先ほど喜一くんが徹夜明けで二時ぐらいには此方に寄ると宣言していましたよ」 「お、こら。ばらすな、橋本」

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