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第18話 要先生の特別授業
勇気にしてみれば二度目の、エリスにしてみれば四度目の夜を共にして、朝を迎え。勇気はエリスに抱きつかれたまま目を覚ました。変な姿勢で寝ていたからか、全身が痛い。
それでも、相変わらず信じられない美人のエリスが、隣で仔犬のように無防備に眠っているものだから、それだけでドキリとしてしまう。勢いに任せて何度もキスマークをつけてしまったものだから、エリスの白い首筋に始まり、あちこちに赤い痕が残っている。
こんな天才の美人が可哀想に、自分が嫌われてると勘違いしてしまったから、孤独過ぎて、こんな何にも取り柄の無い庶民に惚れちまったんだなあ……。
改めてそう思うと、複雑な心境になる。それに応えてしまったのだから、今となっては勇気にも責任が有る。彼を受け入れたからには、幸せにしてやらねばならないと思う。
しかし、エリスにとっての幸せとは何だろう。彼は友達が欲しかったと言っていた。だから、エリスにとってただ一人の友人が、唯一の大切な人という状況は、できれば避けたいように思う。
友達を増やす。彼が、自分は嫌われているという思い込みから抜け出して、色んな人と共に過ごせるようになる。それがいいと思った。その結果、自分がなんということはないただのクソ野郎だと気付いて他の人を愛しても、いいと思った。
けれど、今は。唯一無二の存在だと思われている今は、精一杯、彼に応えようと思う。
その為には、やらなければならないことがある。
勇気は決意して、エリスの髪を撫でた。
「で、また俺なわけだ」
それはとある平日の夜、カラオケルームでの事だ。
12月に入り、クリスマスパーティーや忘年会に向けて、余興の練習でもしているのか、平日にも関わらずカラオケ店に客は大入りで賑わっている。店内の内装もクリスマスを思わせるオーナメントやリースで溢れて、自然と浮かれた気持ちにさせる。
他の部屋の歌声が聞こえてくる賑やかな部屋に、男が二人。仕事帰りの、勇気と要だ。二人ともネクタイは緩めていてもスーツ姿で、ビジネスバッグでカラオケルームに入っている。机の上にはドリンクバーから持ってきたソフトドリンク。
「頼れるのは、宮﨑さんだけなんです」
「ま、そうだろうねぇ」
「じゃあ、ニャインでご相談した件、よろしくお願いします……!」
勇気が頭を下げると、要は「俺にわかることならなんでも教えるよ。勇気君のおかげで、あちらさんもこっちに特別な気持ちが有るってわかったしね」とビジネスバッグを開けて、A4用紙をホチキス留めした冊子を取り出した。
「えっ、相手の人も、要さんのこと好きってことですか! よかった!」
「どさくさに紛れて聞いたから本音かはわかんないけどね。まあそれより見てよ、俺の仕事ぶり。ちゃんとプレゼン資料作ったんだよ? 題して! 男同士で気持ちよくなる方法 基礎編・実践編・応用編!」
「こ、こんなん持ち歩いてたんですか?! 誰かに見られたら大変じゃないですか?!」
「その時は、勇気君に渡されたって言うよ」
「酷い!」
と言いながらも、勇気はその資料を受け取って、まじまじと見つめた。
勇気が要に相談したことは、つまりそういうことである。
エリスは、「気持ちよくなりすぎると、練習の甲斐もなくうるさく喘いでしまいそうだ」と心配していた。しかし、2度のセックスを経ても、彼はそのような喘ぎ声を出しはしなかった。
つまり、気持ちよくないのではないか。勇気はその可能性を大変危惧し、重くみている。
勇気はエリスを酔った勢いで口説いた挙句に犯した男だ。その上、好きな気持ちでしているセックスが全く気持ちよくなくて、演技をさせているなら、申し訳なさすぎる。
せめて、気持ちよくしてやりたい。それこそ、ジーザス言っても構わない。ちゃんと、気持ちよくしてやりたかったのだ。しかし、勇気はこれまで全くのノーマルだったから、男が尻で気持ちよくなれるのかもわからなかったのだった。
「結論から言って、気持ちよくなれるよ。というか、上手くやったら挿れるより、挿れられるほうが気持ちいいんじゃないかな」
要のプレゼン資料に目を通しながら話を聞いて、勇気はゴクリと喉を鳴らした。信じがたい事だ。完全に未知の領域である。
「まあでも、開発は必要だけどね」
「開発」
「そう。気持ちいいことだって体に教えていかないとね。6ページの資料4をご覧ください」
言われて6ページを開く。人体解剖の断面図が印刷されていて、赤丸で前立腺と書かれていた。
「これが、男のナカの気持ちいいところ。前立腺。ここは大体指をこれぐらい挿れたら届くんだよね」
「へえ……奥までいかなくてもいいんですね……」
「そう、ここが気持ちいいところだってね、教えてあげる。そしたら、どんどん気持ちよくなれるんだよ」
「へえ………………」
要の説明を聞きながら、図をマジマジと見たり、要の指の動きを見たりして、勇気は少し興奮してきた。しかしこの場には要と勇気しかいない。どうにもならないし、なりたくもなかった。
「……つまり、これをエルとすれば……あいつも気持ち良くなれる……」
「エルちゃんって言うんだ? かわいい名前だね」
「あっ」
つい口に出してしまったが、後の祭りだ。要はニコニコと微笑んでいて、実に愉快そうだった。
「そういえば、アレだね? 一時期勇気君が騒ぎになってた、マキノ商事の御息女もとい御子息、確か牧野・ハロルド・エリスって言ったっけね? 金髪の、ハーフで、エル、ねぇ……」
「あああ、ああ……か、要さん、なんでそんな、詳しいんですか……」
「あはは、俺は色々調べるのが趣味なんでね〜」
で、当たりなの? 要に聞かれて、勇気は「うう」と呻いてから、がっくりとうなだれて頷いた。
「そっかぁ〜。逆玉の輿ってやつだね」
「そ、そんなつもりじゃなかったんです、俺はただ……」
「わかってる、わかってるって。勇気君は素直で純朴ないい子だよ。恋人のこと気持ち良くしてあげたくて、悩んでるぐらいにはね」
要は本当に悪意の無い微笑みで、勇気を見つめている。だから、本当にそう思っているのだろうし、無闇にバラしたりもしないような気がした。
「……しかし、そんな勇気君に、一つ聞きたいことがあるんだけど」
「な、なんですか、改まって」
勇気が困惑していると、要はソフトドリンクを口にしてから、言った。
「日本人の本能と、外国人の本能は違うんだろうか?」
「急に何の話ですか?!」
「いや、最後まで聞いてほしい。本能は同じなんじゃないか? 痛い時は、あって言うよね、痛いって言う余裕も無いような、急な時には。それは日本人も外国人も変わらないと思うんだ」
「は、はぁ、……そうかもしれないですね……?」
要が何を言いたいのかよくわからず、首を傾げていると、「だとすれば」と要が続ける。
「痛い、や、アウチ、に関しては、後に学習したものと考えられる。つまりだ、咄嗟に出るどうしようもない、音みたいな声以外は、学習して出す声」
「わかります、わかりますよ」
「では、問題のハーフの喘ぎ声は、果たして本当に海外流のものなんだろうか?」
「……えっ」
勇気は目を丸くして、要の言葉に驚いた。
「えっ、だって、うるさいから嫌だって、俺が言ったって……」
「それは、声がデカいからなのか、いわゆるオーイエス喘ぎをしたからなのか、わからないじゃないか。もし、件のハーフがこれまで『海外流の喘ぎ声』をなんらかの情報源から学習していない場合、彼の喘ぎ声はニュートラルだ。赤ちゃんのようなものだね、出しやすい言語の痛いとか気持ちいいとかの単語は繰り出すかもしれないが……」
「もし、英語の喘ぎ声を学習していない場合、そもそも、ジーザスじゃない……?」
「その通り。で、そこでハーフは日本式の喘ぎ声を学習した。すると、気持ち良すぎて我慢できなくなっても、外国人喘ぎはしないんじゃないかな?」
そもそも、君の拙いセックスで、その子はイッてたんだろう? なら、そもそも気持ち良かったんじゃないの?
根底から間違えていたのかもしれない。勇気は愕然した後で、顔を赤らめた。
ならば、確認するしかない。結局結論はそこになった。
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