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第1話
ピッ、ピッ、ピッ
断続的な機械音に意識が呼び戻される。
「んんっ」と小さな呻き声をあげながら、僕は、ゆっくりと瞼を開けた。
視界の先には、雲一つない真っ青な空が広がっている。
さやさやと葉擦れの音が響き、頬を気持ちの良い風が撫で上げる。
体勢はそのままに、目玉だけ動かして周りを窺う。
草原が障害物なしに地平線まで広がっている。
こんな景色、知らない。
きっと、夢の中だ。
そう結論付けて、もう一度目を閉じると、突然、乱暴に頭をはたかれた。
「痛っ! 何するんだよ!」
「ユイ……? 出発するぞっ!」
「はい?」
野太い男の声と同時、顔がにょきりと視界を塞いだ。
まっすぐな眼差しで僕を見つめる顔は、その半分以上が無精髭に包まれ、まるで熊のよう。
「ユイって誰?」
ここには、僕と男の二人だけ。
ひょっとして、僕のことか? と思いながら、念のため覚えのない名前を確認する。
「ユイはお前の名だ」
「え? 違うって! 僕はそんな名前じゃない。僕の名前は……」
やっぱり、知らない誰かと間違えられている。
キッと男を睨んで、勢いよく否定したものの、続ける言葉が見つからない。
僕は途方に暮れた。
僕の名前って、なんだっけ?
しかも、名前どころか、すべてが思い出せない。
文字通り、頭の中が真っ白。
きれいさっぱり白色の絵の具で塗りつぶされていて、断片すら見えない。
「僕の名前は……何ですか?」
ここでようやく、ガバリと体を起こし、背筋を伸ばして男に尋ねた。
現金なもので、さっきまでの失礼な態度はどこかにやって、急に礼儀正しく敬語になる。
自分のことがわからない以上、この男の機嫌を損ねてはならない気がする。
「お前は、勇者ユイ。この世界をモンスターの住む暗黒世界にしようと企んでいる悪い魔王を倒すために召還された」
「しょ、召還??」
男は、僕の戸惑いを気にすることなくセリフのような文言をさらに続ける。
「俺は、ネーベン。お前と一緒に旅立つ戦士。お前と同じ25歳」
「ちょっと待って。あなた、劇団の人?」
僕は周りを見回した。
どこかで回っているかもしれないカメラを必死で探す。
流暢な日本語で、日本人ではあり得ない名前を平然と名乗る。しかも、25歳の自称戦士。
よくみると国籍不明な名前にピッタリな彫りの深い整った顔立ちをしている。
「劇団? とにかく、お前と俺は魔王を倒す旅に出る。そのように決まっている。……あのさ、頼むから。俺も早く帰りたいし、予定通り進めてくれる?」
ネーベンは、それまでのセリフのような口調をガラリと変えて、本音をちらりと覗かせた。
それが、逆にリアルさを感じさせる。
違うのか??
まさかとは思うが、これが噂の異世界召還ってやつか?
僕は、ニヤつく顔を必死で引き締めた。
ヤバい。かなりワクワクする。
最近はやっていないが、僕は昔から携帯ゲーム機のヘビーユーザー。
時間だけは有り余っていたから、コツコツとレベルを上げていくようなRPGが得意だ。
ゲームの世界じゃなくて、実際に体験できるとは、願ってもいないチャンス。
思う存分、このゲームの世界を楽しんでやる。
僕は立ち上がると、ネーベンの横にならんだ。
180cmは余裕で超えていそうなネーベンと目線が同じ。
思っていたよりも、高い身長に違和感を覚えるが、細かいことは、気にしない。そういう設定だ。
僕は、ネーベンが差し出した剣を受け取った。
ずっしりと重い。
ネーベンの真似をして、それを一振りしてポーズをとってみる。
自分で言うのもなんだけど、なかなか、いい感じだ。
体が軽い。そして力も強い。
こちらの世界では、ちゃんと勇者向きの体格に変化しているようだ。
僕はニッコリ微笑むと、「いざ、出陣!」と戦国武将のように高らかに叫んだ。
■ □ ■
「ユイ、危ないっ! おりゃっ!」
草むらから飛び出したスライムのようなモンスターを、ネーベンが一発で仕留めた。
抱きしめられるような形で庇われて、ドキンと心臓が高鳴る。
いや、いや、僕は女の子じゃないし。勇者だし。
庇われてときめくなんて、あり得ないから。
セルフ突っ込みを入れつつ、熱くなる頬を手の平で押さえる。
取りあえず、小さな声で礼を言った。
大人なら、これぐらい言えなきゃいけない。
「あ、ありがと」
「大丈夫? 怪我はない?」
「うん」
甘い雰囲気もつかの間、奥からゾロゾロと群れで新たなモンスターが出てきた。
「うぉぉぉー!」
ネーベンがバッサバッサと剣でなぎ倒す。
さすが戦士。熊のようなむさくるしい外見と対照的な美しい剣さばき。
僕はモンスターを倒すことも忘れて見惚れた。
「ユイ? ちゃんとお前も戦え。俺たちはチーム。力をあわせなければ魔王をやっつけることは出来ない」
ネーベンの言葉に、我に返る。
そうだ、僕は勇者だ。ちゃんと戦わなきゃ。
僕は両手で剣を握りしめた。恐怖で両手が震える。
ネーベンは僕の様子に気付いたのか、優しい声で続けた。
「大丈夫。俺がフォローする。ちゃんとお前のことは守る。でも、戦う気持ちだけは持ち続けて欲しい。俺だけじゃ、倒せないから」
ネーベンの言う通りだ。
勇者は戦わなくちゃいけない。
僕は、目を閉じて深呼吸すると、モンスターに向かっていった。
渾身の一撃はさらりと、かわされたが、そこをネーベンがすかさずやっつけた。
「その調子」
ネーベンが僕の頭を撫でて、ふわりと笑いかけた。
その太陽のような笑顔に、ドキリとする。
ネーベンは、熊のような見かけとは違って、細やかな所に気が付き、思いやりがある。
彼のそばは不思議と居心地がよい。
だから、違うって! これは恋心なんかじゃない。
僕は、慌てて自分の気持ちに蓋をした。
瞬く間に、僕たちのレベルは上がっていった。
「この調子で行けば、すぐに呪文を覚えることが出来るんじゃない?」
僕は、嬉しくなってはしゃいだ。
早く、呪文を覚えたい。
そうすれば、こんな僕でもモンスターを軽々とやっつけることが出来るかもしれない。
「呪文はもう少し先だ。まずは、この剣を使って物理的な方法で戦いながら様子をみる。この先のウロの村で仲間と合流する」
「仲間?」
「俺よりも魔王に詳しい。一緒に戦うには心強い味方だ。ウロの村人からも情報を得ながら、魔王の弱点を探ろう」
仲間って、どんな人だろう?
ゲームの世界では魔法使いか、僧侶というのがお約束。
優しくて、いい人だといいのだけど。
そんなことを考えているうちに、ウロの村が見えてきた。
何もない草原だけの景色に隠れるようにひっそりと佇んでいる。
「ユイ。ちょっと待て。様子がおかしい」
ネーベンが先頭になって、村に足を踏み入れた。
確かに様子がおかしい。
村人らしき人達が、村の中央を見つめながら泣いている。
「どうしたのですか?」
僕は泣き崩れているお婆さんに声を掛けた。
「村が、カルチに飲み込まれているのです」
「カルチって、この塊?」
僕は町の中央の小高い山のようになっている白っぽいピンク色の塊を指さした。
塊は、表面がぬるりとしていて、場違いなほどきれいだ。
「こんなに大きくなっているとは……」
ネーベンが珍しく、動揺している。
「こんなのちょちょって、この剣で切り取ってしまえば?」
ネーベンを励ましたくて、軽い口調で口にした時だった。
塊の一片がアメーバ―のように分裂した。それが瞬く間に変形して、モンスターとなって飛び出した。
「うわっ!」
反射的につきだした剣が、モンスターに直撃する。
「ユイ! やったな!! 初めて自分だけの力でやっつけたな!」
ネーベンが僕の頭をくしゃりとしながら嬉しそうに笑った。
僕も嬉しくなって、両手で剣をかまえた。
もう、両手は震えていない。
怖くなんかない。へっちゃらだ。
僕たちは、次から次と塊から生まれ出るモンスターを片っ端からやっつけた。
不思議なことに、モンスターが生み出される度に、塊が小さくなる。
とうとう、塊は跡形もなく消滅した。
「ありがとうございます」
「ありがたや!」
「ウロの村が救われた! 感謝ですぞ」
村人たち礼を言われ、その晩は祝宴となった。
陽気に踊り明かす村人を見ながら、僕は、魔王を倒した後の世界について考えていた。
この世界に平和が訪れた後、ネーベンと自分の関係はどうなるのだろうかと。
■ □ ■
宿屋で目覚める。
もちろん、HPは、全回復。
「ネーベン。今日は、どこに向かうの?」
「カルチが北の方に向かうのを見たと村人が言っていた。急ごう。次の村にたどり着く前にやっつけるぞ」
「合流する予定の仲間は?」
「そのうち、出会えるだろう」
この村で、合流するって言ってじゃん!という言葉は飲み込む。
どんな人か気になるけど、ネーベンと二人っきりというのも悪くない。
僕たちは、少しだけ急ぎ足で北に向かった。
僕たちのレベルが上がるにつれて、出会うモンスターも徐々にレベルが高いものに変化する。
ついに、今までで最強のメタルなモンスターが群れで現れた。
メタルなモンスターは極端にダメージを受けにくい。
攻撃しても攻撃しても相手のHPは減らず、とうとう、僕のHPは一桁となり、真っ赤な警告を放ち始めた。
ネーベンも、流石にヤバそうで、息が上がっている。
もう、限界だ。諦めかけたその時、
「VCR!!」
呪文を唱える声が聞こえた。
あんなにも手こずっていたメタルなモンスターは断末魔の悲鳴をあげ、見る見るうちにシュルシュルと消え去った。
振り向くと、白い髭を生やしたお爺さんが立っている。
手には、木の棒。
「ひょっとして魔法使い??」
「そうだ。わしは魔法使いのオーベンじゃ」
ネーベンと同じようなセリフ回し。しかも、棒読み。
この世界のデフォルトなのだろうか。
この口調がうつってしまいそうで怖い。
「ネーベンにオーベンって、そっくりな名前。二人は親子?」
フォッ、フォッ、フォッとオーベンは高らかに笑った。
ネーベンは慌てたように、「コラッ」と僕にゲンコツすると、「すみません」とオーベンに謝った。どうやら、二人には上下関係があるみたいだ。
「呪文はどのくらい使えるの?」
「3つじゃ。もう少しでレベルが上がるから、そうすれば新たな呪文を習得できるはずじゃ」
「呪文いいなぁ。僕は、いつになったら呪文を習得できるのだろう……」
「じゃあ、新たな呪文を習得したら、それをユイに授けよう」
「え? そんなことが出来るの?」
「出来る、出来る」
「約束だよ!」
「わかった」
会話をしているうちに、体が痺れてくる。
最初は指先の違和感だったのが、ビリビリとしたものが全身に広がる。
「か、体が変だ。痺れる」
「ユイ、大丈夫か?」
ネーベンが慌てて、僕の体を抱きしめる。
泣きそうな顔をしている。
「呪文の副作用だ。VCRは神経に障害を与えやすく、手足の痺れが起こることがある。あまりに症状が酷いと、この呪文は使えない」
そんな……。
呪文に副作用があるなんて聞いたことがない。
しかも、呪文を唱えた魔法使いじゃなくて、その横にいた勇者に。
ちょっと、否、かなり理不尽な気がする。
けれども、このしんどさは本物だ。
もしかしたら、この世界で命を落とすことがあるかもしれない。
薄れかけていた恐怖が甦る。
「ユイ? おんぶしてやろうか? 申し訳ないがカルチが次の村にたどり着く前に、追いつきたい」
「大丈夫。マシになってきたから、歩けると思う。先を急ごう」
そうだ、僕は勇者だ。
みんなを引っ張っていくのが勇者の役目。
頑張らなきゃいけない。
僕は痺れが残る指先をギュッと握りしめた。
道なりに3時間ほど進んでようやくヘルツという名前の村にたどり着いた。
僕は倒れるように、村の中央の噴水横のベンチに寝転んだ。
正直、限界だった。
ネーベンとオーベンは手分けして村中を探し回った。カルチの立ち寄った跡は見られなかった。
ウロの村のようにカルチの塊も見つからない。
「この村は無事のようだ。今度は東に向かおう」
「ネーベン、お主は甘い。表面だけで判断するのは危険だ」
「表面だけ?」
「そうじゃ。安心するのは、この地面の下はどうなっているのか調べてからじゃ」
その時だった、噴水から勢いよくピンクの物体が吹き出した。
カルチだ!
「ギャー」
カルチがモンスターとなって、村人を襲う。
僕も立ち上がって、剣で応戦するが、カルチの数が多すぎて太刀打ちできない。
ネーベンも同じだ。
「ACT-D!!」
オーベンが呪文を唱えると、一気にモンスターが消滅した。
突然、テテロッテッテロという聞いたことがある様な派手な効果音が鳴り響いた。
オーベンのレベルがあがる。
そして、オーベンは新しい呪文を覚えた。
僕のレベルは中々上がらないのに、オーベンばかりレベルがあがる。
全く、ズルい。
しかし、僕は不平を言わず、ニヤついた。
この呪文は、僕にくれる約束をしていたから。
オーベンは、目を閉じて念を送ると、僕の脳裏に新しい呪文が刷込まれた。
やっと、これで僕も呪文を1つ習得した。
ネーベンに報告しようと立ち上がったときだった。
僕はその場にうずくまった。さっきオーベンが唱えた呪文の副作用だ。
とんでもない吐き気に、立っていることが出来ない。
「オェーーー」
嘔吐がおさまらない。
ネーベンが慌てて駆けつけて背中を擦るが、一向に良くなる気配はない。
結局、一晩かけても僕の嘔吐はおさまることはなかった。
朝になったが、いつもは回復するはずの僕のHPは、全回復どころか全く回復せず、減るばかり。
とうとう、一桁となり、真っ赤な警告を放ち始めた。
宿屋のベッドに横になっていると、探索にでていたオーベンが戻ってきた。
「この下に秘密の洞窟がある。どうやら、そこにラスボスの魔王が潜んでいるようじゃ」
オーベンが眉根を寄せながら言った。
「ダメだ。ユイがこんな状態じゃ戦えない。薬草を手に入れて回復する必要がある」
「残念だが、薬草ではユイは治らないのじゃ。魔王を倒さないかぎりHPは減っていく」
僕のHPはすでに一桁だ。
このままでは、あと、1時間も持たない。
僕はフラフラと立ち上がった。
僕は勇者だ。みんなの足を引っ張る訳にはいかない。
「洞窟のダンジョンに行こう」
ネーベンは渋い顔をしていたが、結局は僕の言葉に従った。
地下の洞窟は今までと比べ物にならないような強敵が潜んでいた。
僕の体調を気遣ってか、オーベンは呪文を使わず、ネーベンの剣のみで敵を倒していった。
そうして、最奥にたどり着いた。
「ウハハハハ」
凶悪な笑い声とともに、魔王が現れた。
お約束な登場の仕方だ。
僕のHPはすでに5を切っている。
ネーベンが渾身の一撃を魔王に与えるが、魔王のHPは全く減らない。
「VCR ! ACT-D!! CPA!」
オーベンが今までの呪文の合わせ技を唱えるが、やはりこちらも効果がない。
そうこうしているうちに、僕のHPが3を切った。
意識が遠のく。
頭が割れるように痛い。
吐き気がして、胸がムカムカする。
痛い。痛い。痛い。
痛みの余り、涙が止まらなくなる。
助けて。助けて。
誰か、助けて。
痛い。
痛いのはもう嫌だ。
「もういい。ユイは頑張った。こんな小さな体で、よく頑張った。十分、頑張った。頑張らなくていい。もう、楽になっていいんだ」
ネーベンが涙で顔をぐちょぐちょにしながら、僕を抱きかかえた。
ああ、この顔、前も見た。
記憶がよみがえる。
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