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第11話 仔犬

 翌週の週末は、二回目の異業種交流会だった。  前回が好評だったので、また執り行われることになったらしい。さらに多くの人間を招いたその会は、ホテルのレストランを貸し切って盛大に開かれた。その席に、上司に連れられて勇気も来ている。  今日は絶対に飲まない、と心に決めて、会場を見渡すと、探していた男の姿が有った。エリスだ。この交流会が有るから翌週の予定も聞いて来なかったんだな、と思う。あれ以来、ニャインに彼から連絡が入ることが無かったのは、少々不思議には思ったが。  それよりも。勇気はチラチラとエリスの様子を伺いながら、呆れた。確かにあれは、とびきり綺麗な蝋人形だ。無表情で、壁際に立っているだけで誰とも話さないものだから、知らない人間から見ると、お高く纏っているか、あるいは怖い外国人にしか思えないだろう。  それでも、勇気は知っている。エリスが、周りに嫌われていると信じていること、だから自分に自信が無くてああなっているということ。勿体無い。あんなに素直で可愛い奴なのに。  勇気は上司と共にさまざまな人に名刺を配り、挨拶をしながら時折エリスを見た。何度見ても同じような姿で壁際に立っているだけの彼が、段々心配になってくる。  何度目かに見た時、エリスと目が合った。その瞳がなんだか不安げな仔犬のように見えて、勇気は頭を抱えたくなった。上司にお手洗いに行きますと告げて、そそくさ会場の隅を進み、エリスの近くまで行くと手招きをした。  エリスは困惑していたが、勇気について来る。会場を出て、人気の無い廊下の隅まで連れて行くと、誰も見ていないのを確認してから、「エル」と声をかける。エリスはいつもの柔らかい表情で「ユウキ」と応えた。 「良かった、私、心細くて」 「いや、わかるよ、うん、やだよなあんなとこ。でも、頑張らないと」 「がんばる?」 「そう、言ったろ? 皆、エルのことが嫌いなんじゃない、エルにどう接していいかわからないだけだ。エルから声をかけやすいようにしなきゃ、いつまで経ってもエルは独りぼっちだよ」 「でも……本当に、私、嫌がられてるんじゃ、ないの?」  エリスがそれでも不安そうに言うから、勇気は「えーと」と頭を捻って、なんとか理解させようとする。 「そう、えーと、仔犬! 仔犬がいるとする! パピードッグ!」 「パピードッグ」  勇気は英語に詳しくないので、パピーだけで仔犬を意味するとは知らなかった。 「そう、ベリーかわいいパピードッグ! 想像して」 「ベリーかわいい、パピードッグ」 「そう、なんか……すっげーかわいいけど……抱っこしていいのか、撫でていいのかわかんなくない? 触っていいのかなー、嫌がられないかなーって」 「あー……あーはん?」  エリスはわかってるような、わかっていないような微妙な顔で、顎に手を当てて天井を見上げている。そんなエリスに、想像して、と念を押しながら、説明を続ける。 「すっげーかわいいの。もうなんかもう、そう、マグカップぐらいのサイズの、めちゃくちゃ小さくて、もう、持ったら壊れそう!」 「あー、あー……」 「そんな仔犬と、遊ぼうと思う時、なんかもうどうしていいかわからなくない? 触っても壊れちゃいそうだし、抱っこなんかして落としたらどうしようって」 「あー……OK、OK。ユウキ、言いたいこと、わかる」 「ここまではわかってくれた? オケ、で、皆、エルのことも同じように思ってんの」 「……What?」  とてもネイティブな発音の「なんて?」が返ってきた。勇気自身も少し例え話を間違えたかもしれないと思っていたが、今更説明を変えても仕方ない。 「みんな、エルにどう接していいか、どうしようって思ってて、手が出ないの。でもみんな、エルのこと、めちゃくちゃかわいいと思ってる」 「……私、パピードッグ?」 「そう、エルは、マグカップに入るぐらいのパピードッグ」  エリスが眉間にシワを寄せて困惑している。こんなに不可解そうな顔をしている人間を初めて見た。映画とかドラマでしか見ないような顔だ。それでも勇気は後には引けない。ここを乗り越えられなければ、エリスはずっと一人ぼっちのままなのだ。  ーーどうして、エリスが一人ぼっちでなくなることを、望んでいるんだろうか。  勇気はふと疑問に思ったが、それは後回しにして、エリスに畳み掛ける。 「そういう時、パピードッグのほうから触って来てくれたら、懐いてきてくれてるって安心して撫でられるだろ? そういうことなんだよ。エルが、笑顔で話しかけてあげられたら、相手だって絶対に嫌な顔はしないよ。俺が保証する、約束する。だから、ちょっとだけ頑張ってみよ? 今夜だけでもいいから」 「でも……」 「俺もそばについてる。うちの会社では、エルと俺は……友達ってことになってると思うし、紹介できるよ。だから、な?」  最初から一人でやらせるのは酷だろうから、そう提案する。それでもエリスは不安げだったが、うん……と小さく頷いた。じゃあ、と会場へ戻ろうとすると、その袖を引っ張られる。 「エル?」 「……私、頑張る。だから、ゴホウビ、ちょうだい?」 「ご褒美? ああ、いいよ、何が欲しい?」  エリスにとっては気力と体力と、それこそ「勇気」が必要な事だろう。その労力に見合ったご褒美ぐらい、あげてもいいと思って頷いた。エリスは一度俯いて、それからおずおずと。 「後で、言うね」  と、呟いた。  エリスはとても努力したと思う。  勇気がエリスを上司に紹介した時、エリスはぎこちない笑顔で挨拶をして名刺を受け取った。日本語が少しわかると聞くと、上司も少々安心したのか、エリスと話をしてくれた。会話が途切れそうになると勇気が間を繋いで、それで最後の方は皆笑顔で話せていたと思う。  それでもとても疲れたらしい、エリスは上司と分かれて、しばらく壁際に居た。頑張ったな、と褒めると、エリスは勇気に微笑んで、ありがとうと呟いた。 「あのね、ユウキ」 「うん」 「終わったら、私の部屋、来て、くれる? ゴホウビ、ちょうだい?」  小さなお願いはいつものエリスとは違い、少しか細い。そんなに疲れさせてしまったなら、悪い事をしたのかもしれないと勇気は思いながら「わかった」と頷いた。  それから、エリスが何を求めているのかをゆっくり理解して、顔を赤くした。

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