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愛人と本妻(28)
とはいえ、帰る場所はみな同じだ。
「さて、俺たちも、帰るか」
辻は立ち上がり、もう一度火を確認して戻ってきた。
「ところで、なんで坂口と俺が神社にいるってわかったんだ?」
雪に濡れた石段をゆっくり下りながら、竜一は不思議に思っていたことを辻に聞いた。
「土曜に坂口がいく場所なんてきまってら」
「張ってたのか」
「おうよ。まさかお前まで来るとは思わなかったけど。……お前は俺を守るって思ってたみたいだけど、俺も……お前を守りたかったんだぜ」
辻の笑顔は自然で屈託など微塵もないのに、思いがけないほど大人っぽい色気が漂っていた。もうそんなのこっぱずかしいと思っていたのに、不覚にもぐっと来てしまった。胸がどきどきすると、同時に再び情けなさの嵐が押し寄せる。
「俺……情けねぇよ。自分のことばっか考えてて」
「俺のこと、心配してくれただろ」
「けど……それも、口先ばっかで、自分が不安になりたくなかっただけなんじゃないかと思って……」
「なんでもいいじゃん」
「うん……」
石段を降りて路地に入り込む。路地を抜けると海沿いにアパートまでの道が続く。
沖から冬らしい低い海鳴りが聞こえる。波も次第に荒くなっているようだが、真っ暗な海にはしぶき一つ見えない。街灯の光が当たるところにだけ、型に抜かれたように雪が降っている。軽い粉雪は海風に吹かれて舞い上がり、吸い込まれるように海に消える。
やはり、世界は美しい。住む者の醜さに関わらず。
竜一はべったりと辻の肩を抱いた。
ちょっとだけ、びくっと震えたのは感じたが、辻も竜一の腰に手を回した。
「あったけぇなぁ」
「うん……」
そのままアパートにたどり着き、階段を登る。竜一は二階の部屋へ、辻は三階の部屋へ別れて戻る。一階から二階へ向かう踊り場の途中で竜一は我慢できなくなり、辻にしがみついた。
「俺、愛人でいい」
ぎょっとして、辻は竜一の顔をのぞき込んだ。
「とても、お前には釣り合わない。俺は……お前が香具師になれないってわかったとき、嬉しかったんだ。お前がどこにも行かないってわかって、喜んだんだ。それだけじゃない、自分は……助かったって思った」
頭の上に乗っていた重石は、辻について行くことについての不安だった。それが無くなって、ほっとしたのだ。
「俺は自分の事しか考えられない馬鹿野郎で、クソ野郎の豚野郎だ。でも、お前に触れてるだけで幸せで……一緒にいたいって思っちまう……離れてもたまにあってくれるだけでいい。嫌いになったら嫌ってもいい。でもそれまでは……好きでいさせてくれ」
耳元で辻がささやいた。
「俺も同じだ」
「え?」
「俺も、お前がひどい目にあってるのに、ラッキーって思ったことある」
「そんなこと……、あったか」
「お前が、大けがして入院してるときさ。久々に会える口実がついたって、思ったんだ」
そういえば、あの時竜一もそれまで知らなかった辻の表情を見ることができて幸運に思っていたのだ。しかも、坂口のおかげだとさえ思っていた。
辻は優しく唇の先だけでキスをした。
「突然だけどよ、俺、夢ができた。なりたいものが」
「……漁師、じゃなくて?」
辻はいたずらっぽくにやっと笑った。
「俺、お前の嫁さんになりたい」
しばし呆然とした後、竜一もつられて笑った。
「男でも、嫁さんっていうのかな」
「そんなのわかんねぇよ……とにかくよ、愛人なんて言って、ごめんな」
夢を見ることができるという事は、幸いなことだ。辻に夢が生まれて、竜一は本当に嬉しかった。そして、竜一の中にも夢が生まれた。
「俺も、お前と一緒に生きたい」
竜一は辻のありったけの思いを込めてキスをした。辻はおおらかに腕を広げ、竜一を受け止めた。
「何やってんだいあんたら」
場所が場所であることを忘れていた。ふたりともぎくっと身体を震わせて振り返ると、レジ袋をぶら下げた竜一の母親が立っていた。
あわあわとぶっ倒れそうになっている竜一を後目に、あくまで陽気にぴょいっと片手をあげて、辻は竜一の母に話しかけた。
「よぉ、明日見ちゃん。俺よ、竜一と結婚することにした。よろしくな」
あっけにとられている竜一の頬に軽くキスして、辻は階段をのぼった。
「なに馬鹿なこと言ってんだい、この子は!」
母親が下から怒鳴り返すと辻は肩をすくめてみせて、
「ひえー、しゅーとめ怖ぇぇ~」
と笑いながら三階に消えていった。
竜一は固まったまま動けなかった。辻がそういってくれるのは嬉しかったが、あまりの急展開に壁に背を持たせかけて、ずるずるとしゃがみこんだ。
顔から火が吹きそうだ。とてもまともに母親の顔を見られなかった。
「あんた……本気かい?」
竜一の様子に、感じるところがあったのか母親が訝しそうに聞いてきた。
竜一は口元をおさえて、ただこくこくと何度もうなづくしかなかった。母親は眉間にしわを寄せてちっと舌打ちをした。
「勝手にしな」
面倒くさそうに言い放つと、階段を上がって行った。
許しなどいらない。評価なんかされなくていい。
ほったらかしで、十分だ。
体中の力が抜けた。
十二月二十四日。
聖なる夜。
宙に浮いたままだった竜一を、誰かがそっと地に降ろした
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