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001*捨て猫*

   愛は忍耐強い。愛は情け深い。妬まない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、苛立たず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。全てをしのび、全てを信じ、全てを望み、全てを耐える。  ――神父様が読み上げた、その一文だけをよく覚えている。  父は他所で女を作って出て行った。  母は自分を美しく着飾っては夜の街へと繰り出し、毎夜違う男を連れてくる。  ヒステリックで、気難しい性格の母だけど、それでも母で、どれだけ手酷く暴力を振るわれようと、汚い言葉で罵られようと、大好きで、大切で――。 「こんばんはー、ユウ君、だよねー? ちょぉーっとお母さんに用事なんだけど、上げてもらえるかな?」  夜中も十一時を過ぎた頃だ。そいつらは青年と母親の住処を訪れた。 「……どなた、ですか」  扉を薄く開いて尋ねる。何かあればすぐ閉めれるようにチェーンをかけたが、隙間にガッと革靴を差し込まれて無理やりこじ開けられる。  抗議の声を上げようとしたが、自分よりも体格の大きい男が四人。明らかに堅気の人間じゃないとわかる男たちは青年を、ユウを押しのけ土足のまま部屋へと上がった。  1DKの決して広くない部屋だ。  リビングダイニングはフローリングのままで、入り口の扉近くには明日出しのゴミ袋がまとめられている。流しには洗い物が溜まっていた。座り心地の悪そうなソファにも無造作に毛布や枕が投げられ、テーブルには酒の空き缶や灰皿が取ってらかっている。  リビングのソファはユウが寝起きしている場所で、奥が母の部屋だが男たちが用事があると言う母はまだ帰宅していない。きっと日が昇ってからじゃないと帰ってこないだろう。 「あれあれー、お母さん、いないんだけどなぁ。ユウ君、お母さんどこ行ったか知ってる?」  にっこり、と人当たりが良さそうに笑う男がリーダーだろうか。「アンタたち、どういうつもりで、」言い切る前にガシャンッ! と酷い音が響き渡る。 「オレが聞きたいのはそういうことじゃないんだよね。お母さん、どこにいるのか知ってる? って聞いてるんだけどなぁ」  遮った男は柔く笑ってはいるが、その瞳は酷く冷めきっている。音の正体は男がテーブルを蹴り上げたことによるモノだった。  ガラスの灰皿がゴロゴロと吸い殻を零しながら転がっていく。空き缶が軽い音を立てて中身をぶちまけた。近所迷惑だとか、片づけなきゃ、とか他人事のように思い、カラカラコロコロ音を立てる空き缶に視線を奪われていたその時だ。  ガツン、と頬骨が派手な音を立て、遅れてやってきた衝撃にユウは後ろへ吹っ飛んだ。壁に背中を強く打ち付け、チラチラと目の奥に火花が散った。 「ったくよぉ、下手に出てれば随分余裕ぶっちゃって。ユウ君のママはどこにいるんでちゅかぁ?」 「……ッ、しら、ねぇよ」  歪む視界に男が近付いてくるのが見えた。我ながら馬鹿だと思いつつも、つい、唾を吐いて空いていた横っ腹を蹴り上げてしまった。――安売りはしてないが、売られた喧嘩は買う主義だった。  男が脇腹を抑えて蹲った隙をついて、駆け出す、つもりだった。ガクッと足を取られ前につんのめり、格好悪く床に倒れてしまう。打ち付けた肩が痛い。 「よ、くもやってくれやがったなッ!」  顔を顰め、振り返れば足首を掴む鬼の形相の男がいた。死ぬかな、と思っているとこめかみを別の男に蹴り飛ばされた。  まともに受け身も取れずに蹴り飛ばされた頭の中で脳が揺さぶられ、世界が一回転した。  立ち上がることもできず、蹴られた場所を抑えて呻き声を上げるユウを他所に「顔はやめろよ。傷ついたら売れなくなっちまう」と下卑な会話がされる。 「それじゃあ、お母さんが帰ってくるまで楽しませてもらおうぜ」  舌なめずりをした男に、絶望した。

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