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第11話 黒威の過去
「水海が母に会ったのは十歳の、盗賊団の首領だった時だ。身寄りのない子供達が寄り集まって盗賊行為をして生計を立てていたが、ある日兵士に追われていた美しい身重の女を助けた。勿論良心ではなく、報酬を期待したからだが」
水海が盗賊だったというのは、今では想像ができないが、もしかしたら先程口調が可笑しくなっていたのは、元々荒っぽい性格だからなのだろうか。
「女は水海に助けを求めた。腹の子の命を、守って欲しいと」
噛み締めるように言葉を紡ぐ。それは今確かに、玄武でも王でもない、ただ一人の人間としての、思慕を含んだ言葉だった。一度も会ったことのない、しかし自分を最期に愛した母への。
「俺の母は、聖娼だった」
「聖娼……?」
「儀式のために性交渉を行う巫女のことだ。南の国の巫女は皆そうだ」
この世界や国の慣習については分からないが、つまり俺の母であった人と同じように神殿や向こうの世界との門を守る巫女ということだろうか。
「朱雀となった王の即位の儀式の際に執り行われる、四神と神とを結合させる担い手、というのが本来の仕事だ。しかし、いつからか一部の貴族が寄進や神殿の修繕を行うことによって、神の加護を得るためとして聖娼を用いるようになり、今でもそうした行為は南の国では行われている」
黒威の口ぶりからして、あまり快くは思っていないのだろう。俺は儀式的なものは否定も肯定もしないが、貴族の行っていることは善行に見せ掛けた買春に過ぎない。代償を巫女が払わされるというのは全く理解できなかった。
「母は貧しい村の生まれだったが清らかな精神を持った美しい人で、十四の時に聖娼となった。彼女を欲してこぞって貴族が寄進したために、南の国の神殿は城のような有り様だ」
「……ははは……男って馬鹿な生き物だな……」
その時の状態が想像できるだけに、呆れて乾いた笑いが溢れた。
「母が十六の時、噂を耳にしたのだろう帝が神殿にやってきた。先帝は何人もの側室を抱え、各国の美しい女を欲しいままにした、歴代随一の漁色家だ。黄金を幾つも積んで、一月もの間神の加護を独占したらしい」
「……その間の政治は……?」
「さあな。噂では先帝は大臣に任せて殆ど王宮にはいなかったらしいが」
呆れ果ててもう言葉も出ない。英雄色を好むという言葉があるらしいが、この場合は頭より下半身でものを考えるただの色狂いだ。麒麟を宮殿に閉じ込めていたというが、そうしなければいつ暗殺されても可笑しくなかったろう。帝を殺したい奴はそこらじゅうにいたはずだ。
「母が身籠っていることに気付いたのは、帝が去って二月後のことだ。巫女は身籠ると堕胎するのが慣例だったが、帝の子ならば勝手をするわけにもいかず、伺いを立てる必要があった。母はすぐにその旨を手紙に認め、中央に送ったが返事が返ってくることが無いままが四ヶ月が過ぎた」
王宮を空けていて目を通さなかったのか、それとも怠惰で見ることすらしなかったのか。どちらにせよ、その過失は大きな問題を生んだだろう。
「母は聖娼を辞め、子供を産み育てることを決意した。しかし、それを朱雀の王に伝えて数日後、神殿に兵士が押し掛けてきたのだ。母は命からがら逃げ出して、そして水海に助けられた」
身重の身体でよく無事だったと思う。女性が一人で複数の男に追い掛けられて、逃げることができたのは奇跡的だ。
「朱雀の王は、腹の子供の命を狙ったのか?」
「正確には朱雀の王ではなく、帝の子供の縁者だろう。次の四神は直系から選ばれるからな。可能性のある命は早めに摘んでおいた方が得だ」
「……そういう考え方は、好きじゃない」
淡々と話す黒威に違和感を覚えた。自分の命が奪われていたかもしれないのに、何の感情も湧かないかのようで、つい口を挟んでしまった。
黒威は他人の命についてもそうだが、自分の命については特に無頓着だ。赤麗と対峙した時も迷わず俺を青羅に預けて残った。生き残る自信があったのかもしれないが、結果的に白月に重傷を負わされてしまった。死んでいたかもしれないのに、勇敢と言えば聞こえはいいが、そもそも死を恐れていないのは生きている人間として欠陥とも言える。
「俺も快くは思ってない。だが、この世界では今までそういう血生臭いことが平気で行われてきた。それを許容してきた歴史だった」
「黒威は、変えたいと思ってるのか?」
「……叶うことなら」
その望みが叶うには、四神のうちの誰が帝になるかが、大きく関わっている。
「話の腰を折ってしまったけど、黒威の母さんはそれからどうしたんだ?」
「腹の子を池の蓮に移して、その蓮が開花するまで水海に託した」
「……は、蓮……?」
急に話がファンタジーな方向に走って、頭の上にはてなが幾つも浮かぶ。
「黄太を巫女が母親の腹に移した方法と同じだ。巫女は母体から蓮や他の女の腹に移すことができる。それも仕事の一つだ」
他の女性に移す、というのは何となく理解できるが、蓮に移すというのは余りイメージできない。恐らく俺が思い浮かべる蓮とは大きさも異なっているのだろう。
「男性同士の場合は陰の役割を担った方に子が宿るが、女性のように子宮がないから蓮に子を移す方法しかない。女性同士も陰の役の方に子が宿るが――」
「いやいや、待て。同性同士で子が宿るってどういうことだよっ!」
話の展開についていけず、思わず突っ込みを入れて黒威の話を遮ってしまった。
「黄太の世界では子が出来ないのか? こちらの世界では男同士の場合異性の性交と同じで、陰、つまり女役の体内に、精を放つことで――」
「具体的な話はいい……! 大丈夫! それよりも話の続き!」
自分で振っておいて何だが、全くの照れもなく真顔で子作りの仕方を語られるのは、こっちの精神的ダメージが大き過ぎる。しかし、この世界の神秘を一つ知ることとなった。
「母はその儀式の後、水海を逃がすために兵士に捕まり、その場で斬殺された。母が死んで、子供も死んだと思ったらしく、それ以上のことはなかったそうだ」
水海は、子供ながらにその時どう思ったのだろう。俺が同じ立場だったら平静ではいられないが、そもそも治安の良い土地では無いから、人の生き死には身近にあったのかもしれない。盗賊団の首領として孤児達を纏めていたぐらいだ。辛いからといって、現実から目を逸らしたりはしなかったはずだ。
「水海は数ヵ月後誕生した俺を育ててくれた。盗賊団の仲間達も、代わる代わる世話を焼いてくれた」
「へえ、じゃあ盗賊団の一員として働いてたのか?」
「ああ、俺達の獲物は中央の貴族だ。娼館にやってくるのを狙って金品を強奪した」
義賊というものだろうか。中央の貴族がどうやって財を成しているのか分からないが、税金や不正な経路の金で遊び回っているなら、親も家もなく生きている子供達に盗られても仕方ない。
「水海は盗みの仕方や逃走の仕方を教えながら、俺に本を読ませた。今思えば将来を見越して、教養を付けさせようとしたのだろう」
「黒威にとって水海は、父親や兄貴みたいな存在なんだな」
「……まあ、そうだな」
少し照れ臭そうに答える黒威の表情は、王の肩書きを感じさせない、素の顔に見えた。
「九歳の時、身体にこの紋様が浮かび上がった」
黒威の左肩の包帯の隙間から黒色の玄武の紋様が覗いている。同じように俺の背中にも麒麟の紋様が刻まれていることを青羅に教えられて知った。
「水海はそれでも俺の両親について語らなかった。十歳の時北の国の者が、俺達の村にやってくるまでは」
その時の出来事に思いを馳せるように目を細める。十年もの間共に暮らした仲間達のことを思い浮かべているのだろう。
「俺の出生の秘密をその時知った。北の国の王にならなければならないこと、俺の担う役割のこと。だが、王や帝、麒麟なんてものは俺にはどうだっていいことだ。ただ、南の国で仲間と共にこのまま生きたいだけだった」
麒麟としての運命をすんなり受け入れた俺は変わっているのだろうか。両親の後押しもあったし、自分の見た目の不自然さにようやく納得のいく説明を得られたというのもある。今更ながら、随分と大胆な決断をしたものだと思う。省みる暇などなかったからだろうが。
「そこで水海が従者として同行を申し出た。それまで俺の知らなかった、北の貴族の落とし子であるという事実を話してな」
「落とし子って……」
「水海の肌は俺や南の者のように褐色ではなく白い。異国の親を持っているのは分かっていたし、娼館生まれの子供も仲間に多く居たが、貴族の子だったとは思わなかった」
もしかして、娼館に来る貴族を狙って盗みを働いていたのは、彼にとって復讐の意味があったのかもしれない。もしくは自分のような人間を生まないための一つの方法だったのか。それは本人にしか分からないことだ。
「水海はその不都合な事実を黙秘する代わりに、俺の従者になることを認められた。そして、俺と水海は仲間に後を任せて、北の国に渡った」
「……そっか。でも、良かった。水海が黒威の側に居てくれて」
十歳の少年が、一人で、見知らぬ土地に連れていかれて、政治を任されるなんて、考えるだけで恐ろしい。訳の分からないまま、大人達の傀儡のように言われるがままになっていたかもしれないからだ。水海はその時にはもう大人だったろうし、黒威の教育もしていたようだから、きっと自分の生活を良くしようとする貴族達を遠ざけてくれたことだろう。
「二人で北の国を良くしようって頑張ったんだろ。珪貝に聞いたんだ。黒威の政策のお陰で、北の国は豊かな国になったって」
「腐敗した貴族政治を終わらせて、郷村制に変えただけだ。俺が国の全てを管理するのは難しいから、各村の代表に会議に出てもらう方がやりやすかったんでな」
褒められるのに慣れていないのか、本当に自分のやった功績に気づいていないのかは謎だが、黒威の政策が無ければ、あの南の国の大宮殿を建築することはできなかったはずだ。それだけでも、十分国を潤すのに役立っただろう。
彼一人の力ではないけれど、貴族達の悪習を正し実行に移すのは、味方が水海しかいない状況では、容易ではなかったはずだ。そうでなければ、他国の民が手放しで称賛したりはしまい。
「……あんたの城を見た時、ぶっちゃけ貧乏くじ引いたなって思ったんだけど……俺は最初から当たりを引いてたんだな」
黒威は目を丸くした後、ふっと息を吐くように笑った。そして俺の顔に手を伸ばす。
「俺はお前を見た時から、当たりを引いたと思ったぞ」
心臓が早鐘を打つように高鳴るのを感じる。柔らかな笑み、俺を見つめる瞳、頬に感じる掌の温もり。黒威の顔がゆっくりと近付いてくるのに、俺はただ見つめ返し、そのまま動こうとはしなかった。
「青羅様、何で中にお入りにならないのです?」
水海の怪訝そうな声にはっとして部屋の出入り口を見ると、大きな背中が水海の視線を遮っている。俺は黒威のベッドの上に居ること、今何をしようとしていたのかに気付いて、慌ててベッドから飛び降りた。
「……何か用か」
仏頂面で不機嫌さを隠さずに黒威が言う。
「ははーん、怪我人のくせに何かやらしいことしようとしていらっしゃったのですねぇ。それは失礼――」
「し、してねえよッ……!」
俺は声を張り上げてしまう。これでは認めたも同然だ。顔が沸騰したように熱くなって俯く。
「珪貝のことで、黄太殿に話があって呼びに来たのだ」
「分かった、行く!」
青羅や水海について部屋を出る。が、部屋に一人残される黒威を振り返った。
「すぐ戻るけど、ちゃんと戻るまでに寝ておけよ。身体全然回復してねえんだから」
「……ああ」
素直な返事に意外に思いながら、「じゃあ」と片手を挙げて水海の後ろに駆け寄る。まだ痛いほど脈打っている心臓に手を添えて。
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