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極道とウサギの甘いその後5-9
結局、リーダー役のスマホでかけても、気弱そうな青年のスマホでかけても、指示役に電話が繋がることはなかった。
今回の襲撃の失敗を悟り尻尾切りをされたのか、元々被雇用者側からの連絡には応じないものなのか、真実は定かではない。
この場ではこれ以上、事態が進展したり新しい情報が出てくることはないだろうということで、意識のない二人を中尾に託し、困惑したままの青年を夜の街に解放し、ひとまず解散ということになった。
新たな伝説を作りに行くと言って去ろうとした八重崎を、中尾が引き留めていたのが少し気にかかる。
…が、竜次郎が気にするなと促すので、湊はその場を離れ、迎えに来てくれた車の後部座席に乗り込んだ。
車が走り出してすぐ、湊は気になっていたことを聞いた。
「竜次郎、あの二人はどうなるのかな」
中尾は根っからの外道ではないと思っているが、それでもダークサイドに生きる男だ。
オルカとしての面子もあるだろうし、八重崎が東京湾に沈めるようなことを言っていたのも気になる。
あまり悲惨なことになっていないといいけど、と案じる湊に、竜次郎は軽い調子で答えた。
「あの二人は騙されて参加したってよりか、裏稼業志願者っぽかったから、ヤキ入れくらいはされるだろうが、そもそも失敗してるし、殺されはしないだろ」
闇バイトは、裏社会への入り口として使われている側面もあるらしい。
殺さなければ何をしてもいいというものでもないが、なるほど、あの二人には多少は荒っぽいことをされる覚悟や、された経験がある可能性はある。
湊が心配するようなことでもないのかもしれない。
「んで、気は済んだか?」
ぼんやりと若者たちの行く末に思いを馳せていると、竜次郎が腰を抱き寄せ、覗き込んできた。
揶揄うような言い方に、苦笑を返す。
「あんまりお役に立てなかったのはちょっと残念だったけどね」
「末端の現場での収穫なら、こんなもんだろ。今回の件で中尾が先手が打てたのはお前が体張ったおかげだし、その情報は八重崎のエンタメとやらに付き合ったから得られたんだからな」
湊が八重崎に同行することには反対だったのに、こうしてフォローしてくれる竜次郎はとても優しい。
ちょっと甘やかしすぎだとは思いながら、くすぐったい気持ちで「ありがとう」と笑った。
「いい経験にはなったかな。八重崎さんにも、社会経験をもっと増やした方がいいって勧められたし」
「いや、これを社会経験に数えんのはどうなんだよ」
「闇バイト、ダメ、絶対。的な?」
「あの気の小さそうなガキにはちっとは社会勉強になったかもしれねえけどな」
「彼は…、うん、これを機に闇バイトは怖いものだってわかってくれたらいいよね」
湊自身は、現在の自分の置かれた状況に引け目などはないけれど、かといってこれが正しいとも思っていない。
竜次郎も言っていたが、入るのは容易くても戻るのは難しい世界だ。
どうしてもそうせざるを得ない場合というのもあるだろうが、まだ選択肢のあるうちは、辛くても大変でも踏ん張って、明るい道を歩く方がいいと思う。
「あいつも、お前にかばってもらえて、少しは救われたんじゃねえか」
「……俺?」
「ああいう素人は、困ってる時、助けてくれる奴が近くにいないから闇バイトに手えだしちまうんだろ。小さなことかもしれねえが、四面楚歌のあの状況で、一人でも庇ってくれる奴がいたってのは、今後の人生、あいつにとって救いになると思うぜ。今すぐにそれが実感できるどうかは、わかんねえけどな」
確かに、一人ではないというのは大切なことだ。
彼にとって怖い相手ばかりだったあの空間で、どれほど湊の言葉が響いていたかは不明だけれど、明るい方へ戻っていけるといいと思った。
屋敷に着くと、竜次郎は大浴場で体を洗ってやると言い出した。
湊には何の異論もないが、やけに上機嫌なのを少し不思議に感じる。
「竜次郎、大きいお風呂に入れるのが嬉しいの?」
二人で住んでいる離れの一軒家もリフォームしたばかりで、風呂も二人で入れるように大きくした。
それでも、屋敷にある銭湯のような広い浴槽は特別なのだろうか。
湊は首を傾げたが、問われた竜次郎も同じように不思議そうに聞き返してくる。
「なんでそうなるんだよ」
「なんか、ご機嫌だから……?」
「別にご機嫌なつもりもねえが、今回のことで顔が割れちまったから、お前ももう潜入できねえなって思ったら嬉しくてよ」
「え……、もしかして、最初からそのつもりで?」
八重崎に同行するのを許してくれたのは「どうせ一度きりしかできないし、やらせておくか」ということだったのか。
竜次郎は、中々に策士だ。
「でも、竜次郎の言葉の方が、刺さってるかもね」
丁寧に体を洗ってもらい、今度は湊の方がご機嫌で広い湯船に浸かっていた。
背後の竜次郎が「なんの話だ?」と頭に顎を乗せてくる。
「ほら、さっき中尾さんの拠点で、闇バイトは割に合わないって教えてあげてたでしょ」
「あれか?あんな説教されても、右から左だろどうせ」
「そうかな。ああいうことをきちんと教えてくれる人って、あんまりいないと思うし、俺だったらかっこいいと思っちゃうかも」
「……………………………」
「……竜次郎?」
黙ってしまったので、どうしたのだろうと振り返ったが、返事をしたのは別の場所だった。
「あれ。竜次郎、今日は元気ないのかと思ったら元気になった?」
腰のあたりに硬いものが当たっている。
体を洗ってくれている時も何もされる気配がないので、今夜はそういう気分ではないのかと思っていたのだが。
「今日は疲れてるだろうから労わってやろうと思ったのに、まったくお前って奴は……」
ぶつぶつと文句を言われて、逆に気を遣われていたとは、と驚いた。
そんなことは気にしなくていいと思うけれど、竜次郎の優しさは嬉しい。
湊は気遣いを否定することはせず、「じゃあ、そろそろお風呂でよっか」とそっと耳打ちした。
タオル一枚で湊を抱え、屋敷の廊下をどすどす歩きながら、竜次郎が唸る。
「かっこいいとかは、もっと普段から言っとけ!」
「うーん……、普段は、優しいとか、好きって思うことが多いかな」
「……お前な」
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