76 / 76
極道とウサギの甘いその後5-20
「えっ……、襲撃?」
平穏を取り戻した松平組の事務所にふらりと訪れた八重崎は、いつもの無表情で驚きの情報をもたらした。
「そう……白木組が資金源にしてたトクリュウの拠点はことごとく潰された……はず……」
なんと、先日潜入した闇バイトの拠点のような場所を、中尾率いる『オルカ』が潰して回ったらしい。
「八重崎さんが拠点を教えてあげたんですか?」
「もちろん……お代は弾んでもらった……。八重子ポイントも……」
情報料が法外な額だったことは想像に難くないが、中尾はもう一つの対価としてどんなエピソードを差し出したのだろうか。
そこまでして情報を得ようとするなんて、白木組に対して相当怒っていたのだろう。苦渋の決断だったに違いない。
中尾の胸中を慮っていると、そんな心を読んだかのようにきらりと八重崎の目が光る。
「聞きたい?ムネハルの……エンタメエピソード……」
「いえっ……」
気にならないと言えば嘘になるが、本人も言いたくなかったであろうことを娯楽として消費するのは気が進まない。
ぶんぶんと激しく首を横に振ると、八重崎は無理に聞かせてくることはなく、湊が出した茶を一口飲んだ。
本日の八重崎は、紺のブレザーに短いチェックのプリーツスカート、ローファーにスクールバッグという、完全に女子学生のいで立ちだ。
竜次郎の「お前そんな格好でヤクザの事務所に出入りすんな」という挨拶には、「汚い大人達が……あらぬ疑いをかけられればいいと思って……」と返答しており、どうやら愉快犯のようだった(竜次郎は再び八重崎との対話に絶望した)。
松平組の人達は相変わらず得体のしれない八重崎に謎の畏れを感じているようで、この一角を遠巻きにしている。
ちなみに、ヒロはあちこちに骨折などもありまだ復帰していないが、日守は怪我の翌日から普段通りに金の傍に控え、屋敷の家事なども完璧にこなしていた。
戻ってきた日常を有難く感じると同時に、八重崎に礼を言わなければならないことを思い出す。
「八重崎さん、あのお守り、ありがとうございました」
「捗った……?」
「捗る……?ええと、そうですね。身を守るのにとても役立ちました」
「それはよかった……。量産して……全国の小学校で防犯ブザーと一緒に配る……」
あれを子供に持たせるのは徹底的によろしくないだろう。
威力的にも形状的にも。
とはいえ配布に承諾する学校があるとも思えないので、八重崎の夢は否定せずに置いて、代わりに別の提案をした。
「あのままだと、肌身離さず持っているには少し大きいから、もう少し小型になると携帯しやすいかもって、ちょっと思いました」
「確かに……。湊にとっては、オナホよりディルドの方が……手に馴染む。……そういうこと……?」
「え?いや、これっぽっちもそういう話では」
「ディルド型……検討してみる……」
何か天啓を得てしまったらしく力強く頷く八重崎に、少し離れた場所から「アダルト産業から離れろ」という竜次郎のツッコミが聞こえた。
昼下がりの事務所内に名状しがたい微妙な空気が充満したところで、慌ただしい足音と共にドアが開き、ヤスが飛び込んでくる。
「ご、号外だ!」
「おい何だうるせえな。号外って、新聞屋じゃねえんだぞ」
「いや代貸、今白木組に出入りしてる知り合いの業者から聞いた話なんすけど、柳の野郎が何者かに襲われて、入院したって……」
「え……」
「はあ?」
寝耳に水の情報に、湊と竜次郎は思わず八重崎を見た。
「そ、それも中尾さんが……?」
八重崎は当然と言うべきか、知っていたようで驚いた様子はない。
「恐らく……湊の過保護な保護者の犯行……」
保護者?一瞬竜次郎を思い浮かべたが、襲撃した本人ならば湊と一緒に驚きはしないだろう。
他に思い当たる過保護な保護者と言えば……。
「オーナーが、わざわざ?」
「はあ?神導の野郎が?」
竜次郎はうっかり不味いものを食べてしまったような顔になった。
「柳の奴、よっぽど酷い目に遭ったのか、変なうわごとを口走ってて、怪我も重症だけど精神状態はもっとやばいらしいっすよ。しかもなんか、これが結構噂になってるみたいで」
「そんな……、」
中尾にも迷惑をかけているし、ヒロや日守に酷いことをしたので、自業自得ではある。
しかし、湊に危害を加えないよう気を使っていたのに一切合切無駄だったというのは、少しだけ気の毒かもしれない。
「神導の野郎、何を勝手に……柳をボコボコにしたかったのはうちだぞ?いつもいつも横から獲物をかっさらって行きやがって」
「月華がやらなければ……正義のマスク、タイガー望月が白いマットのジャングルに真っ赤な血の花を咲かせていたかも……」
「……タイガー望月」
八重崎のつけた妙なリングネームに、つい虎のマスクの副店長を思い浮かべてしまった。
本人には絶対に言えないが、小柄で細身の望月が虎のマスクをかぶっているのはちょっと可愛いかもしれない。
「誰だよそいつ」
「うちの副店長だよ。趣味がプロレスで……」
「マットに血の花とかどんなキャストだよ。責任者が軒並みやべえ奴すぎんだろ。お前やっぱり仕事辞めた方が」
「それは……ハラスメントでは…?」
始まってしまったいつもの退職の催促に、口を挟んだのは八重崎だった。
湯呑みをテーブルに置くと、ゆらりと竜次郎を振り返る。
「ああ?」
「妻の行動を制限する執着系モラハラ夫……。あいつは俺の物、どんなことをしても俺から離れられるはずがないと……一方的な気持ちを押し付け……心身ともに拘束して……気付いた時には……妻の気持ちは離れ……」
「お、おい……」
「ダイニングテーブルに残された離婚届……妻は実家(月華の元……)で新たな生活と……新たな恋を始める……」
「ちょっと待てやめろ」
「ごくうさも次回からは新編突入……タイトルは……『極道の旦那様、実家へ帰らせていただきます!』……乞う……ご期待……」
八重崎の言葉は、相変わらず難しいというか、謎に満ちている。
少し離れた場所でやり取りを見守る組員達から、「あー、なんか似たような漫画の広告よく見るような」「そんな広告出るか?」「俺、減量と包茎治療しか出ねえ」という会話が聞こえてきた。
湊には八重崎の思考はさっぱりわからないので、とりあえずお茶のおかわりでも淹れようかと腰を上げると、何故か絶望的な表情の竜次郎が目の前に立ちふさがる。
「竜次郎?」
首を傾げると、がしっと肩を掴まれた。
「お前、まさか実家に」
「帰らないよ!?全部八重崎さんの創作だよ!?」
何故真に受けてしまったのか。
フォローを求めて八重崎を見たが、元凶の女子学生もどきは無感情な瞳で湯呑を傾けるのみ。
カオスな事態に困り果て、帰らなくてもいいが職場に逃げ出したくなってしまった湊だった。
極道とウサギの甘いその後5 おしまい。
ともだちにシェアしよう!

