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1年D組22番 村田守  

 雪の降らないこの街に雪が降った日、学内の生徒たちは制服が濡れるのも構わず大はしゃぎで雪遊びに興じていた。雪上にいくつもの足跡が作られ、白一色だったグラウンドが薄汚れていく。結露でびしょ濡れの窓から、はしゃぎ回る生徒たちをぼんやり眺めていた。 「お前は雪見に行かないの?」  突然、リクに呼びかけられてハッとする。終礼後、クラスメイト達は嵐のように教室を飛び出していった。教室には誰もいない。校舎全体の暖房設備も電源が落とされ、教室の中の熱も少しづつ失われていく。 「リクこそ。君はもうすっかり制服まで濡らして雪の中かと思っていたよ」 「恋人をおいて先に行くわけないだろ」  恋人、という言葉に驚いて、慌てて辺りを見回す。 「ちょっと、誰かが聞いてたらどうするんだよ」 「聞いてたら問題あるのか。だって本当に付き合ってるじゃん」  リクは悪びれる様子もなく、飄々としている。  確かに僕とリクは付き合っている。リクから交際の申し込みを受け、僕はそれを了承した。ここ南海学園は中高一貫全寮制の進学校で、親元を離れ、日本各地から子どもたちが集まってきている。そのほとんどが卒業後、国内の最高学府か海外の名門校に進学する。  入学してまず驚いたのは、校内独特の風土だ。男子校なのでもちろん生徒は全員男であるのだが、生徒間での交際が活発に行われているのだ。入学してすぐは、校内でいちゃつく男子生徒を見かけては、驚くやら呆れるやらで閉口していたのに、まさか自分が同じように男と交際するとは思いもしなかった。教師たちも暗黙の了解として、その事実を黙殺していた。どうやら試験や成績への過度なプレッシャーに対して、それらのストレスを緩和する一定の効果があると考えているらしい。  とにかく男同士が恋人であることがこの学園では特に驚くべきことではないとしても、まだ僕はその事実を誰かに知られることに抵抗があった。  リクは目立つ生徒だった。成績だけでなく運動神経も良い。何をするにも、いつもクラスの中心にいた。教師からの評判も良く、誰とでも適度な距離を保ちながらうまくやるコツのようなものを心得ているようだった。僕はそのリクの器用さが苦手で意図的に距離をとっていた。成績もぱっとせず、運動もできない地味な僕にとって、リクの完璧すぎる存在がその時の僕には疎ましかった。リクの近くにいると自分を惨めに感じるからだ。  だから交際を申し込まれたときは驚いた。なにより自分の存在を知っていたことが信じられなかった。学園の日向で常に脚光を浴びてきたリクを、暗く卑屈なまなざしで見てきた。憧れのようなものがなかったわけではないが、それは恋愛感情とはもちろん違うものだ。僕が答えあぐねていると、 「オレ、お前のその困った顔好きなんだよね」  そう言ってリクが、覗き込むように顔を近づけてきた。男らしく野性的な印象がありながら、隠しきれない育ちの良さを顔のパーツ一つ一つから感じる。人に好かれるのは気持ちがいいものだと思った。しかも自分が疎ましく感じていたクラスの人気者に好意を持たれるなんて。素直にうれしかった。 「付き合うってよくわかんないけど、僕なんかで良ければ」  僕の言葉を聞いてリクは心から嬉しそうに笑った。僕の顔は赤くなっていたと思う。 「暖かく穏やかな気候の中で集中して勉学にいそしめる、が謳い文句なのにな」 「今年は異常気象らしいから」  薄暗い廊下を二人並んで下駄箱に向かってすすむ。屋内なのに自分の息が白い。遠くで吹奏楽部の金管楽器がロングトーンする音が聞こえる。  外に出ると思っていた以上に雪が積もっていた。生徒たちが無邪気に制作した雪だるまや、それに類する奇妙なオブジェが多数、グラウンドの至る所に点在している。その中でも取り分け目立つ大きなかまくらが目に入った。かまくらは見る限り完璧な半円で、基礎もしっかりしていた。さすが国内最高レベルの進学校で学ぶ者の作るかまくらはレベルが違う。  あたりに製作者の姿はなく、雪で作られたその無人の祠はぽっかりと大きな口を開け、誰かが入ってくるのを拱いているように見えた。 「ずいぶん本格的だな」  リクがためらいなくかまくらの内部に入っていく。僕も後を追う。  かまくらの内部は静かだった。雪が音を吸ってしまうせいだろうか。外の音が遠くに聞こえる。その代わりに普段は意識していない自分自身が発する音をいつも以上に耳が拾っている。  様々な音に耳を澄ませながら青白いかまくらの内壁を眺めていると、リクがじっとこちらを見つめているのに気が付いた。 「どうしたの」  リクは珍しく恥ずかしそうに、視線を泳がせながら 「あの」  と言った。次の言葉を待つ。自分の制服の衣擦れの音がやけに大きく聞こえる。足元から雪を踏みしめる、擦れるような音がする。外ではまだ雪遊びをしている生徒たちの嬌声がフィルターをかけたみたいにくぐもって聞こえる。 「あの。キスしてもいいですか」  リクの息が荒い。突然すぎる申し出に自分の中の時間が停まる。  そう。僕たちはまだキスをしたことがなかった。交際を始めて一月ほどになるが、登下校を共にしたり、休日に映画に出かけたり、僕たちの交際活動はその程度で膠着していた。これが付き合うという事なのであれば、特に問題なく続けることができそうだと僕は安堵していたのだ。友達関係とあまり変わらないではないかと。  しかしリクの方は違っていたのだ。さらに求めるものがあるらしい。それにしても何故敬語なのか。  答えを待たずに、リクは僕の両腕の肘のあたりを静かにつかみ、唇を重ねた。温かさと柔らかさを感じる。違和感や抵抗感はなかった。僕は自然にリクを受け入れることができた。リクとの距離が近い。リクの匂いがする。ハチミツみたいな匂いだと僕は思った。唇しか触れていないのに、下半身がじんじんと痺れた。唇を重ねたままどれほどの時間が流れただろう。 「えへへ」  体を離すと、リクが照れくさそうに笑った。まだ唇にリクの熱が残っている。キスがこんなに気持ちよくて良いものだとは知らなかった。それはまだ未成熟な僕の脳に、強い刺激を与える行為だった。 「リク」  僕は名前を呼んだ。そしてリクの唇に自分の唇を重ねた。リクは初め、驚いたような顔をしていたけど、すぐに目を閉じてキスに集中した。 「こっちこっち。最高傑作ができたんだから」  がやがやと数名の生徒たちが近づいてくる声が聞こえてきた。僕たちは慌てて体を離し、体勢と衣服の乱れを整える。 「素晴らしいできだね」  リクが入ってきた生徒たちに先手を打って話しかける。何事もなかったように。 「おおリク。いたのか。すごいだろ。オレのかまくら。綿密な計算のもとに基礎から作り上げたんだからな」 「こたつとミカンがあったらもっと最高だな」  誇らしげな男子生徒の横を通り抜け、かまくらからを後にする。 「危ないところだったな」  リクがおどけて言う。その表情はどこか嬉しそうだ。 寮までのわずかな道のりをゆっくりと僕たちは並んで歩く。 「それじゃ寒いだろ」  そう言って巻いていたマフラーを僕に巻き付けた。リクの匂いだ。ハチミツみたいなリクの匂い。僕は先ほどの刺激を思い出して、またキスしたくてたまらない気持ちになる。 「リク」  リクが僕の言葉の続きを待つ。 「何でもない」  今度はいつリクとキスできるのだろうか。  持ち帰ってしまったリクのマフラーを巻き付けたまま、自室のベッドに横たわる。思い切り息を吸ってみる。リクの匂いで、あのハチミツみたいな甘い香りで、僕の内部が満たされる。  僕の体はどうしてしまったんだろう。甘い痺れを下半身に感じながら。僕は夢中で残り香を貪った。

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