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第1話

 コトン、コトンと小さな音が静かな空間に奏でられる。夕食を終えたアルフレッドとシェリダンが動かす駒の音だ。茶色い盤の上では熾烈な攻防戦が繰り広げられていたが、どちらもそれを表面に出すことはない。 「グールムがこれほど多様性のあるものだとは思いもしませんでしたが、大公様の御病気がよくなられたのは僥倖(ぎょうこう)ですね」  コトンとチェスの駒を動かしながらシェリダンは言う。アルフレッドはそうだな、と微笑みコトンと駒を動かしてシェリダンを追い詰めていった。  アルフレッドには二つ年上の兄が一人いる。彼は生まれながらにして病弱で、早々に王位継承権を放棄して王都にある生母の生まれ育った屋敷で療養していた。しかし年を取るごとに病状は悪化し、いつ亡くなってもおかしくない状態だったのだが、以前モーランに視察に行った折にサチュアの毒を服用させられたシェリダンを救うため沢山の薬を開発し、その失敗作の内の一つを改良した薬が大公の身体と病気にピッタリとあてはまったようだ。それを服用して以来大公は徐々に回復しており、これから政務にも参加するために夫人達と共に城の敷地内にある琥珀宮に戻ってくるのだ。その宮は外に住居を持たない王の兄妹の為に作られたもので、今は皆外に家族と移ったり嫁に行ったりで誰も使用していない。  大公の住んでいる屋敷は王都内とはいえ城から遠く、環境も十分でない。アルフレッドが再三琥珀宮に移るよう説得していたが、国政に関わっていない自分が城の所有する宮に住むことはできないと頑なに拒んでいたのだ。しかし体調もよくなり国政に復帰するとあって、漸くアルフレッドの誘いに首を縦に振ったという。 「薬の開発にも今以上に力を入れるべきだな。良薬が開発されれば助かる命も増えるだろう」  幸いにオルシアには優秀な医師が多くいる。それに彼らは己の矜持よりも向上心を優先させるので、誰かに教えを乞うことに躊躇うことがない。それが彼らの強みでもあった。 「兄上が帰ってきたら夫人達も共に琥珀宮に入る。兄上はともかく、一応夫人達を管理するのは王妃の管轄だ。また仕事を一つ増やしてしまうことになってすまないが、何かあったらすぐに言ってくれ」  そう、後宮が王妃の管轄下であるように、琥珀宮に住む夫人達も王妃であるシェリダンに従わなければならない。大公が戻ってくるのは三日後だが、その次の日には側妃も含めた全員の顔合わせが行われる。同時刻の表では同じように高官達と大公が顔を合わせていることだろう。つまり夫人達との顔合わせの時は側にアルフレッドがいないということだ。 「アルのお手を煩わせないように気をつけます。ですが、大公様の御夫人方ですから、そう構える必要もないかとは思いますが」  シェリダンのように水晶で選ばれたり、大公がよほど気に入った娘なら話は別だが、大抵は上流貴族の娘が嫁いでいる。産まれた時から上下関係の厳しい世界で生きてきた彼女達が軽率な行動をするのは考えづらい。勿論、全員がそれに当てはまるわけではないこともシェリダンは理解しているが。 「誰の中にも思惑というものは存在する。必要以上に構える必要はないが、気を許しすぎるのも駄目だ」 「はい」  シェリダンが頷いたと同時に、コトンとアルフレッドが駒を動かした。シェリダンの目が細められる。 「チェックメイトだ」  アルフレッドの言葉にはぁ、とシェリダンは深いため息をついてしまう。自分なりに頑張って策を練ってみたのだが、やはり負けてしまった。ジッと未練がましく盤を見れば、アルフレッドお得意のそうとはわからないほどにゆっくりとキングを囲み最終的には逃げ場などどこにもない状態を作り出した戦法だった。

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