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第14話 玄武と白虎

 俺達を戦闘に巻き込まないように気遣っているのだろうか。しかしすぐに黒威を追った白月は、一瞬にして白虎に姿を変えて猛烈な速さで距離を詰める。追いつかれる直前、続いて黒威も玄武に変化した。  尾が蛇になっている巨大な亀。この姿の黒威を見るのは初めてだった。白虎よりもふた回りほど大きい。  気付くと地鳴りが大きくなっていた。すぐそばの森から鳥が飛び立ち、動物たちが城の方向に向かって走ってくるのが見える。 「見ろ、空が……!」  水海の指差す方向を見て、身震いした。太陽を遮るほどの高さまで盛り上がった金色の壁。まるで津波のように波打ちながら、木々を押し崩して、黒威のすぐ側まで迫ってきていた。 「黒威逃げろッ!」  城の出入り口から飛び出して叫んだ。が、一瞬のうちに金の壁が黒威の上に覆い被さる。 「何やってんだっ! 隠れてろ馬鹿野郎!」  水海に城内に引っ張り込まれて、今度は動けないように身体を抱えられた。金は形を変えながら黒威を締め付けるように包み込んでいく。 「潰されちまう! 助けねえと!」 「能力もねえ俺達が助けられる訳ねえだろうが! 信じるしかねぇんだ……!」  黒威には先の戦いでの怪我というハンデがある。外からは塞がっているように見えたが、無理をすれば内側から傷が開く可能性もある。自分に何の力もないことが、悔しい。  その時、轟音と共に地震のように地面が揺れ、俺は近くの柱に掴まり身体が転げそうになるのを堪えた。音の方向を見ると、金の塊の間から大量の水が噴き出し、そこから玄武が現れた。そしてその水が激流となり、城から離れた森まで白虎の巨体を吹き飛ばした。  黒威の足元に大きな地割れがあり、そこから水が湧き出ているのが見える。恐らく水脈の真上の地面を割き、噴き出た水を利用したのだろう。東の国は水が豊富な国だ。地の利は黒威の方にあるのかもしれない。 「やったぞ……!」  水海がガッツポーズをして喜ぶが、俺はそれを複雑な思いで見る。赤麗の下に行きたいかと言われたら、ろくな未来が無さそうだから御免被りたいが、だからといって手放しで黒威を応援することはできなかった。今この瞬間になっても、俺は兄弟で争い合うことが嫌で仕方なかったから。  黒威はこの世界の未来のため、白月は命を救ってくれた兄への温情のため、それぞれの信念のために戦っている。どちらが間違いでどちらが正しい訳でもないのに。ただはっきり言えるのは、話し合いではなく、戦ってどちらが正義か決めるというのは、間違っているということ。  綺麗事でしかないかもしれない。けれど、俺は今ここで、兄弟で争い殺し合ってきた歴史を変えるべきだと思った。この世界で育っていない俺だから、一人一人の命の重さを知っている俺だからこそ、出来ることがきっとあるはずだ。  黒威が倒れている白月を追い詰めるように走り出す。その背後から、金の塊が杭のように変化してその尖端を黒威の身体の方に向けていた。  金の杭が黒威の甲羅に突き刺さる瞬間、蛇の尾がそれを掴み攻撃を阻止する。白月の一撃を躱した黒威は、白月に圧し掛かり動きを封じた。 「どうしたんだあいつ……怪我してんのに、あんな動けるたあーー」  水海の言葉を遮って白月の咆哮が響いた。玄武の重さは、恐らく白虎の二倍近くはある。押し潰されて悲鳴を上げているのだ。その苦しそうな声に、胸が張り裂けそうになる。  間に入ろうと飛び出しそうになったが、その時黒威の上に大きな影が覆い被さった。天を覆うほどに高く、金の膜が広がっていたのだ。 「同じ攻撃が効くかい! また水圧で吹き飛ばしちまえばいい!」  そのまま覆い被さるかに見えたが、膜の表面がぼこぼこと変形し、無数の棘の形に変化する。不味いと思った時には遅かった。金の膜から発射された無数の針が、黒威の上に降り注いだのだ。多くは硬い甲羅によって弾かれたが、蛇の尾や足、頭部に突き刺さる。  黒威の絶叫と同時に、怯んだ隙を狙ってか白月は黒威を押し退けて逃れることに成功した。しかし、後ろ足を痛めたのか引き摺るようにして走っている。 距離を取った白月は金の膜を自分の背後に移動し、続けざまに針の攻撃を仕掛けようとしていた。一つ一つは小さな針でも、頭部に攻撃を集中されてしまったら、致命傷になる。  だが、その攻撃が始まることは無かった。白月の足元にいつの間にか水が集まっていたのだ。  その水は大きなうねりとなり、まるで大きな手のように白月の身体を捕まえると、そのままその巨体を引き摺って行った。  嫌な予感がした俺は、水海の制止を振り切り走り出した。白月が引き摺られていった場所に、思い当たるものがあったからだ。  黒威の方を見ると、黒威を突き刺そうとしていた杭はぐにゃりと曲がり、溶けるようにそのまま金塊の一部になってしまった。金の膜も崩れ去り、金塊全てが動きを止める。 「黒威、もういいッ! 死んじまうっ!」  俺は黒威の横をそのまま通り過ぎて、更にその先の煙が立ち上る泉に向かって走った。  黒威は俺達を気にして城から離れて戦おうとしていたわけではなかった。初めからこの巨大な温泉に白月を引き摺り込むために誘導していたのだ。それを悟られないよう徐々に水を操れる範囲まで距離を近づけていった。  泉の岸にたどり着くと、その中央に大きな泡が立っている場所を見つける。俺は形振り構わず温泉に飛び込んだ。泳ぎはそれほど得意ではなかったが、そんなことを考える前に俺は泡の真下に潜水する。そして暗い水の底に沈んでいく白月の姿を見つけた。少年の姿に戻っている。  息が続かない、苦しい。けれど、俺は更に深く沈んで白月に手を伸ばした。もうこれ以上、こんな権力争いなんかで命を落とさせやしない。それが、母が命を懸けて守った俺の命の使い道だと思えたから。  白月を捕まえた瞬間、身体が持ち上げられる感覚がして上を見ると、急激に水面が近づいてくるのが分かり目を閉じた。  温泉から顔を出すと、人の姿に戻った黒威が岸に立っているのが見えた。俺達を引き上げてくれたのは黒威だろう。というか、それならば初めから白月を拾い上げてもらえば良かったのでは。また考えなしにやってしまった。 「黒威! そのまま岸に上げてくれ!」  水に包まれるというのは変な気分だったが、岸に運ばれて白月を地面に横たえる。が、息をしていないことに気付いて頭が真っ白になった。  黒威は白月を見て脱力するように膝を折り、座り込んだ。身体のあちこちに傷を負っている。白月の金の針で刺された時のものだろう。 「俺が……白月を……」  その顔を見てはっとした。誰も死なせない。誰も殺させない。俺は自分に言い聞かせて白月の身体の横につくと、顎を傾け口を開けさせた。鼻を摘み、白月の薄く開いた唇を覆うように口をくっつける。息を一気に吹き込み胸が上がるのが分かった。 「何言ってんだ! まだ死んじゃいねえッ!」  中学の授業で習った救急蘇生法を思い出しながら、胸が下がるのを確認し胸の真ん中に両手を重ねて複数回圧迫する。しかし息を吹き返す様子はない。  俺はもう一度白月の口に息を吹き込んだ。頼む、死ぬな、とそう祈りながら。 「がっ、げは……!」  白月が水を吐き出し激しく咳き込んだ。――生きてる。 「白月! 俺が見えるか」 俺は白月の頬を軽く叩いて顔を覗き込む。白月は長い睫毛を震わせた後、ゆっくりと瞼を持ち上げ俺を見上げた。 「……お前……なんで……」 「良かった! 無事だぞ、黒威!」  黒威は安堵し項垂れるように深く頷いた後、「ああ、良かった」と喜びを噛み締めるように呟いた。 城の方から水海が走ってくるのが見える。また、戦いが終わったのを感じ取ったのか、城や森に隠れていた民達が姿を現し始めた。 「……何で助けるんだ……」  白月は両手で顔を覆って、小刻みに震えていた。 「兄様もお前もっ……! 何で僕なんかを……!」  俺は涙声でそう声を張り上げた白月の頭を撫でた。小さい頃怖い夢を見て泣いて起きた俺に母さんがしてくれたように。 「助けたかったから、に決まってるだろ。お前はこの世に一人しか居ねえんだぞ。だから、僕なんか、なんて口が裂けてももう言うなよ」  白月はずっと小さな子供のように声を上げて泣いた。今まで抱え込んできた想いが一気に溢れ出たかのように。  水海が来た時には白月は目を真っ赤に腫らしているものの泣き止んでいた。水海は黒威に着替えを渡し、白月を布で包んだ。  しかし白月を改めて近くで見ると、男とは思えないくらい本当に綺麗な顔をしていると思う。赤麗や白月のような顔の奴からしたら、大概の人間は不細工に見えるだろうから、醜いとかいう俺に対する中傷に関しては許そうと思う。 「白月……すまない。黄太が居なかったら、俺は……」 「……お互い様だよ。僕も貴方を殺すつもりでいたから」  白月はゆっくりと身体を起こして、少しそっけなくそう言った。が、すぐに辛そうに眉根を寄せ黒威の方に身体を向けた。 「お願いだ、兄様を止めて欲しい……あの人は、本当は……優しい人なんだ」  恐らく白月は赤麗の縁者によって殺されるはずだった。それを止めたのは、まだ幼かった赤麗だったのだろう。どう言って説得したのかは分からない。が、赤麗は白月の命を救ったのだ。そしてその頃にあった優しさは、きっと強くあろうとしたことで失われた――いや、何処か心の奥に仕舞われたのだ。  赤麗が自ら真実を語ったわけではないだろう。俺が疑問に思ったように、白月も気付いたのだ。手駒にするためと表向きの理由を付けてまで自分の命を救ってくれたことを。白月はいつか、かつての優しい兄に戻ることを信じているのだ。だから、赤麗に寄り添い歩んでいこうとしているのだろう。  黒威は深く頷いて「必ず止める」と答えた。決意に満ちた目を見て、白月はよろめきながら立ち上がる。俺は慌ててその身体を支えた。 「無理するな! お前は城で寝てろよ」 「今無理しなくてどうするの。一刻を争うんだ」  彼はただ結果を待つだけの人間じゃない。この戦いの中に身を投じた人間として、最後まで責任を全うしようとしている。この覚悟を前にしては、誰にも止められはしない。  俺から離れ「少し下がって」と俺達を遠ざけると、白月は再び白虎の姿に変化した。先の戦いで消耗し、姿を保つのも辛いはずだが。 「中央に行くのに、足が必要だろう。早く乗って」 「でもお前、さっき足痛めてたろ。大丈夫なのか?」  俺は白月が左の足を引き摺っているのを見た。痛くないわけがない。 「まさか亀に跨っていくつもりなの? 辿り着いた時には、事は済んでしまっていると思うけど。その点僕は四神最速の白虎だ。足を痛めていたってそれは変わらない」 「はは、そんだけ憎まれ口叩く余裕が有るなら大丈夫そうだな」  多分ただの強がりだが、白月の言うことにも一理ある。俺は勢いよく白月の背中に飛び乗ろうとして失敗し地面に転がった。白月は呆れたのか溜息交じりにではあるが伏せてくれ、乗りやすくしてくれる。おかげで、何とか飛び上がってその背に乗ることが出来た。 「黄太も行くのか」 「当たり前だろ。お前だけ戦いに送り出すって可笑しいだろ。俺の人生も掛かってんのに」  黒威は不安そうにしながら飛び乗ると、白月がゆっくりと立ち上がる。 「彼は大人しい麒麟妃じゃない。手綱を付けて言うことを聞かせようなんて無理な話さ」 「そういうこと。気が合うな、白月」  黒威は観念したように水海に「後のことは頼んだ」と言って、俺にぴったりと身体を寄せた。そして両腕に俺を挟み込むようにして白月の首元に捕まる。何だか初めてこの世界に来た時に王狼に乗った時のようだった。きっとあの時も、俺が振り落とされないように守ってくれていたのだ。 「振り落とされるなよ」 「お、おう」  身体が密着していることに少し緊張していると、白月は「他人の背中でいちゃつかないで欲しいな」と大きな溜息を吐いてから、全速力で走り出した。

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