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ラーン王国編ー見習い期間の終わりー 見回り
『メルト…』
優しい声が俺を呼ぶ。
だけど、思い出せない。これは夢の中だけで、起きると忘れてしまう。優しい目もぬくもりも。
ダンジョンから帰還して一週間ほど。色々あってやっと復帰した俺は、遅れを取り戻そうと張りきっていた。
「メルト、よく食べるね。」
ミランが俺のトレーの中を見ている。口元がちょっとひきつっているようだ。
確かに、二人前はある大盛の朝食をぺろりと平らげるフィメルはいない。
「…食べないと、大きくなれない、から…」
そして俺はニンジンとにらみ合っている。
『メルト、重い攻撃は膂力がいる。筋力をつけるのも手だ。食事のときは、脂身の少ない、鳥の胸肉やささみを中心に取るといいと思う。もちろん野菜もね?』
そう言っていたのは誰だったか。書物で読んだのか。
とにかく、この貧相な体格では身体強化を使った相手の剣を受け止めきれない。力をつけないといけない。瞬発力も持久力も。何もかも足りてない。
意を決してニンジンを口に入れる。嫌いでも食べなきゃ。
でもやっぱりニンジンは苦手だ。
「メルト、そんなに嫌なら食べなくてもいいんじゃない?」
俺は物凄く嫌そうな顔で食べていたようだった。
「食べないと、ダメ…」
首を横に振って、空になった食器を片づけに立った。これから訓練だ。気合が入る。
俺達見習いは最終段階に入っている。最終的な試験をして、合格すれば正騎士に叙任される。今は皆王都で訓練を受けているが、正騎士になれば所属騎士団の本拠地へと散り散りになっていく。
午前は基礎訓練をし、昼休憩をはさんで実習訓練に入る。
今日の実習訓練は、見回りだった。騎士団の業務の一つに治安維持がある。毎日交代で王都を見回って異常がないか確認する仕事だ。
犯罪が起きれば対応するし、迷子やもめ事の仲裁、盗難やスラムの犯罪組織の取り締まりなど。
王都の警備はそのまま王を守ることにもつながる。第一の重要な任務だ。
第一の現役騎士と二人一組で見回りをする。コースは実際に見回りが行われているコースをそのまま辿る。組み分けで俺はリンド先輩と一緒に回ることになった。
帯剣をして詰め所を出た。通用門から裏道を通って王都のメインストリートに出る。このコースは商業地区を回るコースだった。
「このコースは客と店側のもめごと、が主だな。たまに迷子が出るが…高級店はたいがい護衛を雇っているからあまりそういうのを騎士団に持ってこない。問題は庶民用の店からだな。護衛を雇う店は少ないから、騎士団に万引きや盗難の苦情が上がってくる。通りかかったらもめごとの最中だったっていうのもあるな。」
リンド先輩はさりげなく周りに視線を巡らせながら説明してくれた。俺は頷くだけだ。そうやって色々教えてもらいながら周囲を警戒する。
時折、視線を感じたが感じた方を見ると見ていたと思われる者はいなかった。なんだろう?
そうして何の問題もなく見回りを続けていた時だった。歩く方向から、護衛を連れた、見たこともない美人が歩いてくるのが見えた。フィメルの中のフィメルみたいだ。護衛は屈強なメイルと思われた。
「あれ、ヴェスナ。珍しいな。」
その美人に声をかけたリンド先輩を思わず見た。恋人?と思って見比べたら、困ったような顔をしていた。
「こんにちは。お久しぶりです。もう帰ってらっしゃったんですか?」
美人は声もいい声なんだと思った。リンド先輩と知り合いのようだったので、とりあえず会釈をした。街での知り合いだろうか?
「ああ、こいつがダンジョンで罠にかかってさ。ちょっと帰還が遅れたんだ。」
ポンと肩を叩かれてそう言われて思わずむっとした。確かにそうだけど、別にこの人に言わなくてもいいんじゃないかな?
「無事でよかったじゃないですか。」
なんとなく、安堵が滲みでた声に、リンド先輩とやっぱり親しい間柄なんだろうと思った。
「ああ。誰も欠けなかったしな。」
そうリンド先輩は言うと俺の髪をかき乱した。子供扱い?むっとしてまた見上げてしまった。
「先を急ぎますので。では。」
優雅に一礼をして、脇をすり抜けて美人は去っていった。いい匂いがした。
「ああ、またな!」
リンド先輩は上機嫌に手を振って見送って、見回りに戻った。俺はその後は見回りの仕事を覚えるのに頭を切り替えた。
夜、寝る前に、同室の皆と雑談をした。宿舎の部屋は4人部屋だ。正騎士になると2人部屋になる。
「へえ、それって、リンド先輩が通ってる娼館の人じゃない?凄い美人で親しげだったんでしょ?」
ミランがそう言ってきた。
「そうだよね。リンド先輩がフィメルと親しくしてる姿ってみたことないもんね。」
エメリがお菓子を口にしながら言う。エメリはピンクブロンドのふわふわの髪で、顎くらいまでの短い髪だ。目は灰色で、体型は小柄で、可愛い小動物系の可愛さがある。
しかしエメリは重戦士型で、重い槌を振りまわす。その腕力はどこから出るのかと思ったら、先祖にドワーフがいたらしい。
「…そういえば護衛連れてた…」
俺が頷くと、得心したという顔で皆が頷いた。
「普通そんな道ですれ違う時に声かけないよ。向こうも困っただろうね。」
肩を竦めてポリカが言う。ポリカは亜麻色の髪で目も同じ色だ。ショートソードが得意な速度特化の剣士で、素早い動きで攪乱して急所を斬る。見習うところがたくさんある剣士だ。
「……そう、なんだ?」
よくわからないので首を傾げた。
「そうなんだよ。普通はそういうところに通ってるの知られたくないし、向こうもバラされたくないでしょ?出会っても知らないふりすんのがマナー。」
ポリカが肩を竦めて見せた。
「だからリンド先輩はデリカシーがないって言われるんだよねー」
きゃらきゃら笑って揶揄するエメリ。うんうんと頷く皆に俺はついて行けてなかった。
…そうなんだ…。
「メルト、メイルは狼なんだよ?気をつけようね?」
狼?きょとんとしていったミランを見るとあちゃーと言って顔に手を当ててた。
「まあ、いいや。メルトは今のところ、恋人見つける気はなさそうだしね。」
恋人。ズキっと胸が痛んだ。なんでだろう。
「え、どうしたの?メルト…なんで泣いてるの?」
ミランが焦った声を出して俺を見た。
俺が泣いてる?
ぽたぽたと零れる涙が、夜着に染みを作った。
「ほんとだ。なんで?」
自分でもわからずに、袖で目を擦りながら涙を止めようとする。でも止まらない。ミランが慌ててタオルを持ってきてくれた。
『メルト』
心の奥底で、優しい声が響く。
それは意識の深いところで、思い出せない俺の心を揺さぶった。
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