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75.終わりの始まり

 中を(のぞ)くと窓側の席に人だかりが出来ているのが見えた。囲っているのは美術部の部員達、ベージュ色のセーター、黒のチノ・パンツ姿の(すすむ)。そしてその円の中心にいるのは景介(けいすけ)であるようだ。  どうやら絵が完成したらしい。制作にあたって意識した点などをぽつぽつと語っている。  ――他人を遠ざけがちなあの彼が。  目覚ましい進歩だ。そう思うのに口角は垂れ下がったまま少しも上がらない。 「あぁッ!?」  一人の女子部員がルーカスを指さす。その彼女を起点に皆が色めき立つ。 「主役登場ッ~!」  終いには指笛まで鳴り出した。不慣れな陽気さにたじろぐ。 「止してください。アイツ、こういうの苦手なんで」 「照れ屋さんってこと?」 「人見知りするんですよ。特に女」  黄色と紫が混ざったような何とも言えない歓声が響き渡る。  ――帰りたい。 「むぅ~? ちぇっ! しょーがないなぁ~」  (たわむ)れにもなり得ないと判断したようだ。不貞腐れたような表情を浮かべながらも、ルーカスを非難することなく帰宅していく。  ほっと胸を撫で下ろすと名を呼ばれた。景介だ。進も入室を促すよう微笑んでいる。二人以外もう誰もいない。理解しながらも慎重に歩を進めていく。 「っ!」  景介の手元、1枚の絵を認めるまでは。 「わぁ~っ……!」  山萩(やまはぎ)のトンネル。そこから覗き見るような視点で榊川(さかきがわ)を描いていた。空の青を映す美しく澄んだ川。揺れる黄の灯。ぼかしを活かして描かれたそれらは写実的でありながら(ほの)明るくあたたかい。爽やかで甘酸っぱい春の香りが出会いの時をより鮮明なものにしていく。 「最初はここにしようって決めてた」  ――満足のいく絵が描けたら必ず渡す。  その約束を胸に今日という日を待ち続けた。我慢の時は終わりを迎えたのだ。喜びに唇をもごつかせる。 「……っ」  同時に雲が存在感を強めていく。  ――これは終わりの始まりなのではないか。  恐れが雲を膨らませ、太陽を覆い隠していく。 「聞いたぞ」 「ん……?」 「頼人(よりと)からの頼み、断ってるらしいな」  背が大きく跳ねる。  ――止めて。  内心で必死に訴えかける。聞こえるはずもないのに。 「頼み、というと?」 「狭山(さやま)先輩の家族写真です」 「なるほど……」  一端を聞いただけで察しがついたようだ。もしかすると、進は照磨の家庭事情にも精通しているのかもしれない。 「断ってないよ。保留にはさせてもらってるけど――」 「断ってるようなもんだろ」 「違うって。その……大役だから。オレにはまだ早いかなって」  納得はしていないようだ。景介だけではなく進も。何とかしなければ。そう思うのに気ばかりが急いて言葉がまとまらない。 「……悪かった」  不意に景介が謝罪の言葉を口にした。訳が分からない。けれど、とてつもなく嫌な予感がした。 「俺のせいなんだろ? 俺がまたビビって逃げ出すんじゃないかって――」 「ちっ、ちが――」 「大丈夫だ。もうあの頃とは違う」  景介は自身の作品を一(べつ)し、ルーカスを見据える。 「俺なりに進んでく。追っかけるよ。お前のこと。どんだけ差がついたって、絶対に諦めたりしない」 「差って……」 「手始めに頼人を描いてみようと思う」

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