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第13話 純白の少年

 駆け足で黒威の居る部屋に戻った俺は、目の前の光景に言葉を失った。理由は、寝ているはずの男が、部屋の真ん中でスクワットらしき動きをしていたから、だ。 「何してんだよ馬鹿野郎ッ!」  腹に包帯を巻いたまま屈伸している黒威に詰め寄る。 「寝てろっつっただろ! なんで運動してんだよっ!」 「寝てばかりだと身体が鈍る。少しでも動けるようにしておかなければ、何かあった時に動けないだろう」  正論ではあるが、心情としてはもう少し養生して欲しい。傷が塞がったとは言え、あれだけ出血しては血が足りないはずで、無理をすれば貧血で倒れる可能性がある。 「じゃあもう十分動いたろ? 夕食まで寝てろって」  黒威の手を引きベッドに誘導する。黒威は渋々横になったが、額から汗が噴き出していた。傷が痛むのに痩せ我慢していたのだ。 「……寝ろと言われても、毎日寝過ぎて眠くならない」  顰めっ面の男の額を水で湿らせた布でぽんぽんと拭うと、何か言いたげに睨み付けられる。初めて会った晩にこんな顔をされた時は恐怖で縮み上がったものだが、数日接している間に、この睨むという行為が不貞腐れた子供のそれだと分かってきて、今じゃ苦笑する余裕すらある。  ふと視界の端に黒いケースが映る。水海が持ってきてくれたギターだ。 「じゃ、なんか歌おうか?」  訝しげな表情を浮かべる黒威の答えを聞く前に、思い付いたら即行動する悪い癖が働いて、ギターケースを手に取っていた。誕生日プレゼントに貰ってから開封すらしていないそれを、ベッドサイドの椅子に座って蓋を開ける。自然な木目のアコースティックギター。弦は既に張ってあったが、恐らく父さんが替えの弦も入れてくれていた。取り出し、久々の触感に感慨深さを覚えつつ、弦を弾きながらチューニングする。 「弦楽器、か」 「そう、ギターっていう楽器。こっちにも弦楽器あるんだろ」 「ああ。俺も少し弾ける。水海と南の国に居た時はそれに似た形の鳥胡という楽器をよく弾いた」  音楽に興味が無さそうなタイプに見えたので意外だったが、盗賊団の仲間達と音楽に親しんでいる姿は想像に容易い。 「眠れるような曲、レパートリーにあったかな」  チューニングを終えて構えてみるも、普段ハードロックの激しい曲ばかり弾いていたからすぐには浮かんでこない。が、黒威の顔を見ていると一つだけ好きなバンドのバラードを思い出した。弾いたことはないが、耳で何度も聴いて覚えていた。  人にちゃんと聴いてもらうのは初めてだと気付いて緊張する。しかし深呼吸をしてイントロを弾き始めると、音楽を奏でる喜びの方が先に立って、指は滑らかに動いた。  恋人に愛を誓うラブバラード。歌詞の意味を知られると恥ずかしいから普段なら歌わないが、英語の意味が分からない相手なら気が楽だ。それでも黒威の顔を見るのは難しかったから、目を閉じた。  どうか少しでも黒威の痛みが和らいで、よく眠れますように――。そんな思いを込めて歌った。人のために、こんな風に穏やかな気持ちで歌うのは初めてかもしれない。  と、強い視線を感じて目を開けると、黒威が目を丸くして固まっていた。驚いて歌を止めると、黒威が正気に戻ったように俺の両肩を掴んで詰め寄る。 「お前、身体が光ってたぞ……!」 「……は?」  唐突に訳の分からないことを言われて、目が点になる。「輝いて見えた」とかそういう比喩表現だろうか。こちらの世界独特の誉め言葉という可能性もある。 「その光が俺を包み込んで、身体が芯から温められるような――」 「あー分かった分かった! 何か凄い褒めてくれてありがと!」  少女漫画でしか聞かないような気障な台詞に、恥ずかしくなって途中で言葉を遮ってしまった。  と、黒威が何か言い掛けたが、その言葉は外から響く咆哮に掻き消された。黒威はベッドから飛び降り、光取りの窓を見上げた。俺もその隣で外の様子を伺うと、空の彼方へ巨大な龍が飛び去っていくのが見えた。 「青羅、だよな……? 何かあったのか……?」 「……赤麗が動いたな」  何らかの感情を噛み殺すように、低い声でそう言うと、黒威は部屋の外に走り出た。 「無茶すんな! 怪我してんだぞッ!」  慌てて黒威に駆け寄り、黒威の腕を俺の肩に回して支える。そのまま城の外に出ると、水海が血相を変えてこちらに走ってくるのが見えた。 「赤麗が中央を火の海にしやがった! 青羅は食い止めに行ったが、相性が悪過ぎる! いつまで保つかわからねぇ……!」 「何で急にそんなこと……!」  攻めてくるならこの東の国に向かうはずだ。俺を狙っているなら尚更。それに中央は赤麗の生まれた国だ。故郷を攻撃する理由が何かあるというのか。 「……金塊だ。中央の金庫には多くの金塊が納められている」 「金塊を奪ってどうするんだよ?」 「白月の能力は金属を操ることだと言っただろ。国中の金を手にしたとしたら……どうなる」  黒威の身体を貫いた白月の強力な攻撃力。それが更に力を増すとしたら――考えるだけで恐ろしい。身震いする俺から黒威が離れ、一人で歩き出した。が、すぐに水海が黒威の前に立ち塞がった。 「加勢する」 「馬鹿言うな! そんな身体じゃ死にに行くようなもんだぞ!」  さっき少し身体を動かしただけで黒威の額には冷や汗が吹き出していた。赤麗と属性の相性が優勢とはいえ、白月の存在もある。万全の態勢を整えた白月と手負いの状態の黒威では勝てる見込みは薄い。 「青羅を見殺しにしろって言うのか……! あいつは俺を信じて、帝になる権利を譲ったんだぞ……!」  怒りに満ちた表情で黒威は水海に掴みかかった。しかし水海も負けじと睨み返し、服を掴んでいる黒威の手を引き剥がした。 「ああそうだよッ! だからこそお前は死ぬわけにゃいかねぇだろ! あいつが耐えてる間に、お前は北に逃げるんだ!」  水海の言うことは冷たいようだが正論だ。ここは一時撤退して、態勢を整え、敵の攻撃に備えるのがいいのかもしれない。そう頭では分かっていても、身体が勝手に動いていた。 「俺も行く! 足手まといになるかもしれねえけど、盾くらいにはなるだろ」 「何言ってんだ! 麒麟が死んだら元も子もねえだろーがッ!」  水海が素で激怒する。取り繕う余裕もないのか、それどころじゃないのか、俺の服を掴んで押し返した。 「本当だよ。どうせ何もできやしないんだから、大人しく蛇の洞にでも隠れてれば?」  突然聞こえた声に反射的に身構える。黒威が声がした茂みの方に半歩前に出た。  ゆったりとした足取りで現れたのは、まるで作り物のような美しさの少年だった。透き通るような白い肌と澄んだ青い瞳。真っ白な長い髪は一つに編み込みにしている。服は赤麗の服に似た金糸で飾られた袖の無い立ち襟の白い上衣に、足首で紐で絞った白のパンツという格好だ。 「……白月」  緊張感の漂う黒威の声に、空気が張り詰める。この美少年が白月――雪原で見た白虎の本当の姿。 「逃げる時間くらいは与えるよ。というより、あまりにも金が重過ぎて僕の移動速度について来れていないんだ」  地面が僅かだが揺れているのに気付く。そして遠くの空で鳥が一斉に羽ばたいているのが見え、地響きと共にそれは少しずつこちらに近付いてきていた。 「この金の糸で引っ張っているんだけどね。君達を足止めするために急いできたから準備万端とは言えない状態だ。攻撃するにせよ逃げるにせよ、今が最後の機会。迷っている暇はないよ」  白月は余裕の笑みを浮かべて、指先に絡み付いている金色の糸を見せた。黒威が歩み出すのを感じ取り、咄嗟に腕を掴んだ。争いは避けられないかもしれない。それでも、会った時に聞きたかったことがあった。 「あんた、良い王様なんだってな。青羅が言ってたぜ」 「……そんなお世辞言ってる場合じゃないと思うけど」 「逃げたってどうせ追ってくるだろ。こっちが不意打ち狙って攻撃しても、対応できる算段があるから姿を見せたんだろうし」  金をどこかに隠しているとか、部分的に金塊を引き寄せることができるとか、何らかの方法で攻撃できるのだろう。本当に準備万端でないというなら、態勢が整うまで茂みに潜んで機会を窺っていればよかったのだから。 「で、聞きたいんだけどさ。なんで赤麗にそこまで肩入れするんだ?」 「麒麟の君……それは先程事情を話したはずですが」  水海が怪訝な顔をしたが、「わかってる」と頷いて白月に向き直る。 「赤麗やその周辺の奴に洗脳されてる、なんて俺は信じられねえんだよ。俺と同じ年で立派に国を治めている優秀な王様が、赤麗の手駒でしかないなんて有り得ねえだろ」 「……何が言いたいの?」  俺を見る瞳が細められ、激しい感情が光彩に浮かぶ。 「命を助けられたんだろ、赤麗に。だから自分の命をあいつのために使おうとしてんだ」  白月に先程まであった余裕は、一瞬にして消え去っていた。怒りを隠しもせず、俺を睨み付ける。もし俺が麒麟でなければ、殺されていたかもしれないというほどに。 「赤麗はあんたが洗脳されてるから自分を慕ってると思ってるだろうな。だからこんな話が出回るんだろうし」 「……れ」 「あと一つ。北の国であんたが言ってた、『何で僕じゃないんだ』ってどういう意味――」 「黙れッ!」  次の瞬間、黒威が覆い被さってきて、地面に伏せさせられる。一瞬白月の手が動いたように見えたが、恐らく攻撃を仕掛けてきたのだろう。 「血迷ったか、白月ッ! 麒麟を殺したら、赤麗は帝になれないぞ!」  黒威が身体を起こしながら叫ぶ。俺にはまだ伏せていろと言うように頭を押さえている。 「両手足をもいで持ち帰りやすくしようとしたまでだ……! ここまで醜い男なら、大した差じゃないだろう!」  と言いながら、白月の表情に焦りが見える。黒威が俺の頭を押さえているところを見ると、頭を狙ったのかもしれない。感情的になって俺を殺そうとしたのか。  しかしそれが分かっても何故か恐ろしいとは思わなかった。すぐ側に黒威が居るからかもしれない。 「水海、黄太を頼む」 「……あんなこと言われちゃあ仕方ねぇか。ああ、承った!」  水海に引っ張られて城の出入り口まで下がる。そこに隠れながら二人の様子を窺う。  黒威は俺たちが隠れたのを確認して、城から離れるように奥に続く道に走り出した。

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