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荊棘③

BizFestの職員用駐車場で待ち合わせた龍樹と合流する。緊張した面持ちで玲司の後ろに立つ沙希に龍樹は豪快に笑った。 「おお!来た来た!昨日ぶりだな、シンデレラ!」 「シンデレラ?」 「だってよ、昨日は毛玉だらけの部屋着にソースまで付けてただろ?それを俺の魔法で、テーラードベストの似合う好青年に変身させたんだ…で?舞踏会は楽しかったか?」 「退屈で0時前には帰って来てた…ガラスの靴の代わりに部屋のカギ落として、マジサイアク」 「ははは!そいつは散々だったな…それで、王子様でもない玲司がお持ち帰りしたのか!このやろう!やっぱりお前は最高のマブダチだぜ」 「朝からうるせぇな、こいつは…沙希だ」 紹介されて小さく頭を下げる沙希。 「伊吹沙希…です……よ…よろしく」 「んん、合格!面接終わり!」 「え?」 「挨拶できて、ノリも良い!それだけで充分だ、しばらくは裏方手伝ってもらうけど、行く行くはうちの看板モデルになってもらうからな!…おっと、遅くなったな店長の羽島龍樹だ、改めてよろしく!」 「…あ、あのさ…俺、ミスとかすると思うし…言葉とか…接客向きじゃないし…それに」 「あー、その辺は気にするな…うちに元から居る奴らも最初はそうだった」 ぽんぽんと大きな手に頭を撫でられてキョトンと目を丸くする沙希。 「悪い、仕事の時間だ…龍、頼んだぜ」 「おうよ、バッチリ預かるから、お前は安心してワンちゃんをシンデレラにして来い!」 仕事に向かうため、別行動になる玲司。龍樹と2人きりになって沙希は心細いのかそわそわしている。 「……あいつ、何時に仕事終わるの」 「今日は17時過ぎには合流予定だ、なんだもう恋しくなったのか?」 「んな訳ないじゃん!」 「よっしゃ、先ずは面倒な書類から片付けるか!」 龍樹の人受けの良い笑顔に思わず肩の力が抜ける。関係者専用の搬入口から店舗の裏側を通ってRe:Dragonの札のついたテナントスペースに辿り着く。STAFFと書かれた札を見つめる沙希。 「…」 「まだ棚組みしか終わってないけど、好きに見て回っていいぞ」 パーテーションがある為、店の外はまだ観れない。ただ賑やかな人の会話と、軽快な音楽が流れているのが聴こえる。 「龍と樹…そのままじゃん」 鬱蒼とした森の影絵の中、店内を飛んでいるように壁に描かれた龍の鱗。柱やカウンターは木製の物が多い。飾られた絵画は下から見上げる構図の西洋ドラゴン。 「俺は和龍の方が好きなんだけどよ、師匠は西洋ドラゴンの方が好きだって言うんで…まぁ、アレだ!和洋折衷ってやつだな!」 「師匠?」 「俺に被服の魅力を教えてくれた師匠、タツ子婆ちゃんだ!」 レジの後ろに飾られた写真。都会の若者が集う街でカラフルな綿菓子を持つ龍樹とその祖母タツ子。タツ子の身長に合わせて、龍樹は屈んで撮影したようだ。2人とも満面の笑みで仲の良さが窺える。 「あはっ、似てる」 「だろ?俺は平均より大分小さく産まれたんで、体重増えるまで母ちゃんと婆ちゃんの2人体制で24時間付ききっきりで世話してもらってたのよ…婆ちゃんは毎日神社に参って、俺がデカく育つように賽銭投げてたらしい…今じゃ、そのご利益でこんなにデカくなったけどな!そんな事もあって婆ちゃんは孫の中でも俺に一番構ってくれた、初めてミシンに触ったのも婆ちゃんの古ミシンだったしな」 「じゃあ、店のことも一番喜んでくれたのも師匠だったりして」 「ああ、今は…遠い国に行ってて、会いたくても会えないけどな」 「え…」 遠い国、と聞いて天国を思いついた沙希は表情を曇らせる。 「豪華客船で地球一周クルーズの旅…3ヶ月は帰ってこない、今どの辺に居るんだろうな…寂しいぜ」 「すげー元気じゃん!ビックリしたし!」 「ははは!ほら、緊張は解れたか?書類、よく読んで書いてくれ」 「…うん」 契約に必要な書類を受け取って笑った沙希は、眩しいほど綺麗だった。突然、心臓を押さえて片膝をつく龍樹に驚く沙希。 「うっ…」 「え!!ちょ、どうしたんだよ!」 「ハートを撃ち抜かれた、その笑顔は接客で最高の武器になるぜ」 「……」 龍樹は人の気を緩ませるのが上手い。半日経った頃には沙希の緊張は解れて笑顔も増えていた。 「…お前ら、今まで何してたんだよ」 夕刻、仕事を終えて合流した玲司は搬入された衣類がどっさりと入った大きな箱をバックの倉庫に並べながら先に作業していた2人に文句をつけた。わざとかと思うほど力仕事が残されていたのだ。 「仲良くしてたさ、書類の確認に1時間、新しいラベラーのセットの仕方が分からなくて1時間、昼休憩に1時間かかったけどな」 「台車の置き場所決めるのにも1時間かかったじゃん」 「おお、そうだったそうだった!」 「つまりほとんど進んでねぇじゃねーか」 山積みの箱を棚に押し込みながら怒り口調の玲司。 「あはっ、仕事残しておいてあげたんじゃんね」 「そうとも!沙希に着せた服代は、お前に働いて返してもらう約束だからな!働け働けぃ」 「そうかよ!…仲良くなれたみたいで何よりだぜ」 怒り口調のまま作業を続ける玲司を笑う龍樹と沙希。力仕事は玲司に押しつけて沙希は空いた段ボールを束ねる作業を始める。しかしダンボールは意外と端が硬い。素手で重ねようとした時、右手の人差し指をスッと切ってしまった。 「った…」 それだけなら大した事ではなかったが、止血する物を探して近場にあった布で押さえてしまう。 「沙希、どうした…疲れたか」 突然、静かになった沙希に玲司が作業を中断して歩み寄る。 「…ご、ごめん…コレ、商品…だよな……俺、よく見ないで」 止血に使ってしまった布はよく見るとバンダナだった。下に在庫の箱がある。おそらく見本用にする為に出してあった物だろう。青ざめる沙希の右手を取って龍樹を振り返る玲司。 「龍!救急箱あるか」 「どうしたぁ?!…あ、あちゃー…軍手持ってなかったのか、貸してやれば良かったな」 救急箱を持って小走りで来た龍樹は沙希の指の傷に気付いて眉を下げた。 「店長ごめん…俺…確認してなくて…コレ、汚して」 血が付いてしまったバンダナを差し出して声を震わせる沙希。龍樹は救急箱から絆創膏を出しながら豪快に笑う。 「そんな事か、気にするなよ!俺がいる限り商品はいくらだって代わりが作れる…でもお前の代わりは居ない!うちの店の中で無くなって困るのは、お前たち従業員だけだ」 「…でも」 「お前が軍手してない事に気付いてやれなかった俺にも責任がある!だからもう気にするのは終わり!反省終わり!」 「…ありがと」 絆創膏を貼ってくれた龍樹に礼を言って、微笑む沙希。 「くうー…この笑顔よ!こりゃあ、どんな失敗も許しちまうなぁ」 「おいおい…」 沙希にデレデレの親友。玲司は呆れて溜息を吐いた。その時、沙希のスマホが鳴る。気づけば夜の仕事に行く予定だった時間を過ぎている。しばらく黙って出なかった沙希だが覚悟を決めたように電話に出た。 「…宗斗」 その名前に、玲司が険しい表情になる。龍樹は、事情を知らないが空気が張り詰めた事で何かを察して腰に手を当てて見守る事にした。 『沙希…お前どこに居る、初日からすっぽかしてんじゃねぇぞ』 「ごめん…行けない…俺、新しい仕事見つけたから」 『あ?』 「その店では働きたく無い…兼業も禁止だし…仕事中だから切る」 『そんな事だろうと思ってよ』 「え……」 『別に仕事はいいぜ、どこで働こうと俺達と遊ぶ金を稼げるならお前の勝手だ…新しい仕事が見つかったなら祝ってやる…』 「違う…俺が働くのは親から自立する為…お前達と遊ぶ為じゃない」 『それで俺からも離れられると思ったか?』 「…どういう、意味?」 『言っただろ沙希…俺はお前が可愛い、手離したくないってな』 「俺、お前のじゃないから…付くも離れるも俺の勝手だろ」 『分かってねぇな…お前は逃げられないんだよ、そんなクソつまらねぇ理由で俺と切れると思ったか?』 「仲間みたいに言うなよ…俺の事ATMとしか思ってないくせに」 『そういう奴も居るかもな…俺は違うぜ、本当にお前を気に入って側に置いておきたいんだ…だからよ、お前が逃げ出そうとしてるのも…お見通しなんだよ』 ゾク、と寒気が走る。 「……え?」 『お前のマンションの住人、1人預かってるぜ』 「!!」 『口の達者なチビだ、キャンキャン喚くんで…今は眠らせてるがな』 「……どうして」 特徴から、囚われているのはアストだと推測できた。宗斗を甘く見ていたと思い知る。 『沙希…仕事が終わったら迎えに来いよ、新しい仕事が決まったお祝いだ…みんなで可愛がってやるからよ』 「……っく」 スマホを持つ手が震える。やはり宗斗に歯向かうべきではなかった。激しい後悔とこれから待ち受ける仕置きに震えが全身に伝染する。 『待ってるぜ…仕事、頑張れよ』 プツ…と一方的に通話が切れた。良い結果では無いことは見ていた玲司や龍樹にも分かる。 「沙希…宗斗は何だって?」 「ごめん…ダメだった」 ぼと、と床にスマホが落ちる。そして沙希自身も膝から崩れ落ちた。吐き気を堪えるように口に手を当てている。 「…どうした?!吐きそうか?吐けるなら吐いちまえよ?」 龍樹が近くにあったショッパー用のビニール袋を広げて口元に差し出しながら優しく声をかけた。ただの体調不良ではない。胃がむせ返るほど強いストレスを与えられたせいだ。 「…沙希」 玲司が固く拳を握る。ダメだった、それは夜の仕事を回避しても宗斗からは逃れられなかったという意味だ。そこまでは想定はしていたが、沙希の様子はただ怒られただけのものではない。 「なぁ、2人とも…深くは聞かねぇが、俺に何か出来ることがあったら言えよ」 「…何もない…もう、何もしない方がいい…宗斗を怒らせた!…早く行かないと!」 真っ青な顔で訴える沙希に玲司と龍樹は顔を見合わせた。 「…行くのか?マブダチ」 「手伝いが途中になって悪いな…」 「続きは後日キッチリやってもらうぜ…ヤバい時は呼べよ」 「ああ…沙希、行くぞ」 玲司に呼ばれて頷くと立ち上がる沙希。 「隣…アストだっけ?あいつが…連れて行かれた、急ご」 従業員用の駐車場に着いて車に乗り込むと、最初に発せられた言葉がそれだった。 「…やりやがったな」 「俺が抜けようとしてるの見通してマンション張ってたみたい…もしかしたら、他の住人も何かされてるかも」 それを聞いて発車の前に誰かに電話をかける玲司。おそらくHeimWaldの住人だろう。 「朔…今大丈夫か?お前、今日は休みだよな…ヴァルトに居るか?……分かったから落ち着け…他には誰も何もされてないか?ああ、今から連れて行く…泣くんじゃねぇよ、大丈夫だ…じゃあな」 短い会話の後、通話を切った玲司はエンジンを掛けた。 「…ごめん、全部…俺のせい」 「朔が襲われたのを助けようとしてアスが連れて行かれたらしい、他の住人は無事だ」 「…アイツら、前から可愛いって狙ってたから」 「お前が戻ったらいつもの場所に来るように伝えろ、そう言い残したって言ってたぜ…それで朔はずっとお前の部屋の前で待ってたんだと」 「…いつもの場所、霧ノ堀の裏にある古いビル!そこに宗斗が借りてる部屋がある」 霧ノ堀は夜になると人でも多く夜営業の店で賑わうが、少し裏路地に回ると寂れたシャッター街と殆ど空室の古い雑居ビルが立ち並ぶ。治安が悪く、地元の者は不用意に立ち寄らない区域だ。 近くの駐車場に車を停めて沙希の案内で古いビルに辿り着く。本当に住居者が居るのかと思うほど埃っぽく、鉄骨が剥れた壁は落書き塗れだ。 「本当にここか?」 「うん…運転ありがと、ココまででいい…アストが来たら送ってやって…俺が行けば、帰してもらえる筈だからさ」 「ひとりで行かせる訳ねぇだろ、いいから連れてけ」 「…今日1日だけだったけどさ…楽しかった、かも」 「何で今日だけなんだよ」 「…俺、もう…たぶん、帰れないから」 「帰れない?」 「逃げられないようにされる…足は、確実に潰されるかな…あは、痛そ」 ビルに入ろうと後ろを向いた沙希の腕を掴む玲司。こうして引き止められるのは何回目だろう。その度に胸を叩く鼓動が大きくなる。振り解こうとしたが、強く掴まれていて出来ない。 「絶対に離すなって言われてるんだよ、今朝のお前から」 「!」 「どの部屋だ…ああ、いや…聞く必要なさそうだな」 出迎えらしき不良が降りてきた。見覚えのある顔だと思ったら公園で花結に集っていた内の1人だ。 「こいつは関係ない!すぐ行くから、手出すなよ!」 必死に玲司を庇う沙希。 「宗斗さん、すっっげー怒ってるぜ…土下座して謝れよ?」 「アストは?!」 「あのチビか、さっき目が覚めたとこだ…抵抗すると痛い目を見る、学習して大人しくしてるぜ」 「…っ」 「宗斗って奴と話がしたい、どこに居る」 「あん?誰だ、テメェ…ははーん、なるほど、沙希を誘惑したのテメェだな?宗斗さんのもんに手垢つけやがって…ブツ切り落とされるぞ」 「違う!こいつはホントに関係ないんだって!」 「どっちでもいい、早くしろ…待たせると余計に怒らせるぞ」 不良に先導されて5階まで上がると唯一使われている部屋があった。ドアを開けると生ゴミの袋が飛び出してくる。それを足で押し込みながら土足のまま上がる。 (酷い匂いだな…) 床板も傷んで歩く度に軋む。壁にはウジが這って、サナギも張り付いている。耐震強度は間違いなく低いだろう。 「沙希ー…もう仕事は終わったのか?ご苦労様でした、と」 部屋に入るなり仲間と笑談していた宗斗が笑顔でのしのしと歩み寄ってくる。怒っているようには見えない。出迎えた不良は玲司を後ろから羽交い締めにして身動きを封じる。 「宗斗…アストを帰…ぅああ!」 物でも掴むように沙希の髪を片手で掴んで引っ張り上げると部屋の中へと連れて行く宗斗。 「おい!いきなり何を…やめろ!」 羽交い締めにしてきた不良を押し除けて宗斗を追う玲司。奥の部屋には後ろ手に縛られてぐったりと壁に寄りかかるアストの姿も確認出来た。アストの方からも2人の姿は確認出来たらしく驚いた表情をしている。 「あん?お友達を連れてきたのか?それとも…コイツが、お前を口説いてる男か」 「ち…違う…俺、誰にも口説かれてない」 「沙希…お前が誰かに何も言われずに、いきなり俺から離れたいなんて言い出す訳がねぇんだよ…甘えたで、誰かにへばり付いてねぇと不安で生きられない、愛情依存症のお前がな」 「っ…何が悪いんだよ…金なら散々、搾り取れただろ…俺はもう、普通に仕事して…父さん達を安心させたい…それのどこが悪い事なんだよ」 「悪くねぇよ、いい事じゃねぇか…言ってるだろ、仕事は好きにして良い…悪いのは俺から離れようとしてる事だ…まあ、その仕事とやらも…足が動かねぇと行けないかもしれねぇがな」 「や…やだ…離せよ!やだ…っ!!」 「押さえつけろ、右からだ」 宗斗の一声で不良達が床に突き飛ばされた沙希に群がって、その体を押さえ込んだ。宗斗の手が沙希の右足首を両手で掴む。 「っ……!!」 「お前は細いからなぁ、簡単に折れ……あ?」 沙希の足首を掴む宗斗の手首を正面から掴んで止める玲司。至近距離で睨み合う両者。宗斗がフッと笑って沙希の足を捻り、骨折させようとするのを玲司が押さえて阻止する。遊ぶようにフェイントをかけたりしてくる宗斗に玲司はクッと唸った。周りからの煽り声も耳障りだ。 「依存はテメェの方じゃねぇのか」 「…と言うと?」 「欲しいからって縛り付けるな…沙希はお前のものじゃない」 「…やっぱりテメェだな、その受けの良いツラで甘い言葉でも囁いてやったか?」 「沙希は兄貴達と比べられた劣等感でお前らを仲間だと錯覚しただけだ…こんな風に笑って人の体を痛めつける奴らと沙希が仲間な訳がねぇだろ…離してやれ!」 「…沙希の家庭事情も知ってるのか、随分と気を許したんだな」 宗斗はひとまず沙希の足を解放した。群がっていた不良達も従って離れるとそれぞれ別行動でテレビゲームやテーブルサッカーで遊び始める。 「…もう沙希に関わるな、本気で可愛いと思うなら嫌がる事させるんじゃねぇよ」 「嫌がる事…あーあー…それも話したか…それで、先手を打って仕事を見つけた…と、やるじゃねぇの…」 胡座を組んで飲みかけだった瓶ビールを飲み出す宗斗。その間に沙希は押さえつけられて乱れた服を正しながら立ち上がると落ち着かない様子で周りを見回す。 「お前、名前は?」 「玲司だ、沙希と同じマンションに住んでる…」 「あーハイハイ、仲良しマンションなんだってな…そこのチビも他の住人庇ってココに居る……玲司、俺はお前みたいに度胸のある奴は嫌いじゃねぇ…どうだ、一緒に沙希を分け合うか?」 その提案に不良達から笑い声が上がった。 「宗斗!コイツとは、そういうのじゃない!関係ないんだって!」 「あ?お前いつから俺に口答えする様になった…黙ってねぇと舌焼くぞ」 宗斗に睨まれて沙希はビクッと後退る。睨み一つで人の動きを操る威圧感。 「アスを返せ、ヴァルトにも二度と関わるんじゃねえ」 「さっきから調子の良いお願いが多いな?…勘違いするなよ、俺に擦り寄ってきたのは沙希の方からだ…今まで甘やかして、寂しくねぇように側に居てやった…それなのに新しい男が見つかったら、はいサヨナラなんて…筋が通らねぇだろ」 「お前が許せば、沙希はココから抜けられるらしいな…筋を通すにはどうすれば良い」 「おい…あっちのチビを返してやれ」 命令を与えられるとそれに従う不良達。1人がアストを引き上げて玲司に向けて突き飛ばす。 「う…」 固く結ばれた縄に手こずりながらも何とか解く事に成功するとアストはすぐに縛られた痕が残る手首を抑えて顔を顰めた。 「アス、大丈夫か…」 「ええ、まあ…折れてはいませんよ」 返事が返ったことでとりあえず安心するが、アストは乱暴な扱いを受けたらしく体を動かすのがいちいち辛そうだ。 「…ごめん…巻き込んで」 小さく呟いた沙希にアストは何も答えなかった。 「よーーし、それじゃ沙希、そこにダイスが2つある…そいつを振れ」 「…え?」 テーブルには何かのゲームに使った赤いダイスが2つ転がっている。一同が見守る中、それをゆっくりと手に取る沙希。 「どうすれば…沙希を譲ってやるか、だったな」 「…賭けでもするつもりじゃねぇだろうな」 「惜しいな…だが違う、ほら…早く振れ」 沙希が不安そうに玲司を見る。ダイスの意味が分からないが、何であっても沙希から手を引く駆け引きには繋がるだろう。玲司は頷いて振るよう促した。 「玲司…あなた本気ですか?僕を助けに来たのかと思えば、彼を引き抜くつもりなんて…」 小声でアストが不服そうに言う。 「文句なら後で聞く」 「信じられませんよ…まったく」 会話の流れで玲司の意思を汲み取ったアストは嘆かわしいと頭を横に振った。 「宗斗…これ、何の意味があるんだよ」 「ああ、それはダイスの目が出てからのお楽しみだ」 宗斗が簡単に譲るとは思えない。過去、酷い扱いを受けてきた元仲間たちは、おそらくこのダイスの運命に負けて多くのものを傷つけられ、失ったのだ。恋人、家族、仕事、財産、自身の肉体。 手の中にある2つのダイスが重く感じた。 「……今なら、まだ間に合う」 玲司とアストを見つめる沙希。やめよう、そう言いたげだ。 「そうだなぁ、今やめるなら…後の2つは約束してやるぜ…沙希さえ戻ればチビにも、あのマンションにも用は無いからな」 アストが宗斗を睨みつける。先程から許せない言葉が、度々含まれているのだ。アストとしては玲司と違って沙希を引き抜きたい気持ちは無い。ただその言葉を聞き流す我慢の限界を突破したのだ。 「さっきからチビ、チビと…貴方も何を黙っているんですか、玲司… まさか此処まで来ておいて黙って引き下がるつもりはありませんよね」 「アス…」 「振れば良いでしょう…受けて立ちます、沙希に出て行ってもらうのは、後からでも出来ますから」 アストは人一倍負けず嫌いだ。相手を選ばず自分の意見を真っ向から言えるのは長所だが、時に敵を作る。 「だとよ?」 宗斗は至極、嬉しそうだ。 「……っ」 祈るように両手でダイスを握りしめる沙希。 「可愛いお前の為に特別にヒントをやるとな、早く振った方がいいぞ…それと、振ったらもう無しには出来ないからな?逃げても無駄な事は、お前もよく知ってるだろ」 迷いが断ち切れずダイスを振れない沙希に痺れを切らしたのか宗斗が空になったビール瓶を床で叩き割った。ガシャン、と激しい音が鳴る。 「…れ、玲司」 沙希が、初めて玲司の名前を呼んだ。 「1つは俺が振る、それでも良いか」 意外な提案に宗斗はピク、と眉を潜めたが直後に歓迎する様に両腕を広げる。 「良いさ、同じ事だ」 沙希が握りしめていたダイス。その内の1つを玲司が受け取った。 「玲司…ごめん…こんなつもりじゃ無かった…何もかも、こんな事にするつもり無かった」 ダイスを握った拳を宗斗に突き出す玲司。それは明らかに宣戦布告だった。互いにぶつかった視線は逸らさず睨み合う。 「…半分は俺が背負う、いいか?沙希」 その時、真剣な玲司の横顔を見て沙希はハッと気付く。 (あ……ウソ…ヤバい、俺……まさか) 答えを思う前に胸が早打つ。緊張とは別のドキドキと心躍る鼓動。もし、この先に何を突きつけられても玲司となら挑みたいと思った。ゆっくりと沙希が宗斗に拳を突き出す。 ほぼ同時に開かれた拳。赤いダイスが床に何度か跳ねながら転がって、宗斗の目下に運命の数字を見せた。 ダイスの目は2つとも「5」。 宗斗はククッと喉を鳴らして笑う。そしてスマホの画面で時刻を確認する。 「決まったな…それじゃあ始めるとするか」

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