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第14話

 .14  妹と面会日の朝がやってきた。やけに朝早く目が覚めてしまい、とりあえず支度をしようとベッドから抜け出す。未だに隣で寝息を立てているユーグを起こさないように静かに移動して、洗面所で顔を洗う。差すような冷たさの水がしっかりしろと言ってきているようで、今日だけはありがたかった。  何度か顔へ水を付け顔を上げると、ふと目の前にあった鏡の自分と目が合った。規則正しい生活をしてるせいか、常時目の下にあった隈はうっすらとしてきている。夜勤もあったコンビニバイトと今の生活を比べれば当たり前かもしれないが、以前よりも肌の張りがかなり良くなってきているようだ。  睡眠でここまで回復するものか? それとも、ユーグが使っていた石鹸の効果だろうか。この世界の石鹸を知らないから比べようがないが、これは独特で、とても甘い香りがする。風呂場や寝室などでは特にこの香りが強く、ついでにユーグからも香る。これよりも濃い香りをどこかで嗅いだような気もするんだが……残念ながら、それは思い出せなかった。  もしかしたら、ユーグが個人的な趣味でライン揃えでもしているのかもしれない。 「朝飯、作るか……」  今はそんなことよりも、妹との面会のことを考えておこう。そのためには、まずは腹ごしらえだな。自分の肌艶なんてあまり気にしていないことから頭を切り替えるように、寝間着からいつもの服へ着替え、髪を整えて朝食の準備へと向かった。  朝食を食べ終わった後、しっかり後片付けまでしてからユーグと共に部屋を出る。俺の落ち着かない様子を見て、指定の時間には少し早いが大丈夫だろうとユーグが気を利かせてくれたのだ。  祈り間は聖女の部屋よりもっと先の別棟に位置していた。一度外へ出て、棟のような場所を上がっていく。どこよりも隔離されているような印象を受ける建物だが、天井付近に設置された窓からは光が溢れ不思議と神聖な雰囲気に包まれていた。聖女の名に負けないぐらい綺麗で明るい場所で、閉じ込められていると言ったネガティブな感覚はあまり感じられなかった。  5階ほどの高さがある階段を上り切ると、ロビーのような部屋が現れる。そこには、先日廊下でイストを数人の男たちとメイドが2人ほど控えている。黒いカソック姿の男たちの服装を見るに、以前イストを急かしにきていた男と同じ、神官職の者たちだろう。  足音に気づき、こちらへ顔を向けた人たちの息を飲む音が聞こえる。その反応だけで、あまり歓迎はされていないのが分かった。 「これは、ユーグ様。このような場所にどうなさいました?」  1人の神官が一歩前へ出てきながら話しかけてきた。笑顔を浮かべてはいるが、早く帰れという副音声が聞こえてきそうだ。圧をかけてくる相手を全く気にすることもなく、ユーグも俺の前へと出た。 「いやね、私の従者に色々と案内をしている所なんだ。ここもこの国らしい場所の1つだろう」 「左様でしたか。ですが、ここは関係者以外は立ち入り禁止の場所となりますので……」 「ふむ。聖女を召喚したのは私なのだが……君は、私が部外者と、そう言いたいのか?」 「い、いえ、決して、そういうわけでは……!」 「ならば何も問題ないだろう。失礼させてもらうよ」  この人に圧で勝てる人っているんだろうか。止めようとしている神官の横を当たり前のように通り抜けていく。周りで心配そうに成り行きを見守っていた人たちも、声を潜めながらも誰か止めろと言いあっていた。  会わせてくれるとは聞いていたが、こんな強硬手段を取ってしまって大丈夫なのか? ユーグの立場が悪くなるぐらいなら、また別日に正式にアポを取って訪問した方は良いんじゃないか……?  周囲の慌てぶりに心配になり、前を行くユーグのローブを掴み引っ張った。すると、抵抗することなく足を止め腰をかがめてくれたので、これ幸いとユーグの耳元へと唇を寄せる。 「なあ、大丈夫なのか?」 「問題ないさ」 「本当に? 明らかに脅してないか?」 「脅す? それならば対話は必要ないだろう?」 「あ、ユーグってそんな感じだったな……」 「ふふ、私の心配をしてくれるのかな?」 「そりゃするだろう」 「マコトに心配してもらえるのは、なかなかに心地いいな」 「ちょっと、俺真面目に言ってるんだけど!」  ほんわかした笑顔を浮かべて噛みしめている所申し訳ないんだけど、ちゃんと俺の話を聞いて欲しんだが?! 思わず興奮して声を荒げるも、大丈夫だよとしか返してくれない。絶対に大丈夫じゃない。立場的には問題ないのかもしれないが、このままだと、対人関係が最悪になる。 「おや、楽し気な声が聞こえると思えば、マコトくんじゃないですか」  突然名前を呼ばれ、慌てて姿勢を正す。ユーグの背から顔をのぞかせるようにすれば、目指していた奥の扉から出てきたイストが、にこやかな笑顔を浮かべて立っていた。 「イストさん、ご無沙汰しております」  しっかりと頭を下げて挨拶をしたら、ご丁寧にありがとうございますと柔らかい声が返ってきた。頭を上げると、ユーグを挟んで目の前にイストの顔があるのに驚き、思わず後ずさってしまう。いつの間にここまで距離を詰めてきたんだ? しかも、この人、距離感が異様に近いな……美人すぎて、心の準備をしないと至近距離は緊張するから勘弁して欲しい。 「おやおや? 貴方、もしかして……」  じっと俺の顔を見つめていたイストの雰囲気が変わった気がした。微笑みから妖艶へと笑顔を変えた彼が手を伸ばしてくる……が、それが俺に触れることはなかった。 「イスト」  強めの声と共に細長い指をユーグが掴んで止めていたのだ。その瞬間、室内の空気がぴりついた。あまりの緊張感に圧倒され、室内の人々の動きも止まる。唯一、ユーグとイストは普段通りの様子で会話を続けた。 「これは、私のモノなんだが?」 「すみません。ただ、少しだけ気になってしまって、」 「私の、モノなんだが」 「……分かりました。もう、若いなあ」  イストの指が折れるのではないかと心配になるほど力を籠めるユーグに怯むことなく、掴まれた本人は困ったように笑うと姿勢を正した。やっと離されたイストの指が赤黒く腫れているのが気になったが、とてもそれを指摘できる雰囲気ではない。 「社会科見学でしたっけ? 生憎、この先には聖女が控えておりまして。入室して良いか確認してきますね」  胸に手を当て恭しく頭を下げたイストは、何事もなかったように奥の部屋へと戻って行った。その間、誰も動かないし、喋りもしない。チラリとユーグを見上げれば、彼は機嫌が悪そうに扉を睨みつけている。怒りというよりは軽蔑的なものを感じる視線に、何も言えなかった。  時間しては数分の出来事だっただろうが、重すぎる空気のせいか何時間にも感じたが、イストはすぐに戻ってきた。耐えきれそうにない沈黙が終わることはありがたかったが、イストの後ろに妹の姿は無い。 「マコトくん、すみません。これから儀式に入るため、気持ちを落ち着かせたいとのことで……後日、改めて時間をいただいてもよろしいですか?」 「あ……、そう、ですよね。承知しました。お忙しい中伺ってしまって、申し訳ありません」 「とんでもない。こちらこそ、ご足労いただいたのに申し訳ない。日取りについては、また改めてご連絡しますね」 「よろしくお願いいたします」  不満そうにしているユーグの腕を抱くように掴むと、引っ張るようにして部屋を後にする。針の筵のような場所に、これ以上留まる必要はないだろう。  俺のためにごねようとしてくれたのは嬉しいが、それよりもユーグが悪く言われる方が耐えられなかった。昨日まではあれほど今日の面会を心待ちにしていたっていうのに……意外なこともあるもんだ。それほどまでに、俺はユーグへ気を許し始めていたんだろう。    ◆ 「ああ、マコト。少し寄り道をしても良いか?」  祈りの間からの帰り道。とぼとぼと部屋へ戻ろうとしていた俺へ、大分機嫌を直したユーグが声をかけてきた。  断る理由などないので二つ返事を返し連れられた先は、中庭のような場所だった。メインとなる庭とは少し違い、花より草のような物が多く茂っている。かなり寒い気候だが、この世界の草花は元気に育っているようだ。 「苦手な香りはあるかい?」 「香り?」 「ああ、少し混ぜようと思ってね。どうせなら、マコトが好きな香りの方が良いだろう?」 「っていきなり言われてもなあ……」  別に匂いにこだわりなんて持っていない。好きな香りと言われパっと思いついたのは、今朝洗面台で嗅いだ香りだったが……あれが何なのかなんてわからないしなあ。  腕を組み本格的に悩んでいる俺を見て、とりあえず見てみようかとユーグから出てきた提案に頷く。のんびりとした足取りで、2人中庭を回ることにした。  ユーグは意外にも草花の知識があるらしく、聞けばなんでも答えてくれた。見たことのある花もあったが、名前は全く違うようだ。効能や毒性についても説明されて、気軽にこの世界の花には触らないようにしようと心に誓った。  そんな中庭ツアーもあと少しで終了するといった所で、見知った花を見つけた。 「お、これはさすがに知ってる。水仙だな」  白い花に長い葉を持つ特徴的な花を見つけ、足を止めた。葉がニラっぽいなあと気づいたせいか、意外と記憶に残っている。しょうもないことを思い出していると、ふわりと香って来る甘い香りになんだか嗅ぎ覚えがあった。部屋でよく香っている香りに……似ているような気がする。 「……驚いた。無意識かい?」 「無意識? 何が?」  なぜだか嬉しそうに笑ってこっちを見ているユーグ。笑っている意味も、問いかけられた意味も全く分からず眉をひそめるが、相手は特に気にすることもなくそうかそうかとだけ頷いていた。 「君、私のこと、結構好きだろう?」 「な、なんだよ急に、気色悪いな……」 「毒性が強い種だが……まあ、大丈夫だろう」 「だから、なんなんだよ」 「これにしよう」  頭から足の先まで俺のことを見回した後に、うんうんと頷きながらユーグが切るように手を動かす。それと同時に、目の前で咲いていた花が数輪地面へと落ちた。本当に人の話聞かないよな、この人……もうこれがユーグの通常運転だと分かっているので、説明を求めることは諦めている。この諦めはユーグとの関係を築くには必要なやつだろう。 「よし、じゃあ部屋へ戻ろうか」  周りに♪でも飛ぶんじゃないかと思うほどご機嫌で歩き出す。よくわからないが、ご機嫌になってくれて良かった。不機嫌なユーグほど怖いものはなかったからな。

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