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第1話
「いらっしゃいませー」
ニコリと笑顔で商品を受け取りレジ打ちを始める。
もうここでバイトを始めて3ヶ月になる。戸惑っていたレジ打ちも商品の袋入れも今では難なくこなすことができる。スプーンと箸をいるか確認して、個数通りにビニール袋へ追加で仕舞い込む。紐部分を重ね合わせ渡して、ありがとございましたと一礼。
客はそのまま店の外へ出て行った。
(はい、完璧!)
心の中でガッツポーズすると次の客がまた現れる。
「赤坂 さんこんばんは、お疲れ様です」
「あっ!大江 さんこんばんは!」
台の上にカゴを丁寧に置いたのはいつもこのコンビニを利用する金髪イケメンだった。彼は決まって火曜の夜10時ごろにサラダチキン二つとミネラルウォーターを買いに現れる。
「今日も走ってきたんですか?」
「はい。最近は寒くなってきたんで走りやすいですね」
「ええ!寒いと体動かなくなっちゃいます〜僕」
「ふふ、僕は汗っかきなんで寒い方がいいです。でも確かに赤坂さんは寒がりそうですね」
「僕は断然おうちでぬくぬく派ですね!」
もう一度ふふっと大江さんは綺麗なブロンドの髪を揺らした。スポーツウェアから覗く腕や胸まわりの圧に筋肉の重量感を感じる。大江さんはイケメンでありながらマッチョで紳士でもあった。
商品の合計金額を伝えると、大江さんは折り畳み財布から小銭を取り出し丁寧に俺の手の平に乗せてきた。基本的にお客様は手でのお金のやり取りを拒むから受け入れにお金を置くのだが、大江さんはわざわざ俺に直接渡してくれる。そのやり取り一つでも、大江さんは店員である俺を尊重してくれているような気がして、真摯な態度に僕はこの人を大層気に入っていた。
お返しするようにお釣りの小銭を大江さんの大きな手のひらへ渡し返す。そのまま商品の入った袋を差し出し、大江さんの暖かい手が受け取った。
「ありがとう。この後も頑張ってね、それじゃ」
大江さんは優しい笑みを浮かべ、サラリと僕の頭頂部を撫でた。ポンポンと軽くあやすように手を跳ねさせると、その手でバイバイと横に振って店の外へ消えて行った。
僕が柔らかい手の感触と心地良さに思わずぼんやりしながら大江さんに手を振り返していると、すすっ…と腰に何かがなぞった。そのままドンッと強い力で尻を叩かれる。
「ぎゃあーーっ!な、なに?!」
「うわっ、うるせえー。叫び方なんとかならないんですか」
黒いキューティクルな髪を綺麗な頭部のラインからうなじに流し、少し長い前髪の間からキレた瞳がこちらを覗いている。顔が3分の1髪で隠れていてもわかる美しい顔は鬱屈そうにした。僕は急いで大声で注意する。
「高嶺岸 さん、突然お尻叩くの、本当にやめてくださいよ!」
「いいじゃないっすか。てか、金髪イケメンさん突然頭撫でてくるとか気持ち悪すぎでしょ。アンタもなんで大人しく受けてんの?しかも同い年なんでしょ?子供扱いされて恥ずかしくないの?」
黒髪男は、僕の注意を全く無視していつもの調子で次々と僕や大江さんの悪口を言っていく。コイツ本当に、いつもムカつく……。
この黒髪男は事あるごとに僕に絡んできては暴力や嫌がらせをしてくる最低なやつだ。
「高嶺岸さんには関係ないでしょ…。しかも、大江さんと同い年ってなんですか、そんな嘘つかないでください」
「いや本当ですよ。前、年齢確認したときに見ました。…なんだ、てっきり知ってて敬語で話してるのかと思ってた。まあどうでもいいですけど」
それより早く唐揚げあげて下さいと後ろの調理場を指してくる。自分が絡んできたくせに、喋ってる暇があるなら働けと文句まで言ってくる。結局僕が調理場の前に立つと、満足したように高嶺岸は奥の休憩室へ消えた。
(このやろ〜〜!さっきまで癒されてた大江さんとの時間を返せ!)
声には出せないため、心の中で思いつく限りの罵倒を高嶺岸に浴びせる。しかし、僕は語彙力がなくていつも4つしか単語が思いつかない。もう言葉が浮かばなくなってしまった僕はジッとしてても仕方ないから、高嶺岸の指示された通り唐揚げの調理準備を始めた。
高嶺岸は僕のコンビニバイトの先輩で、夜勤シフトの相方だ。僕は週2で夜勤シフトに入っているが、毎回あいつとセットになる。これはいくら曜日をズラしてもアイツがほぼ毎日のように夜勤シフトに入っているからだ。他のバイトの人もいるが、店長が何故かアイツを僕に当ててくる。この店では1番下っ端かつ夜勤シフトが入れる人間も限られる中で、あの先輩嫌なんで当てないでください!なんてわがままは通用しない。結局、僕はアイツとこの3ヶ月間夜勤シフトを共にしていた。
むしゃくしゃしながら冷凍唐揚げを油に落としている。
大人しくしてくれたらいいんだ、そう大人しくさえしていてくれれば。本来は仲良く楽しく仕事をしたいが、そんなありがたい現実はなかなかない。皆が皆仲良くなれる訳でもないから、そんな高望みはしない。でも僕は何故か彼に嫌われているのだ。しかも、嫌がらせをされるまでに。理由は思い当たるようで見つからない。僕がとろまだからかなと思って仕事を一生懸命覚えたり、率先して働いてみた。笑顔が足りないかと思って、接客中じゃなくても愛想よくしてみた。もしかしたら逆に周りに僕がうろちょろするから気に障っているのかもしれないと陰を薄くしてみた。しかし、僕の努力はことごとく結果実らなかった。
働けば働くほど仕事を押し付けられ、笑顔でいれば機嫌が悪くなり、影を薄くするとなにしてんだと嫌がらせをしに、離れていても近寄ってくる。結局僕の導かれた答えはなにもしない、ありのままということだった。理不尽な暴力も黙って受け流すのだ。そうすると高嶺岸は基本ネコみたいなやつで、機嫌が悪くなければ大した被害は出さず、仕事が穏便に済ませられるのだ。
彼の対応をしているおかげで理不尽なクレーマーなんて可愛い赤ん坊に見えてきて怖くないし、仕事は一通りこなすから面倒事は一応増やさない。むしろ対応や仕事ぶりは完璧だ。そしておまけの端正な顔つきは目の保養的な意味では悪さはしない。黙って仕事していれば害はないのだ。
「赤坂さん、品チェックするからあとできて」
唐揚げをジジっと揚げている音がするのに、淡々と彼の声が響いた。
*********
「あれ?赤坂さん?」
僕は大学図書館でレポートを書いていた。
締め切りは明後日でバイトが始まるまでの時間に終わらせようと図書館に来ていたのだ。
耳馴染みのいい声の方にくるりと顔を動かすと、そこにはクリーム色のセーターを着た大江さんが立っていた。
いつも着ているスポーツウェアの雰囲気と違くてびっくりしてしまう。
「えっ、あっ、大江…さん?」
「はい、大江です。わぁ、びっくり同じ大学だったんですね。あっ、隣座っても?」
「あ、はい。どうぞ」
都合よく僕の利用していた机には僕以外の人がいなかったため、隣の座席イスを引く。
大江さんは丁寧に座ると、こちらに体を向かせた。綺麗な金髪は毛先が傷んでおらず、毛先は外国人のようにくるりと跳ねている。筋の通った鼻に深い彫りのまぶたを瞬きさせ、座っても僕より大きい体を屈めた。
「レポート書いてるんですか?」
「あっ、はい。実験の…」
「それはお邪魔して申し訳ない…なんの実験ですか?」
「化学科の授業で…」
「赤坂さん化学科なんですね。僕は情報科の3年です」
「えっ、大江さん情報科なんですか?てか3年生?同い年じゃないですか!」
大学にいることも驚いたが、同じ理系で同じ学年でもあったようだ。高嶺岸の話は冗談半分で聞いていたのだが…本当だったようだ。
「大江さんてっきり文系かと思ってました…。筋肉ムキムキだし」
「敬語じゃなくていいですよ。というか筋肉ムキムキだから文系じゃないってどういう理論?」
クスクスと小さい声で笑われてしまう。大きな体で小さく体を揺らす大江さんの様子は少し可愛らしかった。
「なんか体育会の部活とか入ってるのかな…って」
「いや、これは僕の趣味だよ」
スッと胸板を触る大江さん。趣味にしては大きく盛り上がった胸筋は服の上からでもよくわかる。一方僕の方は痩せてはいないが背は一般男性より小さく筋肉もあまりついていないため華奢にみられがちだ。後ろ姿を女の子と勘違いされて電車でお尻を触られたこともある。これがコンプレックスなのかわからないが、筋肉がもりもりとついた男性はどうしても羨ましく思ってしまう。
「あの…触ってもいい、ですか?」
「エッ…!!!!!」
僕の一言に小さい声で笑うことができたはずの大江さんが大きな声を出す。いつもは若干のタレ目が大きく開かれ、頰が少し赤くなった。思ったより声が大きくて大江さんは思わず顔を大きな手で覆うが、しばらくするとゆっくり手を外して「いい…よ」と俯きながら声を洩らした。
(あれ?鍛えるのを好きな人は筋肉自慢をしたがるってよく聞いてたんだけど、大江さんは好きじゃないタイプなのかな?)
困ったように寄せて垂れる眉が辛そうだ。僕は大江さんに確認する。
「ほんとに、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫。覚悟はできました。どうぞ、好きなところを」
そう言って直視できないように目を瞑って体を差し出してくる。
よっぽど、人に触られるのが苦手なようだ。申し訳ない…。
「失礼しまーす…」
「あっ…!」
ゆっくりと胸板に手が触れると、大江さんが少し上擦った声を上げる。僕はびっくりして手を大江さんから離した。顔が先程よりもより赤くなっている。本当に大丈夫なんだろうか……。
なんだか触れるのが申し訳なくて躊躇っていると、「大丈夫、大丈夫です…!沙稀 くん触って…!」と大江さんが声をかけてくる。
「いいんですか…?」
そう言いながら、腕の方の筋肉へ指が触れると、大江さんは赤くなった頰を上に上げ、次はほっとしたような安堵した顔を浮かべた。
(……あれ?そういえばいつ名前教えたっけ?)
思案しながら指でギュッギュッと筋肉を押す。その硬い弾力によぎった考えはすぐさま忘れてしまい、「自分のものと違ってすごいなぁ」と僕は感心した。
ちょんちょんと筋を辿って触らせてもらうと、僕は満足して指を離した。
「ありがとう、ございました。無理に触らせてもらって」
「いや、こちらこそ、ありがとう…」
(え?なんで?)
僕の疑問は届かないまま、彼は腕をこれでもかというほど優しい手つきで包み込むと「もう一生洗わない…」と呟いた。
「えっ、いや、洗わないと汚いですよ。……すみません、僕が触っちゃったから…嫌でしたよね?」
「いや、違う!さき…赤坂くんはいつも悲観しすぎだ!もっと自信持つぐらいが十分だよ」
大江さんはそう言って「ねっ」と僕の肩を掴み、頭を撫でてくれる。僕に触れることは平気な様子から僕自体を嫌っていることはなさそうだ。しかし、体に触れることを嫌がる人は世の中にいるらしいから、僕が少し無粋だったかもしれない。大江さんは優しいし礼儀正しいから気を使ってくれたんだろう、僕が今度から気をつけなければ。
髪の毛ふわふわ…天使…と小さく呟く大江さんに気付かない僕は、そう決心しながら頭を撫でられ続けた。
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