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第25話 とんだ茶番

「ハニー!」  大きな声で目を輝かせたのは、ザカリー氏だ。デレた相手には仔犬のようになるのは、もしかしたらこの家系の特徴なのかもしれない。先ほどまでの無表情で何を考えているのかわからない、経営者の姿は何処へやら。彼はただの、妻にデレデレのおっさんになってしまった。 「ダーリン! もう! エルを困らせちゃダメでしょっ、めーだよ!」  ママン、と呼ばれたあまりに若々しい女性が、子供を叱るようにザカリー氏に言うと、彼はデレデレとした顔で何かうにゃうにゃ言ってる。それを呆気に取られて見ている勇気の下では、同じく呆気に取られたまま透夜が転がっていた。 「ママン!」  エリスもママンに近寄って、何事か英語で話をし始めた。すっかり英語しかない空間になってしまい、勇気は完全に取り残されてしまった。 「あー、と……」  勇気が困惑していると、「君の会社の買収は止めたと言っておられる」と透夜が呟く。見ると、床で透夜が悔しそうな顔をしていた。 「ほ、ほんとですか? あ、すいません、手を……」  起こしてやろうと手を伸ばしたが、結構です、と透夜は自力で起き上がって、服をはたいている。 「全く、乱暴なのはよして頂きたいものですね。貴方など恐れるに足りませんが、暴力は反対です」 「……でも、ビビってましたよね……」  少しニヤついて尋ねると、透夜は一瞬勇気を見て、「ビビってません」と目を逸らした。 「だけど社長さん、買収を止めるって、随分アッサリ……」 「ザカリー氏は、おば様の……牧野京華の言う事には逆らえないんです。エリス君、この為に帰国していたようですね、おば様に叱りつけてもらう為に……」  なるほど。エリスが一時帰国して用意した「カード」とは、このことだったのだろう。最後の切り札としてママンを呼び出した、というわけだ。どうしてクローゼットに隠れていたのかはわからないが。  親子三人で何事か話し合っている姿を見ながら、透夜は溜息を吐いて「とんだ茶番です」と首を横に振った。 「こんな買収するだのしないだのを繰り返していたら、社内も社外も大混乱、マキノ商事の評判も下がるばかりですし……ああ、頭が痛い……。それもこれも、全部貴方のせいですからね、井之上勇気」 「俺のせいっていうか、ザカリーさんの性格に問題があるだけなんじゃ……」  責任転嫁をされているような気がする。勇気が眉を寄せていると、話題の牧野京華という名のママンが、こちらに振り返り、笑顔で駆け寄ってきた。 「貴方が勇気君ね! はじめまして、私、エルのお母さんです! エルからいっぱいお話を聞いたわ、エルのお友達になってくれてありがとうね!」  そのままハグまでされて、勇気は困ってしまった。 「あ、あの、いや、こちらこそ、あの、」 「貴方の気持ち、受け取ったわ! なんていい子なのかしら。私は貴方を応援するわよ。買収なんてとんでもない。そんな形でお友達作らせて、エルが喜ぶと本気で思ってたのよ、私の困った夫ってば。ごめんなさいね、ちょっと世間知らずなところがあって」 「は、はあ……」 「でももう大丈夫、ちゃんと叱っておいたから。さあさ、今日はお詫びもかねてパーティーをするわ! デリバリーも頼んでおいたの! 皆で親睦を深める為に、飲めや歌えやの大騒ぎをしましょ、そしたら皆、もっと仲良くなれるわ!」 「え、あの、ちょっと」 「私は反対です、おば様、こんな粗暴な人とは、」 「ええっ、透夜君、一緒にご飯食べてくれないの? 久しぶりに会えたのに? ダメなの?」  京華はうるうるとした眼で透夜を見つめている。まるでチワワだ。そんな彼女を見て、透夜は「うっ」と唸った後で、「わ、わかりました……」とうなだれた。  間違いない。エルはこの両親の子だ。勇気は確信した。  そして、エリスのスイートルームでパーティーが行われる事になった。大きなテーブルの上にはたくさんの料理が並べられたが、とても5人で食べきれそうにもなかった。ソファに皆で腰かける。ザカリー氏と京華、勇気とエリス、そして一人ポツンと透夜が座っている。不服そうな顔をしていた。  そして、皆で乾杯をしましょう! と、京華のペースでなし崩しにワインを渡された勇気は、慌てて、私は飲めないので、と水に替えてもらい、パーティーは始まってしまった。 「僕が!! エリス君の!! 最初の友達になりたかったんですよっ!!」  縁もたけなわとはこの事なのだろうか。パーティーが始まって数時間。部屋にはソファでぐーぐー寝始めたザカリー氏と、グラスを持ってキャッキャと笑ってばかりの京華、そしてポカンとした勇気とエリス、その前で、わんわん泣きながらワインを浴びている透夜の姿が有った。 「あ、あの、えーと、透夜さん……?」 「アハハ、アハハハハ、勇気君、エル、透夜君ってばね、エルの事大好きなのに、ずっと言えないでいたのよ、アハハハハハ」  京華は真っ赤な顔で、壊れたオモチャのようにずっと笑っている。酒に比較的強いエリスはポカンとしているし、素面の勇気はもっとポカーンとしている。 「そうっ! 僕が! この世界で! 一番! エリス君が好きなんだよぉ〜、エリス君んんん」  透夜がワイングラスを持ったまま、机に突っ伏して泣き始める。一体何がどうなったら、こんなになるんだ。勇気はドン引きしながら、エリスを見た。エリスも肩を竦めている。 「トウヤ君、イトコ。子供の頃から、何回か、会ってる。でも、あんまり、話したこと、無いよ」 「アハハハハ、だって透夜君、恥ずかしがり屋さんなんだもん、アハハハハ、エルに相応しい男にならないと、話しかけられないって、ンフフフフ、アハハ、アハハハハ」 「そうですっ! エリス君に相応しい友達になれるようにって……っ! 英語も頑張って勉強して! 留学だってしました! 僕は、僕は頭がいいわけじゃなかったから、必死に勉強したのにぃ、なのに……、エリス君の初めてのお友達は、僕だったのにぃ〜!!」  井之上勇気のバカァ、アホぉ……。透夜はグスグス泣きながら、またワインを浴びている。勇気は納得した。  天才でエリートで、美人過ぎる高嶺の花、エリス。彼の側にいようとして、透夜は頑張ったのだろう。その末に通訳や秘書ができるまでになったというのに、初めての友達という名誉ある立場は、何処の馬の骨ともわからない男に、いつの間にか奪われていたのだ。透夜の無念いかばかりか。それは、理解できないこともない。  問題は、だ。 「……友達になるのに大事なのは、側にいるか……声をかけられるかどうか……なのかも……?」 「僕の! 人生が! 全否定されるみたいだから! 止めろっ! 井之上勇気ぃ……」 「お、俺が何か言ってもダメみたいだ……エル、何か言ってあげて……」 「オー……」  エリスは困った顔をしてから、それから、透夜の顔を見ていう。 「トウヤ君、じゃ、オトモダチ、しよ? 私の、二番目の、オトモダチ!」 「二番目じゃやだあ、僕は、特別な、エリス君の友達になりたかったんだあ!」 「大丈夫! 二番目の友達、世界に、トウヤ君しか、いないよ! ほら、特別! ネ?」  それを聞いて、透夜はうっうっ、と涙を拭いた。 「二番目の……特別な……友達……」  そう呟いて、それから、「井之上勇気ぃ!」とまた声を荒げた。 「ななな、なんですかっ、さっきからフルネームで……」 「飲めェ!」 「へあっ?!」  どん、とワイングラスを置かれて、勇気は飛び上がる。飲むのは、まずい。飲むのは。 「男同士、本音で語り明かさないで、貴様を許す事はできないっ! 酒を交わし、腹を割って話そう、そうしたら、エリス君の一番の友達として認めてやる!」 「なんでこの人、ただの従兄弟なのにお父さんみたいなこと言い出してんの?!」 「飲めないなら! 認めない!」 「ええーっ……」  勇気は困った顔をして、エリスを見た。飲めないわけではないが、一体飲んだら自分がどうなってしまうかわからない。最悪、この場でエリスを犯したりなんてしたら……と考える。ヤバイなんてもんじゃない。地獄絵図だ。 「ユウキ、大丈夫」  エリスは頷いた。 「私、ユウキを、守る。だから、がんばろ。トウヤ君と、仲良し、なる」  何を守るんだよ、もう意味わかんねえよなんなんだよこの状況。  勇気は頭を抱えたくなったが、しかし、透夜との関係を良くする最大のチャンスである事は間違いない。勇気は一つ深呼吸して、透夜を見た。 「いいだろう! 受けて立つ! 男同士、飲み明かすぞ!」  勇気はワインをあおった。  気がつくと、エリスと共にベッドにいた。勇気は、まさか! とエリスを見たが、彼は微笑んで、「大丈夫」と囁いた。 「今日、まだ、何もないよ」 「ほ、ホントか? どうなった、俺……」 「トウヤ君と、ダチ、なったよ」 「ダチ? そうなの?」  顔を僅かに上げて見れば、ソファの上でエリスの両親はブランケットをかけられて眠っていたし、透夜は床に横向きで転がっていた。なにやら酷い状況だが、どうやら最悪の大失敗はしていないようだ。  何より、そこまで酔っていない気がする。思い出そうとすれば、なんとか、何があったか思い出せる程度には。確か、透夜とこれまでの人生について振り返り、大事なのはこれから、とか、二人でエリスに友達と遊ぶ楽しい暮らしを教えてあげよう、と意気投合したような覚えもある。友達どころか、恋人になってしまったことについては伏せる事に成功していた筈だ。 「ふふ。私、イッケイヲアンジタ」 「一計を案じた?」 「ワイン、最初の一杯だけ。あと、ぶどうジュース。私、ズルした」  それで勇気は理解する。エリスは、アルコールから勇気を守ってくれたのだ。 「え、エル〜! お前、本当にいい奴だよ……!」 「ふふふ、ふふ、……ねぇ、ユウキ、今日、とっても、疲れたね」 「ああ、本当に。ホントに疲れた」 「ゴホウビ」  ちゅ、とキスをされて勇気は驚く。「ダメだよ、みんないるから」と小声で言うと、エリスが囁いた。 「じゃあ、明日の夜。ゴホウビ」  ね? その蠱惑的な誘いに、勇気が逆らえるはずもなかった。

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