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第3話
「早く出てってくださいよ」
「それ、着なくてもいいぞ」
「は?」
「後の楽しみに取っておくつもりだったけど、もう見たから」
「いいから、出て」
僕は着替えを持ったまま、肘で玄さんを追い出した。
「いてて、ひどいな」
ドアの向こうからボヤキが聞こえる。
「どっちがですか」
そんな色気のないやりとりの末に、僕はようやく彼と寝具の上で向き合った。畳敷きの和室に不似合いなベッドだ。
「布団じゃないんですね」
「敷いたり干したりする時間が勿体ない」
「僕は好きですよ。干したばかりの布団のふかふかとか、最高じゃないですか」
「じゃあ、そのうちどこかの温泉旅館でも行こうな」
「僕と? 二人で?」
「そりゃそうだろう」
「あの」
「まだ何か言いたいことが? いいかげん我慢できないんだけど」
玄さんは僕の顎を持ち上げ、キスをしてきた。
「僕って、結局、玄さんの何なんですか」
「何って、恋人じゃないの?」
玄さんが覆いかぶさってきて、僕は押し倒される。
「こういうことがしたいから言ってるだけってことは」
「半年我慢しただろ。したいだけだったらとっくに手ぇ出してる」
「我慢、してたんですか」
「してたよ」
玄さんの手がTシャツの中に滑り込んでくる。
「うわ」
乳首を触られるのなんか初めてだ。
「周は、どうなの。いいの、俺で?」
玄さんが耳元でそう言い、そのまま耳朶を舐めた。
「ひっ」
いい声で啼く、どころか、色気のない声しか出せなくて焦る。
「初めて、だよな?」
僕は頷く。そうと分かるほど、何かが稚拙なのだろう。いや、何もかもが。
「ごめ、なさい」
「何が?」
「可愛い声とか出せないし、下手だと思うし、いろいろよく分からな」
言い終わる前に、またキスをされる。
「可愛いよ、周は。可愛くて、いじらしくて、どうしたらいいか分からんのは俺のほうだ」
玄さんは僕の身体を浮かせるようにして、抱き締めた。僕も抱き返す。
「好きです。玄さん」
「好きだよ、周。俺も初めてだ。こんな気持ちで、誰かを抱くの」
初めて。初めてなのか。それが事実かどうかは確かめようもないけれど、嘘を言わない玄さんだから、信じられる。
玄さんは何度かキスを繰り返して、それから首筋にも口づけてきた。Tシャツを脱がされて、乳首を吸われた。変な声が出てしまうから恥ずかしくて身をよじると、ふいに視界から玄さんが消えた。その次の瞬間には、僕の片足を撫でていた。膝から脛をスーッと撫で上げられるたび、また変な声が出る。
「くすぐったい」
僕がそう言うと、玄さんは僕の足首を持ち上げて、くるぶしに口づけた。
――君のくるぶしを想像した。こういう形だろ?
そう言っていた玄さんを思い出す。
玄さんは僕の足を下ろすと、今度は両足を合わせて、横向きになるようにと指示してきた。
「ゆっくりするから、力抜いて」
玄さんが優しい声で言う。僕に対しては辛辣な物言いも少なくない玄さんだけれど、この優しい声こそが玄さんの本質なのだと思う。
「お風呂で、準備、したから、大丈夫、です……」
この半年、何度もこの場面を想像した。その時の玄さんはこんなに優しくなかった。頭の中の玄さんは、すぐに僕の中に入ってきた。
「俺は繊細なんだよ。好きな子に少しでも痛い思いをさせたくない」
そう言いながら、玄さんはローションを垂らし、ゴムを嵌めた指を僕の後孔に挿入しはじめた。
「好きな子……」
「ああ、好きだよ。もっと早くに言ってやればよかったな」
「そうですよ……ん、あ、あっ」
少しずつ指が埋められていく。玄さんだけの世界を創り出すあの指が、僕の中に。
「きついか?」
僕は枕をつかんで、そこに顔を埋め、ううん、と首を横に振る。きつくはなかった。自分の指とは違う異物感に戸惑っているだけだ。
「もう少し、いい?」
「はい……あっ、あっ、ああっ、んっ」
聞こえてくる自分の声は明らかに興奮していて、たまらなく恥ずかしかったけれど、それに連動するように玄さんの呼吸が荒くなるのが嬉しくもあった。
「指、増やすよ」
一本が二本に、二本が三本になり、お腹の側をトントンとされると尿意にも似た快感がせりあがってくる。
「ここ、気持ちいい?」
僕は頷くのが精いっぱいだった。
「どうする? もう少し指がいい? それとも」
「挿れてほしい」
そんな言葉だけははっきり言えて、またたまらない気持ちになるけれど、そのぐらい、切羽詰まっていた。足りなかった。もっと、玄さんを感じたかった。
「後ろからのほうが楽だから」
玄さんは僕に後背位の姿勢を取らせようとした。でも、僕は頑として四つん這いを拒否した。
「顔、見ながらしたいんです」
「……分かった。ゆっくりする……つもりだけど、ちょっと自信ないわ」
「大丈夫」
玄さんは僕の両足の間に座り、やがて僕の中に入ってきた。
「あっ、ああっ、んんっ」
指では届かなかったところまで玄さんで満たされていくのを感じた。
「周」
「しず……あ、や、あっ、あんっ」
「少し、動くよ」
玄さんが腰を動かすたびに、お腹の中が熱くなり、快感が増してくる。淫らな喘ぎ声も我慢しきれない。こんな色気のない男の声で、胸も平らで。そんな僕がこんな風にカエルみたいな恰好して、恥ずかしいところを見せて、それでも、玄さんは興奮してくれるのだと思ったら涙が出てきた。
「大丈夫? 痛くない?」
「ん、きもちい……です、あ、ああんっ、しず、しずかさんは……?」
「気持ちいいよ」
「よか、た」
僕がそう言うと、玄さんの表情が変わったように見えた。怒っているようにも見えてドキリとしたけれど、そういうわけではないらしい。
「ごめん、周」
玄さんの動きが激しくなる。怒りに似た表情と、ごめん、の意味はつまりそういうことだった。
でも、謝る必要なんかなかった。玄さんの激しさは、それだけの快感をもたらした。
「あ、あ、しず、さん、無理、やだ、もう、ああっ、だめ、そこ、気持ちいっ、やだ、イク、だめ、イッちゃう」
「いいよ、イッて」
玄さんの言葉を聞いた途端に、僕はあっけなく絶頂に至ってしまった。
「上手にイケたね」
子供を誉めるように言う玄さんに言い返してやりたいところだが、言い返せる材料なんかひとつもなかった。
「……玄さんは、まだ……でしょ」
「周が気持ちよかったならいいんだ、今日は」
「そんなの、ダメ」
僕は僕の中から出ようとする玄さんを止めた。
「僕じゃイケないですか?」
「そんなことあるわけないだろ。ただ、無理させたくない。そういうのは追々」
「嫌です。ちゃんと、僕でイケるってとこ、見せて」
「……ったく」
玄さんは呆れた表情を浮かべてみせるが、僕の中のそれがまたぞろ固くなったから、満更でもないことは丸わかりだ。
「どうなっても知らないぞ」
「平気です。玄さんのしてくれること、全部、気持ちいい」
更に固くなったそれを、玄さんはまた動かし始めた。
「あんっ」
僕もまた、あっけないほど簡単に「その気」になってしまう。
――だって、この半年、ずっとしたかったことだ。見つめられるごとに、輪郭を描かれるごとに、この人に、こうしてほしいと思う気持ちは募る一方だった。
「周、好きだ」
最後はそう言って僕の中で絶頂を迎えてくれた。
――好きです。初めて会った時から、ずっと好きでした。あの雨の日、骨が一本曲がった傘を差して現れたあなたが。その雨に濡れた僕をアトリエに迎えいれてくれたあなたが。僕のためらいを、戸惑いを、迷いを、悩みを、まるごと受け取って、掬い上げてくれたあなたが。
「一緒に作ろうって言ってたくせに」
僕がベッドでうとうとしている間に、玄さんは一人で鍋の支度をしてしまっていた。今はこたつの上でぐつぐつと湯気を上げている。
「材料の下ごしらえは周がしてくれたんだから、二人で作ったのと同じだよ」
「そっか」
「そう言えば俺、今年最初の鍋だわ、これ」
「最後の鍋にもなるんじゃないですか」
「そうだろうな」
遠くから、除夜の鐘が響いてきた。
(終)
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