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第1話

 渋谷、21:00。  今年いちばんの大雪に備えて、電車が全線ストップになった。  計画運休。東京中がマヒ。  きのうの時点で大々的に発表されていたのだから、あらかじめ社長が全員定時上がりと言ってくれていれば、こんなことにはならなかった。  ……と、心のなかで愚痴をこぼしても、あとの祭りである。 「付き合わせて申し訳なかったね」 「いえ、どうせ止まるんならもういいやって開き直ってたんで」  横を歩いているのは、直属の上司である、相澤(あいざわ)(とおる)課長だ。  29歳の若さで約30人の販売促進課を束ねる、若きリーダー。  独身、王子系イケメン。そして、言葉数少なく冷静沈着な仕事ぶり。  社会人1年目の俺が個人的に気安く声をかけるような存在ではないので、こうしてふたりで歩いているのは、非常に非常に、居心地が悪い。 「川嶋(かわしま)君、お酒は?」 「あ、……課長に合わせます」 「そう。じゃあ、コンビニだけ寄らせてもらうね」  上司のマンションに泊めてもらうなんて、気を遣いすぎてどうにかなりそうだ。  でも成り行き上仕方なかった、と思う。  17:00の時点で、急に課長が『全員帰ってください。私は会社から徒歩圏内なので大丈夫です』と言い出した。  皆いそいそと帰っていったけど、課でたったひとりの新入社員である俺まで課長に押し付けて帰るわけにいかなくて、最後まで付き合った――結果として迷惑かけて泊めてもらうことになっているのだから、素直に帰れば良かったと、とても後悔しているけど。  コンビニに寄り、歯ブラシだけ買って、課長宅へ。  立派なマンション。3階の角部屋だという。 「お邪魔します」  縮こまったまま室内へ。  広い1Kで、うちの実家のリビングくらいに見えるし、20畳はありそうな。  照明や家具は黒とシルバーで統一されていて、なんか、大人な感じがする。  昇進すればこんな暮らしができるのかと少し夢が芽生えたものの、その家主が誰なのかを思い出して、気が重くなった。  あんな常人離れした仕事ぶり、俺には真似できそうにない。 「座ってて。おつまみ作るから」 「えっ! いや、お気遣いなく!」 「いや……オレが食べたいものを作るだけだから。気にせず」  ん? オレ? って言った?  まあ、自宅ならリラックスモードになるよな。  課長はクローゼットからジャージを取り出し、俺に手渡してきた。 「これでいい?」 「あっ、すいません」  課長も自分の服を持ってお風呂場へ消えたので、そのすきにささっと着替える。  ソファに緊張気味に座っていると、課長が出てきた……が。 「何?」 「あっ、え、っと。なんか……スーツ着てないと印象違いますね?」 「家ではこんなものじゃない?」  ゆるく分けていた七三の前髪は、頂上でちょこんとひとくくり。  クリーム色のジャージを着た課長は、『大学生です』と言われても何の違和感もない若さだった。  塩顔俳優のナントカさんと可愛い系元戦隊ヒーローのナンチャラくんを足して2で割ると相澤透が出来上がるらしく、三揃いのスーツでピシッと立つ姿は後光が差している……と、飲みの席で誰かが言っていた。  そんなカリスマ性あふれる相澤課長のこんな姿、女子社員が見たら卒倒すると思う。  混乱でぐるぐるしている間に、ふたり掛けのテーブルのうえに料理とビールが並んだ。  枝豆と鷹の爪を炒めたもの、生ハムで巻いたチーズ、なんか入ってる卵焼き。  全て、さっきコンビニで買った材料だ。 「うわ、めっちゃうまそうです」  思わず失礼すぎる声を上げてしまったが、向かいに座った課長は、機嫌良さそうに頬杖をついてこちらを見ていた――笑っているところなんか、初めて見たかもしれない。 「じゃあ、乾杯」 「お疲れ様でした」  500ml缶をコツンと当て、一気飲みする。 「あー……つっかれたー……」  つぶやく課長にギョッとした。 「すいませんやらせちゃって」 「ん? ああ、違うよ。料理のことじゃなくて、普通に。大雪で東京中の会社員が仕事放棄してるのに、アホらしいと思わない?」 「ああ、まあ……そうですね」  どう返事するのが正解なのかが分からない。  けど、とりあえず、いつも冷静な課長が仕事に対して『アホらしい』なんていう感想を抱くことがあると知って、心底驚いた。 「あ、食べて?」 「はい。いただきます」  卵焼きを一切れ。 「うっま」  目を丸くすると、課長はケラケラ笑った。 「卵焼きくらいでそんなに驚く? 普段どんな食生活してるんだろう」 「あー……ロクなもん食べてないです」 「だろうね。見るからに細い」  昔から、生っ白くてもやしっこ、背も無いし顔も女の子みたいと、散々イジられつづけている。  借りた服も、正直ぶかぶかだ。 「川嶋君。ん? 家でまで部下を呼ぶの嫌だな。晴斗(はると)」 「へ!? は、はいっ」  突然下の名前で呼ばれて、死ぬほどびっくりした。 「最寄駅は?」 「埼京線の浮間舟渡(うきまふなど)です」 「なるほど。予定がないなら、あしたものんびりしていったらいい。何時に復旧するか分からないし、埼京線じゃあ復旧してもしばらく乗れないだろうから」 「え……」  気遣いはありがたいが、こちらの方が気を遣いすぎて死ぬ確率が高いので、丁重にお断りすることにする。 「いや、お忙しい課長の貴重な土曜日をお邪魔するわけには……」 「……次オレのこと課長っつったら罰ゲームな」 「は?」 「堅苦しいのなーしなーし! おし、晴斗。きょう見たことは全部忘れろ。いいな?」 「えっ」 「もーめんどくさい。家でまで課長すんのやだ。キャラ作りだるい。やめた」  豹変とも言える突然のキャラチェンジに大いに戸惑いつつ、怖々聞く。 「あの……なんとお呼びすれば?」 「透」 「無理ですよ」 「じゃあ透さん」 「はい。わかりましたとおるさん」  違和感バリバリに呼んでみると、課長……ではなく、透さんは、楽しそうに笑いながら、枝豆をつまんだ。 「みんなには内緒な。実は相澤、めっちゃ笑うから」 「マジすか……」  状況についていけず、思わず頭を抱えそうになる。 「晴斗。お前、仕事楽しい?」 「えっと……まあ楽しいです。やりがいは感じますし」 「ほんとは?」 「……週5日誰かに気を遣ってるのがしんどいです」 「あと3ヶ月の辛抱だな。後輩が入ってきたら、めんどくさいことは丸投げ丸投げ」  こんな、こんな適当なアドバイスを、あの相澤課長から聞く日が来るとは。  冗談なのか本気なのかが分からず、答えに困る。 「オレ、超めんどくさがりでさ。そしたらなんか課長になってたんだよ」 「え?」 「自分でやるのがめんどくさくて、全部他人にやってもらえるように身の回りからじわじわ独自ルール浸透させていったら、いつの間に『お前はリーダーの采配(さいはい)の素質が云々~』とか部長が言い始めた」 「えー……どこがめんどくさがりなんですか? 仕事完璧すぎて全然そんな風に見えないんですけど」 「考えてみろよ。オレが1日中やってんのって、誰に何やらせよっかなーって考えてんのと、口八丁の交渉で相手黙らせてるだけだからね」  その、適材適所に人員配置できるのが優秀なリーダーで、相手を黙らせられるのが最強の交渉人なわけだけど……そんなゆるふわな感じであの仕事量を終わらせていたのかと考えたら、いままでとは別のベクトルでゾッとした。 「晴斗は和ませ役。悪いな、いつも気遣わせて」 「なごませ……?」 「うん、オレが言ったら他のひとがビビリそうなこととか、結構晴斗に言わせてるだろ?」 「そうでしたっけ?」  身に覚えがない。これが人心掌握(しょうあく)術というやつか。 「堅っ苦しいしゃべり方してるのはナメられないために1番省エネな方法で、ほとんど笑わないのはひとに合わせてヘラヘラするのがめんどくさいから。飲み会はこの世で最もめんどくさいから行かなーい」  へへへと機嫌良く笑う目の前の人物が、あの課長と同一人物とは到底思えない……のだけど、こんな整った顔立ちのひとはそうそういないので、間違いなく同一人物だ。 「大丈夫? 酒まだある?」 「あ、自分はまだあります。透さんは……空っぽですかね。取ってきます」 「悪いね」  なるほど。この応用が、相澤課長のやり口か。

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