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第9話 愛ってなあに?
勇気がまだ中学生という肩書の頃に、髪を金色に染めたのは、今にして思えばとても下らない理由からだ。
決して貧しいわけではない、どちらかと言えば少し金銭的にも余裕の有る家庭に育った勇気は、自分のしたいことがわからなかった。
その結果、やりたい事を探すという作業を必要とした頃に、彼女に出会った。
長いストレートの髪を金色に染め、マスクで顔を隠しバイクに跨る、一つ上の先輩だ。勇気は彼女に一目惚れした。彼女のスレンダーな体も、無口なのに男達をまとめ上げているところも憧れた。
勇気には特に抗う理由も戦う相手もいなかったが、彼らのコミュニティに混ざるうち、髪は金色に染まり、流暢に罵声を飛ばせるようになっただけのことだ。
夢のような時間だった。そして夢はあっという間に終わった。
後輩として卒業式に参加した時、彼は彼女を見た。金色だった髪を真っ黒に染めて、長かったスカートを膝丈に戻し、これから社会に出て行く彼女を。
夢は覚めたのだ。
勇気はその時、自分のやりたかった事とは何だったのか、結局わからないままだと気付いた。
髪を黒く戻し、閉じていた教科書を開いて、代わりに過去を閉ざした。元ヤンの事は黒歴史だ。惚れた女を追って何もかも投げ捨てていた、無駄な時間を過ごした記憶だった。
「結局ホテルにインしたりして、やっぱりデートだったんじゃないか」
昼食の席で、要が呆れた顔で言う。相談した勇気のほうは、どんよりとした顔のまま「そんなつもりじゃなかったんです」と小声で続ける。
「本当に、そんなつもりじゃなかったのに、いつの間にかアルコールが入ってて、あんなことに」
「いやでもさ、逆ならわかるよ、酔った女の子に手を出すならさ。いやどっちも犯罪だけど、何で勇気君は記憶を無くすぐらいベロベロなのに、手を出しちゃうわけ?」
「私が聞きたいぐらいです……ほんと、犯罪ですよ……向こうが嫌がってないからよかったものの……いや、よかったのかな……」
はぁー、と大きな溜息を吐き出す。本当に困った問題だ。しかも流れで愛しているとまで言ってしまった。それを聞いた時の、エリスの何とも言えない嬉しそうな顔が忘れられない。今更嘘とも言えないし、100%嘘だとも言えない。
「ねえ、宮﨑さん、愛ってなんだと思います?」
「うえっ、ヤバい質問してきてる」
「いやほんと真剣に。ライクとラブとか……愛とか……」
「なんだろう、……俺も身体の関係しかないからなあ……」
「今の彼女とはどうなんですか? 愛って感じてないんです?」
んー? と要は何かを思い出すように腕を組んで、しばらく天井を見上げた後で、へへぇ、と顔を崩した。
「なんかこう、あの子のことを考えると、……へへぇ……ってなる……」
「えっ、気持ち悪い」
「人に意見を求めておいてそのリアクションは無いんじゃないかな、勇気君」
ニヤニヤとした顔で惚気られて、勇気が軽く引いていると、要も真顔に戻る。むすっとした顔に、ごめんなさいと素直に謝ったが、そんな勇気に要は「じゃあさ」と聞き返した。
「勇気君はどうなの、その彼女のこと考えたら、」
「彼女ではないです、断じて、間違って一線を超えてしまった友人です」
「どっちかっていうと、その方がヤバいと思うけどなあ。ともかく、その子のかわいいところを考えると、何か感じないの」
「何か、ですか……?」
言われて、勇気も「うーん」とエリスの事を思い出す。
とびっきりの美人だ。スレンダーな女と言われてもそう信じてしまうほどの。サラリとしたストレートの金髪は光を受けて輝くようだ。
見た目はモデルのようなのに、勇気の前では子供のように愛らしい姿を見せてくれる。仔犬のように懐いてくれて。それに、事後だったとはいえ、あの艶かしい裸。
「……へへぇ……」
「うわぁ、気持ち悪い……」
「……これって、愛なんですか……? この、へへぇ……って感じ……」
「俺もわかんない……」
ちょっと愛についていっぺんゆっくり話し合おうよ、今週末飲みにいかない? そしたら君が酔ってどうなるか確認もできるし。
要に言われて、勇気もそうですね、と頷いた。酒を呑んでどういう流れでエリスとあんなことに至るのかわかれば、対策もできるかもしれない。
今週末ですね。勇気は予定をスマホのカレンダーに書き込んだ。
「ユウキ、次はいつ会える? 今週末?」
全てローマ字の読みにくいニャインが届いたのは、夜のことだった。今度会ったらいっそ英文で書いてくれと言っておこう、と思いながら、勇気は返信を書き込む。
「ごめん、今週末は、友達と予定があるんだ」
要のことをどう説明するか悩んだ末に、友達と表現した。既読がついて、ずいぶん長い間返信が来なかった。予定でも確認してるんだろうか、と思いながら、風呂やら明日の準備やらを済ませているうちに、ニャインのことは忘れたまま眠った。
翌朝、目を覚まして寝ぼけ眼でスマホを見ると、ニャインに通知が1件入っている。見ると、エリスから「OK」とそれだけ届いていた。
「あれ? じゃあいつとか、食いついてこないんだな……」
少し不思議に思ったが、勇気はあまりに眠かったので、そのままこの世で最も崇高な二度寝の時間を楽しむことにした。
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