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番外編

「君さぁ、僕を乗り物に使うのやめてよね。僕、一応先帝の息子で四神で、西の国の王なんだけど?」  白い巨大な虎の背に乗り、真っ青な空と緑の大地が続く大草原をひた走る。地平線の彼方まで永遠に続いていそうなほど美しい光景と心地よい風に吹かれて、自分が今どうしてこうしているのか忘れるくらい気分が良くなる。 「良いじゃねえか、お前足速いんだし。普通に馬で移動したら城まで一日以上掛かるんだろ?」 「……君に借りがなければこんなこと絶対にしない。それ、ちゃんと理解してる?」  「分かってる分かってる」と答えて背中をぽんぽんと叩くと、白月は心底うんざりしていると言わんばかりに深く長い溜め息を吐いた。 「それで、何で喧嘩したの?」 「喧嘩じゃねえし! あいつが一方的に――」  昨夜のことを思い出してまた気分が落ち込む。勢いに任せて城を出てきて、黒威が追い掛けてくることもなく、とうとう西の国まで来てしまった。 「城に着いたら各豪族代表が集まって歓迎の宴が始まってしまうから、今のうちに話聞かせてよ」  憂鬱な気分になりながら、俺は昨夜のあらましを白月に、ため息混じりにぽつりぽつりと語り出した。  黒威は帝になってから各国の視察や各国の流通経路の整備のため北の国を留守にすることが多くなった  特に中央の国の特権階級が牛耳っていた市場を整備するのに苦労している様子で――やはり市場の半分を握っていた豪商を納得させるための法整備が十分でなかったからだ――、十日ほど城を空けていた。  その頃俺が暇をしていたかと言えばそうではない。国内の婚姻の儀式と各国での披露宴の調整はスイが進めてくれているが、俺は四神の国音楽フェスを実行するためエレキギターやスピーカーの開発を進めたり、病気や怪我に苦しんでいる人に歌を聴かせるため東奔西走していた。  昨夜は全国ソロツアーの最終地、東の国での治療を終えて、青羅に北の国の城まで送ってもらったところだった。数日の疲労が溜まっていたのか飯も食わず風呂にも入らずにすぐにベッドに横になった。  多分この世界に来て、ずっと気を張っていたのだと思う。それがベッドに突っ伏した瞬間ぷつんと切れたのだ。俺は意識を失うように眠った。  だから、夜中に空腹で目が覚めるまで、寝ていることに気付かなかった。身体を起こし部屋を見渡す。  黒威の姿が無いからまだ帰って来ていないのかと思い、寝室を出て厨房に向かった。明かりが点いているのを見るとまだ厨房係が居るらしい。 「ごめん、何か食べ物ない?」  キッチンに顔を覗かせると、ちょうど仕事が終わったところだったのか、まかないを食べながら談笑している二人の青年の姿が見えた。が、俺の顔を見て二人とも慌てて立ち上がる。 「な、何をお作り致しましょう!」 「いやいや、そんな畏まらなくていいって! 腹に溜まるものだったら何でもいいんだ」  ふと見ると二人が食べているのは焼き飯みたいな食べ物だった。夜食にはちょうど良さそうだ。 「それと同じもの作れる?」 「できますが、しかしこれは……」  ばつの悪そうな表情で顔を見合わせる。今まで食事に出されたことがないことを考えると、恐らく残り物で作る家庭料理なのだろう。一応俺も麒麟妃として恭しく扱われているのだ。 「ご馳走はあちこちで食べ飽きたんだよ。大雑把な味の食いもんがいいんだ。頼む」  そう言うと、「分かりました」と手際よく残り物の食材を使って葉物野菜と粒状の穀物を炒める。  十分ほどで完成して、皿に盛り付けられると、あまりの空腹に腹の虫が鳴いた。 「あの、テーブルまでお運びしますが」  青年に言われたが、「ここで食べる」と二人の隣に並ぶように置いてあった丸椅子に座る。申し訳無さそうにしながら、焼き飯風の料理と果実ジュースが差し出された。  スプーンを手に取って一口口に運ぶ。母さんが作ってくれていた焼き飯のような懐かしい味がした。噛めば噛むほど、ウスターソースのような味と香りが口内に広がる。 「美味いよ、これ!」  掻き込むように食べる始めると、二人は安堵した表情で笑みを浮かべた。 「週一で食べてえな!」 「麒麟妃から料理長におっしゃっていただけたら、お出しできるようになると思いますよ」  腹を空かせていたせいもあって、あっという間に完食し、ジュースを飲み干す。まかない飯が裏メニューとして人気とかいうレストランが稀にあるけど、この焼き飯風の料理はまさにそれだ。 「夜遅くに悪かったな。ありがと」 「いえ、喜んでいただけたなら光栄です」  腹が満たされて思考回路がようやく動き始めたのだろう。そこでふと一つの疑問が浮かんだ。この時それに気付かずに腹一杯の状態で再び眠りについていれば良かったと、今は思う。しかしながら、その時は考えなしにその問いを投げかけてしまったのだ。 「そういえば、随分遅くまで仕事してたんだな?」  時計が無いから分からないが、寝室から厨房まで誰ともすれ違わなかったことを考えると、夜十時以降だろう。更に彼らの食事がまかない飯、ということは誰かの食事を作った後の残り物と考えるのが一般的だ。つまり彼らは俺以外の誰かのために食事を用意したのだ。 「ええ、黒威様がお帰りになられまして、お食事をご用意させていただきましたから」 「……は?」  反射的に立ち上がると、がたんと丸椅子が音を立てた。厨房係の二人は目を丸くして俺を見つめている。 「会ってねぇんだけど。どこにいるんだよ」  青年二人を見詰めると、彼らの顔からさっと血の気が引いてがたがたと震えた。恐らく俺が般若のような形相になっているからだろう。 「御入浴の後、し、寝室でお休みになっていらっしゃるかと……!」 「来てねえから聞いてんだよッ!」 「ひぃッ、す、すいませんっ……!」  すっかり二人をびびらせてしまった。元々短気な性格だが、疲れが溜まっていたせいか余計酷くなっている。  とりあえず二人に謝って厨房を後にした。 「クソッ、あの野郎どこほっつき歩いてんだっ!」  悪態をつきながらロビーに向かう。ここなら衛兵の一人くらいは捕まえられるだろうから。  風呂に入った後、黒威が寝室に戻っていないなら、執務室で仕事をしている可能性もなくはない。が、スイがそんな過重労働を強いることはないだろう。寧ろ明日以降の仕事に備えてベッドに括り付けてでも寝かせるはずだ。  ロビーにつくと暖炉の前のソファで寛いでいるスイの姿を見つけた。俺は一直線に向かい彼の傍らに立った。風呂上がりなのか、寝間着姿でぼんやりと俺を見上げる。 「黒威はどこだ」 「ああ、あいつならゲストルームで寝てんじゃねぇか……って、え? めちゃくちゃ顔怖えぞ、どうした?」  顔を強張らせるスイを置き去りにして、俺は踵を返すと、階段を駆け上がってゲストルームのあるフロアに向かった。廊下の両側にいくつも部屋があるが、恐らく一番奥の部屋の左右どちらかだろう。  早足で足音を立てながら廊下の突き当たりまで歩いて左の部屋のドアノブを回した。何の引っ掛かりもない。俺は扉を勢いよく開けた。 「黒威」  ベッドの縁に腰掛けているバスローブを着た男は、予想していなかったのか、少し驚いたように俺の方を見た。 「お前なぁ、帰ってんなら顔くらい見せろよ!」  俺は胸倉を掴む勢いで黒威の目前に見下ろすようにして立った。 「……独りで寝たい気分だった」  そう言って視線を逸らされる。正直、その答えには傷付いた。まるで、俺と一緒のベッドで寝るのは嫌だと言われているようで。いや、実際一人であちこちで泊まって独りの生活の快適さを知ったのかもしれない。 「ああ、そうかよ……分かった」  夫婦別々のベッドで寝るなんてよく聞く話だし、そもそも俺達は男同士。寝苦しさを覚えたとしても不思議じゃない。  なのに、どうして俺はこんなにも苦しいのだろう。打ちのめされた気分になっているのだろう。  回れ右をして、逃げるように部屋から出ようとした時だった。黒威の両腕が後ろから伸びてきて、左右を腕、前後をドアと黒威の身体に挟まれるような格好になる。 「嘘だ、本当はお前と寝たい」 「は? なんでそんな嘘――」  黒威が俺の背に己の身体をぴたりと寄せた。俺はその時、黒威の温かな体温を感じるよりも先に、自分の腰の辺りに押し付けられた硬い物に意識が集中していた。 「……なんでこのタイミングでチンコおっ勃ててんだよッ……!」  こうやって面と向かって会うのは十日ぶりだった。欲求不満になるのも分かる。もし黒威が数時間前に「ただいま」と言って寝室に入ってきていたら、俺は今みたいに後ろから陰茎を押し付けられても、嫌悪感を抱くことは無かった。それどころか、尻を突き上げて彼の欲望を自分の中に受け入れさえしただろう。  しかし、一方的に押し付けられた、今の自分の感情と正反対にある淫欲を不快に思った。自分という人間を性欲の捌け口のように扱われているような気がして、嫌だった。「マスターベーションなら独りでやってろ、馬鹿……!」  俺は黒威の腕を振り解いて、部屋を飛び出し、そして部屋に戻って防寒具を装備すると、そのまま王狼を連れて城を出た。黒威は追って来なかったし、ちょうど吹雪いていなかったこともあって、西の国の国境にはすんなり日の出の頃には到着することが出来た。  その後は現状の通り、国境の衛兵に白月を呼んで貰えるように城に文書を付けた鳥を飛ばしてもらったというわけだ。 「……何それ、惚気?」 「今のどこが惚気だ! お前話ちゃんと聞いてねえだろッ!」 「はぁ……聞いたから言ってるんだけど」  白月は広大な草原地帯を颯爽と走りながら、大きな溜息を吐いた。 「じゃあ逆に聞くけどさ。君は黒威が徹夜で仕事片付けた日の朝、爆睡してるのを見て、朝だよって起こす?」 「そんなの起こすわけねえだろ」  心底面倒臭いと思っているのだろう。また白月の口から溜息が漏れる。 「黒威も一緒でしょ。君のことを想って起こさないように別の部屋で寝ることにしたんじゃないの?」  今冷静に考えればその通りだ。あまりの正論にぐうの音も出ない。 「ま、ちょっと頭冷やしたら帰りなよ。あんまり時間置くと顔合わせづらくなるから」  地平線の向こう側に建物が見え始めた。その中心に塔のようなものが聳え立っている。西の国の城だ。 「……お前、良い奴だな」  なんだかんだ言いながらも、ちゃんと話を聞いてくれ、アドバイスもしてくれた。白月が西の国で支持されているのも、何となく分かる。 「君には借りがあるから」  そう言って白月は微笑んだ、ような気がした。虎の姿だから実際はどうかわからないけれど。  西の国の城――この建物は一階が広く、広間や応接室、食堂、使用人の居住スペースなどが纏まっていて、中央に聳える塔に王である白月の生活空間があるという変わった作りだ――に着くと、一階の大広間には既に西の国の豪族たちが集まっていた。  元々定例の会合のために集まっていたらしいが、その会合の後には酒宴が行われるのが通例で、今回も俺の訪問とは関係なく、宴の準備が整えられていた。  しかし俺が顔を出すと、弦の数が多い弦楽器と先が二股に分かれた不思議な笛で歓迎の音楽を奏でてくれた。  御馳走をたらふく食べた後、豪族の代表者の歌とダンスを順番に眺めていた時だった。白月に使用人の一人が何かを耳打ちすると、呆れたように息を吐いて立ち上がり、手を叩いて音楽を遮った。 「宴もたけなわではございますが、麒麟妃に迎えの者が参ったとのこと。この辺りで御開きと致しましょう」  迎えの者、とは、スイだろうか。余計な面倒を掛けてしまった。  豪族たちはちょうど盛り上がっていたところだったからか、なかなか重い腰を上げない。何か締めが必要だ。 「よし、じゃあ最後に俺に一曲歌わせてくれ。宴の御礼とは言えねえけど」  俺が立ち上がると、皆拍手をしてくれる。俺はアカペラで感謝の気持ちを込めて歌った。安定してどの国でも喜んでもらえるラブバラードを。  歌い終わり、拍手の嵐が巻き起こる中、白月と共に城を出た。拍手喝采の中送り出されるのは気分がいい。  白月は「僕を移動手段として使うのはこれきりにしてくれ」と言いながら、白虎の姿になると俺を背に乗せて北の国との国境を目指して走り出した。 「面倒掛けて悪かったな」 「まあいいさ。首長たちも喜んでいたし、君の歌で僕の肌つやも良くなったしね」  疲れているのは俺や黒威だけではない。白月もまた新たな帝の下で国の繁栄のために働いているのだ。 「ただ、もう二度と痴話喧嘩に巻き込まれるのはごめんだけど」  白月の本音に俺は笑って、黒威に会ったらちゃんと謝って話をしようと思った。  しかし、日が沈む頃国境に辿り着いた俺を待っていた人物に思わず言葉を失った。黒髪に褐色の肌、紺の瞳の長身の男が、王狼に跨っている。 「白月、苦労を掛けたな」 「麒麟の君の面白い顔が拝めたからいいとしよう」  じゃあ、と白月はこの事態を面白がっている様子で、少し愉快そうに帰っていった。 「帰ろう、黄太」  身体を傾けて目の前に手を差し出される。黒威は少しも怒ってはいない。いつものぶっきらぼうな言い方でもない。その優しい声音にばつの悪い思いをしたが、素直に手を取った。  王狼の上に引っ張り上げ、俺を自分の前に座らせると、黒威は俺を引き寄せてローブで包んだ。そして手綱を握ると、王狼に雪原の上を城に向けて走らせる。 「……なんか、この世界に来た時を思い出すな」  俺が寒がっているのを見て、黒威は嫌そうにではあるが自分のローブの中に入れて温めてくれた。 「あれから随分経った気がするけど、本当についこの間のことなんだよな」 「ああ、そうだな」  ただ、あの時と違うのは、猛吹雪ではないことと王狼が怖くないこと、そして俺を包み込んでいる黒威を好きだと想っていること。 「昨日は……悪かった」  自分が言おうと思っていた言葉を黒威に先に言われてしまって戸惑う。 「黒威が謝ることねえよ。俺のこと気遣ってくれたのに、気付かなくて、勝手にキレて城飛び出して……ごめん」  面と向かってだと言い難いことも、目を見て言わなくていい今の状況は、少し有り難かった。手綱を握る手にそっと手を重ねる。 「ずっと会ってなくて、少しでも早く会いたいと思ってたのに……逆のことするなんて、馬鹿みたいだよな」  温かな大きな手に触れていると、心に立ったさざ波が、次第に収まっていくようだった。きっと、黒威を愛しいと想う気持ちに比例しているのだろう。 「いや、やはり俺が黄太にしたことは……よくないことだった。いくら疲れているからと言っても、誤解を招いたのは確かだ」 「お前が俺にしたこと、って……もしかして」  勃起した陰茎を押し付けられたこと、のことだろうか。今はっきりそれを言うのは気が引けたので言葉を濁したが、黒威が「ああ」と頷く。 「どうやら疲労のあまり自分の意思とは無関係に勃つことがあるらしい。しかし、勃っていることには変わりないから、黄太と寝てしまうと収まりがきかなくなりそうで……別の部屋で寝ることにしたのだ」  ああ、白月から惚気かと言われて呆れられるのもこうやって聞かされると良く分かる。少しのずれが誤解を生んだだけで、初めから理解し合っていれば何も起こらなかったのだ。 「俺の居ない間、忙しかったのだろう。能力を使えば、より体力を消耗するからな」 「いや、黒威の方が精神的にもきつかったろ。俺がもっと気を遣えてたら良かったんだ」  思い付きで考え無しに行動するのは、俺の悪い癖だって分かっているのに。もっと思慮深くならなくては、と今回のことをもって深く反省する。  どこまでも続く銀世界。王狼の踏みしめる雪の音、息遣い。凍えるほどの寒さの中、背中越しに感じる黒威の体温。耳元で囁く低い声。それ以外は何もないが、それだけで充分だと思える。 「なあ、この状態でキスできると思うか?」  そう言って後ろを振り向くと、顎に手を添えられて、唇に柔らかいものが押し付けられた。が、すぐに唇が離れる。顔もはっきりとは見れなかった。 「……これ以上は俺の理性が持たない」  しかし耳に掛かった黒威の熱い息で、今の彼の気持ちが伝わってきて、鼓動が早まっていく。 「まあ……とりあえず我が家に着いたら、温かい風呂にでも入りますか」  俺の台詞に、黒威は「ああ、そうだな」とふっと息を吐くように笑った。  あの寒い日の夜、風呂に入りたがった俺を床入りすることを了承していると黒威は勘違いした。  もしあの時のことを思い出しているなら、これは一応俺なりに誘いを掛けているつもりだったのだけど、伝わってはいないだろうな、と思う。  それなら、今夜だけは素直になってみるのも悪くない。そんな風に思える、温かい夜だった。

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