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第13話

 .13 「ん、ぁ……?」  何か、騒がしい音がする。聞き慣れない音にうっすらと目を開けると、部屋は溢れんばかりの光に包まれていた。  自分の置かれている状況が分からなくて、ぼんやりと窓を見つめる。日が高く、時刻はすでに昼を回っていそうだ。なんでこんなに眠ってしまったのか……慣れない環境にそんなに疲れていただろうか。首を傾げながらベッドから降りようと動いた瞬間、下半身へと痛みが走る。訳も分からずベッドへ逆戻りして、一気に昨晩の記憶が蘇ってきた。  確か、自分が元の世界へ戻るために俺がユーグの魔力タンクになるって契約をして、それから……とんでもないやらかしをしたんだ。かあと顔へと熱が集まってくるのを感じ、たまらず両手で顔を覆う。危機意識が低いって、この世界に来た時に改めたばっかりだったのに。なんで何も考えずに契約するなんて口走ったんだろう……!  自分の馬鹿さ加減にあきれながらも、そのお陰で、この身に魔力が溜まり、この世界で何とか生きていけそうなのが憎い。 「なにやってんだよ、俺……」  ぽつりと呟いた声は掠れている。そんな些細なことでさえ、昨夜の出来事に繋げてしまいそうな自分が嫌になる。必死になって色っぽいユーグの表情を頭から掻き消そうとしていた所で、ガシャンと何かが激しく割れる音が響いた。ビクっと肩を揺らしてから音の方へと視線を向ける。あの扉の先は、腐海のキッチンだったはず……あの人、何をやらかしたんだ……   いつまで寝ているわけにもいかない。痛む腰を労わりながら、俺はゆっくりとベッドから降りた。 「ふむ……そう簡単ではないんだな」  キッチンには、大きな背を屈めてなにやら覗き込みながら呟いているユーグの後ろ姿があった。料理でもしようとしたのだろう、ほんのわずかな作業場所を確保できるぐらいには掃除されているそこには、昨日買った卵の姿がある。見るも無残な形になっているが……きっと、あれは卵、だと思う。 「あー……おはよう」 「ああ、マコト、起きたか。体は大丈夫かい?」  俺の声掛けに、くるりと振り返ったユーグが優しく微笑む。軽装で腕まくりをしている姿に、少しだけドキっとするが、すぐさま邪念を掻き消した。清々しい程にいつも通りのユーグに、昨日の今日で意識しているのは俺だけみたいなのが悔しい。 「大丈夫、そんな軟じゃないから」 「そうかい? それなら良いんだが」 「料理してたの?」  その話題から無理やり変えようと、近づいてユーグの後ろを覗き込む。そこには、昨夜も使っていたビーカーの中に殻まみれの割卵が見える。よく見る、割るのに失敗して欠片がちょこっと、どころではなく、粉みじんになった白い欠片と黄色が半分ほどの割合だ。どうやったらこんな割り方ができるんだ? 隣を見上げれば、彼は目を泳がしていた。 「ユーグ」 「その……だな?」  はーーーーと大きく息を吐けば、しょんぼりとしたのが伝わってくる。別に怒りたいわけじゃない。食事なんて昨日のように部屋から出ればいくらでも食べれるのに、こうやってここで自炊をしようとした理由を考えれば、怒るなんて考えが湧くはずもない。 「いいよ、俺のために作ってくれようとしたんだよな?」 「……まあ、なんだ……柄にもなく私も昨晩は興奮してしまったのでね……」 「は……?!」  ユーグの変わりに引き継ごうとビーカーへフォークを突っ込み殻取りをしようとしたのに、とんでもない発言にぎょっとし見上げる。そんな俺にはお構いなしに、ぽりぽりと頬を掻きながら照れ臭そうに笑っていた。 「足腰立たないマコトを連れまわすのは悪いだろう」 「そ、そういうの言うな……!」 「しかし私のせいで体がつらいのは事実だろう?」 「つらくない!」 「おや」 「良いから! もう俺がやるから、アンタはあっち行ってて!」 「ふふ、そうかい。それじゃあ、お言葉に甘えようかな」  追い出すように後ろを向かせて背中を押す。意外と簡単に言うことを聞いてくれたユーグは、そのまま暖炉のある研究室の部屋の方へと退散していく。とりあえずは、このひどい殻を除去する所から始めるか…… 「マコト」 「何?」 「次は、もう少し可愛がらせて欲しいな」 「ユーグッ!!!」 「あっはっは!」  ひょっこりを顔だけだしてウインクを飛ばしてきた相手へ向かって、絶叫しながら名前を呼ぶ。俺の反応に満足したような笑顔を浮かべなら、今度は本当に隣の部屋へと引っ込んでいった。 「お待たせいたしました!」  スクランブルエッグ、ベーコン、パン、コーヒーを次々にテーブル(積み重なった本)の上へと配膳していく。年甲斐もなく不貞腐れたような声がでてしまったが、さすがにこれぐらいは許されるだろう。腰に響くのでゆっくりと俺専用と化した椅子へと座って、少し冷めてしまったコーヒーを口に含んだ。 「え……?」  そんな俺と皿との間を行ったりきたりしていた視線を俺の元へと戻した所でユーグは首を傾げる。何がそんな不満なんだ。料理スキル0のこの人の代わりに作ったのだから、そっとやちょっとの不満じゃ俺は認めないぞ。 「私の分も、あるのか?」 「は……? 当たり前だろう」 「そ、そうなのか……?」 「え? もしかして腹いっぱいとか……?」 「いや、そういうわけでは……そうか、そうだな。ありがとう、マコト」 「別に……」 「いただくよ」  この食材だって、昨日街に降りた時にユーグが購入したやつなのに、なぜ自分は端から頭数に入れていないのか不思議でならない。まるで、食事など不要とでも思っているみたいだ。ユーグは特に体が大きいんだし、きちんと食べないとしっかり動けないだろうに。  少し固くなってしまったスクランブルエッグを頬張るイケメンを見ながら、俺もベーコンへと手を伸ばす。簡単に焼いただけだが、染み出る油と塩気がなかなかに美味しい。パンをちぎって口へと放り込みながら、昼食を兼ねた食事が始まった。料理なんてほとんどしてこなかったが、素材がいい物なのか、どれもとても美味しい。美味しい美味しいと食事を口にするユーグが向かいにいるのも一役買っているのかもしれない。気分よく食事を進めていると、先に粗方食べ終わったユーグがそういえばと呟いた。 「聖女が祈りの間に入る日取りが決まったそうだ」 「それがどういうことなのかは分からないけどさ、美咲も納得してるのか……?」 「どうだろうね。私は聞いたのは、日取りが決まったことだけだからね」  都合も考えずに勝手にこちらの世界へ召喚するぐらいの国なのだから、聖女へ寄り添うこともあまり期待できそうにない。体調やらなんやらを鑑みはするだろうけれど、勝手に決められた日取りなんだろうと思う。  そんな状況で、本当に妹は聖女をやるつもりでいるんだろうか。聖女としての役目が片付いた頃にでも、こっそりと連れ出して一緒に還るってことは出来ないのか……? 「無理だろう」 「え……」 「君は、今、聖女も共に連れ還ろうと考えただろう? それは、無理な話だ」 「な、なんで?!」 「一度聖女としての契約を結んでしまえば最後、死ぬまで捕らわれることになる」 「それって、どういう……」 「聖女の荷を受け入れた際に刻印を刻むのだが、これがまた厄介なものでな。役目を放り投げ逃げた際には死ぬようになっている」 「役目って、いつ終わるんだ?」 「終わらないさ」 「は……?」 「死ぬまで、一生聖女のままだ。だから、死ぬまで終わることはない。聖女として召喚された時点で、既に人生は決まっているようなものだね」 「そんな……! それってちゃんと説明されてるのか? 本人の意思は?!」 「本人がやりたいと望んでいるのならば、問題ないんじゃないか?」 「それは、そうだけどさ……」  どうしても納得できなくて食い下がる俺を見て、ふむとユーグが腕を組んだ。少し考えたのちに、腕を解き指をくるりと動かせば、彼の手元にはいつの間にか紙とペンが握られている。そこへ何やら書き込み、紙を見つめること数分。今度はほうと口角を上げて笑いながら再びペンを走らせた。  一体何をしているのか……理解が追い付かない俺の前で彼はその紙を暖炉へと放り込めば、昨日同様青い炎を上げて紙が燃え上がった。 「2日後、祈りの間に入室する直前に聖女と面会する機会を設けてくれるそうだ」 「面会……」 「まあ、公の約束ではないからね。偶然、ばったり出くわしたって体にはなるが、マコトにはそれぐらいで十分だろう?」  確かに、妹との会話に10分もいらないだろう。本当にやる気があるのか、この国で骨を埋める覚悟はあるのか。それを本人の口から聞ければ十分だ。 「ありがとう」 「どうってことないさ。これで我が従者の気持ちが晴れれば上々だ」  俺のわがままもそんな風に茶化して流してくれるユーグに感謝しかない。せっかく作ってもらった機会だ、次こそはきちんと話をしよう。そう心に決めたのだった。  ◆  その後は何とも平穏な日々が続いた。  食後から途中だった部屋の片付けを始め、机にしていた本たちもジャンル分けをした上で本棚へとしまうことができた。床に何もなくなれば借りた掃除道具の出番だ。埃を落とし、モップで綺麗に磨き上げれば何とか研究室側は人を招けるほどにまでなった。我ながらよく頑張ったものだ。  満足げに道具の片付けをしていると、途中から不在になったユーグが大きなローテーブルを浮かしながら戻ってきたのには驚いた。てっきり逃げたとばかり思っていたが、彼はこの部屋で少しでも生活がしやすいようにテーブルを拝借してきたくれたそうだ。貴賓室にあったテーブルがぴったりだったよと笑いながら話しているのを聞いて、くすねてきたの間違いかもしれないが……あえて、それは聞かなかったことにしておこう。  残りの日には、腐海だったキッチンへと取り掛かる。闇魔術でもやっていたのかと問いたくなるほど趣味の悪い素材たちも、処分した上でいる物は場所を決めてしまいこむ。せっかく部屋を囲むように立派な棚が壁中に設置されているのに、うち数個は空のまま全く利用されていなかったのだ。勿体ないことこの上ない。まあ、そのお陰で詰め込んでいくのはとても楽だったわけだが。  水回りや大きな作業台を綺麗に磨き上げ、見違えるほど綺麗になった室内を見て、ここがキッチンではなくて調合などを行う作業場だったことにやっと気づけた。作業台の上に腐りきった食べ物が乗ってたから、てっきりキッチンかと思ってたよ。例えるならば、理科の実験室に雰囲気が近い。そこで食事を作るって少しだけ抵抗があるが、部屋の中に簡易的でも火と水が使えるのはありがたい。  最後にベッドのシーツやらを引っぺがして洗濯をお願いした。メイドさんを呼びつけようとするユーグを慌てて止めて、直接俺が持って行った。契約後にびしゃびしゃにしてしまったはずのシーツは、新品のようにきれいになっていたんだけど……なんというか、俺の色々な物がしみ込んでいそうな物を女性に抱えて歩かせるのは、俺が耐えきれなかったんだ……! 本当は自分で洗いたかったぐらいだが、そこまでしていたら手が回らないと泣く泣く断念した。  代えのシーツをその場で貰い、帰ってきてすぐ寝室の窓を開け放つ。北向きの部屋みたいで日差しはそこまで入ってこないが、空気の入れ替えはできる。久しぶりに開けた窓には、埃の溜まり具合もすごかった。端に出来上がっていた布の山の処理は今までの掃除に比べれば楽な物だ。夕方ごろにはすべての部屋の掃除が終わり、ユーグの部屋は見違えるほどに綺麗になった。  体についた汚れも落としておくようにとユーグに言われ、ついでに掃除をしながら風呂に入った。のぼせ気味な頭で暖炉のある部屋の扉を開けた途端、肉の焼けるいい匂いが漂ってくる。 「お、やっと出てきたか」  ソファーで本を読んでいたユーグは、俺を見ると素早く立ち上がるとテーブルの上にあった数個のクローシュを持ち上げる。そこに広がっていたのは、豪華な食事で……感じていた疲労感など忘れ、駆け寄ってしまう。 「なにこれ、すっごいご馳走じゃん?!」 「そうだろう、そうだろう。これは、頑張ってくれたマコトへのご褒美だよ」 「え、別にそんなつもりなかったんだけど」 「私からの感謝の気持ちだと思って、受け取ってくれよ」 「そ、そっか……」 「さあ、座りなさい」  こんな食事、久しぶりで思わず顔がにやけてしまう。昔誕生日の時なんかはこうやってご馳走を用意してもらっていた気がするけれど……それもいつが最後だったか。自分のために何かをしてもらえるって、こんなに嬉しいものなんだな。  ユーグに促されていつもの椅子へと着席する。チキンを切り分け、こちらへ皿を渡してきたユーグと目が合うと、なんだか胸がきゅっとした。 「? どうした?」 「……ううん。ありがとう、ユーグ」  ありがたく皿を受け取りながら心からの礼を言えば、美しい魔術師は、珍しく頬を赤くしながら何やらモゴモゴ言っていて、なんだかその反応も嬉しくって。俺には勿体なさすぎるほど幸せな夕食を迎えることができた。

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