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第2話

 帰宅して早々、気が急いていたとはいえ、ネクタイも靴下もスーツの上も下もそこら中に脱ぎ散らかしたままコトに及んでしまった。どれぐらい眠っていたのか、ふっと目が覚めてシャワーを浴びようと思い、ベッドの周りに見事に散らかった2人分のシャツを拾い上げていると、背後からすーっという小さな寝息が聞こえた。こっちを向いて眠っている真澄の白い頬に指で触れると、目を閉じたまま、ふんと小さく鼻を鳴らす。  数時間前。  中身がパンパンに詰まったカートをガラガラひきずりながら玄関のドアを開けた俺の前に、リビングからバタバタと真澄が飛び出してきた。会社に立ち寄り、手土産を渡しつつ出張の報告書類をざっくりとまとめて予定よりも少しだけ早く帰ってきた俺と、会議が延びたせいで帰宅が遅くなり、慌ててここへやってきて着替えている最中だった彼。 「早かったんだね。僕、さっき来たところで」  あぁそれで。  ネクタイを取りワイシャツのボタンを上から3つ4つはずした状態なのは、着替えの途中だったわけね。 「で、それは何かのご褒美?」  ワイシャツの下に何も着ていない彼の肌を覗き見るように首をかしげると、思い出したようにアッという顔をしたその後でいつものようにふふっと笑い、すっと体を寄せ抱きついてくる。 「おかえり」  彼の背中に腕を回し、ただいまと答える。  お風呂、入る?  後で一緒に入ろう。  お腹空いてる?  空いてなくないけど、後でいい。真澄は?  僕も、後でいい。  ――ごくごくいつも通りの会話。たしか、彼が前にここへ来た時も、同じような会話をしたような気がする。  あぁ、帰ってきたんだ。と思う。彼のところへ。  抱きしめていた腕を少しだけ緩めると、顔を上げた彼と目が合う。名前の通りに澄んだ、きれいな瞳をした人。唇に触れてすぐ離すつもりがそのまま深く口づけあい、ゆっくりと舌が睦み合う。 「このまま……?」  唇が離れた隙間にこぼれた彼の言葉に頷いて返し、右手にある寝室のドアを開けた。  真澄は体が柔らかい。  中学、高校時代は体操をやっていたと、初めてここに来た夜に教えてくれた。  脇腹のあたりやおへその周りに舌の先で触れると、弓のようにしなやかに背中を反らせて甘い声を上げる。それが好きでいつまでも見ていたくて、何度も同じことを繰り返す。 「ま、すみ……なにか、話して」  腰に跨り、汗がにじんだ俺の下腹部に両手を張り付けた姿勢でいる真澄を見上げ、いつものお願いをする。彼は、はァとひとつ息を吐き、待ってね、と小さく微笑むと目を閉じたまま喉を反らせ、「ん……」と小さく声を漏らす。そうして手の甲で額の髪をはらい、ゆっくりとまぶたを持ち上げ、俺に視線を落とす。 「東京の、本社は、……、海の近く、だっけ?」 「そうだよ……」 「行った……? 海」 「行ってない。ちょっと、寒かったから」  波が寄せて返すように、彼の下にある俺の身体がゆっくりと動くのにあわせて、真澄の上半身が揺らぎ、左に右に小さく首を振り動かす。細身だけれど女と違ってくびれのない彼の腰が動くたびに、「ん」「……ぁ」と吐息を漏らしながら、ゆっくりと言葉をついでゆく。意味のない話で構わない。そうやって蕩けるような瞳でこっちを見下ろしてとぎれとぎれに言葉をつぐ真澄に、波を打つ肢体に、たまらなく劣情をかき立てられる。 『信じられないぐらい、気持ちいい』  何度目かにこの部屋に来た時、柔らかい身体を何度も反らせた後で真澄が言った。  恋人が言ってくれる言葉でこれ以上に嬉しいものって、他にあるんだろうか。 「今度、なつに、なったら……一緒に、うみ行きたい……、な」 「海?」  ん……、とまたひとつ、彼の白い喉から甘い息が零れ落ちる。まるで、ここに触って、と言うように喉仏が小さく動く。今年の夏はバタバタと忙しく、その時も1か月ぐらいお互い顔も見ないまま過ごしていた。いつも通り3、4日夏休みを取ったはずだけど、何をしていたのかさえも思い出さない。得意先との付き合いで遅くなり、花火大会帰りの客を大量に呑みこんだ電車に乗り合わせた時は閉口したけれど、花火自体はカケラも見なかった。 「一緒に、いく? 海」 「ん、行きたい」 「真澄は、泳ぐ、の?」 「およがない。ただ、……うみみて、イチャイチャしたい」 「イく? 一緒に。イキたい……?」  そんな言葉遊びはもう飽きたとでもいうように、唇の端をきゅっと持ち上げると天井を向いて体を揺すり、「あっ、ん……」と漏らす。薄い胸板が上下する、その動きが色っぽい。 「まさきさんの、Mと、ぼくの、ますみのM、おなじだね」  そう言うと彼は淡く微笑み、人差し指と中指、薬指をそろえて俺の腹にアルファベットのMを書いた。汗や体液で湿った腹が、彼の指先を湿らせる。深い意味は何もないけれど、交わす意味のある言葉と、意味を持たない可愛げのある仕草。そのひとつひとつに、胸をかきむしられるほどの愛おしさが衝動のように湧き上がってくる。 「あつ、い……」  反らせた喉から、弧を描くように言葉が降り落ちてくる。 「暑、い?」 「ん……、熱い」  それだけ言うと、こちらに両腕をのばし、かすれた声で彼が言った。 「こっち、き……て、」  女王の命令に従う家臣のように、ゆっくりと上体を起こすと、彼の中にいる自分も動く。  甘い痺れ。  そんなものに男2人の身体が射抜かれる。 「も、ダメ……」  閉じてしまいそうなまぶたに唇を押し付けて、今にもくずおれそうな背中を両腕で支える。 「もう、だめ?」  俺の問いかけには答えないまま、彼の舌がもう一度俺の唇を割ってねじ込まれ、沸騰しそうな唾液が注ぎ込まれる。さっきまでと入れ替わるように、今度は彼の身体をゆっくりと横たえ、喘ぐように小さく震えている掌に自分の手を重ねた。

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