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第1話

「――声、どうしたの」  澄んだ鈍色の瞳が、大きく見開かれ、揺れた。  そういえばと、喉に手を添え、「ナギ」と呼ぼうとしたけれど、甲高い咳が出るばかりだった。繰り返していると、段々と苦しくなってきた。  どうしたんだろう。 「もういいよ!」  ナギが、咳で揺れる背を擦ってくれ、それに合わせてゆっくり吸って吐いてをしている内に、段々と落ち着いてきた。いつの間にか、全身に汗が滲んでいた。衣服が張り付き、気持ちが悪い。冷たい。 「兄さん」  ナギは僕の身体を抱きしめてくれた。暖かく嬉しかったが、ナギが身体を冷やしてはいけない。「大丈夫だから」と口を開閉させながら、押しのけた。寒くないように、毛布を引き寄せナギに被せる。こんな薄いものじゃなくてナギの部屋にはもっと上等なものがあるはずだ。「もう自分の部屋に戻った方がいい。風邪を引くよ」、パクパクしながら部屋のある方を指さす。 「兄さん、嫌だ、兄さん」  ナギは、明日、竜の棲まう天空の城に登る。 「行きたくない、行かない。兄さんをここに置いていけない」  竜はこの国の守り神で、特別な印を持って生まれた人間をお嫁さんとして迎え入れ、子を残す。いよいよ泣き出してしまったナギは、その印をお腹の左の方に持っていた。両親は大層喜んだ。竜と交わることは名誉なことであったし、国からはたくさんのお金が貰える。  印は、繊細な花の形をしていて、ナギによく似合っていた。  毛布の上からならいいか、そっとナギの身体を抱き寄せる。  16歳になると、竜の迎えがある。どういう方法でか、竜には、自分の番が産れたことがわかるらしい。 「さようなら、ナギ。大好きだよ」   出てきたのは言葉ではなく、数回の咳だけだった。  僕も、ここに、ナギを置いていたくないんだよ。 ***  ナギが家を出て行った。  母さんと父さんは、約束通り、たくさんのお金を貰えて嬉しそうだ。特に、母さんは、出かけることが多くなり、ほとんど家にいない。  僕の生活は変わらない。  家事と父さんの相手をしながら、毎日を過ごす。  声は出ないままだ。  別にいい。困ることはない。  部屋の隅で膝を抱え、毛布を被って眠る。ナギの甘い香りが残っているような気がして、いい夢が見れた。  お城からのお迎えは、一見すると小柄な少年と少女だった。金の髪と青い瞳をしており、輝かんばかりの美しさだった。  ナギは彼らに連れられて、家を離れた。ぼうっと空を眺めていると、2頭の竜が空へと帰って行く姿が見えた。  どうか、ナギが幸せになりますように。旦那さんが、とびきり優しくて、かっこよくて、ナギのことをたくさんたくさん愛してくれますように。 「チカ!」  突然の大声に、身体が跳ね上がる。母さんだ。帰ってきたんだ。慌てて立ち上がろうとするも、うまく行かず、床に膝をついてしまった。母さんの腕が伸びてきて、僕の手首を掴んだ。 「早く立ちなさい! 迎えの方が待っているわよ!」  迎え、何の迎えだろう。母さんに引きずられるようにして、外に出る。そこには、あの、ナギを迎えに来た2人組が立っていた。夜だというのに薄く発光しているように見える。母さんの手が離れ、その場に四つん這いになった。 「本当にいいんですか、この子には印はないのに!」  2人は何も答えない。ナギのときもそうだったから、もしかしたら、使っている言葉が違うのかもしれない。  小さな掌が、同時に目の前に差し出された。土のついた手で汚すわけにもいかず、頭を下げながら、よろよろと膝を立てる。  みっともない姿をお見せしてしまった。「申し訳ありません」は出てこず、代わりにもう一度頭を下げる。2人は顔を見合わせ、そしてゆっくり歩き始めた。 「早く行きなさい!」  母さんに腰を叩かれ、前に飛び出す。事態が飲み込めないまま、2人を追った。  彼らは、すっかり家が見えなくなったあたりで立ち止まり、ようやく口を開いた。 「うるさい女だ」「ケンケンとやかましいこと」  僕にもわかる言葉だった。2人は僕の姿を上から下までじっくりと眺め、そして長いため息を吐いた。 「ナギ様と比べるとなんてみすぼらしい」「双子だと聞いてたけど、あまり似てないわね」 「こんなのを背中に乗せるのか」「ナギ様のご希望だから仕方がないわ」 「来い」「来なさい」  2人は言葉を被せ合うようにして話すので、耳が忙しく、なかなか理解が追いつかない。おろおろと立っていると、舌打ちとともに両腕を掴まえられた。  

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