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第1020話 contrail(5)
涼矢はゆっくり慎重にペニスを引き抜いた。そこまでしなくたって妊娠するわけじゃあるまいし、適当でいいのに。和樹はぼんやりとそんなことを考える。性的刺激で濡れる孔は持っていない。精子を注がれて着床する内臓もない。揉みしだける美しい脂肪をまとってもいない。それでもこの男は、俺を愛しいと言い、俺の体を労わりながらセックスをするのだ。
「ごめん、ちょっと痕になった」
涼矢が触れた肩は、言われてみれば少し痛む。涼矢が噛んだところだ。あちこちに撒き散らしたキスマークはよくて、これは気にするのか。和樹は可笑しくなって小さく吹き出す。
「なんで笑ってんの?」
「いや、別に」
涼矢の言葉と行動はいつも矛盾している、と和樹は思う。俺よりよほど理屈っぽいくせに。冷静に見えて、ときに衝動的。繊細なようで、たまに鈍感。潔癖なようで、ベッドでは不潔極まりない行為を嬉々としてやる。
「涼」
答えをはぐらかされて納得の行かない表情の涼矢を、和樹は抱き寄せた。ついさっきまで嫌と言うほど触れ合っていたのに、それでもなお、その人肌の温もりを再確認してホッとする自分に気づく。間もなくしてこの温もりとはしばしのお別れだ。いや、「しばし」なんかじゃない。こうして手を伸ばせば触れられる距離で過ごせるのは数ヶ月おきの長期休みだけだ。残りの一人で過ごす長い長い日々をどうして過ごしていたのか、こうして涼矢が目の前にいる間は思い出せない。
――一緒にいるのは大切だよ。
久家の声が脳内で再生される。
――やっぱり情報量が違うから。
そんなことも言っていたはずだ。
「どうした?」
名前を呼びかけておきながら黙ってしまった和樹を、涼矢は覗き込むようにする。
「やっぱり、俺、無理かも」
「え。何が。何の話」
焦る涼矢の髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜて、和樹はまた笑う。
「卒業までは仕方ない。でも、期限が決まってないのは」
「それって」
「卒業したら、一緒に暮らそ。俺、おまえの勉強、邪魔しねえから。俺もほら、一発で先生になれても最初のうちはおまえのことそんなに構ってらんなくて、邪魔する余裕もないと思うし」
「……」
涼矢は口をきゅっとすぼめて、少しばかり困った顔をしている。この「わがままな恋人」をどうやって説き伏せたらいいのかと考えているのか。よく見れば頬に赤みが差していて、困っているというよりも照れているようにも見えるし、ハの字に下がった眉はうなだれているようにも見える。
「離れてたらダメになる、とか思ってる?」
どうやら最後の推測が当たっていたようだ。
「違うよ」和樹は涼矢の頬を撫でた。「俺がおまえのいちばん近くにいたいだけ。ちょっと風邪気味なんじゃねえのとか、なんか良いことあったのかなとか、そういうの、俺がいちばん最初に気づきたい、ていうかね。そんな感じの……やべえ、これってもしかしてストーカーっぽい発想?」
「経験者に聞く、みたいな言い方やめろよ」涼矢は自分の発した言葉に自分で笑い、頬に置かれた和樹の手を、その上から握った。「まあ、その気持ちはとても分かる」
「経験者だから?」
「そう」
今度は二人して笑った。頬もふるふると震えるが、握った手はそのままだ。
「つまり、俺のほうがわがままなんだな」
涼矢が言う。
「そうかな」
「そうだよ。一緒にいたいと思うほうが自然だ。それを勉強に集中できないだのなんだの言うのは、俺の能力不足ってだけだろ」
そう言いながら、涼矢は和樹の手を指を絡めるようにして握り直し、頬から剥がした。
「おまえの能力不足とは思ってないけど、久家先生たち見てたら、ちょっとね。やっぱ物理的に近くにいるって強いなって」
「そんなこと言われたらその通りとしか」涼矢は繋いでいる和樹の手の甲にキスをする。「離れがたいですよ、そりゃあ」
「だからね」
「卒業したら速攻、同棲?」
「うん。ダメっすかね? こんなにお願いしても、涼矢くんの考えは変わりませんかね?」
「お願いしてたか?」
「おなしゃーっす。大学出たら、一緒に住んでくださーい」
ふざけた言い方の和樹だったが、今回は笑わない涼矢だ。
「うん」
「うん、てのは?」
「いいよってこと」
「いいのかよ」
「いいよ」
「どうした、急に」
「俺は基本、おまえに抗えないので、お願いされたらねえ」
「でも、今まで」
「嫌なら取り消すけど」
「いやいや、それは困る」
「じゃあ、いいだろ」
和樹はふいに体を起こすと、横たわる涼矢に馬乗りになった。
「おまえってそんなチョロかったっけ?」
「和樹にとってはチョロチョロのチョロでしょ、前から」
「そっか」
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