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荊棘①

まだ木々に青々とした葉が揺れている季節。沙希は今とは別人のようだった。 HeimWaldの問題児として住人からも距離を置かれる存在。悪い仲間と連んでは、マフラー爆音の車に乗って遊びまわる毎日。帰りが深夜の為、睡眠を妨害された者も多い。 「宗斗(しゅうと)さん、沙希のやつ遅くねぇっすか」 数人いた沙希の仲間の中でも特にリーダー格なのが宗斗という人物。色を抜きすぎて傷んだ金の長髪をオールバックにした体格の良い男で、細い眉に鋭い目つきのいかにも悪面という外見に服装まで派手なジャージと、すれ違えば人が避ける近寄り難いオーラを出している。 「まだ寝てんのか…うちのATMは」 HeimWaldの前に停まったローダウンの黒い大型車。後部の窓はフルスモークで激しい音楽を漏らしている。近所迷惑など気にする様子もない。 「お?」 「…あ」 出かけようとした朔未は、マンションの前に停まる車に気付いて表情を曇らせる。行く手を塞がれているため、車の後ろを通ろうとすると後部のドアが開いて出てきた男が前に回り込んだ。 「ひゅー、可愛いじゃん…来いよ」 「え!…こ、困ります!やめてください」 朔未の肩を抱いて車に連れ込もうとする男。抵抗されても強引に引き込もうとする。 「沙希が来るまで、こいつに相手してもらおうぜ」 「や…やめてくださいっ!誰か…助け」 抵抗虚しく口を塞がれて朔未の体が車に押し込まれた。ドアを開けたまま押し倒した朔未の上に覆い被さった男が、後ろから服を掴まれて地面に引き倒される。 「いってぇ!?何だ!」 「君らの連れ、この子じゃないでしょう?俺の先輩いじめるの…やめてもらえる?」 「と…るくん」 恐怖で震えて声が出ない朔未の手を引いて素早く車内から下ろす透流。 「平気?」 「平気では、ないです」 「だね…よしよし、もう大丈夫だから」 慰めるように頭を撫でられて小さく頷く朔未。 「この野郎…邪魔すんじゃねぇよ」 「邪魔してるのはそっちでしょうに…こんな大きな車、正面に停めて」 「ああん?何だと!やるのかコラ」 「おや?日本語、通じない方?」 睨み合う透流と男。その様子にのそのそと階段を下りて来た沙希が気付いて声をかける。 「何してんの?」 「沙希!てめー遅ぇよ!宗斗さんキレちまうぞ!」 今よりも長く寝癖でボサボサとした髪をハーフアップに結んでいる沙希。緩いグレーのスウェットは部屋着だろう。起きてそのまま出てきたようだ。 「ふぁ…ねむ…」 沙希が来た事で、男は透流から気を逸らして沙希と共に車に乗り込んだ。車は待ち人を乗せ終えて大きなマフラー音と共に細い道をスピード違反で去って行く。 「…やれやれ、困ったもんだねぇ」 「ありがとうございます…透流くんが、来てくれなかったら…俺」 「工房から忘れ物を取りに来たんだけどね…サクミンが車に乗せられそうになってるのが見えたから、数年ぶりに本気で走ったよ」 「…透流くぅ、ん」 目を潤ませ、息を詰まらせながら抱きつかれて困り顔になる透流。 「ちょっと、サクミン…俺が泣かしたみたいになってる」 泣き止ませようと優しく声をかける透流の背に刺さる殺気を隠さない気配。振り向かなくても誰かは予想がついたが、背中から蹴られかねないので早々に振り返る。そこには予想通り、殺気を纏ったアストが拳を握りしめて眼光をギラリと光らせていた。 「透流…説明してもらいましょうか」 「ああ、うん…はい」 親から振り込まれる充分な生活費。足りなくなったら、催促すればまた振り込まれる。 仕事はする気もない。ただ両親の、特に母自慢のエリート家族のイメージを邪魔をしないように身を隠して好き勝手に毎日を生きて行くだけ。沙希には、何の生きがいも無かった。 古いゲームセンターで知り合った同じような生活してる仲間と、遊び歩く。1日の予定はそれしか無い。 「沙希、ピザ届いたぞー」 遊び疲れたら仲間の家で飲んで騒いで、馬鹿話して。楽しいのかもよく分からない時間を過ごす。 「また俺が払うのかよ」 「ケチんなよ、ママからお小遣い貰ってるんだろ」 「はぁ…」 出前の料金や、ガソリン代、パーキング代。何かと支払いが生じれば、名前を呼ばれる。ATM呼ばわりまでされる。それでも、一緒にいれば気が楽になるのだ。同じような生き方しかできない仲間が居ると実感できる。そのために、今日も財布を開く。 「沙希、お前も飲めよ」 「俺、酒は嫌いだって言ったじゃん」 「これはジュースみたいなもんだって」 「いい…」 「お前ら、酒は無理やり飲ませるんもんじゃねぇよ…沙希、こっち来いや」 「はーい」 宗斗は見た目とは裏腹に、沙希には当たりが優しい。大河ドラマの殿様のように胡座を組んで、沙希を傍に抱き寄せて侍らせている。 「宗斗さんは、沙希がお気に入りっすね」 「ああ、気に入ってる…沙希は生で出しても妊娠しねぇからな」 下品な笑い声が部屋に響き渡る。沙希も気にせず、侮辱を笑い飛ばす。 「あー、オレも今朝の可愛いのハメたかったなぁ」 「なぁ、また俺んとこのマンションの住人に絡んだの?…それは、やめろって言ったじゃん」 「てめーが遅いからだろうがよ!」 「隣のチビが、うるさいんだって…迷惑かけるなら出てけって」 「そんなやつ黙らせろよ」 「とにかく、ヴァルトの住人には絡むなよ…あのマンション追い出されたら、親に色々聞かれて面倒な事になるからさ…仕送り止められたら困るし」 「はいはい、ママの前では良い子にしてないとな」 「その辺にしとけ…今日はお開きだ、俺と沙希はこれからがお楽しみだけどなぁ」 宗斗には、体だけの関係を結ぶ女性達が何人もいる。しかし男性は、沙希だけだ。顔立ちが綺麗なのを気に入られて、興味本位で手を出したのがハマったらしい。 「あはっ…最近、俺ばっかじゃん」 沙希もまた、同性に体を許したのは宗斗が初めてであったが抵抗は無かった。別にいいか、くらいの気持ちで出会ったその日に夜を共にした。 「ああ、早くメスにしてやろうと思ってよ」 「なにそれ」 「順調だぜ…最近はココで勃つようになってきたしな」 沙希のスウェットの裾から腕を突っ込んで胸元を弄る宗斗。手探りで見つけた乳首を指で転がす。 「んっ…」 びく、と反応して肩を強張らせた沙希に満足げな宗斗。他の仲間達は、スイッチが入ってしまった2人にそれぞれ笑いながらピザや缶酎ハイを手に部屋を出て行く。 野獣のように押し倒してくる宗斗の背に腕を回して抱きつきながら沙希は微笑む。 「どうした、ご機嫌だな」 「別に」 沙希はただ嬉しかった。自分を求めてくれる存在が居る。宗斗を繋ぎ止める事が出来るのなら、メスにでも何にでもなれる。そう思っていた。 数日後。 いつものように古いゲームセンターで屯していた時のことだった。突然、不運は起きる。 「や…やめてくださいぃ」 仲間達がかつあげのカモにしたのは、近くのアニメショップから箱物の何かを大事そうに抱えて帰る途中だったHeimWaldで1番気弱そうな住人、花結だった。 (サイアク…あいつ、確かヴァルトの住人じゃん) 「だから、ソレ置いてけば何もしないって」 「これは…完全受注生産限定のフィギュアなんです…もう買い直しが効かない物なんです…」 「へー、そりゃあ高く売れそうだねぇ」 「お金は渡すので…許してください」 「お金ねぇ…じゃ、それも貰うわ」 「そ、そんな…」 古いゲームセンターの隅に連れ込まれて囲まれては逃げ場がない。居合わせた数人の客は気にする様子もない。震えて青ざめる花結を少し離れた音感ゲームのイスに座って傍観する沙希。一瞬、目が合うが沙希の方が気まずそうに逸らした。 (フィギュアくらい、さっさと渡せばいいのに…) 「お願いします…許してください」 「ははっ、コイツ泣き出したぞ」 泣けば許してくれるような甘い連中では無い。沙希はそれをよく知っていた。 「…なぁ、痛い目見たく無かったら…そんなの渡して帰った方がイイと思うんだけど」 「…あなたは…やはり…ヴァルトの」 「助言してやってんの…それ以上、抵抗するとマジで怪我するって」 「…ひっ」 沙希の言葉に益々怯えてしまう花結。ぎゅ、とフィギュアを抱きしめて不良達の包囲を体当たりで突破して逃げ出した。 「オイ!待てよ!」 すぐさま追いかけて行く不良達。沙希は険しい表情で目を閉じて小さく呟く。 「…バカ」 花結は意外にも足が速く、沙希が遅れて追いかけた時にはかなり先の公園まで逃げていた。 しかしスタミナはあまり無いらしく、公園に入ったところで失速して追っ手に捕まってしまう。 「はぁ…はぁ…手間取らせやがって、覚悟しろよ」 「っ…うぅ、うう」 1人が逃げられないように花結の白いパーカーのフードを掴んで、他の仲間達がガードの無い脇腹に拳を入れた。力づくで奪い取ったショップの袋から取り出したフィギュアを見て笑う不良達。 「コイツ、男のくせに女がやるゲーム好きなのかよ」 「っ……う」 「…やめろって…公園じゃ通報される」 沙希は控えめに止めに入ったが、誰の耳にも届いていないようだ。 「お前ら!何やってんだ!」 「!」 「チッ…人が来た、騒がれる前に行こうぜ」 声を張って駆けつけて来る人物に気付いて不良達は金は取らずにフィギュアだけ奪って全速力で逃げて行く。 「か…返してくださいっ…それだけは…」 「沙希!早く来いよ!」 「…うん」 痛むのだろう殴られた腹を押さえながらもフィギュアの事を気に掛ける花結を横目に見て、自身もその場を離れようとした沙希の腕を後ろから誰かが捕まえる。 (やば…助けに入ったヤツ、もうここまで来て) 「行くんじゃねぇよ」 「え?…あ、お前…1階の」 聞き覚えがある声だと思ったら、助けに入ったのはすぐ下の部屋の住人、玲司だった。以前、仲間と騒いだ時に足音が響くと注意された為、よく覚えている。そうしている間に、仲間の不良達は沙希を置いて何処かへと逃げてしまった。 「花結、どこが痛む…病院まで乗…」 「あんな奴ら…消えればイイのに…」 気遣う玲司を無視して、本音を零した花結はまだ涙で濡れて充血した眼で沙希を睨む。その悲しい表情にズキ、と胸の奥を抉り取られる。大切な物を馬鹿にされた上に盗まれたのだ。気弱な花結でも怒りを抑えられないのは当然だった。 「…だから、早く渡せって言ったじゃん」 「あなたも…同じなんですね……」 「……あ、あのさ」 「もう…いいです…自分に…関わらないでください…亜南氏、ありがとうございました…大丈夫なので…放っておいてください」 花結は玲司にペコリと頭を下げると、腹を押さえたまま捕まった時に挫いたのか足も引き摺って公園を出て行ってしまった。険悪な空気が残された場に可愛い声と足音が割り込む。 「玲司お兄ちゃーん、バドミントンのシャトルあったよ…いきなり飛ばしすぎだよ…美鈴、草むらの中を探したんだよ…」 「ああ…悪かったな、美鈴…ちょっと強く打ち過ぎた…兄ちゃん急な用事が出来たから先に帰るって親父に伝えてくれ、選手交代だ」 「え〜…お父さん下手っぴだから、玲司お兄ちゃんがよかったのになぁ」 「また今度な」 「うん、わかった…約束ね」 次に遊ぶ約束の指切りをして公園の芝生広場で手を振る父親の方へと走って戻って行く妹を見届けてから、沙希に向き直る玲司。 「さっきの奴ら、お前の連れか」 「…そ、だけど…ああいうの…俺は…反対」 「今朝、郵便受けにアスから緊急招集って知らせが入ってたの見てないらしいな」 「見てないし、入ってても読まない」 「お前の強制退去について…住人達から多数決取るってよ」 「…っえ?」 「結果によっては管理人に促すつもりだって書いてあったぜ」 「…ああ、そう」 沙希は一度は驚いた声をあげたが、すぐに諦めたように頷いた。 「いいのか?このままだとハッキリ言って追い出されちまうぞ」 「別に…他探せばいいし…良かったじゃん、上の階が静かになって」 「お前がいいのかを聞いてるんだろうが」 「仕方ないじゃん…自分が厄介者だって事くらい分かってる、出てけって言うならそうするしかない」 「…そうかよ」 会話が終わると、迷子のように不安そうな顔をして俯く沙希。 「ただ、母さんに…何て説明しようか考えないと」 「そのまま伝えたらどうだ」 「イヤだし!トラブル起こして追い出されたなんて言ったら…また兄さん達に比べて、俺がどれだけ出来が悪いか…ずっと聞かされる…毎日毎日…どうして同じように育てたのに、沙希だけ何もかもうまく出来ないのかしらって笑われて…もう、うんざりなんだよ」 「…って、俺に言われてもな」 「あ…」 「うちは兄弟6人の大家族だ、さっきのは1番下の妹…同じ親から産まれて同じ家で育っても得意不得意はみんな違う…お前のお袋さんの言う出来の良し悪しは俺にはわからねぇけど…比べる必要ねぇだろ、お前にもお前の良さがある筈だしな…まだ良いとこ見当たらねぇけど」 「……」 その言葉に、沙希がフッと溜息を吐くように笑う。 「送ってやろうか?車で来てるからよ」 「いい…行くとこあるから」 「なら、そこまで送ってやるよ…どこだ」 「いいって…遠いし、ヴァルトとは逆方向」 「遠い?」 「…急ぐから、またな…あ、いや…もう会わないかもしれないけどさ」 苦笑して背を向けた沙希の腕を再び掴んで引き留める玲司。 「遠いなら尚更、車の方がいいだろ」 「……」 言い返せなかった沙希は渋々、玲司の車で目的地まで送ってもらうことに同意した。発車してから聞いた行き先は玲司の思っていたよりも遠く、車でも1時間かかる場所だった。 「ここで合ってるのか?」 「うん…」 沙希の言う通りに走って辿り着いたのは、予想外の場所だった。看板に古本、ゲーム、DVD、玩具、買取強化と書かれたリサイクルショップ。 「…行って来いよ」 車を停めてフロントガラス越しに店を見ている玲司を置いて沙希は無言で車を降りると少し周りを警戒するように確認してから店に入っていった。用がない玲司は車の中で待つ事にする。 少しして、どこか安堵したように表情を和らげて戻って来た沙希は仲間が花結から取り上げたのと同じフィギュアを抱えていた。後部座席に乗り込んだ沙希はホッとした口調で話し出す。 「ちょうど、店に並べるとこだった!限定モノとか言ってたから売り切れてないかヒヤヒヤしたし」 「お前…それ」 「あいつら、金欠の時はすぐココで換金すんの…買取額高いけど、最寄りの店舗がココしか無いんだってさ」 「最初から、買って取り返すつもりだったのか」 「だって1番平和的じゃん…あそこで抵抗しても無駄だしさ」 「…平和的?」 玲司が「本気か?」と問うように沙希を振り向いた。 「俺がアイツら怒らせずにコレ取り返すには…こうするしか、無かったじゃん」 「お前も分かってるだろうけど敢えて聞くぜ、それあと何回やるつもりだ」 「…何回でも」 誰かから奪った物を、売られた後に更に金を積んでこっそり取り返す。今回のように限定品ならば、プレミアが付いて倍以上の金額で取り返さなくてはならない場合もある。それでも沙希は、金で解決を選んで平気で自分を見捨てて逃げた仲間と居ることを、今後も選んでいくつもりらしい。 玲司は深い溜息を吐いて助手席をぽんぽんと叩く。 「前に来い」 「え…何で」 「タクシーじゃねぇんだよ、隣の方が話しやすい」 「……」 置いていかれても困るので沙希は仕方がなく助手席に乗り直した。 「…沙希、だったよな」 「え、うん…何」 「さっきから聞いてて思ったんだけどよ…お前、無理してるんじゃねぇか?」 「え?」 「…不釣り合いな連れとぐうたらしてるのは、兄貴達と比べられた劣等感からだろ…親からお前は出来の悪い奴だって刷り込まれて、本当に悪い奴らと連んじまってるように見えるぜ」 「不釣り合い?…な、何言ってんの?俺あいつらと居ると気楽で落ち着くんだよ…同じレベルの生き方してるから…俺には、ちょうどいい仲間なんだって」 「同じ…か、じゃあ…お前さっき公園で花結を殴れたか」 「…や、それはさ…同じマンションの住人だったから」 「人を殴った事なんかねぇんだろ」 「は?なめんなよ!別に殴れたし!その証拠に、今お前を殴ってもいいんだけど?!」 「そうかよ、いいぜ…ほら、殴ってみろ」 「っな…何おまえ!ムカつく!」 拳を握ったものの殴る事はせず、顔を背ける沙希。 「お前が変わる気あるなら、俺がアス達を説得してやる」 「……はぁ?」 「追い出されたら困るんだろ?…一度くらいは何とかしてやるから、お前アイツらとはもう関わるな」 「さっきから何言ってんの?そんなん無理だし、仲間から抜けるなんて言ったら俺が病院送りにされるじゃん!それに…宗斗が黙ってない」 「宗斗?」 「俺たちのリーダー…俺には優しいんだけどさ、怒らせるとマジで恐いの…何人も気絶するまで殴られたり、無理やり犯されたりして…」 「とんでもねぇ奴だな…逆を言えば、そいつが納得すればお前は抜けられるのか?」 「……え、ちょ…まさか話そうとか思ってないよな」 「出来れば勘弁願いたいな…けど、無責任に引き留めるのも勝手すぎだ…どうしてもお前らで話がつかない時は…いいぜ、俺が出ても」 「ダメ!マジでそれだけはやめろ…宗斗の事、知らないから言えるのかもしれないけどさ…お前とかが、会ったらダメな奴なんだって…話して分かる奴じゃないし、連れて行かれたら何されるか分かんない…絶対、宗斗とは関わるなよ…妹とか泣かせたくないだろ!」 近くで酷い目に合った人達を見てきたのだろう。沙希の必死さで宗斗の凶暴な人間性が伝わってくる。 そして同時に玲司を心配して釘を刺す沙希の優しさも垣間見えた。 (俺の悪いクセだって言われそうだな…けど、放っておけねぇ) 「ねぇ、聞いてんの?」 素行は良いとは言えない。出ていってくれるなら、その方が円満に済むだろう。しかし玲司は、どうしても沙希を突き放す事が出来なかった。 「沙希、やり方は間違いまくってるけどよ、お前は優しい」 「っ…急に何だよ」 「笑って人を傷つけて生きてる連中とじゃ、釣り合わねぇんだよ…だから、ヴァルトに残れ」 「無理だって言ってるじゃんね…俺は、宗斗から離れられない」 「好きで離れたくないのか、離れたくても離れられないのか…どっちだよ」 「っは?…ど、どっちでもいいだろ!」 離れたくても、離れられない?沙希は自分に問いかけた。宗斗に求められるのは嬉しい。それは本心だ。しかし、彼のどこに惹かれているかと聞かれれば答えは出てこない。 (だって別に、付き合ってる訳じゃないし…何で一緒に居たいかって聞かれたら、分かんない) 生じた戸惑い。 「とにかく、アイツらと切れねぇと話にもならねぇ…アスに耳を傾けさせないと」 「……」 「沙希、いいな?」 「……も、何なんだよ!まともに話すのも初めてなのに、何でそんな事言ってくんの!俺のことなんか気にすんなよ!俺が誰と仲良くしようが関係ないじゃんね!」 「それじゃ、どこ行っても何も変わらねぇぞ」 ヴー…ヴー…。マナーモードにしていたスマホが鳴る。沙希は相手も見ずに、その電話に出た。 「何?!…‥あ、父さん…久しぶり…うん、俺なら大丈夫…おかげさまで何とか生活できてる」 電話を掛けてきた相手が父親と認識した途端、沙希が別人のように大人しくなる。姿勢まで正して、表情は少し緊張しているようだ。 (親の前では、こんな風に良い子でいようとするんだな…) 「えっ?!…母さんが!入院って…?!木南(きなみ)総合病院…うん、調べて行く」 急に緊迫した様子の沙希。母親が体調を崩して倒れ、入院しているという報告を父親から聞き、狼狽えている。 会話の内容を察した玲司は、病院の名前が出た時点で車のナビを登録してエンジンを掛けた。幸いリサイクルショップと同じ方角だった為、自宅から出るより早く着けそうだった。しかし、電話を切った沙希は車を出そうとした玲司に待ったを掛ける。 「どうした、病院行くんだろ?」 「行けない…」 「行けない?」 「だって俺……」 自分の服を見て青ざめる沙希。上下グレーのスウェットに靴底の剥がれそうなスニーカー。部屋着のまま出てきた為、自堕落な格好になっている。おまけにピザソースの汚れ付きだ。 「格好なんか気にしてる場合じゃねぇだろ」 「無理…ダメ…こんな格好、父さんに見せらんない…どっかで服買うから、寄って」 「寄ってって…この辺りは店も何がどこにあるか知らねぇからな…あ、待てよ…確か」 心当たりを思い出して玲司は車を出した。少し戻ったが、コンテナハウスで開いている小さな服屋を訪ねる。駐車場は2台しか停まれない狭さだ。看板には手書きの筆字でDragonと書かれている。 「お?おお!マブダチ!!」 車から出るなり嬉しそうな声に出迎えられた。まだBiz Festに出店する前のRe:Dragon一号店。オーナーの龍樹は珍しい客に両手を広げて歓迎を表した。 「龍、店舗移転の準備で忙しいとこ悪い…訳ありだ、急ぎでコイツを着せ替えてくれ」 「おうよ、せっかく来たかと思ったら何事だ?今度聞かせろよ…で、どう着せ替えればいい」 「あー…尖らせるのは無しだ、出来の良い奴ってのに見せたいらしい」 「はっはっは!まぁ、服装から入るのもアリだよなぁ!」 楽しそうに服を選び出す龍樹。沙希は玲司の服を控えめに引っ張って小声で訊ねる。 「…ごめん、さっき買い物したから手持ち少なくて…今月もうカード上限いってるし」 「いいから、お前はお袋さんの心配だけしてろ」 「…っ」 「しかし客人、綺麗な顔だなぁ…ほら、試着室あっちな、靴は試着室の隣の棚から適当に取って来な」 U首の白いTシャツとグレーブラウンのテーラードベスト、細身のストレートジーンズを揃えて沙希に渡す龍樹。 「ありがと…」 「龍、いくらだ」 試着室に向かった沙希がその場を離れると、玲司はその間に会計を申し出る。しかし龍樹が追い払うように手を振ってそれを拒んだ。 「いいって事よ、訳ありなんだろ?その代わり、ビズでの開店準備を手伝ってくれ」 「ん?それ高くついてねぇか?」 「ははっ!バレちまったな!」 「ありがとな」 「水くさいのは無しだ、どうせまた悪いクセが出たんだろ?…いかにも、お前が放っておけないタイプだもんなぁ、あの可愛い子ちゃん」 「はぁ…誤魔化すには付き合いが長すぎるな、マブダチ」 「はっはっは!」 着替え終えた沙希は2人が目を奪われるほど好青年に仕上がっていた。髪も後ろでひとつに束ねて前髪を横に流してピンで留めている。そのおかげで綺麗な顔がよく見えるようになった。 (お袋さんが自慢したくなる訳だな…) 「…な、何?どっか変?」 注目を浴びて困り顔の沙希。 「いや…行こうぜ」 病院に向かう車を走らせる玲司の横顔を見て沙希は迷うように口を開いた。 「…あのさ、怒んないの?」 「ん?」 「ずっと運転させてるし…それなのに、お金も出してないし」 「苦じゃねぇからな、寧ろドライブは好きな方だし…金は気にするなって言っただろ」 「…じゃあ…もしかして…別の見返り求めてる?」 「何もいらねぇよ」 信号待ちで止まる車。沙希の膝の上で結んだ手が震えている。 「母さん…」 「心配だな…もうすぐ着くから、落ち着けよ」 元々、呼吸器が弱く神経質な性格の沙希の母親。精神的な不安から過呼吸になり、倒れたと担当医から説明を受ける。個室の病室、入眠剤で眠る母親の状況は沙希が到着した時には安定していた。 沙希の綺麗な容姿は、母親似だ。髪も瞳も同じ色。女性にしたら、若い頃なら瓜二つだろう。違いといえば、身長と髪の長さくらい。兄達の顔立ちはどちらかと言えば父親似だった為、幼い頃から母親は自分そっくりの沙希の容姿を溺愛してきた。 「父さん…遅くなってごめん、大丈夫?」 「沙希、母さんが体調を悪くしたのはお前のせいだ」 「え…」 付き添っていた沙希の父親が、いきなり強い口調で言い放つ。スーツ姿で黒髪を短く整えて、七三に分けている、いかにもビジネスマンな格好。目蓋が厚く、二重だがシャープで半開きのような濃黄色の瞳。父親に厳しい表情を向けられて無意識に姿勢を整える沙希。 「充分な仕送りはしてきた、それなのにクレジットカードは毎月上限まで使い込む、どこで何をしているか仕事の事も教えない…母さんがこんな事になったのも、お前が心配をかけるからだ」 「あ…あの、それは…今、ちょっと求職してて」 「求職?また仕事を辞めたのか、一体何をしているんだ」 「…ごめん、なさい」 「上の子達と歳の差の開いた末っ子だからと、ついつい甘やかしてきたが…いつまでたっても自立が出来ないとは情け無い…」 首を左右に振って落胆する父親に、沙希は何も言い返せず俯くしか無い。言われている事は全て事実で、否定のしようがないのだ。 「…何とか、するから」 「何とかとは何だ、具体的に説明しなさい」 「……」 「沙希、私も母さんもお前の事は可愛い…だが、このままでは穀潰しだ」 「!」 「今後、どれだけ頼まれても仕送りは月に1度だけだ…よく考えて使う事だな」 沙希の生活の仕方をよく思っていなくても仕送りを完全に止めない所に我が子への甘さが残っている。それでも沙希にとって、親からの援助が制限される事は大問題だ。自分だけなら凌げるとしても、仲間達のために金を使う余裕は無くなるだろう。 「待って、父さん…それじゃ俺には何も残らなくなる」 「いい加減にしなさい!兄さん達は、自立してから一度も親に頼った事など無いんだぞ」 「っ…」 兄達と比べられて、悔しそうに目を伏せる沙希。 「あなた、そんなに沙希を叱らないで…」 叱咤する声で目を覚したのか沙希の母親が薄く目を開いた。入眠剤が効いている為、起きているが意識は薄そうだ。 「母さん!…大丈夫?!」 「沙希は昔から顔しか取り柄が無いの、分かってるでしょう?…うふふ、若い頃の私にそっくり…綺麗なお顔ね」 「…母さん」 「沙希が叱られると、私が叱られている気持ちになるわ…だからそんなに叱らないで」 「ごめん…母さん」 依存的に愛してくれる母親。しかしいつも褒められるのは顔だけだ。倒れて、意識が朦朧としている時でさえ、それは変わらなかった。他に褒めるところを作れない自分を責めてみたり、諦めてみたり。揺れ動く感情に押しつぶされそうで、沙希は逃げるように病室を出て行った。 「ん…早かったな」 車内で待っていた玲司は、予想外に早く戻って来た沙希を見て休憩の為に少し倒していた車のシートを戻した。 「…俺がいると、母さん余計に具合悪くなるから」 「…もういいなら帰るぞ」 「…もういい」 そう言いながらも、母親の病室のある病棟を見上げて切ない横顔を見せる沙希に玲司は暫く車を出すのを待つ。 「喉が乾いた…お前も何か飲むか?」 「…ミルクティー飲みたい」 「じゃあちょっと待ってろ」 気づけば、陽が傾いている。玲司が自販機で買って来た飲み物を飲みながら、沙希は独り言のように話し出した。 「父さんはさ、母さんの事が重いくらい好きで、大金積んで夜の仕事辞めさせたんだって…花魁みたいだよな」 「…かもな」 「だから俺の事…ホントは心のどっかで憎んでるのかもしれない…兄さん達の時よりも母さんの愛情を多めに奪ったと思うから」 「その愛情は別モンだろ」 「そうだけど…でも、あんなに怒った父さん初めて見た…母さんが倒れたのは俺のせいだって…俺の事、穀潰しだって…もう生活費も今までみたいに助けてもらえない…どうすれば良いんだよ…ヴァルトも追い出されて、好きに使える金も無くなって…マジ、サイアクじゃん」 「要するに親父さんに、こっ酷く叱られて小遣い止められたって事か?」 「っ~!…お前キライ!」 「別に俺の事はキライでいいけどよ、叱られたからって親父さんの愛情は疑うなよ?本当に憎いなら、わざわざ叱ってくれねぇからな」 「…」 「それに、生活を革める良い機会じゃねぇか」 「…はあぁ?!どこがだよ!ただのピンチじゃん!」 「ぐうたら生活が親にバレて、アイツらと遊び回る余裕も無くなった…嫌でも働くしかない…もう意地も張っていられないだろ?観念したらどうだ」 「……」 病に伏せる母親の寝顔を思い出して震えた溜息を吐く沙希。 「言われっぱなしは、悔しいだろ」 「やっぱり…お前キライ」 キライ。キライ。キライ…

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