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第2話

夜。俺は今日も、いつものように予備校での授業を終え、帰宅しようとエントランスを出た――と、そこにいたのは?? 「も、最上?」 最上は、よっ、と片手を挙げてこちらに向き直った。偶然通りかかった、というふうではなく、俺に会うという明確な目的があってここで待っていたらしい。  ……え、何、俺、待ち伏せされてたの?? 「……待ち伏せとは、趣味が悪いんじゃないのか」 昼間の件に関しては心から悪かったと思っているので、会ったらまず詫びなければと思うのだが、またしても警戒心が先に立ってしまって失礼の上塗りをしてしまう。  しかし最上にはそんなことに頓着する様子もない。 「やだなあ、待ち伏せだなんて、人聞きの悪い」 通りかかる他の生徒らは、見慣れぬイケメンの出現に、ちらちらと視線をこちらに投げかけつつ帰っていく。 「お前、完全に不審者状態だから。すっげえ目立っちゃってるから!」 あまりのことに焦る俺を、最上は面白そうに見下ろしている。 「なーあ二ツ木、俺も予備校、ここに変えよっかな」 「は?」 「ここの授業ってどういう感じよ?いいの?」 「いや、だからなんでっ」 「ん?まあ俺らも、高2になってしまったわけだし?予備校変えるなら、決断するのは今かなあ、と」 「……」 「実はお前のテキスト拾った時、行儀の悪いこととは思いながらも中身をパラパラと見てしまったわけ。それで、お、けっこうよさげじゃん?と思って。たしかうちの高校だとさ、ここ通ってるのってお前だけだよな?だからこうして、お前に話を聞きに来た」 言葉を失い立ち尽くす俺を見て、最上の表情もさすがに曇った。 「……何?勝手にテキスト見たこと、怒った?わ、悪い」 「……そうじゃないよ」 違う、そんなんじゃない、そんなんじゃないけど。  ダメだ、ちっとも頭が追い付かない。  仕方ない、俺はおすすめと思われる授業をいくつか彼に教えてやった。至って大人しく俺の話を聞いていた最上は、説明が終わると嬉々としてビルの中に入って行った。ガラス張りのエントランスから中を覗くと、彼は受付で申し込み用紙を書いていた。  終わった。  やはり日常なんて、いとも簡単に音を立てて崩れ去る。少なくとも予備校という穏やかな俺の居場所は、今この瞬間にあまりにも刺激に満ちた場所になった。  最上からテキストを受け取ったあの日、なぜあれほどまでに指が痛んだのか、考えていたが、一つ気が付いたことがある。あの時俺の指は、テキストと共にほんの数ミリの世界ではあるが最上の指と触れ合っていた。それがいけないのだ。  どうやらこの謎の症状がより強く出るのは、他のどんな物よりも人間の身体に触れた時のようである。授業中プリントを回す時にうっかり前後の席の者の手に触れてしまったり、ねえねえと人に呼びかける時に誤って右手で相手の肩を叩いてしまったり、そんな時にあの日の痛みが再現されていた。  とにかく、右手で人間の身体に触れてはいけないな。  ずっと変わらないように見えた俺の日常は、確実に厄介な方向へ進んでいる。  さて、晴れて(?)最上と同じ予備校に通うことになった俺であるが、予備校でも最上の存在を無視するわけにもいかず、同じ授業を受ける時は一応近くの席に座り、自習室で会えば少しは会話を交わし、互いの授業が終わる時間が会えば一緒に帰って――いるつもりだった、のだが。 「……なあ最上、お前もしかして、俺と帰る時間が合わない日も、わざわざ俺のこと待ち伏せてる?」 「だからその待ち伏せって言い方やめてくれないか。やだなあ、それじゃまるで俺がストーカーみたいじゃないか」 ……なんで、ここまでするんだ、この男は。  はぐらかされてしまったことに膨れながら、隣を歩く最上の横顔を盗み見る。  しかし、綺麗な顔をしているよな。横顔も整っている。  まあ、こんな夜の静けさの中、街頭の程よい灯りに照らされたこの横顔を、家に着くまでの短い間ではあるが独り占めできるというのは、決して悪い気はしない。  そうこうしているうちに俺の家に着く。予備校からは俺の家の方が近いので、二人で歩くのはここまで、最上はここから先の道をもう少し一人で行くはずだ。  って、え。  玄関のドアを開けながら、俺は恐ろしい可能性に思い当たる。  最上は、これこそが狙いだったのではないか。  自分の方が確実に家が遠いことを知っていた彼は、俺と一緒に帰れば、合法的に俺の家の場所を知ることができる。いつも俺を待ち伏せて一緒に帰ることで、これまた合法的に彼は毎日俺の家の前にやって来ることができる。  何。俺、なんかあいつに狙われてる……?お前やっぱ、リアルナチュラルストーカーじゃねえか!  慌ててもう一度道路を振り返る。さっき「じゃあな」と言って別れた背中を「おい」と呼び止める。 「お、お前やっぱストーカーだろっ!俺の家突き止めて、わざわざ俺の家通るために、毎日毎日待ち伏せしてるんだろっ!!」 最上はめんどくさそうに引き返してくると、やれやれといった顔をした。 「だからぁ、そんな犯罪チックな動機じゃないって。寧ろ逆」 「???」 「お前のこと、送ってやりたいの。こんなかわいい顔した二ツ木くんが、こんな夜道を一人で歩いたら危ないからね」 「ハァ?お前バカなの?俺は男だぞっ。なんでお前に送ってなんかもらわなくちゃいけないんだよ!」 「あーハイハイ、こんな時間に外で騒いじゃダメだって。あんまりうるさいと……」 瞬間、最上の形の良い長い人差し指が伸びてきて、俺の唇を塞ぐ。 「⁉んーーー?」 俺が声にならない叫びを上げていると、かつてない至近距離にあの綺麗な顔が迫る。  今にも、最上の唇が、俺の唇を塞ぐ指に触れようとしている。  これは、最上のゆ、指越しとはいえ、キ、 「……なーんてな」 最上は俺からぱっと離れ、くるりと背中を向けてあっさり行ってしまった。  わ、悪ふざけが過ぎる……!  カバンを背負いなおす後ろ姿すら、憎たらしい。  俺にはトラウマというか、ナンバーツー人生を送るきっかけともいえそうな一言がある。初恋の女の子に言い放たれたのだ。 「ちかくんのことは、2ばんめにすきかな!」 あ、そう。俺は、2番目なんだ。ななちゃんにとっての。  ななちゃんじゃなくて、かなちゃん、とかだったかもしれない。とにかく、その子の名前すら忘れてしまっても、その一言だけはずっと忘れることができないのだ。  デリカシーなんて概念がまだ芽生える前のことだ。ななちゃんのことを恨んでなどもちろんいない。  ななちゃんだけではない。俺のことを、一番だと言ってくれる人なんて、本当に現れるんだろうか。  子供心に抱いた言い知れぬ不安は、つまらぬプライドで周りをかため、一番を目指すよりも敢えて二番に収まることで自分を守ろうとする防衛本能へと形を成した。  それにしても、なぜ今こんなことを思い出したのか。  風呂上がりのほかほかした身体をベッドの上に落ち着ける。すっかり厄介者になってしまった右手を顔の前に翳す。最近じゃ風呂に入るにも一苦労になってしまった。  右手の指を見つめる。俺の指ってこんなんだったっけなあ。自分の指なんて、そうそうまじまじと見ることもなかったが、そうしているうちにさっき見た最上の指が脳裏に浮かんだ。  やっぱあいつ、指も綺麗だったな。  ……いやいや、そんなのんきなこと考えている場合ではない。働け、俺の危機管理能力。  しかし記憶は鮮明に蘇って、あの美しい指で触れられた唇が、なんだかまた熱をもったように感じ  ……るのはなんでだ、おかしいだろ。きっと今は風呂上りだからだな。  やっぱり最近の俺、ちょっと頭おかしいわ。さっさと寝よう。    

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