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第10話 決意
ガルシアは、じっと鏡を見つめていた。亜麻色のゆるやかなウェーブを描く豊かな髪は腰のあたりまで伸び、白い肌に翠玉の瞳、仄かに色づいた頬に、紅い唇......そして、ささやかだった胸の膨らみも、いつの間にか少女らしいなだらかな曲線を描き、腰の辺りの肉付きも豊かになってきているように思えた。
―ボクは男の子だったはずなのに......―
日を追うごとに、その残影は消えていく。下腹部の下履きの中に残されたその『証』が哀しく冷たい金属に摩れて震えた。
ガルシアは、ふと、コルセットを締めてくれているワルダに訊いた。
「これで、いいんだよね......」
「選ぶ道が他にあるの?」
ワルダの言葉にふるふると頭を振り、シルクのガウンを身にまとった。
ガルシアは、今日で十六才になった。昼間の辛い検査のあと、お祝いのディナーと薔薇の花束......、そしてテオドールの熱いキス。
ふっと顔を上げたガルシアは、テオドールの琥珀色の瞳を見つめて、囁いた。
「お願いがあります......」
「なんだね?」
訝しげに、だが優しく微笑むテオドールにガルシアは、心に決めた言葉を告げた。
「抱いてください......あなたの、テオドール兄さまの赤ちゃんが欲しい」
テオドールは、瞬間、眼を見開き、そして掠れた声で訊いた。
「いいのか?」
ガルシアは、黙って頷き、その胸に頬を寄せた。
少し前のことだった。ガルシアが庭に面したテラスの長椅子でうたた寝をしていた時、微かに言い争う声が聞こえた。
片方は、テオドールの声、片方は......コーエンだった。
―いつまでお待ちになるつもりですか?―
コーエンの口調はいつにも増して厳しかった。
―あれの身体はまだ十分ではない。まだ子どもを産める状態ではあるまい―
自分のことを言われている.....ガルシアは咄嗟に身を起こそうとしたが、刹那、コーエンの放った言葉に凍りついた。
―一日も早く、あの小僧を本当の雌に仕上げて、孕ませるのです。出産が無理でも、懐妊さえさせれば、貴方が真の『男』であることを示せるのです。......皇帝陛下にも、大臣達にも、疑い無く貴方が後継者であることを示せるのです。類い稀なる『狂王』、冷酷無比な帝王として君臨できるのです―
―コーエン......―
―あなたは仰せになったではありませんか。『狂王』となり、あなたを蔑ろにし苦しめたアルガナルの王家とこの国に復讐するのだと.....そのあなたが、小僧ひとりに情けをかけて躊躇っているのですか?―
―それは......―
口ごもるテオドールに、コーエンはなおも強く言った。
―あなたが躊躇われるのなら、近衛兵達にあの小僧を犯させて、妊娠させますぞ。―
―何を言う!―
コーエンの言葉にテオドールが激しく反発して、怒鳴りつけた。がコーエンは、変わらず冷たく言い放った。
―あれは、あなたの権威を確かにするための人形に過ぎないのです。眼を醒まされませ、テオドール、いやテオドラさま。あなたの半身は既に死んだのです。あれはあなたの半身ではありません。『男』であるテオドール殿下の権威を示す道具に過ぎないのです―
―わかっている。もう言うな―
コーエンに怒気を投げつけ、足音も荒く歩み寄ってくるテオドールの様子に、ガルシアは急いで寝椅子に身を伏せ、寝た振りをした。
テオドールは狸寝入りをするガルシアの頭をそっと撫で、小さく呟いた。
―ルシアン...いや、ガルシア許してくれ...。―
ぽとり......と小さな滴が落ちて、頬に触れた。
ガルシアは、身動ぎひとつできなかった。
―どういうことなの?―
ガネルクもワルダも口をつぐんで答えなかった。が、散々迫って、やっとワルダが一言、耳打ちした。
―医師長に訊いてごらん―
そして、砂金の入った袋と鋭いナイフを渡された。それらを道具に聞き出した真相は驚くべきものだった。
医師長は、言った。
―テオドールさまは......本来、女性に産まれるべき方だったのです......―
三才になったばかりの嫡男を失った王妃がコーエンと結託して、その時お腹に宿ったばかりの胎児の染色体を入れ替えるように命じたのだ...という。
―その頃はまだ、はっきりとした形にならない三ヶ月ばかりの時だったのですが......神は天意に叛くことをお許しにならなかった......―
産まれた子どもは、両性具有だった。王妃は自分の犯した罪にひどく後悔し、最初にそうであったように姫として育てようとした。
―しかし、その後、王妃はお子に恵まれず......皇帝に愛人が出来、男の子が産まれたのです―
焦った王妃は、再びコーエンに泣きつき、テオドール、いやテオドラさまを全き男の姿にするよう命じた。そして、皇帝に嫡男として認めさせたのだ。
―テオドラさまは、.....その時すでに十才におなりでした。女性としての自我が目覚め始めた時に、男にされたのです―
子宮と卵巣を摘出され、会陰は縫合され、男性ホルモンの分泌を促すバイオチップが脳下垂体と脊髄に埋め込まれた。
―そんな......―
呆然とするガルシアに医師長は言った。
―あなたの子宮を生成するバイオチップは、あの方の子宮の細胞から作られたものです......卵巣も、あの方の卵巣組織から作られたのです―
ガルシアは息を呑んだ。
―あの方は、王妃さまも皇帝も、ひどく憎んでおいでです......―
ガルシアは言葉を失った。
テオドールにとって自分は、テオドールの失なわれた半身、女性のテオドラを再生するための生け贄だったのだ。
―でも......―
ガルシアは、ふっと下半身に触れた。テオドールは自分の男性の部分を奪わなかった。彼......彼女からしたらどれほど目障りだろうか。
しかし、彼はガルシアから、それを奪わなかった。自分が奪われた哀しみ-苦しみを知っているから......。
―ならば......―
たとえ、今は自分の体内にあるとは言え、テオドールの、いやテオドラの細やかな願いを汚させるわけにはいかなかった。
「ねぇ、ワルダ」
ガルシアは、近づいてくる足音を聞きながら、す......と立ち上がって言った。
「私は、良いパートナー=半身になれるかな?」
「あなた次第です」
ワルダの言葉に、ガルシアは黙って頷いた。
そして、静かに扉を開いた。
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