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極道とウサギの甘いその後5-8
これから侵入する建物を改めて見上げると、オートロックの、セキュリティのしっかりしていそうなマンションに見える。
静まり返ったこんな夜更けに、各々手に持っている武器で正面のガラスドアを破壊して通る、というのは、大きい音が出るだろうし、すぐに通報されてしまいそうだ。そんな粗暴な方法では目的地の三階までたどり着けるかすら怪しい。
どうするのかと思っていたら、リーダー役だけは指示役の土橋から予め聞かされていたのか、暗証番号を入力してあっさりとドアを開けた。
無人の管理人室を横切ってエレベーターに乗り込めば、すぐに三階まで辿り着く。
そこからは、リーダー役と体格のいいもう一人が先行して、湊がしんがりになった。
突入直前に湊は、襲撃はほどほどにして、退却する段になったら八重崎を抱えてさっさと逃げるという役目をリーダー役から仰せつかっている。
気弱そうな青年や謎しかない八重崎よりは、湊の方が確実な退路の確保ができそうだと踏んだのだろう。
湊としても、ここが松平組と関係のない場所であった場合、捕まったりしたら面倒なことになるため、逃げやすい位置にいられるのは助かる。
事は、目的地である部屋の一つ手前の部屋に差し掛かった時に起こった。
通り過ぎる直前、前触れもなくすごい勢いでドアが開き、先行していた二人は思い切りそれにぶつかって倒れる。
二人のうち後ろを歩いていた方は背後に飛ばされてきて、すぐ後ろを歩いていた気弱そうな青年が玉突き事故的に巻き込まれ、尻もちをついた。
湊は驚きながらも、咄嗟に八重崎を庇いながら数歩後退する。
部屋の住人がたまたま外出しようとドアを開けた程度の勢いではなく、明確な攻撃の意図を感じた。
これは想定外の非常事態だ。
湊一人ならすぐに回れ右をするところだが、仲間がいることで判断に迷いが生じる。
その僅かな逡巡のうちに、部屋の中から伸びてきた腕が、倒れ込んでいるリーダー役の首根っこをむんずと掴み、中へと引きずりこんだ。すぐに、同じくドアの近くに倒れていたもう一人の体格のいい方もずるずると部屋の中に消えていく。
立て続けに、鈍い音と呻くような声が聞こえ、ホラー映画めいた展開に、いよいよ逃げなくてはいけないと思ったが、まだ立てずにいる気弱そうな青年を見殺しにはできない。
腕を引きずってでも……と、手を伸ばしたところ、中から聞こえてきた声にはっとした。
「おい中尾、てめー湊に当たったらどうすんだ。もう少しソフトにやれよ」
「はあ?あいつはこんなんでやられたりビビったりするようなかわいいタマじゃねえだろ」
開いたドアを回り込んで中を覗き込むと、なんとそこには竜次郎と中尾がいるではないか。
「竜次郎!中尾さんも……!」
「おう、湊、無事か?」
道端でたまたま会ったような軽い挨拶だ。拍子抜けしつつもコクコクと頷く。
「とにかく中に入れ。通報でもされたら面倒だ」
「あっ、でも彼……」
気弱そうな青年は、腰が抜けてしまったのか、恐怖の表情でこちらを見上げているものの、逃げ出そうとすらしていない。
舌打ちをした中尾が、首根っこを引きずって室内に放り込んだ。
短い廊下を通りリビングに移動すると、以前にも見かけたことがある中尾の仲間らしき人が、先に引きずり込まれた二人を拘束しているところだった。
二人とも気を失っているようで、ぐったりと項垂れている。
「ここは?」
「中尾の拠点の一つだ」
「襲撃をするよう指定されたのは、もう一つ先の部屋だったみたいだけど……」
首を傾げると、中尾が答えてくれた。
「数日前、たまたまこっちの部屋も空いたから、荷物を置くのに一旦借りたんだよ」
なるほどと頷いてから、湊はぱっと八重崎を見る。
「八重崎さんは、襲撃場所が中尾さんの拠点ってわかっていたんですか?」
「だから……ハンドシグナルを……送った……」
「え……?」
八重崎は手でウェーブを作る。
「シャチ……わからなかった……?」
「あっ……!あれは、そういう」
オルカとは、シャチのことだ。
言われてみればその通りで、鈍かったなと頭を掻いた。
竜次郎がこれまでの経緯を補足してくれる。
湊がこの闇バイトのことでバタバタしている間、中尾から竜次郎に、一連の襲撃の指示役は最近オルカを離れた自分の元仲間の仕業かもしれないと連絡があったらしい。
今回の襲撃先については、待ち合わせに指定された場所から推測できていたので、先行していたそうだ。
「こっちの部屋のことは、あいつがいなくなってからのことだから、知らなかったんだろうな」
中尾の表情は忌々しげだ。
……しかし、元仲間なのにどうして闇バイトを使って中尾の拠点を襲わせているのだろう。
ともあれ、元仲間だったからオートロックの暗証番号を知っていたのかと一人納得していると、背後から半泣きの声が聞こえてきた。
振り向くと、気弱そうな青年が中尾の仲間の足元で小さくなって震えている。
「た、助けてください、俺は指示されたとおりにしようとしてただけで、何も、知らなくて……」
彼からすれば、何が何やらわからない状況だろう。
かわいそうだとは思うが、しかし、こうなってしまう可能性は考えなかったのだろうか。
近付いた竜次郎が、しゃがんで目線を合わせる。
「言われた通りやっただけでも、違法行為をすれば捕まるし、起訴されりゃ判決に関わらず前科はついちまうってのは、わかってんだろうな」
青年は、すっかり血の気の下がった顔をさっとそらした。
「特殊詐欺なんかで実刑食らえば、出所しても口座が作れない、まともな仕事にありつけなくて人生詰んじまうなんてことはざらだ。闇バイトは数十万と引き換えにカタギの人生が終わっちまう、もっとも割の悪いシノギなんだよ」
悪いのは、弱い立場の人たちを騙してそんなことをさせる首謀者だと思うが、一般の人も、楽して金を手に入れたいという誘惑に負けないよう、よく考えて行動することが大切だ。
ちゃんと教えてあげる竜次郎は優しいなと感心していると、それを押しのけるように中尾がずいと前に出た。
「おい竜、何くせえ説教垂れてやがる。まずはこいつに自分が何をやろうとしていたか教えてやるのが先だ」
「ヒッ……、す、すみません、もうしませんから……っ」
不穏な空気に、思わず割って入る。
「な、中尾さん、結局未遂だったんだし、許してあげられませんか?」
「手前ェにゃ関係ねえだろ、殴りこみかけられたのはうちなんだ。黙ってろ」
「……中尾」
竜次郎が何か言いかけた時、それまで黙っていた八重崎がささっとリーダー役に近寄り、懐を探り始めた。
「……八重崎さん?」
「バイト代……残虐行為手当てを……まだもらってないから……指示役に連絡する……」
「ええっ、か、完全に失敗してるのに!?」
相変わらず八重崎の言動は度肝を抜いてくる。残虐行為手当てとは一体……。
「どういう神経してんだてめー……」
竜次郎と中尾はすっかり呆れ顔だが、八重崎には何か考えがあるようだ。
「そこのゴリラ二人は……ヤクザに生コン詰めで東京湾に沈められた……。彼だけが……選ばれし勇者……」
「……一人脱出成功したことにして、泳がせるってのか?」
怪訝に聞き返した中尾に、八重崎はサムズアップを返した。
確かにそうすれば、彼はこの場からは無事に帰れる。
だが、果たして指示役やさらにその上の主犯格はどんな風に思うだろうか。
「彼だけ一人帰って、何か酷いことされたりしないでしょうか」
「まあ、直近のことで言えば、成功報酬をもらいたくても連絡がつかなくなる程度だろ」
「そういうことだ。おいお前、今ここから無事に帰りたければ、ちょっと協力しろ」
凶悪な人相の中尾に詰め寄られ、気弱そうな青年は、何もわかっていない表情で、それでも何度も頷いた。
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