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第19話
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次に目が覚めた時には、ベッドの上だった。ゆっくりと起きれば、自身のローブが飛び込んできて、さっきの性行為は夢だったのかと錯覚するほど乱れの無さだった。
「う゛……ッ」
が、掠れまくっている声と、動かない腰に全てを察する。ついでに言えば、捲れたローブからは素足が現れ、しっかりと彼に抱かれた後だと訴えかけてくる。
おまけにタイミングより寝室のドアが開き、そこにはあのドスケベインナー姿のユーグが立っていた。溢れ出る色気を纏いながら気だるげなその表情は、明らかに事後の顔だ。
「目が覚めたか。体が気持ち悪いだろう? 湯を張ったから一緒に入ろうか」
「え、一緒に……?」
「今更恥ずかしがる仲でもあるまい。それに、無理をさせてしまったしね」
少しだけばつが悪そうにしながら、未だ返事をしていない俺の体を横抱きするとシャワールームへと歩き出す。歩みを止めることもなく脱衣所を通り抜け浴槽の前までたどり着けば、いつの間にか身に着けていた衣服が綺麗さっぱり消え去っていた。
「?!」
ユーグと共に湯へ浸かれば丁度よい温度が体を包み込む。何が起こっているのかついて行けずただ戸惑う俺に、後ろで足の間へと収めた相手が小さく笑った。
「魔術師だからね」
「初めて見たよ……」
「ふふ。一気に脱衣してしまっては情緒がないだろう?」
最初、何について言っているのか理解できなかったが、すぐに行為中のことを言っていると分かった。気付いた瞬間に、な゛と汚い声を出して、なぜだか俺が恥ずかしくなる。案の定そんな反応にクツクツと笑うユーグに、水面を強く叩いて前を向き不機嫌を伝えた。すまないと素直に謝罪の言葉を口にはしたものの、笑いを嚙み殺しているのがバレバレで……不貞腐れるように足を抱えた。
「そんな機嫌を損ねないでおくれ、私のかわいい子」
言われたことはないが、親みたいなお機嫌取りのセリフ。それをユーグが言っているのが似合わなくて、思わず笑ってしまう。不機嫌な態度を続けられなくなり、なにそれと笑いながら後ろを振り向けば予想以上に甘く優しい顔をしたユーグと目があった。
「あ……」
軽い静電気のようなものが体の中で弾け、囚われる。呆然と見つめていれば相手から距離が詰められゆっくりと唇が重なる。
「ん……」
ちゅっと軽いリップ音を鳴らして解放され、物足りなさを感じる。無意識に強請るように片腕をユーグの首元へと回して軽く力を入れると、再び口づけが降ってくる。薄く唇を開き迎え入れ舌を絡め合った。
「は……ッ、んぅ」
ユーグから与えられる全ての物が大事に思えてしまい、喉を鳴らしながら唾液を飲み込む。角度を変えながら何度かキスを交わして離れていく。うっすら目を開けば、蕩けた顔をしたユーグがこちらを見下ろしていた。入浴中のためかいつの間にか肩より上へと結い上げられた髪型も相まって、色っぽさが増している。それにユーグのこんな蕩けた表情を見るのも初めてで、妙に緊張してしまった。
「マコト? どうした?」
お見通しで楽しんでいるような問いかけは面白くない。誤魔化すように体勢を前へと戻しユーグの胸へと寄りかかる。
「結い上げると雰囲気変わるなって思っただけだし……」
「おや、そうかい? こちらの方が好みかな?」
「一言多い」
「ふふ。君もそろそろ肩につきそうだね」
「え?」
言われて髪を触れば、確かに肩へ触れる程度まで伸びていた。ユーグがハーフアップにするよういじればサイドにかかっていたものがなくなり少しだけすっきりする。自分が思っていた以上に伸びているようだ。
「髪伸びるの、こんな早かったかな……」
「えっちなことをしてるからじゃないか?」
「うっさい!」
1ヶ月そこらでこんなに伸びなかった気がするが、からかうようなユーグの言葉に即座にツッコミを入れる。
「大体、所構わず触ってくるのアンタじゃないか!」
「いやあ、マコトを見ていると、無性に分からせたい時があってだなぁ」
悪びれずに笑う相手に、怒りを通り越して脱力してしまう。なんだかんだ、触られると気持ち良くて拒否しきれない俺もいけない。それこそ、ユーグが言った通り分からせ続けられた結果なんだろう。
それに、今回抱かれた原因は俺のせいと言うのも理解できていた。イストに触られた直後から起こった謎の体調不良は、ユーグに上書きされてからは綺麗さっぱりと収まっている。詳しくは分からないが、体の中の魔力が起因しているのは予想できた。
良い人の塊のような人間だと思っていたが……イストもなかなかに食えないやつだったらしい。そりゃあ、ユーグと友達だって言ってるんだし、良い人だけじゃないか。すっかり騙されて、不甲斐ない自分へ怒りを感じると同時に、手間をかけさせてしまったことに正直凹む。
イストからはユーグが俺のことを迷惑と感じることはないと聞いてはいたが、抱かれた時は怒っていたみたいだし、今回で考えが変わってしまった可能性だって大いに有り得るわけで……かと言って、俺のこと迷惑じゃない? なんてメンヘラなこと聞けるわけもない。関係が深まるにつれて離れがたくなってきているのもすごく怖い。言い訳ができる所で早く引き返さなきゃいけない。
「なあ」
「なんだい?」
「俺さ……あとどれぐらいで還れそう?」
「そうだね、マコトの体を考えれば1回で溜められる量には限界があるから……多く見積もって後2回ほど満月を迎えなければならないだろうね」
「この世界の月の周期なんて知らないんだけど……」
「君のいた世界と似たようなものだよ」
「ざっと2ヶ月って所か……」
優しく、大事にされるあの行為を後2ヶ月も続けていかなければならないとは……体の相性は抜群なのは認める。だからこそ、性行為については嫌悪感も何もない。ただ、その間に俺が陥落しないかどうかだけが心配だった。
大事にされすぎて、愛されているだなんて勘違いだけはしないように、気をしっかりと持たなきゃな。
会話の途中でそのことばっかり考えていたせいで黙りこくった俺が不安に思っていると捉えたのか、ユーグは大丈夫さと落ち着いた声で続けた。
「私は君のことを殊更気に入っているんだ。だからこそ、交わした契約はしっかりと守るさ。きちんと送り還すから安心してくれて良いよ」
「……ありがと」
「……早く還りたいか?」
核心を突いた質問に、即座に答えることなどできなかった。ユーグと離れるためにも早く還りたい。だけど、離れたくもない。矛盾した心では、なんて答えればいいのか分からない。
「君のいた世界では、時間の経過はほぼ無い」
「?」
「マコトを召喚した時間軸であちら側の扉を繋げる。居なくなったとしても、瞬きの程度だろう」
「そう、なんだ……」
俺と過ごした短くはないこの時間は、瞬き程度の時間になってしまうのか。
「なんか、寂しい、な」
「言葉で聞けるとは。嬉しいね」
独り言として漏れていた失言。口を抑える俺を、ユーグは後ろからぎゅっと抱きしめた。素肌が触れ合い温かさと鼓動が伝わってきて、慌てて逃げようと動くが、それを許さないとユーグの力が増す。抱きしめられただけだと言うのに跳ね上がった心臓の音が相手に伝わってしまいそうだ。
「私はね」
強く目を瞑って心を落ち着かせようと必死になっている俺の肩へ、ユーグが顔を乗せて囁く。耳元近くで聞こえた声と吐息に鼓動は早くなるばかりだ。
「あまり執着しないタイプだと思っていたんだ」
「ッ、」
「数え切れないほど存在している人間を、個として意識する日がくるとは思わなかった。だからこそ、自分が嫉妬するとも知らなかったんだ」
「嫉妬……?」
予想外の発言に目を開ける。すぐそばにいる本人を見れば、頷いた彼は上目遣いでいたずっぽく笑い返してきた。
「イストに触られたんだろう?」
「まあ、少しだけ……」
「君は契約者であり、従者。言わば私の物に勝手に触れたわけだ」
「でも、少しだぞ?」
「程度の問題じゃない。私のマコトへ触る行為自体が許せなかった」
「……ユーグ、独占欲強めだった?」
「そのようだ。だからこそ、責任を取ってもらいたいぐらいだよ」
「なにそれ」
軽く頬を膨らまして不貞腐れた姿に、噴き出して笑ってしまった。一方的な気持ちを吐露した上で責任を取れだなんて。少し前の俺だったら何言ってんだと一蹴だったはずなのに。今はその言葉がどんなに嬉しかったことか。
だからって、それを素直に口にすることはできない。俺だって、一緒に居たいって思えるほどにさせたアンタに責任を取ってもらいたい。同じ気持ちなんだと言葉にはせず、今許されているのは、ただ甘えてくる柔らかい髪質をひたすらに撫で続けることだけだろう。
◆
そんな出来事から数日経ったある日。朝も早くに部屋をノックする音で目が覚めた。一体何事か、飛び起きた俺とは違い、隣で幸せそうに寝息を立てている部屋の主は全く動く気がないようだ。
例のごとく事後丸出しの恰好だったので、手早く服装を整えてから対応をすれば、見覚えもない騎士が1人ドアの前に姿勢良く立っていた。若干顔色が悪いあたり、ユーグを見たら逃げだすタイプの人なんだろう。出てきたのが俺だけだと分かると、あからさまにほっとした顔をしていた。
「ヒルデベルト殿下が、定例会の件でお呼びです」
「定例会……?」
「はい。既に開始時刻を過ぎておりますので、至急参上するようにとのことです」
「あー……まだユーグの支度が整っておらず。すぐに向かわせますので、」
「申し訳ありません。その、絶対に連れてくるようにとの命もありまして……あの……」
言い淀み、黙ってしまう騎士の続けたい内容はすぐに想像がついた。早く起こしてきて欲しいのだろうが、相手が相手だけに言いにくい。ついでに言えば、不機嫌なユーグと一緒にヒルデベルトの元へ行くのも苦行でしかない。しかし、自分1人で戻ったとしてもあのアホ王子の事だからひどく叱責をするのだろう。八方ふさがりな状況の不憫な騎士に同情してしまう。それに、元々は正式な仕事だろうに、それを放棄しているユーグに100%非がある。それを正させるのも従者の仕事だろう。
「分かりました。少々お待ちくださいね」
「マコト様……! ありがとうございます……!」
目を潤ませて深く頭を下げる騎士に苦笑いを浮かべながら、静かにドアを閉めた。開けっ放しでもいいが、やり取りが聞こえたら気まずいだろう。主に騎士の方が。未だ気持ち良く眠っているであろう寝室のドアを勢いよく開けて、大声を出そうと息を吸い込めば、目の前には既にベッドの上に座っているユーグの姿があった。
「あ、れ」
「おはよう、マコト」
「あ、ああ。おはよう……」
「まったく。朝の時間ですら邪魔をしてくるとはな」
「もとはと言えば、仕事ほっぽり出して寝ている人が原因かと思いますが」
「聖女の管轄は私ではなくイストにある」
「で、本心は?」
「面倒で断り続けている」
「のに、呼び出されているってことは、召喚した人とも話したいってことだろう? イストさんがメインなんだろうけど、ユーグにだって一端はあるんだから顔出してきなって」
クローゼットから新しいローブを取り出し、恨めしそうな顔しているユーグへと差し出す。ローブと俺の顔との交互に見ていたが、やがて諦めたようにため息を吐くと、ローブを受け取ってくれた。
バスローブでも羽織るかのように優雅にそれへと腕を通し、今度はごねることなく出入口まで向かっていく。その後を追うと言われた通り待っていた騎士の前へと圧をかけながら立ちはだかっていた。
「ユーグ」
弱い者いじめをしている主人を嗜めるように声をかければ、唇を尖らせた顔で俺の方を見てくる。行きたくないからって騎士に八つ当たりするな。ダメだと言う意味を込めて首を横に振れば、再びの諦めのため息が降ってくる。
「お待たせしました、よろしくお願いします」
「いいえ! 大変助かりました。ありが、とう……」
ユーグに代わり頭を下げる俺に、騎士もお礼を返している途中で相手の声が止まる。それもそのはずで、俺たちの会話を遮るかのように、ユーグが俺の顎を攫うように持ち上げ、口づけてきた。
「ちょ、?!」
まさか他人の前でやるとは思っていなかった。焦って押し返そうと相手を胸元を押すもびくともしないどころか、手首を掴まれると更に深く唇を塞がれる。
「んッ、ま、ッ」
文句を言うために開いた所で、相手の長い舌が入り込み、容赦なく絡めとられる。俺の性感帯など把握しきっているユーグにより、動けないようにと強めに吸い上げられてしまい、無様にも力が抜けてしまった。弱まった俺の抵抗に、更に追い込むように舌が口内を暴れ回る。
「ふ、ぁ……」
あげたくもない甘ったるい声が出てしまう。与えられる刺激が気持ち良くて、途中からは抵抗することもなくただ受け入れてしまった。
気が済むまで俺の口内を犯したユーグは、最後にちゅっとリップ音を立てながら唇を離すと、額をくっつけてとろけるように笑う。
「アンタなぁ……!」
「そう怒らないでくれよ。文字通り唾を付けておくに越したことはないだろう?」
この前のイストの事件のことを言われ、言葉に詰まる。今のキスになんの意味があるのか知らないけど、本当にする必要があるならドアを開ける前にして欲しかった。
「少しの間留守にするから、君は大人しくこの部屋にいるんだよ」
「分かってる。掃除でもして待ってるよ」
「いい子だ。さて、待たせた。行こうか」
愛おしそうに俺の頭を撫でてから、くるりと振り返ると足早に歩きだす。騎士へ一声かけてはいるが、完全に取り残されていた上に、不意打ちを食らった相手は出遅れてしまう。
「失礼いたします!」
見送りに立っていた俺へ頭を下げ、駆けるように後を追った。マイペースすぎる主人に振り回されるのは、誰でも変わらないようだ。
さて、主人もいなくなったことだし暇になってしまった。せっかくの機会だし、掃除でもしておこう。腕まくりをしながら道具を引っ張り出し、はたきを取り出す。この部屋は1人に与えられているにしては広すぎるせいで、埃も溜まりやすい。床掃除は最後に回し、まずは部屋の半分ほどを占めている本棚から始めよう。
入口近くから暖炉の横を通り、ぐるっと囲むように設置されている本棚たちを一折掃除し終え、振り返れば散らかっている執務机が目に留まる。不可抗力とはいえ、以前ここをぐちゃぐちゃにしてしまったので、張本人(俺)が片付けたばかりだというのに……既に何冊もの本が積まれ、乱雑に書類が置かれている。
どこにまとめたかさえ分かれば机の上もいじって構わないと了承も得ているので、早速取り掛かった。
書類へさらっと目を通し、なんとなく前後を考えながらまとめ直すと本も片し綺麗に拭いた机の真ん中へと置いた。こんなものかと一歩身を引いた所で、引き出しからはみ出している書類の束を発見。しまい直そうと引き出しを引き、その束を手にした所で、内容が目に入り思わず動きを止めた。
「聖女についての経過報告書……」
タイトルを読み上げ、自然と目が下へと降りていく。几帳面な字で書かれていた内容とは以下の通りだった。
【聖女についての経過報告書】
作成:神官長・イスト 日付:506年3の月
◆ 経緯
・生成される魔石量が減少している。
- 現在の聖女の魔力量
- 純度は問題無いが、量が減少傾向にある。
◆ 原因
・精神的起因の可能性大。
- 運用し既に100年以上経過をしているため、劣化していることも要因。
◆ 対策
・神官長による手直しを実施。
- 現状も聖女は神官長を溺愛しており、持ち直す可能性あり。
- 持ち直した場合も、今期で終わりとする方向で進める。
◆ 備考
・新しい聖女召喚の準備期間について魔術師へ確認要。
- 次回の定例会は、ユーグの出席を必須とするように連絡係りの選定が必要。
「なんだ、これ……」
衝撃的な内容が続いていて、理解が追い付かない。
今は確か600年代だったはず。506年って、100年も前の出来事になぜイストとユーグの名前が載っている?
聖女の運用って祈りの儀式って言われてるやつか? 聖女も100年以上生きているってことになる?
倫理観に反するって主張していた聖女廃止派は、もしかしてこの事実を知っていたから止めたかった……?
考えれば考えるほどドツボにはまっていきそうだ。
何より、この内容が信じられない。他は一体何が書かれているのかとさらに捲れば、全て似たような報告書が続いていた。日付を見る限り、10年に1回程度の割合で開かれている報告会は凡そ300年ほど前まで遡っている。
その間で現れた聖女は4人。その全ての最後には活動限界を確認、神官長・イストにより救済処置を実施と記されていた。内容を見る限り、救済処置とは聖女を殺しているのでないかと勘繰ってしまう。まさか、イストに限ってそんなことと思う反面、以前廊下で出会った時の射貫くような目をしていたことを思い出す。獲物を決して逃がさない、爬虫類のようなあの目……あれが彼の本性なのだとしたら、あるいは……
「全く。やっぱり私は関係なかったよ」
深く考えこんでいたせいで、ドアの目の前まで足音が迫っていることに気づけなかった。ぶつくさ言いながら帰ってきたユーグに、執務机の前で紙束片手に固まっている姿をバッチリと見られてしまっていたのだ。
愕然としている俺を見て、全てを悟ったユーグからお茶らけた雰囲気が消え去った。
「報告書を見たんだな」
「ご、ごめん……!」
「いや、遅かれ早かれ話さなければとは思っていたんだが……長くなるから、まずは飲み物でも入れてこよう。君は座って待っていなさい」
そう言ってキッチンの方へと消えて行く。俺はと言えば、どうすることもできずに、指定された暖炉前にあるいつもの場所へと大人しく腰かける。
咎めることは一切なく、ユーグは言葉通り二人分のカップを両手に持って戻ってくる。片方を手渡してから、彼もソファーへと腰かけた。
「まずは私のことからかな」
カップを傾け一口飲んだユーグは、静かな口調で語り始めた。
「私は、悪魔だ」
人間離れした能力だと思っていたが、まさか本当に人間じゃなかったとは。いやでも、確かに言葉の端々で、彼と人間との間で隔たりがある言い方をしていた。そう思えば、悪魔だと言われても腑に落ちる。
だけど、そんな重要そうな内容を俺に話してしまって大丈夫なのか。身バレしたら問題なんじゃないのか?
「ふふ、私の心配をしてくれるのかい? ありがとう。しかし、問題はないさ。隠している訳ではない。聞かれなかったから伝えていない、ただそれだけのことだ」
「え、なんで……」
「すまないね。少しだけ心を読むことができるんだ」
「?!」
衝撃の事実に口が塞がらない。それって、まさか、俺の考えが筒抜けだったってことか……?! だとしたら恥ずかしすぎる……!!
「意識的に聞き取らないといけないから、全てを聞いていたわけでもないさ。君は日常的に聞こえる鳥や虫の声に耳を傾けているかい?」
「いや、特には……」
「そういうことだ。何か鳴っている程度の認識にしか過ぎないよ」
「そっか……」
「話を戻そう。悪魔である私が他世界より人間を召喚し、その人間から魔力を吸い上げているのがイストになる」
「じゃあ、イストさんも?」
「いや、ヤツは魔獣。バジリスクだ」
「魔獣なのに人型を取れるものなのか?」
「一般的には出来ないな。だが、ヤツは少しばかり力が強すぎてね。人の形を取れるようにはなったが、実際はトカゲ男だな」
「あ、だから……」
瞳孔が絞られた黄色い瞳を思い出し、納得した。捕食者を狙うような瞳はヘビやトカゲといった爬虫類そのものだった。
「平凡な暮らしに飽き飽きして、よく人間の世界を見て回っていた頃があってな。その時に、丁度人の形で潜り込んでいるバジリスクを見つけたんだ。なんとも面白そうなことをしていると思ったら、悪魔が得意そうな仕事があると持ち掛けてきてね。そこからトントン拍子に国と契約を結び宮廷魔術師としてここにいるわけだ」
「それが、聖女召喚の仕事だったってわけか」
「ああ。人間は昔から魔石を利用して火や水を生活に取り入れていたらしいが、とても貴重な物でもあったようでね。この国では産出量が少ないため輸入に頼っていたようだが、輸入先の国と関係が悪化したのがきっかけだったらしい」
そこから先語られたのは、決して教科書や歴史書には記されない聖女が誕生するまでの歴史だった。
関係があった国からは魔石に対して倍以上の金額を設定されてしまった。輸入に頼り切っていた国はそれを承諾しつつも、なんとか生産ができないかと研究を始めた。
そんな時に、ある神官がお告げを受けたと言い出した。
「聖女を見つけよ。さすればこの状況を打破出来る」
半信半疑ではあるが、人の手による魔石の生産について希望を捨てきれなかった国は、神官へ聖女を見つけるように命令を下した。
神官による聖女選別を行い、見事見つかった聖女が一晩かけて祈りを捧げる。すると、驚くことにその部屋の片隅から魔石が出現した。何もなかったはずの、石壁が崩れている一角。そこへ、聖女が祈った次の朝には必ず魔石が埋まっている。量は少ないが、輸入品よりも純度が高く、宮廷内だけで使用するならば1年は賄えるほどの魔石を生み出した奇跡。国は、聖女の力を認めざるを得なかった。
少女の待遇を最上級へと見直した。そして、選別をはじめひたすらに聖女の補佐をしていた神官の青年を神官長として昇格させた。その神官の名前はイストと言った。
50年ほど経った頃、国の魔石は再び枯渇しはじめる。この時には、聖女が30名以上代替わりしていた。
聖女の選出は難しく、短命で生涯を終わらせる者が多い。基本は貴族で階級の位の高い娘から選ばれることが多かったが、最近は贄役とまで囁かれている現実もある。この現状をどうに打破できないものかとイストへ相談が舞い込んだ。
しかしながら、こればかりはイストにもどうしようもなかったようで、寿命の問題を抱えたまま数年が過ぎた頃、突然心当たりがあるとイストが魔術師を紹介した。
ほどなくして魔術師が1人の少女を連れてきた。聖女のお陰で純度の高い魔力の産地となり始めていた国には、異国から来た人間も多くなっていたが、そんな中でも少女は見たこともない異国風の出で立ちをしていた。
見るからに怪しい少女に反対の声も上がったものの、最終的にイストが責任を取ることに落ち着き、聖女としての仕事を任せることにした。
すると、驚くことに今までとは比べ物にならないほどの純度と量を生みだした上に、1年持てば良い方と言われた任期も見事に乗り切ってみせた。
逸材を連れてきた功績を讃え、魔術師は正式に宮廷と契約を結ぶこととなった。最初は雇い入れようとしたのだが、魔術師側が辞退したのだ。居なくなっては困る国側が、食客の地位を与える変わりに表向きは宮廷魔術師として動いて欲しいと譲歩してきたのだ。
「え、なんだそれ」
「マコトならそう言ってくれると思ったよ。当時の私も、なんて傲慢な生き物なのかと驚いたさ」
魔術師・ユーグ本人からもそんな評価をもらっていたが、暇つぶしができるならそれでも良いかと結局はユーグが条件を飲みまとまった。
結果的に、その聖女は100年に渡り職務を全うした。
その年数だけでも驚きだが、聖女の成長もゆっくりとしており、100歳以上だと言うのに見た目は30代のような若々しさを保ったままだったと言う。国側から聖女の異質さについて問いだされた際に、ユーグから異世界から連れてきたのだと説明された。聖女の正体が違う世界から召喚してきた少女だと知った時、国は大いに喜んだ。100年聖女として生き続けてくれる上に、自国民からの被害は一切無い。こんな良いこと尽くめだったとは知らなかったと。
そして、聖女が亡くなった次の日には、次の聖女を召喚して欲しいと言い出す始末だった。全く関係もない世界から少女を連れてきて、一生を強制的に捧げさせ、死んだら次の少女を早く連れてこいと言う。この貪欲さがユーグにとっては面白くて仕方がなかった。ならば、代償として5人の成人男性を差し出せと言えば、翌日にはしっかりと揃えてきたことも興味を刺激された。
言われるがままに具合の良さそうな少女を再び召喚する。そんなことを数回繰り返していくうちに、ユーグ自体も選別が上手くなり、代を変えるごとに純度の良い魔石も採れるようになっていった。
そのお陰で技術者や商人が集まり、国が発展していった。たくさんの犠牲となっていった聖女と共に、この国の歴史が続いていたのだ。
「そして、今の代が、君の妹になるわけだ」
「なるほど……それにしても、なんで聖女は無関係なこの国のために百年も人生を捧げられるんだ?」
「ああ、それは、魔石の生成方法について関係があるのかもしれない」
「生成方法って……祈りを捧げてるんだろう?」
「ふふ。マコト、君は本当に祈るだけで石ができると思っているのかい?」
「え……」
「イストが生み出しているんだよ」
「……は?!」
正しくは、聖女の魔力を吸い上げ、イストが吐き出しているのが正解だと続けられ、なんとなく方法が分かってしまった。
「想像通りさ。聖女と性交渉による粘膜接触で、聖女の魔力を吸い上げる。日に何度も行い、溜まった所で祈りの間の片隅へ、イストが体内で生成した魔石を吐き出していく。石化に関しては右に出る者はいないほどの種族だからね。籠っている1週間で相当量の魔石が出来上がると言うわけだ」
「聖女じゃなくて、イストさんが生み出していたなんて……」
「いや、聖女も大切だよ。吸い上げる魔力の純度が高い上に量も多く、それをすぐに溜められ、かつイストのために身を捧げられる程愚かな、おっと失礼。愛情深い女性はそうそう居るもんじゃないさ」
「で、ミサキもそれに応じてるってことか……」
「そうだね。魔獣と性行為をした上に魔力を吸い取られるだけの存在だけれど、イストにとっては毎回大切だったようだ。最愛を捧げ、尽くしていたよ。アイツの人誑し具合はなかなかなものだ」
「いや、まあ、それは認める……正直、何も分からない所であんな整った顔の人に優しくされれば、頼るのも分かるわ」
「第一、魔石を吐き出すのはイストで、聖女は膨大な魔力を提供するのみだ。今まで愛し合っていた男が、国のために苦しみながら魔石を吐き出す姿を見てどう思う?」
そう言われ、妹が口にしていた彼を支えるのは自分しかいないと言った内容に頷けた。国のため、自分がこれをしなければならないと言われれば、好きな男の傍で何とか支えていきたいと思うのが普通なんだろう。
でも、それは結果であって、根本がおかしいのは変わりない。
聖女なんて名ばかりで、ただのエサみたいなもんだ。聖女だって……妹にだって人生があるじゃないか。
昔ならそう思っていたはずだった。
なのに、今は不思議とユーグの話に納得してしまう。
聖女とイストは本当に愛し合ってる。聖女がイストのことを好きで一緒にいたいなら、どうしようもない。出会いは強制的ではあったけど、本人が満足してるならそれで良いじゃないか。
「そう、私もそれで問題ないと思っていた」
「は……?」
「だけど、国はそうじゃなかったんだ。必要最低限の者たちが真実を知っていたせいで、もしかしたら聖女が逃げ出すかもしれない、そうすれば魔石に関する秘密からすべてが公になると、恐怖心が芽生えてしまったわけだ。倫理的にも問題がある行為なので、絶対にバレないようにしろとイストへ念を押し出した」
「身勝手な……」
「本当にそうだな。だが、それでこそ人間は面白いところでもある。結局、イストが聖女の胸へ刻印を施すことで落ち着いたわけだ。あの刻印を受け入れたら最期、逃げようとしたり、魔石の生成方法を話したりしたら発動し、心臓はたちまち石化。聖女はそのまま死亡する」
「え、その条件を、イストさんが飲んだのか……?」
「ああ、いつでも最愛は聖女だったせいで、それをしなければ聖女を反逆罪で処刑すると脅されてしまってね。泣く泣く聖女へ刻印を、となっていた。聖女側は特段気にしていなかったよ。むしろ繋がりが増えると喜んでいたさ」
「人間よりも遥かに強そうなのに、言いなりになるなんて」
「言いなりとはまた違うな。イストは人間が好きなんだ。身勝手さも含めてね。本気で嫌だと感じたのなら、とっくに見切りをつけていると思うよ」
「へぇ……」
自分よりも弱い生き物が一生懸命生きる姿を見るのが好きなんだろうか。ユーグみたいな暇つぶしの好奇心ではなく、親心に近いと考えれば納得もできる。
それにしても、国家機密を簡単にバラされてしまったわけだが、そこは大丈夫なんだろうか。聖女には即死の刻印まで施していると言うのに、関係のない俺が知っていたらまずそうな気がするが……優雅に紅茶を楽しんでいるユーグへ探るような視線を向ければ、フッと息を吐くようにして笑った。
「君が、この話を誰かに話すとは思えないな。話した所で得が無いだろう?」
「……勝手に心読むな」
「読まなくても、顔に出ているさ」
「ぐ……」
「元の世界へ還れば、干渉すらできない相手だしね。それに、何度も言うように、今君と契約しているのは私だ。その相手を横取りしようとするやつらは私が許さないよ」
「横取りって」
「マコトを殺されてしまっては、契約相手がいなくなってしまうからね。不履行となってしまうだろう」
そんなことになってしまっては大変だろうと笑いながら告げるユーグの理由は、尤も悪魔らしい。現代日本で生きてきた俺には悪魔なんて信じがたい物だし、ファンタジーの住人のイメージしかなかったが、それでも約束や契約に重きを置いていることぐらいは知っていた。完全なフィクションレベルの内容ではあるが……それでも、あながち間違いではないようだ。
なんだか、色々な情報を一度に大量に詰め込まれたせいでどっと疲れてしまった。これ以上驚くことはもう無さそうではあるが……それでも、今日の所はもう考えることはやめておこう。頭が痛くなりそうだ。
軽くこめかみをマッサージしながら、片手で手つかずだったカップを持ち上げる。ユーグが淹れてくれた紅茶は既に冷めきってしまっている。それを一気に胃の中へと流し込み、立ちあがった。
抱えていたことを共有できたせいか、機嫌よくカップを傾けていたユーグが目線だけでどうしたのか問いかけてくる。
「夕飯作ってくる。よく食べなくても大丈夫だって言ってた意味がやっと納得できたけど、食えないわけでもないだろう?」
「君は、怖いぐらいにいつも通りなんだな」
「むしろなんで変わると思ったんだよ」
「私が悪魔だと知って恐れなかった人間を、君以外で見たことがないんだがね……」
「いやだって、ユーグが悪魔だって知って、何か生活が変わるわけでもないんだろう?」
「まあ、その通りだが……」
「だったら別に良いじゃん。こんな俺でも認めてくれたのは、他でもないユーグなんだし。俺はそんなユーグと一緒に暮らせている今の生活が変わらないのなら、それで満足」
普段から人の心を読んでいただろうに、ひどく驚いた表情を浮かべて固まった。ユーグでもこんな表情するんだな……少しだけ意外で、可愛いと思ってしまう。だからだろうが、普段なら絶対に言わないだろう言葉まで口から漏れる。
「むしろ、打ち明けてもらえて、どっちかと言うと嬉しかったし」
「うれ、しい……?」
「見透かされてばっかりだったけどさ、やっと同じ位置に立てたって感じするだろう」
それが嬉しいんだ。言ってしまった後から、じわじわと恥ずかしさが込み上げてきてやばいけど、それが移ったのか相手も同じようにじんわりと頬を赤く染めていく。赤くなるユーグなんて珍しすぎるだろう。信じられずじっと見つめていれば、ぽろりと飴玉みたいな瞳から涙が零れ落ちる。一滴だったそれはみるみるうちに溜まっていき、涙となってどんどん零れていく。
「え、な、泣いてる……?!」
目の前の状況が信じられずに驚く俺に、ユーグも緩慢な動きで自身の頬を触った。それでやっと泣いていることを自覚し、驚きの表情のままこちらへ視線を向ける。
「驚いた……嬉しい時に涙が出るとは、本当だったんだな」
雑に涙を拭ったユーグがふわりと笑う。その顔から嬉しさが溢れているのがダイレクトに伝わってきて、尚更恥ずかしさが増した。
そこからは居ても立っても居られずに、逃げるようにしてキッチンへと走り込むのが精一杯だった。勢い良くドアを閉めへたり込む。
なん、だよ、あの顔……!
「反則だろう……ッ」
強く胸元を掴み、叫びそうな所を必死に堪える。
意味が分からない、相手はあのユーグだぞ? 悪魔で、男で、無理やり召喚してきたやつで……
それなのに心臓のバクバクが止まらない。あの顔が頭から離れずに、胸がキュっとする。
「どうせ、別れるのに……ばっかじゃねぇの」
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