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荊棘②

自分が行っても部屋を開けてもらえないから、と沙希から預かったフィギュアを持ち主に返す為に花結を訪ねた玲司。いつも警戒心が強くドアは少ししか開けない花結だが、フィギュアを見るなり飛び出して来た。 「亜南氏、これ…取り返してくれたんですか…感謝します」 嬉しそうにフィギュアを抱きしめる花結。 「俺じゃねぇよ…取り返したのは沙希だ」 「ひっ…い、い、伊吹氏が、ですか」 珍しく微笑んでいた花結だったが、沙希の名前に拒絶反応を起こして怯えた表情になってしまった。 「怪我の具合は?」 「あ、心配無用です…痛みも引いてきました」 「そうか…なぁ、花結…確かに沙希のやり方は間違ってると思うぜ…お前からしたら、殴ったやつも、助けてくれなかった沙希も同罪だろ…けどよ、アイツはアイツなりに考えがあったらしい、それだけは分かってやれよ」 「自分は…伊吹氏だけは、違うと思っていました」 「ん?」 「他の、悪人たちと違って…一緒に居ても伊吹氏が何か悪事を行っている所は見た事が無かったので…でも、あの時…大人しくフィギュアを渡せと言われて、やっぱり同じだったと…失望したんです」 「花結…」 「止めに入ったら…自分も危ないかも知れない…だから、別に…助けに入れなかった事を恨むつもりはありません」 「…お前、あんな状況でもちゃんと人を見てたんだな」 「ふ…ふふふ…自分を、なめないで頂きたいです…」 「これを返したからって言う訳じゃ無いけどよ、あいつは変わろうとしてる…見放すのは、もう少しだけ待ってやってくれねぇか」 「…千代田氏が、提案した多数決の事ですか?」 「ああ」 花結は、フィギュアを見つめて呟く。 「亜南氏は、伊吹氏をヴァルトに残したいんですか…?」 「…そう思ってる」 「今からそのルートエンディングを目指すのは、難易度ハード…いえ、ナイトメアですよ…極めて難しい…自分が知る限り、千代田氏と梶本氏はすぐにでも伊吹氏を追い出したい様子です、夕岳氏は千代田氏に従うでしょう…1-D号室の方は存じ上げませんけど、あの方はもともと我関せず… 他の方は中立的な性格ですが、どちらかと言えば退居を望んでいると思います…自分が味方した所で、数は覆りません…それに、お忘れかも知れませんが…1-B号室の方は、伊吹氏の仲間が繰り返した騒音等の嫌がらせが原因で出て行ってしまいました…既にバッドエンドルートへのイベントが発生済です」 (ルート?イベント発生済?) 「…ですが、ゲームの中でもレアエンディングは存在するものです、自分の推しも正規ルートでは通常の告白イベントでエンディングを迎えますが、レアエンディングでは別のキャラクターに告白して振られる事で、推しが告白してくれるんです…自分は、そっちのエンディングの方が好きです」 「……」 「……つまり、思わぬ結果になる可能性は残っていると言いたいです」 「あ、ああ…そうだな」 「自分も、出方を考えておきます…失敬」 好きなことの話になると口数の増える花結。語り終えて満足したのか、ペコリと頭を下げて部屋に戻って行った。 「…1-B、か」 今は空室になってしまった1-B号室。前住人は沙希の仲間に嫌がらせを受けて出て行ってしまった。神経質な性格で、仕事も多忙だった為、騒音で夜も眠れない日々に我慢の限界だったようだ。 空に、暗雲が架かる。 「あのさ…話、あるんだけど」 いつものように夜の繁華街で遊び歩く約束をしていた仲間達との待ち合わせ場所に出向いた沙希。満席でも20人しか入れない、このバーは宗斗の友人が経営している為、柄の悪い客の巣窟になっている。今日はやけにドアが重く感じた。 「おう、沙希…浮かねぇ顔だな、せっかくの美人が台無しだぜ」 「しかもカチッとした服なんか着てるし、何かあったのか」 「母さん…倒れちゃってさ」 沙希は仲間の座るテーブル席には座らずに、母親が倒れた事で普段の生活が父親にバレて仕送りを制限された事を掻い摘んで説明した。 「そいつは気の毒にな、それでどうするつもりだ」 「うん…もう、無駄遣い出来ないし…貯金なんかして来なかったからさ…こうやって遊ぶの、やめようと思ってる」 「俺らとは、もう遊べないって事か?」 「…ごめん」 「なんだよ、良い子になるのはママの前でだけじゃなかったのか?」 「お前ら、そう責めてやるなよ…遊ぶ金が無いなら、稼ぐしかねぇだろ…なぁ?沙希」 「…宗斗」 「稼げる店を紹介してやるよ、その顔だ…遊ぶ金なんかすぐ貯まる、それで親孝行してやれ」 「稼げる店…?クラブとかは無理…俺、酒が飲めないから」 「ああ、酒は飲めなくてもいい…別のモンは飲む事になるかも知れねぇけどな」 「え…それって」 「さっそく研修と行くか、今日は俺が教えてやるからよ」 立ち上がった宗斗に強めに頭を撫でられ、抵抗できなくなる。他の仲間達とは反対方向へと歩き出す2人。その途中で、ポツポツと雨が降り始めてきた。 「雨が…」 「ああ、降ってきやがったな…なに、店はすぐ近くだ」 「宗斗ってさ…家族の話、しないよな」 「ああ、しねぇな…聞きてぇか」 「…うん」 「親父はギャンブルで借金してるくせに飲んだくれでな、酔っ払って道の真ん中で寝落ちた所をデカいトラックに轢かれた…頭をペシャーンとな」 「!!」 「お袋は俺より、まだチビだった弟を可愛がっててな…余程可愛かったんだろ、あの世まで道連れにしやがった…まぁ、俺の家族の話と言えばこんな所だ…どうだ、いい家族だろ?」 「…ご…ごめ」 「謝る必要なんかねぇさ…ただの思い出話だ、沙希…俺にも親の血が流れてるんだなぁ…お前が可愛くてたまらなくてよ…地獄まで道連れにしたくなっちまう」 「…っ」 この時、沙希は初めて宗斗に対して強い恐怖を抱いた。 「震えてるな、寒いか?雨が強くなってきやがったからな」 「……う、ん」 離れたくても、離れられない。 連れて行かれた先は、予想通りのソープ街。男性が男性に奉仕をする風俗店だった。ここの店も、経営者は宗斗の知人のようで顔パスで空室に通される。 「さぁ、沙希…明日からココがお前の職場だ」 「…でも、俺…此処で働いてるのバレたら…今度こそ親に見捨てられる」 「ココなら親の仕送りが無くても、充分稼げるさ…ホラ、そのお利口さんな服は脱ぎな…お前は、何も着てない時が一番可愛いんだからよ」 「…いくら稼げても…母さんが」 「あーあーあーあー…ママ、ママってうるせぇな」 パン、と沙希の頬を引っ叩く宗斗。顔を叩かれた事など無い沙希は途端に怯えて両腕で顔を庇った。 「や…やだ、顔だけは…俺には、顔しか無いから…っ」 「ああ、悪かったな…もう叩いたりしねぇよ…今までみたいに大人しく言う事を聞いてればな」 「…言う事…聞くから…」 「よしよし…良い子だな、沙希」 大人しくしていれば宗斗はいつものように優しい。しかしその優しさは薄い表面だけのもので、すぐ下には暴力的な一面が潜んでいるのを身をもって知った。玲司に買ってもらった服を脱ぎながら沙希は思っていた。 (俺は、まだ…コイツらと同じなんかじゃなかった…これから…引き込まれるんだ) 雨音が激しく壁を叩く。 もうすぐ日付が変わる頃。今夜は止みそうにない雨が研修を終えた沙希を濡らす。店を出てから歩いて帰って来た為、痛む足腰。漸く辿り着いたHeimWaldの前で、ポケットから鍵を取り出そうとして、その存在がない事に気付いた。新緑の季節とは言え長時間、雨に降られれば体が冷える。念のため他のポケットも探したが、鍵は無い。 (ほんと…最後までサイアクの日だな) マンションの住人が仲間にかつあげされ、その盗品を高値で買い戻した。母が倒れ、見舞いに行けば父に怒鳴られ、仕送りを制限される。更に連んでいた仲間には店に売られた。そして痛む下半身を庇いながら雨の中を長時間歩き、やっと帰って来たと言うのに鍵をどこかで落としたという、とどめを刺される。まさに、最悪の日だった。 スマホを取り出すも、連絡する相手に迷う。迷惑を許してもらえる相手が、思いつかない。 (探しに…戻るしかないか) 今来た道を振り返る。暗い道を見て、自分がやっている事が虚しくなってきた。誰も傷つけるつもりは無かった。ただ、身を寄せ合える存在を求めただけなのに。その不器用な思いは全て空回りして自分自身にカウンターを喰らわせるのだ。沙希はついに足を止めて立ち尽くした。 「沙希…?」 駐車場から傘を差して部屋に戻ろうとした玲司が、雨の中で立ち尽くす沙希に驚いて目を見開く。 「…あぁ、お前か…こんな時間にドコ行ってたの」 「少し走らせてから、スタンド寄って来た…色々考えてたら寝付けなくてよ」 言いながら傘を差し出してくれる玲司に沙希は困惑したように俯く。 「お前が濡れる…俺はもう、今さら傘とか関係ないから」 「どうしてこんなとこに突っ立ってるんだよ」 「あー‥うん、鍵落としたみたいでさ…サイアク」 「今からこの雨の中を探して回る気だったのか?…明るくなってからにしろよ、俺も仕事行く前に探すの手伝ってやるから…とりあえず今夜は俺の部屋に来ればいいだろ」 「…え」 「何で眉間にしわ寄せてんだ…一応、片付いてる方だぜ?うちはヴァルトで一番、泊まり客が多いからな…主に身内だけどよ」 「…や、そういう事じゃなくてさ…だって、まともに話したの今日が初めてだったじゃん…そんな奴を泊める気なのかよ、と思って」 「迷惑でもかけるつもりか?…そろそろ俺も、水も滴るいい男になりかけてんだよ、部屋行くぞ」 「あは…なにそれ」 足を動かすのも辛かった沙希は内心、安堵で張っていた気が緩んだ。涙を誤魔化してくれる雨。 それは沙希が初めて玲司の部屋を訪れた日となった。 「両隣も上も無人で良かったな、この時間でもシャワーくらいなら浴びても大丈夫だろ」 「…隣、居ないの?」 「夜は留守にしてることが多いみたいだぜ、多分な」 ヴァルトでも謎多き存在の1-D号室。 「なんか…知らないけど、お前の部屋って懐かしいな」 「そうか?」 「うん、古風って言うやつ?テレビで見る田舎の古民家って感じ…そういうとこ、住んだことは無いけど懐かしい」 「実家の離れが、そんな感じだからな…ほら、着替えとタオル」 「…これ、新品」 「着れるだろ、俺とそう背も幅も変わらねぇし」 「あ、ありがと…まさか1日に、2回も服用意してもらうことになると思わなかった」 「いいから早く行って来い…風邪引くぞ」 「うん…でも、ちゃんと代金払うから」 「ははっ、今着てる服は高かったぜ」 「…大丈夫…稼げる仕事、見つかったし…ほら、ちょうど良い服着てたからさ…さっきまでバイト探してたんだよね…で、即日採用…ラッキー」 呟いてシャワーに向かった沙希を見送って、収納スペースから客用の掛布を出す玲司。雨の中、立ち尽くしていた姿を思い出して表情を曇らせる。 (困ってる時に、助けを求める相手も居なかったのか…) 『自分が味方した所で、数は覆りません…それに、お忘れかも知れませんが…1-B号室の方は、伊吹氏の仲間が繰り返した騒音等の嫌がらせが原因で出て行ってしまいました…既にバッドエンドルートへのイベントが発生済です』 回避したいバッドエンド。しかし現状は花結の言う通り、困難を極める。 「浴槽に黄色いアヒルがあった」 「ああ、親父のだ」 「妹じゃなくて?」 「ああ、親父だ…アイツがあると落ち着くんだと」 「あはっ、おもしろ…親が泊まりに来んのも、珍しいし?」 「そうか?まぁ、お袋は世話焼きには来るけど滅多に泊まりはしねぇな…親父は寂しがりだから、帰れって言っても聞かねぇ」 「…ふーん、なんとなくお前が出来上がるのも納得」 「ほら、そこ使えよ」 指差されたソファーには既に枕と掛布が置かれている。 「うん」 悲鳴を上げる足腰を漸く休めることが出来る。沙希は遠慮なくソファに腰を下ろした。 「俺も行ってくる…疲れてるだろ、待たずに寝てていいぜ」 照明を落とそうとした玲司に沙希は首を横に振る。 「もう少し起きてる」 ソファーに横になると生き返った気がした。 (宗斗1人の研修だけでこれじゃ…明日から、体どうなんの) フルコースの研修は、いつも宗斗としている事にサービスを追加しただけだ。顔を叩かれた恐怖で力が入って、いつもより感じることも出来なかった。宗斗以外の相手と、出来るだろうか。考え出すと、吐き気すら起きる。沙希は溜息を吐いて天井を見つめた。自分の部屋と同じ天井。その上は、自分の部屋だ。 (天井抜けたら…ここに落ちて来れたりして) 非現実的な事を考えて自嘲する。それだけ居心地が良いソファーだと思った。 「眠れないのか?」 暫くして、玲司は戻って来ると壁際のベッドに腰掛けた。まだ起きていた沙希に声をかける。 「目、閉じたら寝れると思うけど、寝たく無いんだよね…」 「俺は数時間後に仕事と、その後は龍に服代の支払いだ…悪いけど、もう寝るぜ」 「え?…服代…ツケにするくらい高かった、とか?」 「高かったって言っただろ」 「そうだけど、金額聞いてないし…なぁ、やっぱり俺が払うって」 上体を起こして玲司の方に向き直る沙希。 「…そこまで言うなら、払うか?」 (って、俺が決める事じゃねぇけど開店準備なら人数多い方が龍も助かるだろ…) 「うん」 「分かった、龍に連絡してやるから…早起きしろよ」 「え…その前に金額!」 「ん?ああ、そうか…支払い方法も聞いてなかったんだな」 「支払い方法?」 「金じゃなくて、体で払えってよ」 「?!!」 玲司の言う体で払えの意味は、代金を支払う代わりに龍樹がBizFestに出す店の開店準備を手伝うという労働の事だ。しかし沙希は試着室に入っていた為、その話は知らない。しかも先程、宗斗に体で奉仕する事を教えられたばかりだ。完全に体で払えの意味を取り違える。 「ははっ…顔に嫌だって書いてあるぜ、やめとくか?バイト決まったんだろ?無理する事ないぜ、俺だけで十分……だ」 突如、無言で立ち上がった沙希が歩み寄ってきて玲司は無意識に身構える。沙希の綺麗な顔は、怒りの表情を張り付けていたからだ。 「結局…それ目当てかよ」 「?」 「俺はお前に借りたの…だから俺が支払うなら、相手はお前の方…バイトの練習にもなるし」 「俺に支払う?…気持ちはありがたいけどな、ト…」 トリマーの仕事の手伝いは頼めない。そう言おうとしたが、遮られる。 「それとも、知ってて優しくしたのかよ…最低だな…少しでも、嬉しいって思った俺がバカだった」 「……は?」 会話が成立しない。玲司は意味が分からず沙希が言いたい事を考えようとしたが、それより早く沙希が飛びかかってきて思考が停止する。ドサ、と布が擦れる音がして押し倒されたのは受け止めた勢いで抱き伏せられた沙希の方だった。 「何固まってんの…時間無いんだろ?」 (とりあえず押さえ込んだけど…どうすりゃいいんだよ) 「なぁ…早く…しろよ」 「何言ってるのかは、さっぱり分からねぇけど…泣くほど嫌なら無理に手伝う必要ないぜ、龍と俺、あとは龍が雇ったバイトで片付く事だからな」 「…手伝う?」 「確かに重労働だよな、服も量が有れば重くなるし搬入の手伝いだけでも一苦労だ、けどお前…なにも泣くほどじゃねぇだろ…ほら、自慢の顔が腫れぼったくなるぞ」 困ったように笑う玲司に沙希はやっと自分の誤解に気付くと、急に恥ずかしくなって体を捩って暴れだす。 「お前の言い方が悪い!お前のせい!嫌い!って言うか、もう離せよ!」 「自分から飛びついてきたくせに、俺が襲ったみたいに言うんじゃねぇよ…」 訳もわからずベッドに押さえつけていた沙希を離しながら、自分が言った言葉を思い返して玲司も沙希の誤解に気付く。 「え…何?」 起き上がってソファーに戻ろうとした沙希の腕を捕まえる玲司。公園の時と同じだ。 『行くんじゃねぇよ』 その言葉を思い出して、また沙希の胸の奥がドキドキと疼いた。 「お前…さっき、なんて言った」 「……っ?知ってて、優しくした…とか」 「その前に…なんて言った」 トーンの落ちた玲司の声音。沙希は記憶を少し前まで遡る。 『俺が支払うなら、相手はお前の方…バイトの練習にもなるし』 怒りに任せて言ってしまった言葉。ハッと息を飲んで、言い逃れる為の嘘を探す。 「…あ…あれはさ…違うんだって…バイトって言うのは…間違えて」 「沙希、ちゃんと話せよ…どうしてこの数時間で、そんな事になってるんだ」 「だって…お前が」 「俺が?」 「お前が言ったからじゃん…だから、抜けようとしたんじゃんね…でも、宗斗が、金がないなら稼げばいいって…働き口も紹介してやるって言い出して…連れてかれたのが、の店で…」 「有無を言わせず働けって言われたのか」 「働かないと、顔潰される…色々、考えてくれたのに…悪いけど、俺もう…諦めるからさ」 「…諦める?」 「そこの店、安く住める寮みたいな部屋も用意してくれるんだって…俺、そこに行く」 ごめん、と謝ってソファーに戻ろうとした沙希。しかし腕を離してもらえない。 「勝手に話を終わらせるんじゃねぇよ、まだ俺が何もしてねぇだろ」 「え?」 「確かに、お前に悪い仲間から抜けろって言ったのは俺だ、お前はそれに応えてくれようとしてくれたんだろ…金に困った仲間を、働きたくもない店に押し込むような奴の好きにさせるかよ」 「…何、するつもりだよ」 「沙希、その店と雇用の契約はしたのか…」 「雇用の?…ううん、昨日は宗斗と店に行って…セッ…説明とか受けただけ」 「だったら、まだ間に合う…朝は早く起きろよ」 何かを企んだような笑みを見せる玲司。 「なに悪い顔してんの…似合わないって」 状況は何も変わっていないのに、玲司の顔を見ていると何故か諦めが悪くなって、もしかしたら明日の自分は笑っているのかもしれないと淡い期待を抱きたくなる。 「沙希…」 「…ごめん…気持ちは嬉しいんだけどさ、宗斗から俺を横取りなんかしたら…何されるか分かんない…もう誰も傷つけたくないんだよね、俺」 玲司の手を振り払ってソファーに腰を下ろす沙希。 「本当の仲間は困ってる仲間を見捨てたりしない…俺に、ヴァルトに残れって言われて嬉しかったんだろ?それに、親しくもない奴の相手するのは泣くほど嫌なんだろうが…だったらまだ、諦めるのは早い…一緒に悪あがきしようぜ」 「……どうなっても、知らねぇから」 呟いてソファーに横になると掛布を頭まで被ってしまう沙希。夜明けが怖かった。 それでも明けない夜はない。 「ああ、詳しい話はそっち手伝う時にする…何かしでかした時は、俺に責任回してくれ」 まだ太陽が半分しか昇らない内に、電話口で話す玲司の声で沙希は目を覚ました。 「……?」 「頼もしいな…店に出せるまで時間かかるかもしれないけどよ、根気よく育ててやってくれ、じゃあ後でな」 「…こんな朝早くから、誰と電話してんの?」 通話が終わったのを見計らって声を掛けた沙希に、玲司は昨夜と同じ笑みで答えた。 「お前の新しい職場の店長」 「………え?……は?……はぁ?!」 新しい職場と聞いて宗斗から紹介された店かと思ったが、玲司がその店を知るわけもない。寝起きの頭をフル回転させて、導き出した答えに沙希は混乱した。 「お?察しがいいな、龍の店はネット販売がメインで店舗は倉庫と兼用、昨日見た通り小さかったんだけどよ…自社ブランドの方も知名度が上がって来て店舗にも力を入れたいって気になったらしい、ちょうど来月末からビズに出店予定だったからオープニングスタッフ大歓迎だとさ」 「ま、待て待て待てって!無理!俺、服のことなんか何も分かんないし」 沙希は慌てて飛び起きるとスマホを持つ玲司の腕を掴んだ。 「龍、べっぴんの看板モデルが来てくれるって喜んでたぜ…それに、何も分からなくて良いんだよ、その方が最初から教えて貰える、他の店員と話す機会も自然と増えるだろ」 「そ、それはそうかもしれないけどさ…俺、マジメに働いた事無いし…やっても単発のバイトとか」 「マジメに働いてくれよ?お前のしでかした事の責任は、俺が被るんだからな」 「う、嘘…俺、自信ない…すぐヤになって逃げ出すかも」 「俺の職場も、同じビズの別棟だ…何かあったらすぐ相談に来ればいい、ついでだから送迎も任せろ、その方がサボり防止にもなるだろ」 逃げられない条件が沙希を包囲していく。ファッション雑誌のスナップにはスカウトされて何度か載ったこともある。知識はないが、嫌いではない職種だ。興味も、少しある。心が大きく揺らいだ。 「…でも、昼と夜、掛け持ちはキツい」 「ああ、言い忘れてたな…龍の店は兼業禁止だ」 「…え」 「お前の仲間の事は話してない…龍は何も聞かねぇけど、俺の紹介なら預かるって言ってくれてる…ふざけてる時もあるけど、アイツは信頼できる奴だぜ…お前が、どうしても夜を選ぶなら次は止めねぇよ…沙希、どっちか選べ」 与えられた選択肢。このまま夜を迎えて宗斗の言いなりになるか、玲司と一緒に悪あがきをしてみるか。きっと危険な火種が起きないのは前者だろう。誰も傷つけたくない、それなのに迷ってしまう。 「そんなこと…急に言われても」 「迷ってきたなら上出来だ」 「っ!」 昨夜までは、ハッキリ諦めると言い切っていた沙希の変化を玲司は見逃さない。沙希自身も、それに気付かされた。 「…今は、強引に引っ張ってやる手しかなくて、悪い」 店が違うだけで、やっている事は同じ。玲司もそれには罪悪感があるようだ。ただ、宗斗と決定的に違うのは、沙希を救うという名目の裏のメリット。沙希に稼がせて、自分も甘い蜜を吸おうとする宗斗に対して玲司の方には寧ろ沙希の面倒を負うデメリットしかない。 「……離すなよ、その手…絶対、離すなよな!」 いつも、間違えてきた選択。沙希は玲司を選ぶのが怖かった。それでも、今を逃したら次に誰かが差し出してくれる手は、見つけられない気がした。 「鍵、探しに行こうぜ」 玲司も、拭えない不安は抱えていた。全てがうまく進むはずは無い。既に見えている分厚い壁がいくつもある。それを突破するのは1人では到底無理だ。しかし幸い、玲司には困った時に助けを求める事が出来る仲間が居る。自分も沙希にとって、そんな存在になってやりたいと強く思ったのだ。 「あのデカい人…マブダチって言ってたけど、付き合い長いの?」 鍵を探して歩きながら沙希は昨日会った龍樹の事を思い出していた。 「龍とは中学からだな…あの頃から背が高かったし、体も仕上がってたから部活のスカウトが多かったぜ、バスケに野球、水泳、柔道、陸上からも誘われてたな…けどアイツは頑なに被服部を選んだ」 「被服部…って、服作り?」 「ああ、ミシンが小さく見えたぜ…文化祭ではファッションショーやったりしてな」 「中学から今までブレてないの、何気に凄いかも…」 「中には似合わねぇって喧嘩売ってくる奴も居たけど、アイツは何言われても笑い飛ばして自分の好きな事をやり続けた…だから今、店長なんだろうな」 「……好きな、こと」 自分には、何かあるだろうか。考えたが何も思い浮かばなかった。 「龍は、運良く早めに見つかっただけだ…お前はこれから探せばいい…案外、すぐ見つかるかもしれないぜ…この鍵みたいにな」 libertàの前に落ちていた鍵を拾い上げて沙希に差し出す玲司。入居の時に受け取ったタグ付きのままの鍵。確かに沙希の部屋のものだった。 「あ…」 捜索開始から数分で見つかった鍵。強く降っていた雨も、到着目前で落とした鍵も、まるで玲司と引き合わせる為に沙希を足止めしたかのようだ。昨夜の一晩が無ければ、沙希は迷わず宗斗の言いなりになっていただろう。 「良かったな、朝メシ食える時間が残った…部屋に戻って支度して来いよ」 「…ッ」 鍵を握りしめて嬉しそうに笑う沙希。あんなに冷たくて、重たくて、最悪だと思っていた雨に今は感謝したい。龍樹の店を手伝う身支度の為、自分の部屋に急ぎ足で戻って行く沙希。自分も戻ろうとした玲司は後ろで開いたlibertàの裏口の扉を振り返る。 「…野良猫に、無責任に餌をやるような真似はよせ」 いつも早朝には店にいる勇大。会話が聞こえていたのか、腕組みをして玲司を睨みつけた。 「責任なら持ってやるつもりだ…お前こそ鳴き声が煩かったら遠くに摘み出せば満足か?」 「……」 勇大は少し考えてから、雨の上がった空を見上げた。今日の天気は薄曇り。 「梶本、お前がリベルタの次にヴァルトの事を気に掛けてるのは知ってる…問題起こす沙希は煙たいだろ…だから、先に謝っとくぜ、俺はアイツを引き留める」 「…1-Bを覚えてるか」 「……ああ」 「喧嘩は両成敗、片方だけが追い出されて済むのは…納得いかねぇな」 「沙希が追い出した訳じゃねぇだろ」 「間接的でも、アレが引き起こした事だ…あんたの良い所は誰にでも手を差し出せる所だが、今回はそれが悪い方に出ちまったな…」 「そうかもな…けど、梶本…お前だって、オーナーに手を差し出してもらった身だろ」 「……」 勇大はそれ以上、何も言わなかった。

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