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第3話 四神と麒麟
バイクが止まったのは小さな神社の前。両親が俺を授かったという子宝祈願で有名な神社だ。
「ほ、ほんとに来たっ! やった!」
ヘルメットを被った男が、俺達の方に駆け寄ってくる。
「助かった。確かに返したぞ」
もしかして、この男から半分腕力でもぎ取ったのか? 盗んだバイクで走り出す十五の夜ならぬ十六の夜、だったわけか。
「誰か来たか」
「来たってもんじゃないよ! 何かアラビア風の男が来てピカッと光って消えたんだって!」
それはもしかして、石油王の息子ではないのか? 確かあの男も俺を妻にとか言っていたような気がする。その後色々有り過ぎてその時のインパクトは色褪せてしまっているが。
「そうか。ならいい」
「っていうか、あんた嫁迎えに行くって言ってたけどその子? え? 男なの?」
バイクを盗まれた男の問いを無視して黒威は俺の手を掴むと、ずんずんと境内に入っていく。そして本殿の前に立つと手を合わせた。
「四神玄武の名の下に、国への門を開かん。我が道を示せ」
黒威の言葉が終わると同時に周囲が目が眩むほどの光を放ち始め、そして俺と黒威を包むように集まってきた。あまりの眩しさに目を開けていられず瞼を閉じる。
と、ぐらりと身体が傾き、まるで底が抜けて何処までも落ちていくような感覚に襲われた。
しかし黒威の手だろう、俺の肩を掴みぐいと抱き寄せられる。力強い腕の安心感たるや大変なもので、恐怖は和らぎ何とか堪えられた。
「着いたぞ」
その言葉に恐る恐る目を開くと、そこは黒光りした石で出来ている――すぐそばの祭壇のようなものに灯された火と壁に掛かった松明の灯りを頼りに見た限りでは――建物の中だった。
暗闇に目が慣れてきて周囲を見渡すと、天井は見上げるほどに高く、広い空間が広がっていた。祭壇らしきものと柱くらいしかない、森閑とした場所だった。しかし、室内ではあるが凍えるほどに寒く、身体が縮こまる。
「さ、寒っ……!」
体感したこともない寒さにがたがたと震えていると、黒威は祭壇の側に控えていた黒いローブに身を包んだ若い女性から毛皮のローブを受け取り、俺に手渡す。
黒威は女性が身に付けているのと似た、さして厚くなさそうな黒のローブを羽織った。
「言っていなかったが、我が国は一年を通してほぼ冬だ。今は特に寒さの厳しい時期で、多くの者は余程のことがなければ外出しない」
女性と黒威が松明を手に取り歩き出す。俺は慌ててその後ろをついていった。行手に大きな扉が見える。女性は歩み出て扉に手を添え、ぶつぶつと呪文のような言葉を唱え始めた。
すると扉はゆっくりと音を立てて開き、同時に猛烈な吹雪が振り込んで後退りする。そしてふと見た開いた扉の石の厚みに面食らった。
人力だと成人男性五、六人が押してようやく動くかといった重厚な扉だったからだ。女性はこの建物――恐らく神殿――を守護する特別な人間なのだろう。
「お気をつけて、我が王。そして未来の御妃様」
「ああ」
黒威は松明をかざしながら暗闇の中をほぼ雪に埋まった神殿から続く階段を降り始める。階下に馬屋らしき石造りの小屋と松明の火が見える。暗くてあまり見えない上、これほどの大雪を経験したことがないため、足元を取られないように慎重に一段ずつ降りていった。
「な、に、これ……」
黒威に続いて馬屋の中に入って、目に飛び込んできたそれに本能で身を硬くする。何せ見たこともない巨大な灰色の狼が一頭、伏せの状態でこちらに鋭い眼光を向けていたのだから。立ち上がれば黒威の背をゆうに越えるだろう。
「王狼だ。雪深い道もこのものの力があれば心配ない」
いや、心配なのは頭からがぶりとやられないかの方なのだが。王狼というらしい巨大狼には首輪と手綱、背には鞍らしきものがついていた。
「……まさか、これに乗るって言うんじゃ……」
「そうだ。荷物を寄越せ」
珍しいのかそれとも晩御飯だと思っているのか、俺を目で追ってくる王狼を刺激しないように最小限の動きで背負っているギターケースを黒威に手渡す。
「お、わっ……!」
と、黒威は俺の腿の辺りを掴んでひょいと持ち上げ、鞍の上に座らせた。一応これでも六十キロ強はあるのだが。まるで綿毛のように容易く抱えられてしまい、絶対に力では抗えないなと痛感する。
そして松明の火を側にあった球形のランプに灯すと、急に辺りが明るくなった。よく見るとランプのガラスの表面に細かいカットが入っている。それが光を増幅しているのかもしれない。
黒威はそれを王狼の首輪に取り付け、松明の火を雪に突き刺して消した。そしてギターケースを背負い、慣れた様子で王狼の鞍に手を掛けて、俺の後方に跨がる。
手綱を取ると、王狼がゆっくりと立ち上がった。どうにか俺は黒威の腕の間に挟まれているので、落下の心配は無さそうだ。
王狼が前進し小屋の外に出ると、冷たい風が正面から吹き付け、思わずぶるっと身震いした。暗闇とどこまで続いているかわからない深い雪。地獄の風景ではないが、どう考えても天国ではない。
「ちっ……面倒だ」
背後から聴こえた舌打ちと明らかに苛立った様子にびくっと肩を震わせる。が、黒威がローブを広げ俺の身体を引き寄せ、黒威のローブの中に包み込んだので、驚いて固まってしまった。
背中にぴったりとくっついている。妃だの娶るだの言われた相手なだけに、意識してしまい身を小さくする。
「行け、灰」
灰というのは名前だろうか。黒威の声に合わせて王狼が道らしい道も無い雪原を走り出す。想像以上の速さに、黒威の暴走バイクを想起させた。人の足なら歩くのすら容易ではないだろうが、王狼には草原と変わらない歩みなのだろう。
「半刻ほどで城に着く。それまでにお前の問いに答えるが……『麒麟』について、だったか」
「あ、ああ。他にも分かんねえことが色々」
これほど傍で声が聞こえることなど無いから、耳元で囁かれたようで変な気分になる。
「まずこの世界についてだ。東西南北に海に浮かぶ四つの島と中央に一つ島がある。それぞれの島が国になっていて、東に『青龍』、西に『白虎』、北に『玄武』、南に『朱雀』の四人の王、四神が存在する」
「ってことは……北の王の黒威は玄武?」
「そうだ。ついでに言うと、俺より先にお前に接触した赤髪の男は南の王、赤麗 。朱雀だ」
「……石油王の息子じゃ無かったか……」
あの男についていったとしても、結局同じ運命だったというわけか。一瞬ときめいたことを思い出して、深い溜め息を吐く。
「他に西の『白虎』白月 、東の『青龍』青羅 がいる」
日本史の授業で、古墳の四方の壁にそれらの伝説上の生き物が描かれていると習った気がする。それぞれ東西南北の方角を司っている、とか。俺の育った世界と繋がっているのだから、何かしら関係があるかもしれない。
「中央は『麒麟』を手に入れ妃とした、四神のいずれかが帝と成った時統治することができる国だ。帝不在の今は四神の合議によって政を行っている。帝が即位した後は全ての国は帝が統治者となり、他の四神は臣下となる」
「じゃあ……俺が『麒麟』で俺を娶るってことは、黒威が帝になるってことか?」
少し間を空けて「ああ」と一言返す。性格的に自信満々に当然だと言いそうなものだが。
しかし何となく男でも妃にできる意味が解った気がする。『麒麟』という役割を担った者を形式上妃とすることで帝として認められるのだろう。皇帝の冠や宝剣のようなものなのだ。
「『麒麟』は先代の『麒麟』が逝去すると生を受ける。金色の御魂を持ち、不老長寿などの力を持つ。伴侶となった四神には不老不死の力を授けるとされる。四神は『麒麟』の誕生と共に帝の子やその血縁から選ばれ、それぞれが司る方位の国の王となる」
「四神は帝が選ぶのか?」
「いや、帝は『麒麟』の逝去と共に命を失う。身体に何れかの印が刻まれた者が新たな四神となり……王の座につく」
『麒麟』が死ねば、帝が死ぬ。そして新しい『麒麟』の誕生と共に帝候補の四神が選ばれる――。
父さんが話した、俺を授けた女性が語った話を思い出す。『麒麟』は戦の要因となった。そして人として扱われず惨い生涯を終えた。それはおよそ俺が想像することとあまり差は無かったはずだ。
『麒麟』を獲得するために四神が、国同士が殺し合った。帝が即位した後も平和だったとは思えない。帝に恨みを持つ者は居ただろうし――『麒麟』を得られなかった四神は特に――、帝の政治に不満を持つ者は新たな帝を求めただろう。不老不死となった帝を殺すことはできない。そうなれば、命を狙われるのは、『麒麟』だ。
しかし帝も黙って『麒麟』を殺させやしないだろう。何がなんでも守り通そうとする。それがどういう方法かは分からないが、「人として扱われず惨い生涯を終えた」のは、これらの醜い争いが生んだ悲劇に違いない。
「『麒麟』は……この世界に居ない方が平和なんじゃないの」
黒威は黙ったままだ。俺は冷たくなっている手を擦りながら、暗闇の向こうに微かに灯りが点っているのを見つける。
「今は四神がそれぞれの国を統治して、中央の国は一緒に政治をやってるんだろ? だったら帝も『麒麟』も居ない方が、不老不死もなくてさ、命も平等でいいんじゃねえかな」
俺を生んだ人が、永久に門を閉ざしていたら。少なくとも俺が死ぬまでは『麒麟』を巡る争いは起こらなかった。そうしなかったのは、どうしてだろうか。
「……黒威は、俺を手に入れるために戦争をしたのか?」
黒威と赤麗以外の四神が、もしいずれかによって殺されたのだとしたら、と想像して背後の男に恐怖を覚える。この剛力の持ち主なら、もしかしたら――
「いや。話し合いで平和的に早い者勝ちという流れに落ち着いた」
「おい、人を年始初売り大特価福袋みたいな扱いすんのやめろ」
そうあっけらかんと言ってのけたので、恐らく嘘ではないだろう。ついツッコミを入れてしまったが、俺が異世界に生まれたことで平和的に解決できたのならば、俺を救うために死んだ母であった人も報われる。
このまま俺が黒威の妃となり、黒威が帝となれば、とりあえず一件落着だ。その後新たな火種が生まれないようにしていくしかない。
「見ろ。あの黒壁の建物が、城だ」
丘の上に大きな崖を背にして白雪を被った西洋風の黒い城が建っている。神殿と同じ黒い石で出来ているのだろうか。その手前には尖った屋根が特徴的な灰色の建物とちらほらと明かりが見える。きっと城下町だろう。
城と言うからには大勢の召使いがいて、月に一度紳士淑女を招待して舞踏会が開かれたりするんだろうか。少なくとも絢爛豪華な調度品や設えが俺を待っているはずだ。
石油王とは結婚できなかったが、白馬の王子ならぬ灰狼の王と結婚できるのだ。結果的に豪勢な暮らしが約束されたので同じことだろ、と風雪に曝され震えながら、遠くに見える我が家となる城を見て期待に胸を躍らせた。
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