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第10話 平穏な時
それから二日、黒威は食事を取る時以外塗り薬の効果で眠っていた。俺は治療の手伝いや食事のために採集に同行したりした。
東の国では森で木の実を採ったり、山を切り開いて畑を耕し作物を作ったり、川で魚を釣ったりして生活をしていた。気候が良いので食料には事欠かないらしい。中でも土の中に出来る米と言っていい粒状の穀物が絶品で、どんなおかずにも合った。
他には、神殿内の探索だ。黒威の寝かされている部屋の隣にあった大きな木の器に鞣し革を張った太鼓のような楽器は、祭事に使われる打樽と呼ばれるもので、木の棒で叩いて音を出すものらしい。大小様々な大きさがあって、それぞれ音が異なる。それを六から八個並べて叩き、リズムを刻みながら歌うのだとか。まるでドラムセットのようだ。
青羅も打樽を演奏できるらしい。その腕前を披露してもらえる日が、来るといいと思う。
そして三日目の朝、ようやく傷口が塞がったため塗り薬の種類が変わり、痛みに耐えずとも良くなった。先の塗り薬の痛みは傷口を抉られている感覚らしく、想像するだけでぞっとする。
と、黒威がベッドから身体を起こして運ばれてきた朝食を取っているところに、突然の訪問者が現れた。
「黄太様……!」
褐色の肌にたおやかな長い黒髪の女性が俺の顔を見て嬉しそうに走り寄ってくる。
「珪貝! 一体どうしてここに?」
「赤麗様の元を離れ、家族を連れて東の国まで逃れてきたのです。水海様のお力添えがありここまで来られました」
微笑む珪貝の後ろには家族だろう褐色の肌の中年の男女と少年がいて、目が合うと頭を下げた。そして、その隣に立っていた色白の男を認めると、頭が真っ白になった。
「スイ……なのか……?」
「ええスイです、水海です麒麟の君。どうなさいました? まるで幽霊でも見るような顔をしておられますが」
「するに決まってんだろ! お前虎に殺されたじゃねえか……!」
水海はあの時確かに、一緒に北の国を出た時、白い虎によって目の前で身体をへし折られたはずだ。あの状態ではどう考えても助かるはずがない。
「虎、だと……?」
黒威は食事の手を止め、俺を真剣な表情で見る。
「やっぱり白月の仕業って訳かい。誰にも知られねえで城に侵入するたあ早々できるこっちゃねえ……ですから」
水海は張り付いたような笑顔を俺に向けて言葉尻だけ丁寧語に直した。が、どう考えても無理矢理で、逆に可笑しくなってしまっている。
「どういうことだよ? 説明してくれ」
「あっ、わたくしは珪貝さんとご家族を連れて青羅様に目通り願います故、詳しくは黒威様からお聞きくださいまし」
そう言って珪貝一家とそそくさと部屋を出て行った。かと思うと、引き返してきて背中に背負っていた黒いケースを俺に手渡す。北の城に置いてきてしまった、俺のアコースティックギターだ。
「忘れ物、確かにお渡ししました。というわけで、黒威様ご説明宜しくお願いしますね!」
礼を言う前に水海はさっさと部屋を出て行った。黒威に面倒を押し付けたような印象を受ける――というか正しく押し付けたのだろう。
「白月は白虎、西の王だ。金属を操る能力がある」
「あと、白虎に変身もできる……?」
「ああ。俺達王は各々が冠している四神の姿になることが可能だ」
あの夜雪原で襲いかかってきた白い虎は、白月だったのだ。彼の人の姿こそ、見てはいないが会っていたということになる。
白月に連れられて南の赤麗に引き渡されたのだとしたら、北の国から西の国を通り越して突然南の国に居たというのも頷ける。
「奴は金属を人の姿や動物、無機物にも変化することができる。恐らく自らを金属化して積み荷か何かに紛れ込み、城に侵入したのだろう。そして持ち込んだ金属を使って水海の姿を真似た人形を作り、お前に近付いた」
いつから水海と入れ替わったのだろうか。あの夜、寝室から廊下に出て偶然水海と出会したが、あの時には既に白月の傀儡であったことになる。
「けど俺、水海の人形と普通に会話したぜ? 金属の人形が、真似た奴の声も出せるのか?」
声にも全く違和感がなかったが、その辺りも上手く化けられるのだろうか。城から脱出する時寒さをものともせず、雪に足を取られることもなく、それを不思議に思ったことは覚えているが、それくらいしか気になる点は無かった。
「分からん。しかしあいつは自らの能力を常に極めようとしていた。もしかすると、声帯さえ複製することが可能なのかもしれない」
そうなると、完全に本人と区別がつかない。いつでも敵地に侵入して急襲することができるということだ。今訪問した水海、珪貝やその家族が傀儡だったなら、俺は確実に連れ去られていた。傷が癒えていない黒威も無事では済まなかっただろう。
「心配するな。赤麗にはしばらく動けない程度の怪我を負わせた。白月は兄を置いて一人で攻めてきたりはしない」
俺の表情から察したのか、黒威は俺の目を真っ直ぐに見てそう言った。そして同時に俺の内から激しい感情が湧き上がった。
「兄って……そんなの可笑しいじゃねえか!」
急に声を荒げた意味が分からないのか、黒威は眼を丸くして俺を見る。
「黒威も青羅も、皆兄弟だろ! 何で兄弟同士で争わないといけないんだ!」
ずっと変だと思っていた。母親は違うかもしれないが、皆血の繋がった兄弟だ。どうしてこれほどいがみ合っているのだろう。俺には兄弟が居ないから分からないのかもしれないが、それでも家族は仲良くあるべきだ。そうできないのは、きっと――。
「……そうか。全部、俺が悪いのか」
麒麟が居るから争いが起こる――。初めて黒威からこの世界の話を聞いた時からずっと頭を離れなかった。
兄弟で争い、憎み合い、時には殺し合う。麒麟が居なければ、権力争いも起こることはなく、四つの国も平和だったはずだ。それが、麒麟という存在のせいで失われている。麒麟を手に入れ帝になれば、不老不死と全ての国の統治権が得られるからだ。
「俺が来るまでの十六年、この世界は平和だったんだろ? あんたらだって兄弟で争わなくて済んだんじゃ――」
と、黒威の手が俺の腕を掴み引っ張られる。突然で受け身も取れず、体勢を崩してそのまま黒威の上に倒れ込んでしまった。慌てて起き上がろうとする俺を、黒威がぐいと引き寄せ強く抱き締める。
「お前を連れてきたのは俺だ。黄太は何も悪くない」
頭の後ろを抱えるように添えられた手と、包み込む大きな身体に言い様のない安心感を覚えた。俺は抵抗もせずに、黒威の肩口に額をくっ付ける。
「それに……俺はその平和を享受していなかった。俺は、生まれる前に母親を殺されている」
「え……」
そうだ。俺は黒威が今までどう生きてきたのか、何も知らないのだ。
――黒威のことを、もっと知りたい。
「……それ、さ。話すの嫌じゃなかったら、聞かせてくれよ」
黒威の顔を覗き込む。濃紺の瞳が僅かに揺らぎ、瞼を閉じた。
「……ほとんど水海から聞いた話だが」
再び開いた瞳は、決意とその奥に悲しみを湛えていた。
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