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【番外編】第8話(ムカイ視点)

「運命は絶対だ」  ムカイは、バーのカウンターでウォッカのロックを一気にあおった。  アルコールは胃の淵に浸み込むものの、どんなに飲んでも意識ははっきりしたまま。  何もかも忘れてしまって、無我の境地に陥りたいと願うのにちっとも叶わない。  ここは、Ω保護施設に隣接する、うらぶれたバー。  否、元保護施設といった方が正しい。  Ω保護施設は解体され、もう存在しない。  αとその番しか居住が許されなかった特別地区も、今は多くのβが移り住んでいる。  あの男、キヨが全てを変えた。  キヨは「圧倒的大多数のβ」の票により、首相に当選した。  優秀なαではない、凡人のβに首相なんて大役が務まるはずがないという大方の予想に反し、キヨは数々の改革を成し遂げていった。  そんなキヨの姿に触発された一部のβやΩが、頭角を現していった。  それを目の当たりにした次世代のβやΩが努力を重ね、すばらしい成果を残す。  一方、αという事実に胡坐をかき自堕落に過ごしていた者は、容赦なく転落した。  キヨの改革により世の中は、階級世界から実力世界に完全に移り変わった。  αでもダメな奴はいるし、βやΩでも優秀な奴はいる。  自己研鑽に励めばさらに上が望めるし、怠惰に過ごしていれば辛酸を舐める。  αやβ、Ωなんて種別に関係なく、互いに協力するようになった。  新たな価値観が生まれた。  そして、世界はますます発展した。  αに頼る必要はなくなり、番探索プログラムは破棄された。 「お客さん、運命なんて、まだ言っているんですか? もう、死語ですよ?」  すっかり、「運命の番」という言葉は陳腐化していた。  未来は自分の力で切り開いていくものであって、運命なんて、そんな理不尽で不確かなものに左右されるのは愚かだと誰もが言うようになった。 「それでも、運命はある」  ムカイはグラスを握りしめた。  初めてカイの姿を目にした時に運命を確信した。  それまでに出会った、どんな人とも違った。  愛おしくて、抱きしめたくて、全てを捧げたくなった。  番探索プログラムでも、運命の番と判定された。  カイは正真正銘の運命の人だった。  それなのに、横からさらわれた。  運命は絶対だ。  運命の番を引き裂くことは、誰にもできないはずだ。  それなのに、あいつは……。 「あんた、ウダウダと五月蝿いっ! 折角の酒がマズくなるっ!!」  2つ椅子をあけて隣に座っていた金髪の男が眉間に皺を寄せて怒鳴った。  ヨレヨレの作業着に、泥だらけの靴。顔には無精ひげ。  普段、接することはない人種だ。相手にならない方がいい。  冷静に判断する心とは裏腹に、言葉を返していた。 「運命は絶対なんだよ。Ωはαだけ見ればいいんだ。βなんかには入り込む余地はない」 「は? ふざけるなっ! Ωにだって選ぶ権利はある! 少なくとも、俺はαなんて勘違い野郎なんか好きにならない」 「お前、Ωか? やっぱり、底辺だな。お前たちΩには、αの庇護が必要なんだよ」  すごい衝撃のあと、天地がひっくり返った。  薄汚れた天井を茫然と眺めているうちに冷静になり、ようやく殴られたと理解した。 「俺は自分の力でちゃんと働いて生きている。今の生活に満足してる。恥ずかしいなんて思わない」  男は震える声で吐き捨てるように言うと、その場を去った。 「なんだ、あいつ? いきなり殴りかかってくるなんて、やっぱり底辺じゃないか」  鏡で腫れた頬を確認しながら、独り言を呟く。  苛立ちが全身に拡がり、怒りがおさまらない。  思い出しただけで、ムカムカする。  でも……  唇を噛みしめて、悲しみに歪んだ顔。  震える声の捨て台詞。 「絶対、泣いていたよな? あれ」  確かに、言い過ぎた。  本当は、あんなことは思っていなかった。  あそこまで、言うつもりはなかった。  傷つけるつもりはなかった。  男の最後の表情が、頭から離れない。      □ ■ □ 「あれ? お客さん、また来たの?」  あれから、毎晩のようにバーに通っている。 「α野郎、ここに出入りするな。酒がマズくなる」 「どこで飲もうと、俺の勝手だろう? お前の指図なんかうけない」  必ず口喧嘩する。  ムカイは温厚な性格だった。  今まで、人に悪意をぶつけたこともなければ、ぶつけられたこともない。  ましてや、殴られたのは前回が初めて。  こんなに腹が立って、いけ好かないヤツは初めて。  ムカイは、毎回、本気でムカムカしていた。  ……なのに、ここに足を運ぶのをやめられないのはナゼだろう?  そんなある日、男は現れなかった。  その次の日も。  そのまた次の日も。 「あいつは?」 「さあ? 仕事が忙しいんじゃないですか? ここ最近は毎日のように来ていましたが、それまでは気が向いたら来る程度でしたから」  マスターは、興味が無さそうに返答した。  確か、このバーの近くのボロアパートに住んでいると言っていたな。  別に、あいつのことが心配な訳じゃない。  なんとなく、落ち着かない。それだけだ。  ムカイは、半分以上残したままグラスを置くと店を出た。  それらしきアパートは、すぐに見つかった。  表札を見ても、どの部屋かはわからない。 「俺、何をやってるんだ?」  冷静になると、自分のやっていることの馬鹿さ加減に笑いが込み上げてきた。  ストーカーじゃあるまいし、家まで押しかけるなんて頭がおかしい。  帰ろうと、踵を返したときだった。  1階の一番端の部屋の窓が開いた。  石膏で固められたかのように、足が動かなくなる。  なんだ、これ?  心臓がバクバクと壊れそうなくらい激しく拍動を開始する。  体中の血液が沸騰したかのように、全身が熱く滾る。  頭がキーンとして、何も考えられない。  匂いが。  香しい、抗うことのできない魅力的な匂いがする。  ムカイは、フラフラと吸い寄せられるかのようにその窓に向かった。  窓には、あの男がいた。  潤んだ目で、ムカイを見つめている。  発情期だ。  発情期の男に刺激され、ムカイも発情した。  ドクドクとした熱が下半身に集まってくる。  ダメだ。このままでは、襲ってしまう。自分を止めることが出来ない。  ムカイは、最後の力を振り絞って叫んだ。 「早く、窓を閉めろっ!」  男は、窓を開けたまま動かない。 「早く、窓を閉めろって言ってるだろっ!?」 「あんたが大っ嫌いだ。それなのに、あんたの事が気になって仕方がない。あんたの運命の番は別の人だってわかってる。俺じゃないってわかってる。それでも、あんたが欲しい」  自分だって、お前に腹が立って仕方がない。  ちっとも、好きじゃない。  カイの時のように一目で愛おしいなんて思わなかった。  でも……  ムカイは、土足のまま窓から部屋に入り込むと、男をベッドに押し倒した。 「俺も、お前が欲しい。ずっと、お前のことが気になって、気になって仕方がなかった。こんな気持ちは初めてだ。お前を離したくない……俺の番になってくれる?」 「……はい」  いつもは乱暴な言葉遣いの男が、真っ赤になって少女のように返答する様に、グッときて思いっきり抱きしめる。  一方的に庇護し、守るのではない。  一緒に、パートナーとして助け合い、互いを高めあう。  きっと、喧嘩をするだろう。二人とも意地っ張りだから大喧嘩になるだろう。  でも、その都度、仲直りする。  悪い所は、話し合って直していく。  そんなことが、こいつとなら出来る。  こいつとなら、そんな未来を作っていける。  番探索プログラムは、無くなってしまったから答え合わせは出来ない。  こいつが自分の運命の番だ。間違いない。  こいつにとっても、自分が運命の番だ。  いや、違ったとしても、絶対に運命の番になってみせる。  その晩、ムカイと男は運命の番となった。

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