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第10話

 ナギは、ヴィラ様のことが好きなんだと思う。毎日毎日、怒ってはいるけど、段々とその態度も柔らかくなってきている。初めのうちは、本気で苛立っていたようだけど、今は、それも収まり、受け入れつつあるようだ。ごく稀にだけど、微かに微笑む姿も見られる。  わかる。僕も同じだ。  自分のことを好きと言ってくれて、しかも、自分もその相手を好きになっていいだなんて、嬉しすぎる。いけないとわかっていても、つい流されてしまう。  『発情期』を終えたフェス様は、ずっと僕に張り付いている。寝るときも食事のときもずっと傍にいてくれている。その空間は、僕の声が出ないから、ナギ達と比べてとても静かだ。  フェス様は何度もお医者さんに僕のことを診せた。一際大きな翼を持つ高齢の『鳥』だった。喉の周囲や奥まで確認されたけど、声が戻ることはなかった。 「異常なしばっかりだな。異常がなくて、声が出ないわけないだろう」  そうフェス様はお医者さんに詰め寄ったけど、お医者さんの回答は変わらなかった。僕は紙の上で謝罪を述べ、新しい『番』が見つかるよう祈った。そうすると、フェス様は、「そんなこと言うな」と顔を真っ赤にし、震えながら怒るのだ。本当に申し訳なく思っている、けど、少しだけ嬉しい。   「お前のところの嫁――ナギはいいな」 「ちょっと、私の嫁だぞ。勝手に名前呼ばないでくれる」 「ナギが呼べと言ったんだ」 「む」 「あいつは、おもしろいな。少しだけ、お前がうらやましい」  聞いてしまった。  兄弟2人だけで話をしている様子が珍しくて、立ち止まってしまったのが悪かった。そのすぐ後、駆けてきたナギに後ろから抱きしめられた。同時に、ヴィラ様が「私の嫁だからな!」と怒鳴った。  僕とナギは初日の兄弟喧嘩のすさまじさを思い出し、そこから逃げた。  走りながら、考えていた。  今の状況に少し甘えすぎていた。僕はもっと努力をするべきだった。仮にも『番』なのだから、もっと、もっと。 「兄さん?」  声、なんで出ないんだろう。いつから出なくなったんだろう。  立ち止まり、喉を押さえる。相変わらず、咳が出るだけだった。  ***  僕の声が出ないことに気がついたのは、ナギだった。ナギが、この城に招かれる前日だった。変化があったとすればそれくらいで、僕は、これからもあの家の中で、変わりない毎日を過ごすんだろうなあとぼんやり、考えていたくらいだ。 「兄さんがつまらない? そんなこと言われたの? わかった!」 一体何がわかったのか、頷き、勢いよく駆け出そうとするナギの服の裾を思わず掴んだ。 「文句言ってくる! 兄さんも気にしないでいいから! 文句言って、殴って、それから、ここから出て行こう!」  落ち着いてほしい。必死で何度も首を横に振る。  ナギは顔をしかめた。  フェス様は何も悪くない。  声が出なくて困ることなんてないだろうと思っていた。事実、僕は困っていない。けど、フェス様には迷惑をかけてしまったいる。  まともに会話も楽しめない嫁。  おもしろくない嫁。 『弟の嫁、俺の嫁の通訳を頼む』  手がかかる嫁。  僕が、番でなければ。 「兄さん」  ナギの顔がすぐ目の前にあった。暖かい掌が両頬を包んでくれている。「大丈夫?」と問われて、自分が泣いていることに初めて気がついた。  首を傾げる。  ひっく、とこみ上げてきた嗚咽に驚き、口をふさぐ。口をふさいだら、ますます、涙が溢れてきた。  なんで、僕は泣いているんだろう。悲しいことなんて何もないのに。ただ、申し訳なくて、申し訳なくて。フェス様が、かわいそうで。 「あいつとの『番』が嫌なら、なんとしてでも、『番』が解消できる方法を探してみせるよ。兄さん、けど、違うんでしょう。僕も、同じだから、わかるよ」  広い廊下の真ん中にしゃがみこみ、僕とナギはお互いを抱きしめあった。 「チカ!」「ナギ!」  突然の大声に、ハッと我に返る。ナギの後ろから、長身の兄弟が大股で駆けてきていた。

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