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第7話
店長に貰った高嶺岸の家の地図を印刷した紙をくしゃくしゃに持って、住宅街を歩いていく。僕の右手は地図で僕の左手には用事が詰め込まれた紙袋だ。
「こんばんは、沙稀くん」
少し安心感のある声音が聞こえた。僕は誰かわかっていてゆっくり振り向いた。
「大江くん」
大江くんは大学の時のように白のパーカーにデニムジーンズというラフな格好だった。片手はパーカーの前についているポケットへ手を入れたままだ。
「今からどこ行くの?」
「少し用事で」
僕は口端をぴくりと引きつらせた。
大江くんもいつものような穏やかな顔をしている。青っぽい紺の瞳がこちらの様子を見ていた。
「僕が思うに、行かない方がいいと思うよ」
大江くんはゆっくりそう言った。
大江くんの顔の表情はよく読み取れない。
「それはどうして、ですか」
「アレは…見ない方がいいかなって」
大江くんは長い足で僕に近づいた。彼が片足ずつ足を動かせば、距離はほぼ無くなった。
「はい、寒いでしょ」
彼がそう言って僕に何かを見せた。
僕は目を開けて彼から飛び退いた。
袋は落とさなかったが、遠心力でガサガサと中身が紙袋の中で暴れる音がする。
大江くんは笑顔を作ったまま不思議そうにこちらを見ていた。
「なんで手袋してこなかったの?」
*********
僕は彼から逃げるようにその場から走りさった。紙袋がくしゃくしゃになっても中身が溢れてもいいと思った。
息が切れるくらい走って、僕は体力の限界を感じ、足を止めた。恐る恐る後ろを振り向くと大江の姿はなかった。彼から差し出された『赤い手袋』だけが目に焼き付いている。
僕はここの場所が分からないからとりあえずスマホでマップのアプリを開いた。現在地は高嶺岸の家の周辺だった。
僕はそのままスマホの画面を開いたまま高嶺岸の家の方へ向かった。冷静にその方へ歩いている自分が怖い。彼がいつ僕を追いかけてくるかも分からなかったし、どこから見てるかも分からなかったけど、僕はそのまま画面に記された高嶺岸の家に足を運ぶ。
『なんだこれ』
僕の家に謎の宅配便が届くようになったのは3ヶ月ほど前だ。注文した覚えがなかったが、箱には自分の宛先が書かれていて、親でも何か送ってきたのかなと開いた。
小さな箱だが、大量のレトルト食品が詰め込まれている。確認すると電子レンジでチンするタイプのスープやパスタのソースが入っていた。最近お金がなくて、簡単に食べれるご飯が欲しいと思っていた。僕はなんてタイミングがいいんだ、ラッキーだと親に感謝のメッセージを送った。
その次の週はカップ麺が届いた。僕は料理する趣味がなかったからちょうどいいなと思った。
その次はお茶のティーパックが届いた。たまにはお茶を飲むのもいいか。
その次は帽子が届いた。最近お気に入りの帽子をなくしたのだ。これって、この前テレビで見た有名なブランドのキャップじゃん。めっちゃ高いやつ!
次はボールペンが届いた。なんでボールペン?高そうな万年筆も入っていた。僕は万年筆は普段使わない。
次はマフラーが届いた。どこのブランドのだろう…母に聞いたら、それは何十万もするやつじゃないの!と驚かれた。
次は、なにが届いたんだろう。
僕はそのダンボール箱を玄関先に置いた。
少しカッターを入れてみたが、開けるのはやめた。箱はどうしたらいいかわからない。いや、箱の中身をどうしたらいいかわからない。
どんどん積み重ねられた贈り物は僕の身長ほどになっていた。きっと届いたのは手袋だろう。僕はこの前手袋をなくしてしまったのだから。
赤い赤い手袋。高級そうな赤い手袋。どこのブランドなんだろう。海外製?きっと高い毛をつかったんだ。スーパーで買った僕の安い手袋なんかよりもずっと良いやつ。
そして、ぶちまけたダンボール箱に埋もれた僕は。僕は。ぼくは?
僕は、いつの間にかアパートの前に立っていた。手は寒さでかじかんで、指先が震えている。
ボタンをちゃんと押せるようゆっくり指を動かした。
思ったより高い音のピンポーンが鳴る。しばらくしてもドアは開かず、次はぎゅっと指でチャイムのボタンを押した。
しかしドアは開かなかった。僕は不安になってドアノブを回してしまう。ドアは施錠されておらずあっさり開いた。無用心すぎる。
もしや何かあったのではないか。目の奥底で金色が揺れた。僕は瞬時にとてつもなく嫌な想像をした。
急いでドアを大きく開き、中へ入る。
小さなキッチンがある廊下を抜ければすぐ目の前に小さくポツンと丸い塊があった。毛布で丸くなっている物体に僕は急いで駆け寄った。
「高嶺岸さん?!高嶺岸っ!!!!」
毛布を引っ張る勢いで引き剥がす。掴んだ毛布の裾を引き上げると、中には小さく小さくうずくまった高嶺岸がいた。体全体をこれでもかと縮こまらせ、顔の前で黒い何かを持ってギュッと固まっている。いつもの毅然とした高嶺岸ではない。何か疎んだような小さく小さく守るような身を屈めた高嶺岸だ。
僕は驚きで固まったままその光景を見ていると、漆黒の目をゆっくりとまどろませた高嶺岸と目があった。
いつも嫌味ったらしい言葉を発する口元は唾液で濡れ、鼻や頬が赤らみ、トロンと溶けた遠くを見る瞳は熱を孕んでいた。
「ぁかさ、かぁ…」
僕は拒絶の反応すらできずそのまま腕を引かれた。
倒れ込む勢いが怖くて目をギュッと詰まってしまう。ドスンとした硬い床にぶつかる感覚とむわりとした何とも言えない温い空気が覆った。
ゆっくり目を開ければ、端正な顔が熱に浮き、黒い前髪はしっとりと額や頬に張り付いていた。少し薄暗くて毛布の中に連れ込まれたのだとわかった。
高嶺岸の瞳は糸を引いて僕を見、綺麗な薄い唇は艶かしい息を漏らした。
顔が近づいてきて、僕は咄嗟に顔を逸らす。なにが起こってるんだろう。
顔を逸らしたがそれによって僕の耳はガラ空きになり、そこに暖かい濡れたものに包まれた。体に何か電流が走ったような感覚がする。ピチャピチャと耳の縁や耳たぶ、耳まわりの凸凹へ下を丁寧に這わされた。時折、熱い息が耳に当たり僕の体は震え上がった。
これを皮切りに僕は高嶺岸の薄い胸を押した。彼は筋肉質ではなかったけど、胸を押しても退かない。スンスンと耳裏をかぎ、髪へ顔を埋れさせる。僕は本能的な危険を感じ、必死に大声を出した。
「高嶺岸さん!!僕の手袋返してください!!!」
顔の動きが止まる。スッと顔を引き上げられ、それはダメと呟かれた。
僕は意味がわからないと、顔を上げた彼を嫌疑な目で見た。彼はまだ熱で火照っていたが、目は先ほどのような熱みはなく無機質だった。
「それはダメ」
高嶺岸はもう一度冷たい声でそう呟いた。
「なんで…」
「………」
じっと僕を見た目は虚ろだ。なにも答えなくなってしまう。
高嶺岸の長い睫毛が揺れ、静かな冷たい時間に包まれる。あまりの冷たさに、僕の目には無意識に涙が溢れ出た。
その途端、高嶺岸がぎゅうっと僕を包み込んだ。
「た、たかね…」
「…………かする」
「え…?」
「ムカムカする………とられるのはいやだ」
くしゃりと布が擦れる音がした。
彼が僕を抱き抱え込んで重い鎖になったように体へ重心を乗せる。首に顔が埋め込まれ、ぎゅうっとより抱きしめる力が強くなった。
僕を縛り付けているようにも思えたが、何か寒さや怖いものから逃げるよう縋り付いてようにも思える。
カタカタと高嶺岸の肩が少し揺れていた。
僕はこういう時どうして良いのかとか、今までのことがどうだったとか、うまく思い出せない。
ただ彼があんなに冷たくなるのがいやで、高嶺岸の体を抱きしめ返していた。
あんなに熱かったはずの彼はひんやりとしていた。僕たちの体は一つになったようで、じんわり彼の冷たさと心臓の音が伝わってき、一方で僕の熱は彼に伝わっていった。
静寂に包まれるが、先ほどのような切りつけられるような冷たさは今はない。暗くても穏やかな静寂だ。
彼の冷たさは僕に何か訴えたかけていた。
暖かさに包まれ安堵したのか、高嶺岸の力が次第に弛緩していく。高嶺岸の片手には僕の使い慣らした黒の手袋が握られていた。彼はドロンとした重みとなって意識を落とした。
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