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第2話
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コツコツコツ、ペタペタペタ……窓もない石造りの螺旋階段には、種類の違う2つの足音が響いた。
さっきまで室内に居たせいで裸足の俺は、仕方なく冷たい石の床を素足で歩くしか無い。それに対して、先を歩いている助けてくれた男は特に何も気にしていないようだ。
裸足だから背負ってなんてとても言えないし……ローブ貸してくれただけでも優しいってことにしておこう。
2人、無言のまま階段を上りきり、再び重々しい扉を開けると、そこは外だった。やっぱり続く石造りの建物。サイドは石が積み重なっていて、先には城のような物が見える。別棟へ向かう城壁みたいなものか。
思わず立ち止まり、呆然と見上げていたら、突風が吹き付けてくる。身を切るような寒さに、くしゃみを1つ。さきほどの室内とは比べ物にならない程寒い。体が一気に冷えて、ガチガチと歯が音を鳴らすレベルだ。高さもあるし、夜だからなのか、ここが元から寒い気候なのかは分からないが……とにかく室内へ入りたい。ずんずん進んでいく男の後を追いかけ、切るような冷たさの城壁を渡りきった。
再び室内へ入れば、予想通りの城だった。決して温かくはない……むしろ寒いぐらいだけど、外よりはましだ。できる限りローブを体に纏わせながら、迷わず進んでいく男について行った。
静かな城内の階段を上り、奥へと進んでいく。その間、見回りしている騎士のようなやつらと何回かすれちがった。
このクール系イケメン、意外と地位のあるやつのようで、男を見かけた騎士たちは皆道を空けるよう壁側へと寄って立ち止まり、敬礼をしていた。その後ろを裸足で歩く怪しげな俺がついて行っても、何も言ってこない。面倒くさそうなのに絡まないでおこうってことかもしれないが、誰に何かを咎められることなく歩き続けることができた。
「到着だ」
廊下の一番奥にある大きな扉の前まで来ると、男は押し開け中へと入る。俺が入れるように扉を押さえてくれたので、いそいそとお邪魔した。灯りがついていない部屋の中で、暖炉の炎だけが揺れている。温かい室内に、詰めていた息を吐き出した。
研究室としてでも使用しているようで、室内には本や巻物、草、地球儀や望遠鏡の他にも見たことも無い道具各種、などが広がっている。散らかっているそれは、典型的な魔術師の部屋のようだ。
圧倒されている俺へ、座っていてくれと暖炉近くの椅子を進め、男は更に奥の部屋へと引っ込んでいった。
風呂上がりで湿っていた髪のせいで、芯から冷え切っている。願ったりの場所を断る理由も無いので、大人しく言われた通り椅子へ腰掛けた。未だ震える体を擦りながら炎をぼんやりと見つめる……それだけで少し落ち着けた気がする。
「冷えているだろう? 飲むと良い」
いつの間にか戻ってきた男は、マグカップを寄越してきた。中は白い液体が揺れている。今までの冷遇に、果てしてこれは大丈夫なのかと疑って覗き込んでいた俺を見て、相手は気を悪くすることなく小さく笑う。
「君の所で言う"ほっとみるく"だ」
「……すみません。ありがとう」
君のところで言うっていうのが少し引っかかるが、そこを指摘すると面倒臭い事になりそうだから止めておいた。
大人しく受け取ると、じんわりと手のひらへと熱が伝わっていく。やっぱり少しだけ怖くて、少量を口の中へ含めば、甘い味が広がる。喉を通って胃へと落ちる温かい感覚に、緊張が少しずつ解けていくようだった。
「温かい……」
「それは良かった」
塔のように床から積み重なった本の上へ座った男は、ゴクゴク飲む俺を楽しげに見つめてくる。
ホットミルクって、こんなに芯から体を温める効果あったっけ? 怖いとか言っていた割に、しっかりと3分の2ほど飲み干した頃には、体はすっかり温まっていた。
「落ち着いたかな? まずは自己紹介しておこうか。私はユーグ、この国で魔術師をしている」
豪快に開いた膝の上へ頬杖をついて、クール系イケメンの男……ユーグはよろしく、と続ける。とても自己紹介するような体勢じゃないけど……まあ、自由人なんだろう、気にしないでおこう。
「……慎です」
「マコトか、さすがは異界の住人。不思議な響きをしているね」
「異界って……」
王子(仮)ともそんな話をしていたような気がする。取り押さえられてて会話なんて断片的にしか覚えてないけど……召喚がどうとか。
「異界、ここでは君たちの世界を指す。見て分かると思うが、ここはマコトの世界とは違うんじゃ無いか?」
「まあ……」
なんていうか……中世みたいな雰囲気だ。実際に体験したことがないからどんなもんかは知らんけど、今まで俺が当たり前のように生活してきた日本とはまるっきり違うっていうのははっきりと言える。
「私はね、ヒルデベルト殿下に聖女を召喚するように指示をされて、それに応じたんだ。ヒルデベルト殿下は君を変質者と言った人だね」
あーあの王子(仮)、本当に王子だったのか……期待を裏切らない展開だけど、あんなのが人の上に立つとか大丈夫なのか。
初対面が最悪だっただけに、思い出すだけで嫌な気持ちになる。芋づる式にヒルデベルト殿下とやらに連れて行かれたであろう妹のことをまで思い出し、あっちは大丈夫なのか少しだけ心配になった。
「聖女は唯一の力を持っていると言われている。窮地に陥った時、聖女が救ってくれると言い伝えがあるんだよ」
タイミング良く聖女の話を始めたユーグへと便乗する。
「妹は……美咲は、本当に聖女で間違いないんですか?」
「ああ、それは間違いない。私が探し当てたんだからな」
なぜか胸を張って頷いてくる。アンタが探し当てたからなんだってんだよ……無言でジト目を返すと、私はすごい魔術師なんだぞ?! とむくれてきた。
見た目と動作が一々かみ合わなくって、やっぱり違和感がすごい。
「ユーグさんがすごいかどうかは置いといて、美咲は安全なんですか?」
「おや、見捨てられたと言うのに聖女の心配とくるか」
「……一応、あんなのでも妹なんで」
それに、庇おうとしてはくれてたし……チョロ過ぎて秒殺されてたけど。
いきなりわけが分からない世界に連れて来られて、見ず知らずの男どもに聖女だなんて担ぎ上げられているんだ。おまけに話を聞けば、聖女は窮地から救わなければいけないときた。
ただの女子高生がそんなものを押しつけられていると知ったら余計心配になるに決まっている。
「聖女の扱いは最上級だ、悪いようにはされない」
真偽を確かめるように、ユーグの瞳をじっと見つめる。不思議な色の瞳で、暖炉の炎だけで照らされてると言うのに、不自然な程にはっきりとその色彩が分かる。
普段なら、強い視線に怯んですぐに逸らしてしまいそうだが……負けじと見つめ返した。
瞳を見るだけで見抜ける能力でもあれば良いんだけど、悲しいかな、俺は一般人だ。そんなもの持ち合わせていない。逸らさずに見つめてくるユーグの言葉を信じるしかないかもな。
「そう、か……」
目を逸らすと無意識に息が漏れた。知らぬうちに固くしてしまった体から力を抜くと、気を紛らわすように、握りしめていたマグカップを呷る。残りのホットミルクが胃に染み渡る。
今のところ、妹の身の安全は保証されてることを知れて……少しだけ安心できた。
なんだか気が抜けたら眠くなってきた……元々、こっちに呼ばれたのは寝る直前の話だったんだ。今何時なんだろう……? 出かけた欠伸を口の中で噛み殺すせば、ユーグも俺の様子に気付いたようだ。
「とりあえず、今日はもう寝なさい。詳しいことはまた明日だ」
「……悪い」
「え……? いや、その……立てるか?」
「んー……」
ダメだ、体の自由がきかない。今すぐにでも落ちそうな意識で必死に耐えていると、体が宙に浮く感覚がした。それから、心地良い温かさと良い香りに包まれる。
「全く……素直すぎると言うか、お人好しと言うか……異質で面白い」
低く呟くような声がする。ぼんやりする視界の端に、淡い赤褐色が揺れているような気がする……
「私好みだし、適合すると嬉しいね」
耐えきれず瞑った目。眠りに落ちる一瞬のまどろみの中で、楽し気な声が聞こえた。
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