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第2話

 あの時、子どもみたいに泣くこの人を抱きしめて励ましたいって思ったんだ。  あれが、僕が恋に落ちた瞬間。  僕の本当の名前はユウ。  かつて、僕をユイと呼んだ少女がいた。  その少女の名前は、マイ。 「僕の名前はユウなんだけど?」 「ユイでいいじゃない? その方がコンビっぽいよ? ユイ&マイってピッタリじゃん」  マイの夢は、僕とコンビを組んで芸人になること。  マイは人を笑顔にするのが好きだった。  2歳年上で物心ついた時には、僕の隣のベッドの住人だった。  僕たちは、常に一緒に行動していた。  親や兄弟以上に近い存在。  僕とマイは、『横紋筋肉腫』という同じ病気だった。  いわゆる、小児がんってやつ。  ある日の真夜中。  マイの容態が急変し、病室を移動した。  朝になって、僕はマイの病室を探しに行った。  マイの姿を一目見て、安心したかった。 「昨夜、マイちゃんステったの。可哀想に。まだ10歳なのに」 「ウロからヘルツへメタして、全身がメタメタだったから」 「ケモは?」 「効果がなかったみたい」  大人の話し声が聞こえる。  子どもだって、入院生活が長いと会話の意味がわかる。  視界が涙でぼやける。  僕は、1人になりたくて、秘密の場所に向かった。  人がほとんど使わない階段の踊り場。  僕の時も「ステった(死んだ)」と言われるのだろうか。  涙が、次から次へとこぼれ落ちる。  僕も、原発はウロ(泌尿器)で、ヘルツ(心臓)にメタ(転移)している。  ケモ(化学療法)の効果はみられず、カルチ(がん)は小さくなっていない。  マイを亡くした悲しみ。  マイに二度と会えない寂しさ。  死への恐怖。  噂話のネタになるくやしさ。  いろいろな感情がぐちゃぐちゃに入り混じる。  ヒック、ヒックと嗚咽をもらしながら、ようやく踊り場にたどり着いた。  そこで、僕の足が止まった。  先客がいたからだ。  先客は、大きな体を丸めて子どものようにうわーん、うわーんと声をあげながら泣いていた。  熊のような髭で覆われた顔は、涙でぐちゃぐちゃ。  先月からマイの担当になったネーベン(研修医)だ。  ネーベンは、僕の気配に気づくと、慌てて目をこすった。 「君は、確か……ユイだね?」 「僕の名前はユウ。ユイって呼んでいいのはマイだけ」  止まりかけたはずの涙が、ぶわっと溢れ出る。  僕をユイと呼んだ人は、もういない。 「僕も、マイと同じように死ぬの?」  しゃがみこんだ僕を優しく抱きかかえると、頭をくしゃりと撫でた。 「お前は死なない。俺が絶対に助ける。一緒に戦おう」 「ほ、本当にっ? 僕を助けてくれるの?」 「絶対に助ける」  僕は、ネーベンの腕の中で泣きながら寝てしまったようで、気付いた時はベッドの中。  泣きすぎて瞼が腫れ上がっていたが、不思議と胸は温かなもので満たされていた。  間もなくして、ネーベンは僕の担当になった。  それから、ネーベンと僕の二人三脚の戦いが始まったのだ。 「ネーベン? 全て思い出したよ。僕たち、一緒に戦おうって約束したよね? まだ、頑張れる。諦めない。僕は、マイの分まで戦わなきゃならないんだ。だって、勇者だから」 「ユイ…」 「ネーベン、僕にキスして? ネーベンの力をわけて?」  僕は頭の中は8歳の子どもだけど、体は25歳。  僕は最後の力を振り絞ると、ネーベンの襟元を引っ張って、唇を重ねた。  頑張れる。  マイ? 僕はまだ頑張れるよ。  ネーベンの腕から体を起こし、剣を拾う。  剣を杖代わりにして、僕が使える唯一つの呪文を大声で唱える。  オーベンに貰った呪文。  もしかしたら、効かないかもしれない。  それどころか害を及ぼすかもしれない。  それでもいい。最後の賭けだ。 「ぎぇぇーーーーー」  魔王がこの世のものと思えない悲鳴をあげた。  賭けに勝った。  僕は、その場に崩れ落ちた。  ネーベンが駆け寄ってくる。  ネーベン? 僕、頑張れたよ。  最後まで、戦えたよ?  マイ? ちゃんと見ててくれた? 「ユイっ! ユイっ!」  ネーベンの声が聞こえる。  返事をしたいのに、力が入らない。  ネーベンの顔を目に焼き付けたいのに、瞼を開けてられないんだ。  ネーベン。大好きだったよ。  ちゃんと伝えられなくて、残念だ。  でも、僕の気持ちは伝わってるよね?  ねぇ? ネーベン?      ■   □   ■  ピッ、ピッ、ピッ  断続的な機械音に意識が呼び戻される。これは人工呼吸器の音だ。  「んんっ」と小さな呻き声をあげながら、僕は、ゆっくりと瞼を開けた。  視界の先には、真っ白な天井が広がっている。 「ユウ、ユウ!」 「ゆうちゃん」  パパとママが涙で頬を濡らしながら、僕を見つめている。  病室には、他にも看護師さんや担当医がいて、口々に叫んでいる。 「自発呼吸、戻りました」 「意識、回復しています」  病室中に歓声が響き渡る。 「良かった」 「もう、大丈夫だ」  悦びの声が、あちらこちらからあがる。  視線を周囲に彷徨わせて、やっと目的の人物に行き当たる。  ネーベン。また、会えた。  僕、ちゃんと帰って来れたよ。  元気になったら、ちゃんと気持ちを伝えるね。  それまで、待っててね。      ■   □   ■ 『今日の夕飯はネーベンの好きなから揚げだからね』 『ネーベンって……今は、ユイがネーベンだろ?』 『え? じゃあ、根津教授?』 『違う。眞一さんって呼べよ。出会いから18年。一緒に住み始めて7年。いい加減、名前で呼んでくれてもいいんじゃないか?』  僕は、25歳になった。  8歳の時に容態が急変して死にかけたが、無事に生還した。  当時、ネーベン(根津先生)のオーベン(指導医)だった小山内教授の開発した認可前の分子標的薬が劇的な効果をあげ、奇跡的に根治した。  それからは、普通の子どもと同じように学校に通うことも出来た。  そして、医学部を卒業し、現在は研修医だ。  ネーベンは、研修医が終わると臨床から離れ、基礎医学の世界に入り、分子標的薬の研究を続けている。  新薬の開発に成功し、1つは上市し、残りの2つは第III相試験(フェーズ III)に進んでいる。  宝くじに当たるよりも確率の低いと言われるこの業界で、信じられない成果をあげている。もちろん、その業績が認められて、若くして教授だ。  僕の熱烈なアタックに絆される形で、高校入学と同時に付き合い始めた。  そして、高校卒業と同時にネーベンの家に押しかけて、それから一緒に暮らしている。 「ただいま」 「おかえり。し、眞一さん」  名前呼びなんて、妙に照れる。  赤らむ頬を腕で隠して、台所に逃げ込んだ。  ネーベンが追いかけてきて後ろから抱きしめてくる。 「今の、すごいきた。ユイ、抱いていい?」 「ば、ばか。明日、朝イチからオペだって」 「じゃあ、入れないから。ぎゅっとするだけならいい?」 「……うん」  僕の返事も待たず、唇を重ねてきた。  ネーベンの甘やかな舌が強引に歯列を割って入ってくる。 「んんっ」  ネーベンの手が、服の中に忍び込んできて、乳頭を刺激する。  ビリビリとした快感が全身を駆け巡り、僕の昂ぶりが臨戦態勢となる。 「ユイ? どうして欲しい?」  ネーベンがズボンの上から、絶妙な力加減で昂りを撫で上げる。 「ちょ、直接触って」  僕は唇を噛みしめながら懇願した。  悔しい。いつも余裕がないのは、僕ばかり。  ネーベンは涼しい顔をして微笑んでいる。  いつか、この差が縮まる日がくるのだろうか?  ネーベンは自分のペニスを取り出すと、僕のものと重ねて扱き始めた。  同時に、窄まりに指を差し入れてくる。  前と後ろの刺激に、理性が吹き飛ぶ。  気が遠くなるほど、気持ちがいい。  追い立てられ、すぐに、限界が近づく。 「あっ、ネーベン、出るっ!」 「ネーベンじゃないだろ? なんていうの?」 「ああっ、んんっ、し、しんいちさんっ、しんいちさん!!」 「可愛い、ユイ。ユイは俺の宝物だ」 「い、いれて? しんいちさんで一杯にして欲しい」 「ユイ? 本当にいいの?」  ネーベンは、ペニスを重ねていた手を放すとヌプリと差し入れてきた。 「ああっ―――」  前立腺を擦りあげられ、僕は、ところてんで射精してしまう。 「ユイ、かわいいね。俺がいくまで待ってて?」  ネーベンの律動が激しくなる。  放ったばかりの体には、きつすぎる刺激だ。 「あっ、あっ」  ネーベンが僕の中に放った。  その刺激で、僕も再び達してしまった。 「あの時のユイは、ちょうど今のユイと同じ25歳だ」  何気ないネーベンの言葉に、体が固まる。  あれは、僕の夢の中の出来事のはず。  どうして、ネーベンが知っているのだろうか? 「あれは、夢じゃない。本当に異世界に迷い込んでいたんだ。小山内教授も一緒にね」 「ええ!!」 「あれが切っ掛けでお前に惚れたんだ。さすがに8歳のお前には手が出せない。だから、黙ってたんだ。」  なんだよ、それ。  ずっと両想いだったんじゃん?  夢だと思っていたから、自然に受け入れていた。  不思議すぎる出来事。  ひょっとしたら、マイが導いてくれたのかもしれない。 「ユイ? 研修が終わったらどうするんだ?」  僕は迷っていた。  ネーベンの片腕として根津研で研究したい気持ちもあるが、臨床医も捨てがたい。  どちらも選べない。 「俺が臨床医を諦めたのは、あれが切っ掛けだ」  僕は、じっとネーベンを見つめ、言葉を待った。 「あの時、ユイの戦いを最後まで見届けることが出来なかった。十分、頑張ったから、頑張らなくていい。楽になっていいと言ってしまった。それは、医者として言ってはならない言葉だった」  ネーベンは、言葉を続ける。 「ユイは、小児科医になれ。自分と同じような子どもの力になりなさい。ユイの存在が誰かの希望になる。それは、ユイにしかできない事だ」  その言葉で、堰をきったように涙が溢れ出る。 「僕は、小児科医になるよ」  いつか、ベッドで震えて泣いている子どもに、この物語を語ろう。  それが、僕があの世界に行った意味だと思うから。  僕は愛しい戦士に、心からの口づけを落とした。

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